普通にヤバくね
その日の昼過ぎには、必要だった情報は大半が揃っていた。
今朝、部長から言われた事自体は録画として残っている。
俺が意図していたのではなく、部長が録画予約を勝手に設定していたのだ。
自分で録画しておいて、自分でまずい発言を残したのか、と思わず渇いた笑いが漏れる。
退職の1ヶ月前に申し出をしないといけないから、その前に動く必要がある。
選考が進んでいるとは言え、まだ途中のものばかり。
最低でも後2ヶ月は退職までの期間がある。
後は、どう動けば同じ事を繰り返さないのか、なのだが。
「……結局どこに行っても掻き消されて終わるんだよなぁ」
ワーキンググループのレポートを思い出す。
あれからもう2ヶ月が経つというのに、何も動き出す気配はなかった。
問題を提起しても、上で消費されてしまう。
なかった事になってしまう。
それでは何の意味もない。
何か、なかった事にできない何かが必要だった。
――それが、思いつかない。
「……記録が消えるって何だよ」
部長から聞かされた、衝撃の事実。
記録しているので安心してくれと言われた、その記録がなくなっているらしい。
最初から口だけで記録をとっていなかったのか。
それとも、記録がどこかで消えたのか。
どちらにしろ、あってはならない事だ。
だが、今それをここで言っても始まらない。
記録は、消える。
それを前提に考えなければならない。
「そんななぞなぞみたいなもん分かるかよ……」
役員よりももっと上に上げる?
――会社の体質そのものが消すんだ。何も変わらない。
記録を元に外部に公表する?
――名誉毀損とかで訴えられたら面倒な事この上ない。
記録を社内にばら撒く?
――ちょっと騒がれて終わる可能性が高い。
「……消しようがない記録をとらせる?」
そんなものあるのだろうか。
何か、頭の片隅に引っ掛かっているような気がした。
だが、それがどうにも出てこない。
「……うー……ん?」
考えがまとまらず唸っていると、視界の片隅で画面が動いた。
チャットメッセージの、通知。
……また課長とか部長じゃないだろうな。
恐る恐るその通知を見てみる。
「……井原さん?」
入社面接の時、俺に興味を持ってくれて、俺がこの会社に入るきっかけになった人だ。
安心して通知を開く。
『追い出し部屋さいこー!』
その一文だけが送られてきていた。
まさか……井原さんも何かされたのか?
すぐに指を動かし、メッセージを打つ。
『井原さん、今話せます?』
直後に送られてくる、OKのアイコン。
すぐにヘッドセットをつけ、通話ボタンを押した。
『大竹さん元気?』
「お疲れさまです! 元気、ではないですけど」
『え、何かあったの?』
井原さんは、あの時と変わらず面白おじさん然としていた。
――特に、何かに巻き込まれて落ち込んでいるという風には見えない。
「何かあったのはこっちの台詞ですよ。どういう事です、追い出し部屋って?」
『あぁいや、うちの課、ますます下請け仕事しかしなくなってさ。俺みたいな新しい事考えるタイプだと仕事なくて』
「それで……追い出し部屋?」
『そうそ。事業企画チームとかってのに、俺だけ異動。上についてるのが久利生さんでさー』
……そうか、ここでも出てくるのか。
俺は課を異動したが、井原さんはしていない。
久利生課長は、その両方の課長だった。
『あの人――ってか、あの人のいたデジタルデベロップメント課自体そうだけど――事業とか考えられる能力はないんだよな』
「まぁ……そうでしょうね」
今やっている事業に対する理解すらもないのだ。
新しい事業を考えるなんてできるはずもない。
『で、俺は生成AIと適当に話して企画上げてればいい、簡単なお仕事なわけ』
「生成AIって使っていいんでしたっけ?」
『何か社長が生成AIヤバいってなったらしくてさ、急に使ってみてくれって言われたから』
いやもうかなり遅いけどね。
『おかげで今仕事30分で終わるからさー。もうやりたい事し放題』
「楽しそうですね」
『まぁねー。久利生さん超頭ガッチガチだけど、それがショートするくらい山程企画上げてやるのが面白くて』
うわー。
青ざめている久利生課長の顔が浮かんできて――面白い。
でも、井原さんが不当な扱いを受けたとかでなくて良かった。
『で、大竹さんはどしたの?』
「あぁ、まぁ話し出すと長くなるんですけど――」
俺は、井原さんにこれまでの経緯を全部話した。
顧客対応の為に移動申請を出したら却下された事。
ワーキンググループに参加させられた事。
役員との打ち合わせに行けないと言ったら業務命令違反だと言われた事。
今朝、部長からとんでもない発言をされた事。
『……それ、普通にヤバくね?』
「ヤバいですよ。何せ私は詐欺してますって自白してますし」
『いやそうでなくて、そのベビーシッター発言』
「あぁ、まぁあの人はもう何と言うか、人としてヤバいとは思――」
『――それ、完全にパワハラやん』
俺の時間が、止まった。
……ぱわ、はら?
