また、こうなるのか
鷲頭課長から許可を得た。
これで、何の問題ないと思っていた。
以前は高嶺さんには許可を貰っていたが、その上の許可を得られなかった。
今回は違う。
主催課長から許可が下りた。
驚くほどにあっさりと。
ワーキンググループの最初を思い出す。
――一応主催って事になってますので、事業企画課の鷲頭課長、説明をお願いします。
――え、主催って俺なの?
あの時は何だこの適当さはと思ったけれど。
鷲頭課長に主催責任を振ったのは久利生課長だ。
流石に主催課長の許可を取り消すのは越権行為だろう。
だから、大丈夫。
そう思っていた。
少なくとも、筋は通っている。
誰に確認を取ればいいのかも分かっているし、何を根拠に動けばいいのかも明確だ。
許可を取る。
それは、問題が起きないようにする為の手続きのはずだった。
少なくとも、そう理解していた。
あとは、それに従って進めればいいだけの話だ。
そう思いながら数日が経ち。
『提出して貰ったワーキンググループのレポートについて、役員からヒヤリングの申し出がありましたので、参加してください』
久利生課長からチャットメッセージが入った。
……参加できますかとか、参加をお願いしますとかではないんだな。
初めから参加前提で話を持ってくる課長に、心の底からげんなりする。
まぁ、いい。
話は既についているのだから、気にするほどの事でもないか。
そう思い直して、俺は返信を書く。
『先んじて鷲頭課長より伺っています。その際、事情について相談し、オンライン参加の許可を頂いております』
……ちょっと真正面過ぎるか?
まぁいいさ。事実なんだ。
久利生課長に遣う気なんてもうないし。
そのまま送信ボタンを押す。
少しして既読がついた。
数秒。
ほんの数秒のはずなのに、やけに長く感じた。
画面の表示は変わらないまま、指だけが宙に浮いた状態で止まっている。
続けて表示される、入力中の文字。
ドクン、と胸の奥で何かが疼いた。
――嫌な予感が、した。
以前、案件での移動申請をした時と、まったく同じ。
その時は、プロジェクトマネージャーの高嶺さんからは許可されたけれど、その上の課長に却下された形だった。
今回は、違う。
主催課長から許可を得ている。
そう、思っていたのに――
『役員からは対面での打ち合わせを望まれています。許可できません』
――最悪の形で、予感通りに打ち砕かれた。
「……は……?」
言葉が出ない。
言葉に、ならない。
整理しきれない頭を振るって、とにかくメッセージを打つ。
『先程申し上げましたが、主催課長からは許可を頂いているのですが』
『鷲頭課長には、大竹さんの勤務形態を指示する権限はありません』
意味が分からない。
主催課長の許可を取り消す。
それはつまり、誰の判断が正なのか分からなくなるという事だ。
誰に確認を取ればいいのかも分からない。
何を基準に従えばいいのかも分からない。
それでも業務命令だけは存在する。
――そんなものが、成立していいのか。
『ワーキンググループへの参加時に、関連して出社しない前提と確認しました』
『ワーキンググループ自体の進め方は自由ですと答えました。これは話が別です』
最初にした確認すらも無意味だと突き付けられる。
何故無理なのかも、きっちり説明したはずなのに。
覚えていないのか。
それとも覚えていて、それでもなお言っているのか。
何だ。
俺は、何と話しているんだ。
会話になっているような、いないような。
こちらの言葉に対して、答えが返ってきている訳ではない。
最初から、別の話をしている。
そんな気がして仕方がない。
またなのか。
また、こうなるのか。
『本社へ行くのは事務所に行くのと時間的に大差ありません』
『以前お伝えしている通り、コアタイム開始時刻までに本社へ出社する事は物理的に不可能です』
『娘を保育園に預けてそのまま向かったとしても、10時は確実に過ぎます』
『最速のルートでです。乗り換えが全て順調にいったとして、それ以上早くは移動できません』
『調整の余地があるのであればもちろんしますが、その日は調整ができません』
『せめて、ルールの例外を認めて頂くか、コアタイムを調整するか、それらが行えないと対応ができません』
矢継ぎ早に打ち込んでいく。
気付けばメッセージが流れていった。
キーボードを打つ音だけが、やけに大きく部屋に響く。
全部に従うのは、無理なんだ。
それだけの話だった。
それだけの、話なのに。
『これは、業務命令です。従えないのであれば、業務命令違反になります』
一瞬、指が止まる。
キーボードに置いたままの指先が、わずかに強張ったのが分かる。
業務命令違反。
言葉は知っている。
それが、何を意味するのかも。
評価に悪い意味で響く。
処分の対象になるかもしれない。
それでも従わないのかと、そのメッセージは問いかけてくる。
そこまで言うのか。
ここまで通じないのか。
だが、それでも。
最後に、もう一度だけ打ち込む。
『業務命令に従った場合、結果として遅刻扱いとなる認識でよろしいでしょうか』
『あるいは、事前にお伝えしている通り、コアタイムの調整を頂くか、オンラインでの参加を認めて頂く必要があります』
これで、通じなければ。
もう、どうしようもない。
既読がつく。
『遅刻扱いは当人の問題です。調整はありません。指示に従ってください』
すぐに、返ってきた。
間を置く事もなく。
――伝わらない。
もう、それだけで十分だった。
相手にとって重要なのは、たった1つ。
――参加しろ。
それ以外は、どうでもいい。
以前は、調整で乗り切れた。
今回は、その余地すらない。
これは――実害だ。
腹の底から沸き上がってきていたものが、スーッと引いていくのを感じた。
もう、いい。
もうこれ以上は、たくさんだ。
俺は、最後にもう一度だけ指を動かして。
『分かりました。それで結構です。通常業務に就くのも対外的に心証が悪いでしょうから、当日は休暇を頂戴します』
それだけを打って送った。
既読はすぐについた。
返信はない。
画面に並んだ文字列を、しばらく眺めていた。
自分の送ったものと、返ってきたもの。
並べて見れば、それだけのやり取りのはずなのに。
どうにも、同じ話をしているようには見えなかった。
そのまま画面を閉じる。
部屋の中が、やけに静かだった。
さっきまで響いていたキーボードの音も、もうない。
何も変わっていないはずなのに、空気だけが少し違って感じられる。
椅子にもたれかかった。
背もたれに体重を預けたまま、視線だけが宙を彷徨う。
机の上には、開きっぱなしのノートと、途中まで書きかけたメモが残っていた。
ほんの数分前まで、それに向かって何かをしていたはずなのに。
それが何だったのか、すぐには思い出せなかった。
知らないうちに、肩に力が入っていたらしい。
ゆっくりと息を吐くと、それが抜けていくのが分かった。
しばらく、そのまま動かなかった。
時計を見ると、まだ業務時間の途中だった。
次に何をするかも、特に考えていなかった。
ただ、何もする気が起きなかった。
時間が過ぎていく事に、何の抵抗もなかった。
仕事に戻る、という選択肢が頭に浮かばなかった。
いや、浮かんではいたのかもしれない。
ただ、それを選ぶ理由が見当たらなかった。
ここにいる意味は――もうなかった。




