98式噴進砲 その15 (ペリュリュー 価値のある島、ない島)
ポチです。
この章のテーマは
言われているレベルで日本軍は人命軽視か
ということ、覚えていただいておられるでしょうか?
ボク自身は書きながら考えてます。
では、お楽しみください
「ペリュリュー島」という島がある。
フィリピンの東、およそ千キロ。
パラオ諸島の南にある小さな島。
そこには戦前から立派な飛行場があった。小さな島なのに飛行場だけは妙に大きい、島の南半分のかなり大きな面積を飛行場が占めている。
戦争前半は本土からの輸送路への要地であった。哨戒機が出せる。陸軍の航空機隊がニューギニアやラバウルに行くために一度ここへ降りる。
それでも最前線ではなく、中継地。慌ただしい時間もあったが、静かに時は流れていた。
変わったのはガダルカナル島からの撤退である。攻勢から守勢へ。
そして戦場は、少しずつ西へ近づいてきた。
ギルバート。マーシャル。マリアナ。
それまで地図の片隅にあった島々が、一つずつ前線になった。
「フィリピンへ上陸するとき、側面に日本軍航空基地を残しておいてよいのか?」
ならば占領か? 実のところハルゼーは直前にパラオ攻略の中止・迂回を主張している。既に日本の航空兵力はかなり弱体化しており、トラック同様、パラオも孤立させれば十分ではないか、と。もちろんその「パラオ」には隣の「ペリュリュー」も含まれていた。
ところが作戦はそのまま実施された。
フィリピンに拘る勢力がいた。もちろんアメリカ陸軍だ。無視したい勢力もいた。アメリカ海軍と海兵隊だ。さっさとフィリピンに向かわせろ、そんな気持ちだ。互いの力関係と威勢の良い声が響く中では、会議は結局安きに流れる。途中では陸軍側が折れる様相も見せた。たしかに無力化すれば…
マッカーサーの「アイシャルリターン」は全てを塗りつぶす。
作戦計画を立てた時点では、その島の価値があった。
上陸する頃には、その価値は急速に小さくなっていた。
しかし作戦は、もう動き始めていた。
作戦が中止されなかった以上、あとは準備するしかなかった。
ペリリューには飛行場がある。
そして、敵は来る。
日本軍は島を掘り始めた。
1943年に始まった連合軍の反抗はまずギルバート諸島。
タラワ、マキンを狙っていた。ただガダルカナルまでの戦争とは、少し様子が違っていた。
今度は、アメリカ軍が島を選び、艦隊を集め、航空機を集め、上陸部隊を集め、その島へ向かってくる。タラワでは、日本軍が海岸に強固な陣地を構築して待ち受けた。米海兵隊は浅い礁湖を越えるだけでも苦労し、上陸後も激しい抵抗を受けた。戦闘自体はわずか三日間ほどだったが、米海兵隊はその死傷者の数に恐怖した。本格的な敵前上陸作戦は太平洋戦域では初めてのこと。むろん日本側守備隊もほぼ全滅した。それでもこれからの戦いに、現場のものだけでなくその上陸計画を立てる司令部さえ戸惑うしかなかった。海兵隊は報告書をまとめる。
「島を取ることはできる。だが、やり方を考えなければ損害が大きい」
そして日本軍にとっては、
「強固な海岸陣地でも、艦砲射撃と航空攻撃を受け続ければ最後には破られる」
という戦いだった。
双方は学んだ。ただ、学んだことと速度は同じではなかった。
日本側の報告には、もう一つ別に小さな項目が増えていた。
海岸へ近づく舟艇や、上陸後に密集する歩兵に対して、短時間に多数の弾を浴びせる兵器が欲しい。そこで、以前から陸戦隊とへ渡されていた噴進砲が引っ張り出された。
筒に入った十センチ。箱から撃つ二十センチ。
