それであれば大丈夫かな、と
「で、どうだったの? 面接」
「んー、どうって言われてもな」
面接から数日後、ふと思い出したように妻――美里が聞いてきた。
娘の瑞穂を保育園へと預けてきて、ちょうど今帰ってきた所だ。
正直、どうと聞かれても何と言うか困る。
受かりそうかどうかなんて、受けた本人が一番知りたい。
「とりあえず喋れなくはなかったし、感触は良かった気がするよ」
主に井原さんのではあるのだが。
面接の後半はほぼ、井原さんとの仕事談義になってしまった気もする。
俺の職業はシステムを設計して開発するシステムエンジニア。
美里は『サーバって何? 焼くの?』と言うようなタイプだから、仕事の話は何とも説明がしづらい。
「そうなんだ。あれも伝えたの? あんまり行けませんってやつ」
「言い方は考えたけどね」
あんまり行けませんだと心証が悪い事この上ない。
どうしても行けない時間帯が毎日あるのと、あまり長い時間は出歩けないと説明した。
そう美里に説明すると合点がいったらしく、なるほどねと呟いていた。
そんな事を話していると――不意にポケットがリズミカルに震え出す。
「お?」
何だろうと思ってスマートフォンを取り出すと、そこには。
『オファー面談のお願い』
としっかり書かれていた。
「あ、受かったっぽい」
「ホント! 良かったねー!」
「いやまだこれから契約条件の擦り合せだから」
口の端がニヤケそうになりながらも、努めて冷静に。
その通知をタップした。
……うん。ちゃんと選考は通ったって書いてある。
メールに添付されてるのは、入社承諾書か。
どれどれ。
画面が切り替わって書類が映される。
過去、言われるがままに契約したりちゃんと確認せずに酷い目に遭った経験があった。
俺が知らなかっただけと言えばそうなのだが、そのせいで、40万近い金を払う事になった。
書類には必ず細かく目を通す癖がついていた。
上から下まで、しっかり確認していく。
「……んん?」
画面に映し出された文字の羅列の中で、1箇所が目に留まった。
『会社の指示により、勤務地・職種・所属部門・就業時間(休憩時間)・就業日(休日休暇)の変更を行うことがある』
勤務条件の欄に記載されていた。
これ、読みようによってはまずくないか?
「美里ー」
「んー? 何ー?」
「これ、どう思う?」
美里にその文面を見せる。
チョコを頬張りながら画面を手繰り寄せ、その表情がみるみる真剣になっていく。
「これ、命令があった時はそれに従わないといけないみたいに見えるね」
「そうだよな」
「その会社、何やってる会社なんだっけ?」
「えーとね」
株式会社ネクストフロンティアソリューションズ。
元々は技術者派遣を生業として会社で、日本の中ではかなりの技術者数を抱えている。
「あー、派遣業か。それならこの書き方も納得かも」
「いや、あくまでも元々は、ね」
俺が応募したのは派遣ではなく、請負系の仕事をやる部署のはずだ。
……これは、ちゃんと確認しておかないとまずい。
メールにはオファー面談の予定を調整したい旨が書かれていた。
俺はスマートフォンの予定表を開き、仕事やプライベートの予定の合間で対応できる日時を2、3ピックアップして送信した。
程なくして返信があり、オファー面談の日取りが決まった。
――とにかく確認しないと。これをはっきりさせないままでは、決められない。
そしてオファー面談当日。
時間より少し早く、俺はミーティングルームに入って待機していた。
手元に、入社承諾書を映したタブレットを置いておく。
ぽーんという音が鳴り、窓が2つ増えた。
『あ、大竹さん。本日はよろしくお願いします』
『お時間頂きましてありがとうございます』
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
猪田課長と神林さんだった。
オファー面談は契約条件の話だから、井原さんはいないのだろう。
『それでは、オファー面談を始めさせて頂きます。事前にご連絡頂きました録音についてですが、して頂いて問題ございません』
「ありがとうございます。それでは、録音させて頂きます」
神林さんが先回りして伝えてくれる。
俺は事前に、契約条件の細かい所を確認したいので、後で認識齟齬にならないように録音をしたいと申し出ていた。
手元で操作し、PCの音源を拾うように録音を開始する。
「まずは選考通過のご連絡を頂き、ありがとうございます」
『いえ。大竹様には是非とも弊社でお力をお貸し頂きたいと考えております』
「ありがとうございます。念の為の確認ですが、先日私からお伝えした事情と制限、やりたいと考えている仕事についてはご配慮頂けたものと考えてよろしいでしょうか?」
『あ、それについては私からお答えしますね』
猪田課長が返答を引き取る。
『まず、ご意向の仕事については――先日もお伝えしましたが――今すぐにという訳にはいかない可能性があります』
「はい。部署が回収フェーズに切り替わるので、まずは安定した財源を確保できるようにする事を優先する、でしたね?」
