98式噴進砲 その12(そいつ、南に届けてくれ)
ポチです。
このくらい連投すると、題名も前書きも後書きもどうでも良くなっている…
ま、掲載時の2週間前ですが 笑
お楽しみください。
日本は何を守ろうとしたのだろう?
本来なら、答えは簡単である。
『日本本土』だ。
だが、本土を守ろうとすると、その外側が気になる。
明治国家が最初に正面からぶつかった大国は、清だった。
『眠れる獅子』
清は朝鮮を「宗属関係」であるとし、日本にとしては日清の間にある朝鮮半島をこちら側に置いておきたい。結局、日清戦争の結果、日本は清に朝鮮の独立自主を認めさせ、その宗属関係を断ち切った。が、それで終わったわけではない。朝鮮への影響を深めようと鉄道を敷き、港を造る。保護国として、更には自国の領土として、学校を造り、役所を置く。必要な人を送り、資金を入れる。
後になって考えれば、その金を本土へ、たとえば疲弊していた東北へ回していれば、また違った景色もあったのではないか――そんなことも思う。
ただ、その時にはもう、朝鮮には積み上げたものがあった。積み上げた以上、その権利を利益を守ろうとする者が出てくる。
清の次はロシア。
江戸時代、すでにロシアに対する脅威を訴えている人がいた。
『赤蝦夷風説考』の工藤平助(娘の只野真葛様はかなり好き)
『海国兵談』の林子平(「寛政の三奇人」の一人)
いずれもが外国についての断片的な情報を集めた上で、自分なりに国を守るための戦力・国交・貿易、そして周辺開発と幅広く考査して、世に訴えようとした。IFの世界であるが田沼政権が続いていたら…IFの世界である。時代は変わり、林子平は蟄居処分となり、『海国兵談』は絶版となった。(もっとも、本そのものは消えなかった。写本などとなって後世へ残った。)
朝鮮を守るにはどうする?
まだロシアが気になる。その北にある満州が…。
明治天皇はかなり止めた、が、国の雰囲気はそれを無視した。足らないフネの購入費を天皇家が捻出した。
そして、南満州に権益を得た。
満州には既に鉄道が走っていた。大きな商業圏があり、鉄鉱山があった。大規模な炭鉱もあった。そこへさらに鉄道が延び、工場ができた。人が移った。資金が入った。
守るべきものが増えていった。
そしてまた、捨てられなくなった。
では、満州を守るにはどうする?
その外側が気になる。中国との境、華北がある。
最初は、本土を守るためだった。
前へ出ることは、そのための手段だったはずである。
だが、一度前へ出れば、そこに鉄道ができる。港ができる。工場ができる。人が住む。兵も置かれる。
昨日まで本土を守るための手段だった場所が、今日は守るべきものになる。
そうなれば、簡単には捨てられない。
そして、それを守るために、また前へ出る。
いつからだったのだろう。
守るために勢力を広げていたはずが、勢力を維持し、広げるために守るようになったのは。
目的と手段は、いつの間にか入れ替わっていた。
そしてそれは太平洋でも似たことが起きた。
日本本土がある。
その南には小笠原があり、さらにマリアナ、カロリン諸島がある。
そしてトラック泊地があった。
中部太平洋での艦隊決戦を考えていた日本海軍にとって重要な前進根拠地である。
では、そのトラックを守るには?
ここで開戦早々に前述の「ウェーク攻防戦」が顔を覗かせる。なぜウェークを占領しなければならなかったか? マリアナの近く(近いか?)だからである。
さらに南東に、ラバウルがある。昭和十七年一月、日本軍はラバウルを占領した。
ラバウルには天然の良港がある。飛行場も造れる。ここを押さえれば、トラックへ近づこうとする敵を、その手前で止めることができる。
では、ラバウルを守るには?
