区切りはついた
「ご無沙汰しております」
『……お久し振りです』
それから1週間。
その間、特に何かをした訳ではない。
進捗を確認する気にもならず、ただ時間だけが過ぎていった。
問い合わせれば何かが変わるとも思えなかったし、変わったところでどうなるものでもない。
業務の合間に、ふと受信箱を開く事はあった。
それらしい件名が並んでいない事を確認して、すぐに閉じる。
それを何度か繰り返している内に、確認する事自体もやめていた。
ようやく海藤役員から、調査人に選出されたと連絡が来た。
選出前から既に調査は進められており、おおよその対応を終えたとの事で、最終的な結果の通告を行いたいと打ち合わせを求められた。
文書で送られてきてもいいとは思ったが、目を通すのも面倒だ。
そのまま応じる事にした。
『連絡が来るまでこんなにかかるとは思っていなかったんだが……何かあったのか? あの日に通報するのだとばかり思っていたが』
「え、聞いてないんですか?」
『あぁ、特に何も』
……やれやれ。
「面談当日に通報して、受理されてますよ」
『そうなのか?』
「えぇ。ただ……その後、報告が上がってなかったみたいで」
『……すまん。それはまた別の問題だな。後で所管には伝えておく』
「まぁ別にいいです」
どうでもいい。
『……だとしたら、あの面談を先にしておいて良かったな。予め動けていた』
「ですね」
『では、調査結果について通告させて貰う』
海藤役員が咳払いをし、画面に向き直る。
『まず、採用面接時の記録だが、問題なく採用部に残っていた』
「……私の事情や制限についても、ですか?」
『そうだ。入社承諾書についての確認経緯も含めて、しっかり残っている』
「という事は、やはり部長や課長の確認不足だった、という事ですね」
『そうなる』
短く、答えが返る。
「何故、採用と人事とで情報が共有されていないのでしょうか?」
『人事では、役職者等に関する情報しか扱っていない』
「人事評価とかは?」
『それはまた別の所管だ』
……そういうものか。
以前であれば、もう少し踏み込んで聞いていたかもしれない。
どこまでが誰の責任で、どの時点で情報が止まったのか。
そういう事を整理しようとしていたはずだ。
だが、今はそこまで考える気にはならない。
仕組みとしてそうなっているのなら、何を言ってもどうしようもない。
『少なくとも、大竹さんの事情については、事前に把握されていた事が確認できた。それを判断材料として扱えなかったのはこちらの落ち度だ。申し訳ない』
「いえ」
『それで……須藤部長の件なんだが』
海藤役員が、ほんの僅かに視線を落とした。
『本人としては、あくまで例えで言っただけで、そうしろと命じたつもりはない、との事だ』
「まぁ、そう言うでしょうね」
『そうだな。ただ、発言した事自体は事実だ』
「はい」
『その上で、今回の件は前回の再発と判断した』
淡々とした口調のまま、言葉が続く。
『過去の経緯も踏まえ、次に同様の事象が発生した場合には懲罰委員会にかける、という勧告を行った』
――次に、か。
その言葉だけが、少しだけ引っかかった。
今回の事ではなく、その先の話。
今ではなく、未来のどこかで起きるかもしれない出来事に対してだけ、線が引かれる。
その線が引かれるのは、いつも『これから先』だ。
今ここで何があったのかではなく、これから何が起きるかに対してだけ、条件が付けられる。
だから、今の出来事には、何も残らない。
それが、この組織なのだろう。
「分かりました。それで問題ありません」
それで十分だった。
内部通報は受理され、調査もされた。
記録として残り、再発時の扱いも定められた。
そこまで進んでいるなら、もういい。
これ以上、何かを求める気にはならなかった。
海藤役員が、ほんの少しだけ表情を緩めたように見えた。
それを見て、何かを思う事もない。
ただ、ここまで来たというだけだ。
――これで。
――終わりにできる。
海藤役員は一度言葉を切り、軽く息を吐いた。
『……他に、確認しておきたい事はあるか?』
少しだけ考える。
特別、聞きたい事はない。
調査として必要な情報は、もう出揃っている。
ただ――
「1点だけ、いいですか」
『あぁ』
「ワーキンググループで提出したレポートについてなんですが」