まだ島防衛側の兵にとっては珍しい兵器だった。大砲を揚げるよりもかなり軽い。それなりに使える。だが、「もっともっと寄越せ」という要求だけは増えていった。
アメリカ軍は、次へ進む。
1944年1月からはマーシャル諸島。
クェゼリン、ロイ=ナムル、エニウェトク。
今度は、すべての島を一つずつ取ろうとはしなかった。
必要な島を選ぶのはアメリカ側。必要のない日本軍拠点は、そのまま残して通り過ぎる。海と空を押さえてしまえば、残された島の守備隊はそこから動けない。島そのものを落とさなくても、その島を戦争から、戦力から切り離すことができる。
日本が必要と考えた島には筒と箱が届いた。なにせ細くなっている輸送経路である、それでも夜間に届ける。必要十分な数とは言えなかった。が、使うために届けた。軽い、そのことは守る側としても大きな意味を持つ。そして島では使い方をそれぞれに考えた、そして撃った。アメリカ海兵隊の足を止めた、ほんのしばらくの間。
エニウェトクは落ち、次の前進基地となった。
そして2月17日。
連合艦隊の重要拠点であったトラック島へとアメリカ機動部隊は大規模な空襲を行った。空母9隻を中心とする高速機動部隊、二日間で千回を超える出撃。これまでの諸島戦を考慮し、対空砲、対空機銃、そして対空噴進砲も多く陸揚げされていた。ただ、飛行場に並んでいた航空機が飛び立つことなく消える。艦船も沈む。ため込んでいた燃料も物資も焼け果てた。そして、アメリカ艦隊は去っていった。
それまで「太平洋のジブラルタル」とまで呼ばれていたトラック、日本にとっては守らなければならない場所であったはずが、アメリカには無視された。その戦力を失ったことで、攻略する必要がなくなったのである。
敵は、守っている島へ来てくれるとは限らない。
ここから速度が上がる。進行の速度が…
連合軍は、島から島へ進んでいたのではなく、次の島を攻撃できる場所まで、基地そのものを前進させていた。島ではない、自らの基地を選んでいるのだ。
日本軍が守っていた膜を一枚ずつ剥がすようにと西へ進んでいった。
そして1944年6月。サイパンへと、その膜を剥がす作戦、いや作業に近い。
ただ、これまでの島とは意味が違った。
マリアナ諸島は日本の真南に近い。そして真西にはフィリピン。交差点のようなものである。分かっている。日本にしても、アメリカにしても。だからこそ、戦前から日本海軍はこのあたりの海域を重要な場所としていた。アメリカの艦隊が必ず通り、そして日本艦隊が守るべき場所。
そして今はそこから日本本土へ大型爆撃機を飛ばせる。
日本海軍は機動部隊を出した。ここで敵艦隊を叩かなければならない。
マリアナ沖で日米の機動部隊が戦った。
日米共に航空隊は大きな損害を受けた。
日本軍は航空機から噴進弾を、艦隊からも噴進弾を。アメリカもその対処法を探り、そしてまずは戦闘機を増やした。艦艇にも対空の機関砲を増やした。そう、島を奪うためにアメリカ機動艦隊はその防御を固め、そして島を守るために日本機動艦隊は攻撃を加える。
日米共に空母がその数を減らした。もちろん航空隊は大きな損害を受けた。米海軍側から見て、ここで日本の空母航空戦力は決定的な打撃を受けたと判断できるくらいだった。確かにそれまで育ててきた搭乗員は損なわれた、かなり。
そして日本機動艦隊は去って行った。
それでもサイパンの地上戦は続いた。
サイパンの戦いは基本的にはこれまでの戦いの延長軸にあった。
「海岸で撃破し、上陸直後に反撃する」
が、大切だということである。