また、その前が欲しくなる。
ニューギニア島、そしてソロモン諸島だった。
特に海軍はソロモン諸島に飛行場建設の敵地を探した。
なぜならそこへ飛行場を置けば、敵をもっと遠くで見つけることができる。そしてもっと遠くで迎え撃つことができる。
日本側から見れば、防衛線を前へ前へと押し出している。
だが、同じ地図を反対側から見れば、意味はまるで違った。
アメリカ側から見れば、日本軍はラバウルから島を伝いながら、南東へ勢力を伸ばしている。
その先にはニューカレドニアがある。
フィジーがある。
アメリカとオーストラリアを結ぶ航路がある。
日本側が「ラバウルを守るため、最終的には本土を」のために欲しがった航空基地は、アメリカ側から見れば、自分たちの交通路へ近づいてくる航空基地、脅威でしかない。
同じ地図である。
見ている方向が違うだけだ。
昭和十七年夏。
日本軍はソロモン諸島南東部、ガダルカナル島で飛行場の建設を始めた。
ラバウルを占領し、さらにツラギへ進出すると、その先にも航空基地を置ける場所が必要になった。ツラギには良好な泊地がある。飛行艇や水上偵察機を運用できる。
だが、陸上機を飛ばすには飛行場が要る。
そこでソロモン諸島のツラギの周辺を調べた。大きな町を探したわけではない。地下資源を探していたわけでもない。(どちらも存在しない)航空機を継続して飛ばせるだけの、平らな土地があればいい。
そして、見つけた。
ガダルカナル島、ルンガ岬付近。
飛行場が一つできれば、日本軍の航空作戦圏はまた少し南東へ伸びる。
日本側にとっては、それでラバウルが少し安全になる。
アメリカ側にとっては、まったく逆だった。
その飛行場を完成させてはいけない。
八月七日。
アメリカ海兵隊がガダルカナル島へ上陸する。
ほとんど手作業でやっと整地ができ飛行場の輪郭がくっきりとし周辺の整備を始めた、もう残り見え始めた飛行場建設。日本軍が守るために造ろうとした飛行場を、アメリカ軍は自分たちを守るために奪いに来た。
そしてこの小さな島もまた、互いにすぐには「捨てられない場所」になった。
その日、アメリカ軍はガダルカナル島、ツラギ島および周辺島嶼への上陸を開始する。
作戦名は
「ウォッチタワー」
主力となるのはアレクサンダー・ヴァンデグリフト少将指揮下の第1海兵師団である。その主目的はルンガ岬付近で日本軍が建設中の飛行場。その占領である。
ミッドウェー海戦から二か月しか経っていない。作戦準備そのものも一か月に満たない、かなり慌ただしいものであった。その手順はあざやかと言えなかった。訓練は最低限、輸送船も護衛艦隊もかき集めの指揮系統がグダグダ、はっきり言って、よくもまぁ~くらいの感想。が、まるで、飛行場建設の終わり間近を待っていたかのタイミングでもある。
七日朝に上陸した海兵隊。島内に所在した日本軍の主体は第11、第13設営隊などの飛行場建設部隊であり、本格的な地上戦闘部隊は配置されていなかった。日本側は上陸軍との戦闘自体を考慮していない部隊、軍人・兵隊でさえない民間人、正面戦闘は避けた。建設中の飛行場を占領した米海兵隊はそこに日本側が残した建設資材、車両、機械類などを見つけ、その後の自分の飛行場整備に使用する。
早速反応がある。早々と碇を上げた第八艦隊。我も我もと参加嘆願が届く。
八日夜から九日未明に行われた第一次ソロモン海戦では、日本艦隊が連合軍巡洋艦部隊に大きな損害を与え、連合軍側は重巡洋艦四隻を喪失した。が、輸送船団への攻撃はそれを諦めた。このことがガダルカナル島を中心とした戦いを長引かせることの一因となった。
アメリカ軍はすでに一万人を超える兵力をガダルカナル島へ上陸させていたのだ。