画面越しに、僅かに空気が変わる。
「内容としては、現状の組織では事業として成立していない事と、その改善案まで含めてまとめたつもりです」
『……あぁ、目は通している』
「その上でなんですが――あれを踏まえて、何かしら検討や対応ってされているんでしょうか?」
一拍、間があった。
短くはない。
だが、長すぎる訳でもない。
『組織としての課題については、以前から認識している部分も多い』
返ってきたのは、そんな言葉だった。
『その上で、各課単位でも改善の取り組みは進めている』
「そうですか」
それだけ返す。
それ以上、言葉は続かなかった。
――認識している。
――取り組んでいる。
どこかで何度も聞いた事のある言葉だ。
それが具体的に何を指しているのかを、今更問い返す気にもならない。
恐らく、聞いたところで返ってくるものは変わらない。
同じような言葉は、これまでにも何度も聞いてきた。
会議の場で。
報告の場で。
あるいは、雑談のようなやり取りの中で。
その度に、何かが変わるのではないかと考えた事もあった。
だが――
変わったものを、具体的に思い出す事はできない。
言葉としては間違っていない。
認識しているのも、取り組んでいるのも、きっと事実なのだろう。
ただ、それがどこに向かっているのかだけが、見えない。
見えないままで不安にならないのだろうか。
……ならないんだろうな、きっと。
『ただ、レポートとしてまとめられていた内容自体は、非常によく整理されていたと思う』
付け加えるように、海藤役員が言う。
『一社員の立場で、あそこまで構造的に整理できているのは評価に値する』
「ありがとうございます」
口ではそう返す。
だが、その言葉に対して何かを感じる事はなかった。
評価されたからといって、何かが変わる訳ではない。
変わるのであれば、とっくに変わっている。
そういうものだ。
『今回の件も含めて、組織として改善すべき点はあると認識している』
再び、似たような言葉が続く。
『時間はかかるかもしれないが、少しずつでも是正していく必要がある』
「……そうですね」
肯定とも、否定とも取れる返事を返す。
それ以上の会話は、続かなかった。
互いに、話すべき事は終わっている。
画面の向こうで、海藤役員が小さく頷いた。
『以上が、今回の調査結果となる』
「承知しました」
短く答える。
それで、十分だった。
通報は受理され、調査も行われた。
結果として、記録は残り、勧告もなされた。
組織としての課題も、認識はされているそうだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
画面の端に映る自分の姿が、ふと目に入る。
特に何かを感じる訳でもない。
ただ、そこにいるだけだ。
『……今回は、すまなかった』
最後に、海藤役員がそう言った。
「いえ」
それ以上の言葉は、出てこなかった。
数秒の沈黙の後、通話が切れる。
静かになった画面を、しばらくそのまま眺めていた。
画面には、自分の顔も、相手の顔ももう映っていない。
黒くなった表示領域と、会議が終わった事を告げる小さな表示だけが残っている。
ほんの少し前まで話していたはずなのに、そこにはもう何の気配もない。
何かが終わった、という実感だけが残る。
解決した訳ではない。
納得した訳でもない。
ただ――区切りは、ついた。
それだけだ。
椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
いつからか、こうして何も考えずにいる時間が増えた気がする。
考えたところで、どうにもならない事ばかりが積み重なっていく。
そういうものだと分かってしまえば、無理に考える必要もなくなる。
考えなくなった事で、楽になった部分もある。
その代わりに、何かが切り離されたような感覚が残っている。
それが何なのかを確かめるつもりは、もうなかった。
この場所に対して、まだ何かを期待していた時期もあった。
言えば伝わるかもしれない。
整理すれば動くかもしれない。
記録として残せば、次は変わるかもしれない。
そういう考えは、いつの間にか、ひとつずつ消えていた。
次に何をするかは、もう決まっている。
考える必要もない。
――この場所での俺の役目は、これでもう終わった。