海軍側も例外ではなかった。南雲忠一中将の中部太平洋方面艦隊麾下の部隊も、海岸付近の防御に兵力を割いていた。米陸軍公式戦史によると、上陸前航空写真で231門の砲と470か所の機関銃陣地を確認していた。ただ、この機関銃陣地と間違えていたものがある。海軍としても南雲を無駄死にさせるつもりはない。その頃の本土に積載されていた『筒』と『箱』を、他の戦域には最低限渡すつもりで届けられるだけ届けた。輸送船だけではない、駆逐艦、新鋭の一等輸送艦、何でも使った。それらは帰路、サイパン・テニアンの民間人を運び続けた。
そして、海岸に置いた兵器から先に消えていった。
効果はあった。間違いなく、しかし、橋頭堡を押し戻すだけの力はなかった。そして
動かせない砲はその場に残された。残存の兵は運べるものは内陸へ運ぶ。銃、機関銃、そして『筒』と『箱』。そのための弾を。
サイパンの戦いはそれからも続いた。
「爆弾、使えないか?」
以前よりも航空機が少なくなった飛行場で、使えなくなった爆弾が残されている。
サイパン戦の始まる直前のことである。
いつのまに誰が運んだ? 誰もが攻撃機や爆撃機がいなくなることを考えてはいなかった。だから最初の計画通り運ばれていた。
すぐに本土へと連絡が届く。誰かがハッとし、誰かがそれを受け止め、そして試作間もなく量産。届いた。発射台は図面だけが届く。自作セヨということらしい。
「三式噴進器」。250kg爆弾用と60kg爆弾用。
数は少ないままに使用された。
持って行けない爆弾はそのまま埋められて地雷に使われた。
内陸の防御線へ下がる。タポーチョ山周辺の谷や洞窟で粘る、破られる。さらに北へ下がる。日本兵は地形へ潜り込み、抵抗する。
結果として、戦いは縦に深くなっていった。
最後にはサイパンも失われた。
続いてグアム、テニアン。
マリアナ諸島は連合軍の基地となった。
米軍もまた、これまでの諸島戦で様々に学んだ。
勝ったから終わり、ではない。
損害が出れば、なぜ出たかを調べる。上手くいかなければ、次ではやり方を変える。
(かの『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』という名著にはアメリカ軍の強さは「個々の戦闘結果を組織の知識として蓄積し、次の戦闘へ反映できる」こととしてている)
米陸軍の公式戦史にも、タラワで出た問題をマーシャルで直し、更に出た問題、それに対するその答えをサイパンへ持ってきたと記している。
艦砲射撃。航空支援。
舟艇の使い方。水陸両用車。
海岸への物資の送り方。そしてその整理と島内部への送り方。
海兵隊と陸軍の役割分担。
戦車の利用。
負傷者の戻し方。
そしてサイパンでも学び、問題を出し、解決の糸口を探った。
ペリリュー島の戦いは、音から始まった。
九月十二日。
島の地下で、日本兵たちは艦砲射撃を聞いていた。
最初は遠いが重い。少し遅れて地面が揺れる。そしてまた揺れる。やがてその間隔が分からなくなる。音ではなくなり、地面そのものが鳴る。
石灰岩の洞窟の天井から、ぱらぱらと砂が落ちる。裸電球が揺れる。奥に積んだ弾薬箱が、震動のたびに少しずつ動いた。
「近いな」
返事はなかった。近いのか遠いのか、もう分からない。穴の中では、外の様子は見えなかった。
砲を隠は隠れている。もちろん弾薬も。人を隠す。『筒』も『箱』も穴へと入れた。撃つ場所までの道を作った。撃ったあと、戻す道も作った。必要だからだ。敵が来る前から、日本軍は島の中にいた。
それから数日の響きの後で艦砲射撃の音が変わる。それまで島全体を叩いていた砲撃が、海岸へ集まり始める。
「来るぞ」
誰かが言った。
