きちんと終わらせてくれ
内部通報の受理は、驚くほど淡々と完了した。
こちらから伝えた内容の内、細かい点の確認はあったが、その程度だ。
『分かりました。こちらで受理します』
最後に返ってきたのはそれだけだった。
録画の提出とか、窓口でまた詳細な説明とかがあると思っていたから、拍子抜けだった。
そして――1ヶ月が経った。
特に何も起きてはいない。
連絡が来た訳でもないし、進捗を示すものもない。
――静かなままだった。
ふと思い立って、メールの受信箱を開く。
それらしい件名は、見当たらない。
チャットも同じだ。
通知はあるが、どれも仕事のやり取りでしかない。
……こんなものか。
そう思いながら、内部通報の規定を開く。
『通報から概ね20日以内に、通報者に調査結果を通告する』
――既に過ぎている。
この20日が営業日を指すのだとしても、昨日の時点で過ぎていた。
思わず渇いた笑いが込み上げる。
……何と言うか、この会社らしいよな。
とは言え、このまま悠長に待ってもいられない。
転職活動は、割と順調に進んでいる。
既に、最終選考に届いた企業もいくつか出てきていた。
役員に伝え、内部通報も出した。
これ以上、ここでやる事はほとんど残っていない。
受理された以上、何もなかった事にはできないはずだ。
部長も課長も、そう簡単に同じ事はできないだろう。
だから、最後の最後にたった1つ残っている役目は。
――行動した者として、その結果を見届ける事だ。
画面を開いて、新しいメールを作成する。
『1ヶ月ほど経過しましたが、状況はいかがでしょうか』
それだけを打って送信した。
その返信があったのは、それから2時間後の事だった。
急ぎではないはずなのに、待っているというだけで時間の進み方が妙に遅く感じる。
逆に、何も起きていないという事実だけが、やけに重く残っていた。
その間、特に何をしていた訳でもない。
目の前の作業は進めていたはずなのに、意識の一部はずっとそちらに引っ張られていた。
通知音が鳴る度に、反射的に視線が動く。
だが、そのほとんどは関係のない連絡だった。
――まだか。
そう思ったのが何度目かも分からない頃に、ようやくそれが届いた。
差出人は、内部通報窓口。
……1ヶ月待たされてるのに比べたら早いか。
そう思いながら、本文を開いた。
『お問い合わせいただきありがとうございます。本件につきましては、現在関係部署にて確認を行っております。進捗状況の詳細についてはお答えできかねますので、何卒ご了承ください』
……答えかねる、ねぇ。
いや、今も確認している事が問題だと思う。
そのまま返信文面を作っていく。
『社内規定を確認した所、通報から概ね20日以内に通報者に調査結果を通告するとありました。20営業日かと思い待っておりましたが、今の所連絡がありません。調査結果を通告できる状態にない、という解釈で良いですか?』
無駄に形式張った敬語を打ち込みそうになって、それをやめる。
もう、さっさと終わりにしたいのだ。
そう思いながら返信を送った。
その返信は、30分も経たない内に返ってきた。
差出人は同じく、内部通報窓口。
――さっきより随分と早いな。
そう思いながら本文を開く。
『お問い合わせいただきありがとうございます。現在、関係部署へ確認を行っておりますので、改めてご連絡いたします』
……まだ確認してないのか。
画面を閉じかけて、ふと手が止まる。
ここまで来て、何も進んでいないという事はないだろうが。
少なくとも、状況は把握しているはずだ。
――確認しているのは、何をだ。
そう考えて、もう一度メールを開く。
そして、そのまま返信を打ち込んだ。
『念の為の確認ですが、本件の調査は既に開始されていますか。また、担当は決まっている状態でしょうか』
送信ボタンを押す。
今度は、少しだけ時間がかかった。
と言っても、1時間も経っていない。
通知音に気付いて画面を開く。
差出人は――同じだった。
『ご連絡ありがとうございます。本件につきましては、現在担当部署にて確認を行っております。調査の進捗や担当者の詳細につきましてはお答えできかねます』
……何か、噛み合っていない。
椅子に背を預け、天井を見上げる。
調査人が決まれば、連絡が来るはずだ。
その連絡が、ない。
にも関わらず、進捗も担当も答えられず、確認をしている。
確認しているのは――調査の状況ではない、のか?
そんな考えが頭をよぎった時だった。
――ピコーン
ついさっきと同じ通知音。
メールが届いた。
差出人は――同じ。
本文を開く。
『内部通報窓口の責任者をしております、三上と申します』
責任者。
その言葉に、ほんの僅かに指が止まる。
ここまでのやり取りには出てきていなかった肩書きだ。
――つまり。
今までのやり取りは、そこまでのものだったという事か。
そう思いながら、視線をそのまま下へと滑らせる。
受理の連絡も、確認の返信も。
全て同じ窓口から届いていた。
だが、その裏側にどんな流れがあるのかまでは、見えていなかった。
いや、見えていなかったというより――そこまで考える必要があるとは、思っていなかった。
『まず初めにお詫びしなければなりません』
『本件について、受理した担当者から報告が上がっておらず、その後の対応が行われておりませんでした』
『大至急対応の方、進めます』
淡々とした説明だった。
責任の所在をぼかす訳でもなく、かといって深く踏み込む訳でもない。
ただ事実だけを並べているような文面。
……なるほど。
受け付けて対応のラインに乗せたのではなく。
メールを受信して読んだから、受理したと言ったのか。
そう考えると、最初のやり取りも辻褄が合う。
内容の確認はしていたが、その後の話は一切なかった。
あの時点で、もう止まっていたのかもしれない。
もう、驚きもしなかった。
この会社なら、あり得るんだろう。
そのぐらいにしか思えなかった。
むしろ、口頭ではなくメール――記録に残る形――で伝えてきた事の方が珍しいとさえ思えた。
再度、返信を作る。
『承知しました。対応お願いします』
それだけを書いて、送る。
数分後。
『この度は大変申し訳ございませんでした。取り急ぎ社長へと報告し、これより調査人を選定いたします』
そう書かれた返信が届いた。
……さっきは、答えられないと言っていたはずだが。
まぁいい、と思ってメールを閉じる。
――止まっていた。
当たり前の話だ。
仕組みがあろうと。手順があろうと。
そこにいる誰かが動かなければ、何も起きない。
そして誰もそれに気付かなければ。
何も起きていないという事すら、誰も知らない事になる。
それが、内部通報の窓口でも起こった。
ただ、それだけの話だ。
誰かが怠ったとか、そういう話ですらない。
ただ、そこにあったはずの流れが、どこかで止まった。
次に渡されるはずのものが、渡されなかった。
それだけで、全てが止まる。
そして、それを誰も拾わなかった。
……そういうものだ。
この会社ではよくあった事だ。
誰かが止めた訳でもない。
誰かが拒んだ訳でもない。
ただ、流れが消える。
気付けば、何もなかった事になる。
もう憤る気にもなれない。
どうせ、何がどうなろうと、ここに残る事はない。
ただ。
せめて最後くらい、きちんと終わらせてくれ。
さっさと、決着がついてくれ。
俺は――さっさといなくなりたいんだ。
その考えが、妙にしっくりと来た。
いつからそう思っていたのかは分からない。
最初に辞めようと思った1年半前からか。
それとも――もっと前からか。
だが、少なくとも今は、それ以外に考える理由が見当たらなかった。
それだけを思いながら、俺は画面に視線を戻す。
開いたままのメールのウィンドウが、そこに残っていた。
しばらく眺めてから、それを閉じる。
そして、何事もなかったかのように、作業に戻った。