日本側は上陸した米軍兵力を当初、実際より少なく見積もっていた。それはそうだろう、日本の揚陸能力とアメリカの揚陸能力とが根本的に違う。どこか自分にできる量を基準に、相手の量を考えてはいなかっただろうか。さらに米輸送船団が早期に撤収したことも、上陸作戦そのものを限定的なものと判断する材料となった。
日本軍はガダルカナル島の飛行場奪回を決定した。
一木清直大佐指揮下の一木支隊。
もともとはミッドウェー島攻略作戦に用意された部隊であった。が、ミッドウェー島上陸は延期(という名の「中止」)。その後、上陸戦専用にとせっかく編制された部隊はグアムあたりで無聊をかこっていた。その日を迎え、ガダルカナル島への逆上陸部隊として転用された。
歩兵第28連隊を中核とした約2,000名の部隊。支隊全兵力を一度に輸送することはできなかった。とりあえず駆逐艦を脚代わりに先に送る部隊、支隊司令部+一個歩兵大隊を主力とする約900名、そして歩兵砲2門。それが第1梯団、いわゆる先遣隊。連隊砲中隊、速射砲中隊などの火力部隊や各種支援部隊は、後続の第2梯団として輸送船で後送される予定だった。日本の輸送力・揚陸力、そして「拙速」などのバランスを考えた『日本軍としては適切な作戦行動』。
そのはずであった。
八月十八日夜から十九日未明、一木支隊先遣隊は駆逐艦によってガダルカナル島東部のタイボ岬付近へ上陸する。
「砲は積めん」
一木支隊先遣隊を運ぶ駆逐艦六隻。その指揮を執る第4駆逐隊司令、有賀幸作大佐の座乗する「嵐」で、副長が渋った。
歩兵砲は軽い。
しかしそれ以上の山砲や速射砲などとなれば……。
「これは砲ほど重くありません。第一、砲身も砲架も要りません。筒です。重いのは弾の方です」
歩兵中隊の将校が、どうしてもとねじ込んできたものだった。
「筒?」
副長が甲板上の箱を見る、そこまで大きくはない、人手で運び込めるほどの細長い箱には、
『98式7.5センチ噴進砲』
という名称が書かれていた。副長は知らなかったが、海軍陸戦隊の『筒』に影響を受け、歩兵が遠くまで歩いて運べることを前提として開発されたものであった。
「……『砲』と書いてあるぞ?」
訝しげな顔で箱を見る。
「載せてやれ」
司令の有賀大佐が苦笑した。
「そこまで、多くはなかろう?」
上陸した先遣隊は、十九日、西方のルンガ地区へと前進した。
その途中、日本側の偵察隊と、東方へ出ていた米軍哨戒隊が遭遇する。日本側偵察隊は大きな損害を受けた。ただ、先遣隊全体を止めるほどではない。一木支隊はその後も前進を続ける。
一方のアメリカ軍は、占領した飛行場の整備を進めた。使える労力、資材。その中には放棄された日本側のものも多く存在する。食料、車両、建設機械。
(いつか見た写真の中には、日本の缶詰を喜ぶアメリカ兵が写っていた)
そして二十日には、護衛空母「ロング・アイランド」からF4F戦闘機十九機、SBD急降下爆撃機十二機がガダルカナル島へと進出する。
ほんのわずかな差で、この島の飛行場はその主人を変えていた。占領後、ヘンダーソン飛行場と名づけられた飛行場は、これによって航空基地として本格的な運用を開始した。
そして、ますますこの飛行場は日本側にとって奪還するべき重要地点となった。
二十日夜から二十一日。一木支隊先遣隊は飛行場東側の米軍陣地を攻撃する。十九日の偵察隊との戦闘によって、海兵隊は日本軍が東方から接近していることを知っていた。すでに守りを固めている。
戦闘地点は一般に「テナル川」と呼ばれるが、実際にはイル川河口付近であった。
米海兵隊は河口付近に防御陣地を構築し、機関銃、迫撃砲、砲兵などを配置していた。
一木支隊は夜間に正面攻撃を実施したが、米軍陣地を突破できなかった。