しばらくして、別の音が混じった。
複数の低い機関音。何十、何百というエンジンの音、上陸用の舟艇だけでなく水陸両用車もいた。海兵隊が来た。
だが、すぐには撃たない。
待つ。砲も、機関銃も、噴進砲も…待つ。
近づける。もっと近づける。今は撃つ時ではない。
米軍は、艦砲射撃で島の抵抗はかなり弱まったと思っていた。三日間撃ち、航空機も飛ばした。見える陣地は潰した。海岸も煙に包まれていた。そして海岸へ近づく。次第にその数は増え、まもなく橋頭堡が築かれた。
海兵隊の古兵は訝しげに周囲を見渡す。これまでと…違う。
そのときだった。音が増えた。日本軍の砲。機関銃。迫撃砲。海岸の左右、そして正面から撃ってくる。そして再編制された海兵隊の新兵が聞いたことのない音も混じった。
ごうっ。少し間を置いて、ごうっ。さらに続く。橋頭堡の物資や車両へとその火箭が伸びていく。
「下がるぞ」
弾がなくなった。さっさと後方へ。下がったら次の防御地点へ。そこにも弾がため込んである。わずかながら水と食料もある。
アメリカ軍が混乱した時を待って、撃ち終えたものから後方へ下がる。運べるものは運ぶ。全てが後方へと。
混乱は同士討ちさえあった。日本軍は既に引き上げた後である。伏せていた海兵隊員も次第にその身体を起こす。たまに別の音がする。慣れれば敵の射撃音か味方のかは分かってくる。
空元気なのか威勢の良い声が、兵隊を鼓舞する声が聞こえる。
「前へ」
数時間後に海岸を抜ける。目指すは飛行場。
上陸前にそれなりの訓練を受け、それなりのブリーフィングを受けていた。が、十分ではなかった。十分というものが、今回の戦いにはなかった。
「ここは地獄か?」
海兵隊の新兵は言う。海岸でこれだけ聞こえた。でも、まだ海岸だった。
飛行場は早かった。日本軍も最初から守るのは無理だと判断していた。数日で米軍は飛行場を押さえる。それだけを見れば、これまでと変わらない。計画通り、予定通りだった。
第一海兵師団長ルパータス少将は、上陸前にこの島の攻略には数日程度しかかからないと考えていた。別に日本軍を侮っていたわけではない、これまでの諸島戦を考慮してそれだけの戦力を揃えていたからだ。実際、飛行場までは早かった。占領し、直し、使えるようにした。
問題はその先。
北へとその戦線を進めると、途端に音が変わった。
相変わらずの砲声。飛行場を狙ったかのような別の音。そのたびに航空機が飛び、前線へと戦車も走る。
だが、敵が見えない。
じわじわと近づく。そして銃声。一発。海兵隊の誰かが倒れる。
「衛生兵!」
また一発。別の場所から聞こえた。その音を辿って岩の割れ目へと撃ち返す。割れ目の周辺に小銃と機関銃が弾を集める。岩が粉々となって散る。
後ろから撃たれる。さっき通った岩だった。また別の海兵隊兵が倒れる。
どこにいる?
右の穴を攻撃すると、左の穴から機関銃が撃つ。左を向けば、上から撃つ。上を撃てば、下から撃つ。その連続。
砲兵へ、飛行隊へと連絡が届く。そして沈黙。
そろそろと兵が近づく。先ほどの機銃座を狙う…が、また誰かが倒れる。
「戦車を!」
大砲でも飛行機でも無理ならば…戦車M4が呼ばれる。
一台のM4は近づき、その砲を岩場に浴びせる。海兵隊は歓喜の声を上げた。が、その声は長く続かなかった。シュッシュッと音がしたかと思うとM4に複数の白煙が迫る。まだこれだけの拠点が残っていたのか?
白煙の中の幾つかがM4に当たった。スンッ、一瞬M4が動きを止める。戦車から逃れる乗員。そして炎がちろちろ、轟音、その砲塔が数センチ持ち上がった。
何が起こった?