『そうです』
その説明は面接の時に受けていた。
流石に俺もやりたい事だけしかやりたくありませんなんて事は言えない。
「それについては認識しております。業務の中で気付いた課題点を溜めていき、ある程度溜まった所で猪田様とお話できればと」
『はい。私もそのつもりです。直したい所は山程あるので』
これについては問題ない。
問題は――次だ。
『次にご事情と制限については、私共の方ではほぼ正確に認識できています』
「はい、先日の面接の中で確認頂いた理解で問題ありません」
『……そうすると、入社承諾書に何か不備がありましたか?」
猪田課長の声が少し強張った気がした。
こちらに探りを入れている、というよりは、何かまずい事を書いたかと思っているような感じだったが。
「少し、気になった所があります。勤務条件欄です」
『えーと、ちょっと待ってくださいね……あ、はい。勤務条件欄?』
「はい。『会社の指示により』と記載されている一文です」
猪田課長はそれを見つけたのか、これかと呟く。
「こちらの記載ですと、会社側で何らか判断がなされて勤務地等を変更しようとした場合、それが業務命令として下されると解釈しております」
その解釈が正しいのなら、だ。
業務命令として下される以上、あくまでも一般的には、そこに拒否権は基本的にはないとされる事が多い。
数年間の単身赴任とか、そういう話をよく耳にする。
その内容にもよるが、俺の事情はそれを受け入れる事ができないのだ。
朝一から会社に来いと言われても、保育園の送り迎えがあるから対応できない。
数日間地方に出張しろと言われても、娘に何かがあった時に対応する為には妻が完全に仕事を休まないといけなくなる。
それは、無理だ。
俺は、これらを猪田課長に確認していった。
『――なるほど、懸念は理解しました』
猪田課長は静かに、考えながら口にした。
『最初にこの文面になっている理由ですが、弊社の社員は派遣に出る事があります。可能性レベルでは当課も例外ではありません』
「可能性としてはあり得ると?」
『はい。実際に当課で派遣に出ているメンバーもいます』
というのは、まだ請負案件を安定的にとれている状況にない為だと続ける。
それはまぁ理解できる。
部署である以上、安定的な売上は必要だ。
でなければ人件費や設備費を支払えないから。
だが、それで受け入れられる話ではない。
「それは、私にもその可能性があるという事でしょうか?」
『あ、誤解がないようにしたいんですが』
俺の質問に対し、少し食い気味に言葉を付け加える。
『大竹さんのご事情と制限については先程も申し上げた通りしっかり把握してますし、当然考慮します。そもそも全員が全員派遣に行く訳でもなく、あくまで安定売上をあげられるまでの繋ぎです。大竹さんに派遣に出て頂く事はまずありません』
「そうなんですか?」
『はい。そもそも当課は日本全国あちこちにメンバーが散らばっていますし、フルリモートが原則です。派遣のメンバーだけ少し扱いが異なるという状態でして』
うぅん、何やら難しい。
えぇと? つまりどういう事だ?
「――要するに、一部派遣に出ているメンバーがいるからこういう書き方になってしまう、という事でしょうか?」
『そうですね。もし万一大竹さんにそういう事をお願いする必要性がある場合は、事前に必ず相談します。無理なら無理で仕方ありません。そういうご事情ですし』
「という事は――双方の協議なくして出社や出張、客先対応などを強制される事はないと考えてよろしいでしょうか?」
『ありません。お約束します』
これが確認できれば十分だろう。
録音も残しているし、問題はない。
これなら十分、証拠としては使えるはずだ。
「分かりました。それであれば大丈夫かな、と」
『大竹さんのご事情と制限については採用の方でもしっかりと記録していますので、何卒ご安心ください』
神林さんが続ける。
そうか、こちらが録音を残すように、あちらでも記録が残るんだな。
それなら、間違っても出社強制という話にはならないか。
『あ、でも1点だけ、年2回の部署全体会議だけは来て頂くかもしれません』
「全体会議?」
『はい。7月と2月、祝日のある週の土曜に行われるのが通例です。ここ3年はオンラインで行われています』
土曜日か。それなら保育園は休みだし、美里も仕事はないから問題ないかな。
「土曜であれば大丈夫です。他の曜日になる場合は相談させてください」
『ありがとうございます。他に気になる所はありますか?』
神林さんが改めて確認してくる。
届いて以降何度も確認したが、他に気になる所はなかった。
「今の所はありません。返答期限はいつでしょうか?」
『今週末金曜日一杯までに頂ければ幸いです』
「分かりました。他に気になる事が出たらそれまでに確認します」
こうして――
俺は、株式会社ネクストフロンティアソリューションズ、プロダクトイノベーション課に入社を決めた。
――少なくともこの時点では、俺はこの上ないくらい、納得していたんだ。