いや、一部では突破できる隙間を見つける。
「噴進砲! 噴進砲!」
中隊長が叫ぶ。
「あそこだ! 弾を集めろ!」
後方から残った弾が運ばれてくる。
四門の噴進砲は筒先を揃えた。準備のできたものから、次々と弾が飛ぶ。もう細かな命令も指示もなくなっている。
「突撃!」
が、壁は厚かった。
四門は撃ち続けた。やがて、一門が止まる。もう一門も止まった。
「弾は?」
「ありません」
二十一日の日中、米軍は残存する日本軍部隊に対して攻撃を行い、揚陸していた軽戦車さえも投入した。そして一木支隊先遣隊はほぼ壊滅し、一木大佐も死亡した。
これにより、日本軍による最初のガダルカナル飛行場奪回作戦は失敗した。
が、日本側は、ガダルカナル島の奪回方針を変更しなかった。
以後、より大規模な地上兵力、砲兵、弾薬、食料その他の物資をガダルカナル島へ輸送する必要が生じる。
この時点から、ガダルカナル島を巡る戦いでは、戦闘そのものと並んで、輸送能力が重要な問題となっていった。
陸軍としては一木支隊の失敗に対する意地もある。海軍としても、本来は自分の領域である。ここを取ろうとしたはずが取られてしまった。脚を抜こうにも、駒でズブズブとつかり始めていた。
更に言えば、戦闘開始時にガダルカナル島の駐屯していた第11・第13設営隊そして第84警備隊。島を離れたわけではなく、西へ。マタニカウ川西方に「海軍本部」を置く。残存の人々が少しずつ集まってくる。集まっている方が安心できる。臨時のガダルカナル島守備隊として、烏合の衆は少しずつ部隊として編制された。なんとか持ち出せたわずかな小銃と機銃、それが自衛の手段。が、アメリカ軍は容赦しない。一木支隊到着前からマタニカウ方面で米海兵隊と戦うこととなる。そしてそれはずっと続く。取り残されのである。食糧不足・栄養失調・熱帯病…。
地図を見ていた尉官が言った。
「ここは、どこなんだ…?」
「ガダルカナル島だ」
別の指が地図の上を動いた。
「どこにあるんです?」
誰かがパラオを指す。そこから東へ。ニューギニア。ビスマルク諸島。ラバウル。
さらに南東へ指を滑らせる。
「この辺だ」
「遠いですね、何があるんです?」
「島だ、飛行場だ」
一木支隊がやられた。飛行場を取り返す。そのため、次に川口支隊が送られることになった。命令そのものは、それほど複雑ではなかった。
問題は、その島までどうやって行くかだった。
夜間、まだ月は空に残っていた。駆逐艦から小発が出る。カッター? 動力があるフネがカッターより有利である。いつのまにかガダルカナル島へと向かう駆逐艦には大発は搭載できないからかカッターや内火艇が降ろされ、複数の小発が搭載された。
黒々とした海岸には人影が見えた。いや感じた。手を振っているように感じた。
海は黒く、そして空も黒い。浜の向こうには椰子が続いていた。
そして、少し内陸へ入れば、すぐに密林だった。
道らしい道はない。地図には線が引いてあるが、実際にはぬかるみと草と木があるだけかもしれない。
小発から降ろされたものは、そこまで多くはなかった。だいたいが河川での運営、人を運ぶためのものであり、荷物を運ぶものではない。
が、受け取る海岸側の兵の歯が白かった。
暑かった。
荷物を背負って少し歩くだけで、軍服が汗を吸った。
蚊がいて、川がある。道ってどこにある?のレベルで…少し雨が降る度に地図はその顔を変えた。
そして、その先にアメリカ軍がいる。
川口支隊の兵が呟く。
「こんなところ、なんで行くんだ?」
「飛行場がある、らしい…」
それ以上のことを知っている者はいなかった。
駆逐艦輸送には限界があった。
兵員、弾薬、食料などは輸送できたが、重砲、車両その他の重量物を継続して輸送することは困難だった。