あ、バズーカだ、バズーカ砲だ。我が隊にも配備されている。そして日本軍にも…
一つの洞窟を取るのに時間がかかった。一本の尾根を取るのに、もっと時間がかかった。地図なら数百メートルだった。歩けば数分だった。そして戦えば…数日となった。
日本側からは見えるものは少なかった。洞窟、地下壕の中では時計より敵側の音の方が役に立つ。アメリカ軍は規則正しく我々を潰そうとしている。
朝からの観測機、重砲、野戦砲。近づけば迫撃砲と小銃と機関銃。最初はたまに来ていた戦車砲、最近は当たり前のようについてきている。そしてうんざりするのは火炎放射器。その音を聞いていると、敵がどこまで来たか分かった。
履帯の音がする。止まる。しばらくすると砲声。また動く。別の方向からは機関銃が聞こえてくる。慣れた。アメリカ軍はまるで事務処理のように我らを潰そうとしていた。
「右へ行ったな」
誰かが言う。この洞窟に籠もる人にはあまりにも分かりやすい言葉だった。
伝令が来る。
「三号陣地、まだ健在」
それだけだった。音で分かる、三号陣地がまだ撃っている。ならば、敵はそこに時間を使う。一時間かもしれない。半日かもしれない。今のところ、体と心を休ませておくことが大切だ。それでいい。
二号陣地が潰れる。三号陣地も。こちらの判断よりは遅い。残存の兵は後方へ。
四号陣地が撃つ。四号が潰れて五号が撃つ。
この島では、陣地は敵を止めるためだけのものではなかった。時間を使わせるためのものだった。
「撃て」
短い命令が出る。洞窟の奥から弾が運ばれる。発射位置へ出され、狙いをつけ、撃つ。
何発か続く。すぐに引く。ここの弾はなくなった。
しばらくすると米軍の砲撃が来る。さっきまで発射器があった場所に砲弾が落ちる。岩が割れ、煙が上がる。だが発射器はもう別の、次の穴にいた。
待つ。待ってから撃つ。
アメリカ軍は撃たれる。もう一度待つ。こちらとしては多少遅れてもいい。
海兵隊は、穴を一つずつ処理するようになる。 処理? 戦闘?
近づき、機関銃を浴びせる。バズーカ砲を使い、火炎放射器も使う。爆薬を使う。結果として岩が崩れる。穴は静かになる。兵が近づくたびに耳を澄ます。何も聞こえない。もう日本兵はいない? 再度近づくと、相手が影を見つけたらしく奥から一発。また下がる。
これを繰り返す。穴を見つけ、塞ぐ。別の穴を見つけ、またそこを塞ぐ。
そして、穴が連続するために自軍を運ぶために道路を作る、守るために戦車を入れる。砲を運ぶ。また穴を塞ぐ。
上陸した第一海兵師団は消耗し尽くした。少なくともアメリカの基準ではこの部隊はその戦力をなくしていた。ダメだ。だから陸軍第八十一歩兵師団が戦闘を引き継ぐ。それでも終わらなかった。すでに海岸は静かになっており輸送船は予定通りの動きを見せている。飛行場ではアメリカ軍の航空機が発着している。南部には道路ができ、物資も積み上げられている。それだけを見れば、この島はアメリカのモノであった。
だが北へ行けば…まだ音がしていた。
ただ、その音の間隔が、静かになる時間が長くなっていた。
日本軍の弾薬が減っていた。水も減った。食糧も減った。『筒』も『箱』も、撃てば次第になくなった。弾がなくなれば、それで終わり、ならば撃たない。敵が来るまで待つ。それはまだ一日敵をここに置いておくためである。
そのために生きる。
米軍は進んだ。少しずつ進んだ。そしてやっと米軍は日本軍の組織的抵抗の終結を宣言した。
八十三日間。
本来は数日で終わるはずだった島である。計画が狂った島でもある。
最後は、ほとんど音がしなかった。米兵が山場や岩場を進む。立ち止まりそして耳を澄ます。何かが聞こえたら野砲部隊に、航空部隊を呼ぶ。何も聞こえなくてもじわじわと一歩を踏む。そして立ち止まる。聞く。穴だけではない、山陰の音を…静かだった。それでようやく終わった。
ペリリュー島はやっとアメリカ軍の占領地となった。
が、フィリピン攻略において、この飛行場が果たした役割は小さかった。
それでも日本軍が最後に残したものが一つだけあった。
それは時間だった。
数分を一時間にし、一時間を一日にし、数日だったはずの戦いを三か月にした。その戦い方は報告書になった。
しばらくすると、もう別の島でつるはしの音が始まった。
いかがなものかと?
以前からの読者さんにはお分かりのように、
ある兵器ができたから、無双にはしません。
ペリュリュー
諸島戦の中心の位置に置いてみました。
さて
次こそ
最終回です。