パワハラ?
「……そうか」
……驚くほど綺麗に当てはまる。
まさにこれだ。
これが思いつかなかった。
「ハラスメント窓口って、この会社にもありますよね?」
『あるけど……たぶんそっちじゃない方がいいと思うよ』
「え、何でです?」
ハラスメント窓口ってハラスメントの報告をする場所じゃないのか?
『えっとねー。今回の件の焦点は、その業務命令が不当なものかどうかでしょ?』
「そうですね」
『そうすると、業務命令の正当性の確認をしなくちゃならない』
確かに、それはそうだ。
こっちがそう思うだけでは足りない。
『で、ハラスメント窓口は業務の内容には踏み込めない』
「え、そうなんですか?」
『大体の会社はそうかな』
初めて知った。
今までハラスメントなんて受けた事がなかった。
『だからやるなら――内部通報だね』
「……内部……通報」
それだ、と頭の中で叫んだ。
ずっと頭の片隅に引っ掛かっていたもの。
内部通報。
前に部長が起こした、須藤の乱。
その時に丸川さんから聞いた。
大量の内部通報が舞い込んで、役員が尻拭いに駆り出された。
『内部通報の履歴は法的に消せないからね』
記録を消せない。
消されるのが前提なら、最初から消せない形で残せばいい。
会社の外じゃなくていい。
会社の中で、消せない場所に。
それなら。
多かれ少なかれ、何かしらのダメージが残る。
そうすれば。
容易に同じ事はできないはずだ。
それをすれば同じダメージをさらに負う事になるのだから。
記録が消えるなら、消せない所に出すしかない。
そう考えると、最初から答えはそこにあったのかもしれない。
「それです。井原さん、ありがとうございます」
『あーでも』
「え?」
『内部通報すると、上からの印象は悪くなるね』
印象が悪くなる?
どういう事だろう。
『内部通報って、結局調査が入るからさ。匿名でも誰が出したか大体割れるのよ』
「そうなんだ……」
『それで俺も今こんなんだけどさ』
上から見ると、こいつは内部通報するやつだって見えるのか。
――でも。
今の俺には、そんな事は何のデメリットにもならない。
「それなら大丈夫です」
既に会社を見限っていて、転職活動をしている事を告げる。
『そっかぁ……大竹さん辞めちゃうのか』
「すみません。採用面接の時、せっかく興味持ってもらったのに」
『あぁいや、そこは別にいいんだけどさ……それなら、先に役員に話通した方が早いかもよ』
「え、辞める事をですか?」
『ちゃうちゃう。須藤さんにされた事を』
あ、そっちか。
え、でも役員に話して何か変わるのかな。
『内部通報って、通報から1ヶ月間で何らかの返答しなきゃいけないから』
思ったより、調査に使える時間ないみたいよ、と井原さんは続ける。
なるほどなと思った。
それなら、事前に伝えて動いて貰った方が、よりたくさんの情報が集まるかもしれない。
……動くかどうかは定かでないけれど。
それは、俺にとってはどっちでもいい事だ。
どうせ、もう長くはここにいない。
『良かったら繋ぐよ、役員に』
「そんな事できるんですか?」
『まぁちょいちょい話す事あるしね』
……まさか。
須藤の乱の時の通報祭りって。
――いや、やめとこう。
知らなくてもいい事は、知らないでいい。
『……ごめんね、大竹さん』
「え?」
『無駄な時間にさせちゃってさ』
――きっとそれは、俺の2年半の事を言っているんだろう。
入社してから色んな事に巻き込まれた。
良かったと思える事なんて、ほとんどない。
……けれど。
「あの時は、こんな会社だとは思わなかったですけど」
『俺もまだ入って1年経ってなかったからね。分かってなかったよ』
「……でも、井原さんと話せた事は、無駄じゃないです」
井原さんだけじゃない。
丸川さんも。
上田さんも。
高嶺さんも。
全部が全部、無駄だとは思わない。
貰えたものは確かにあった。
どんなに少なくても、それは事実だ。
でも今、それ以上に無駄だと思える事が大きくなり過ぎてしまったから。
……まぁ、その人達に残せる最後の1つだ。
最後にそれだけ、やっておくか。