陸軍からは船舶工兵が来た。海上トラック程度の発動艇を使い、兵員や物資を海岸へ運ぶ。駆逐艦とは違う。速度も遅い。だが、船着場のない海岸へと乗り上げて直接荷物を揚げることができた。
輸送船も使われ、駆逐艦も使われ、陸軍の発動艇も使われた。使えるものは、なんでも使った。
それでも問題は残った。歩兵一個大隊を送るだけなら、人間を乗せればいい。ただしガダルカナル島で必要とされたのは、兵員だけではなかった。その大隊を戦わせ続けるには食料が要るし、弾薬、砲弾、医薬品、などなど。砲を送れば、さらに砲弾が増える。連続した継続戦力ならば間違いなく次の弾が必要だ。車両を送れば、燃料が要る。
一度送れば終わりではない。戦闘が続く限り、輸送も続けなければならなかった。
厄介なのが重砲だった。分解したとして駆逐艦の甲板へ簡単に載せられるものではない。
載せられたとしても、今度はどうやって海岸へ降ろすのかという問題が出る。つまりそれらを運べる船が必要になった。このため、より大型の高速艦艇を輸送に使用することが検討された。
候補の一つとなったのが、水上機母艦「日進」である。
日進は九月十八日、ショートランド泊地へ進出していた。本来は水上機母艦として建造された艦であったが、大型の船体と水上機を扱うためのクレーンを持つ。さらに甲標的を搭載することも考えられた艦であり、駆逐艦では扱いにくい火砲や車両を運ぶ余地があった。
目的は、ガダルカナル島への重火器輸送である。
砲を送る必要があった。
飛行場を奪うのであれば、今度は砲兵が必要だった、そう判断された。
ただ、砲一門だけを運んでも、砲兵にはならなかった。
夜。
日進はガダルカナル島西方の海岸へ近づいた。
駆逐艦ほどではない。だが、普通の輸送船よりははるかに速い。何より、自分で荷物を吊り上げることができた。
甲板上でワイヤーが張る。
「巻け」
クレーンが動く。動きに無理がない。手際が良い。黒い塊がゆっくりと甲板を離れる。
砲である。数トンある鉄の塊が、夜の海の上をぶら下がっていた。
下では大発が待っている。
「もう少し右!」
「下ろせ!」
ワイヤーがゆっくりと伸びていく。そして砲車の車輪が艇の底へ触れた。「ギシリッ」音がした。その日の資料には「重砲揚陸」と書いてある。
だが、砲は自分では歩かなかった。
海岸に降ろされた砲を前に、兵は集まりつつあった。その夜のうちに、アメリカ軍の偵察機には見えないところへと運ばなければならない。その間には道がある――ことになっていた。だが、地図に線があることと、数トンの砲がそこを通れることは同じではない。
事前に木を切り、穴を埋め、ぬかるみには丸太を敷いていた。上陸した砲兵と、それを受け入れたガダルカナル島の歩兵。
少し進み、止まる。また道を、砲が進むために造る。
海を渡り終えた。中央では、揚陸すれば戦力としての一門だった。現場では、撃てる場所まで運んで初めて一門だった。
「あれって、何トン?」
誰かが呟く
日進のクレーン操作を指示する分隊長はなんとなく耳にする。その程度の雑談にいつも口を挟んでいては身が持たない。
「あれだけで、『箱』…いくつ持ってこれる?」
周囲がざわめく。クレーン仕事が一段落したこともあって、兵らの口が軽くなっている。
『箱』?…思い出す、ああ、陸戦隊のアレか…確か…
「使えるよな?」
別の兵が答える。ちょっと揶揄っているような口調。
「…使える…」
話はまっすぐと、第八艦隊、連合艦隊、そして本土へ。軍令部へと通った、通ってしまった。単なる雑談のはずだけれど…
なぜなら、海軍の兵器であるのだから、マタニカウ川西方に作られた「海軍本部」、その後に編制された「臨時ガダルカナル島守備隊」に対しての応援兵器となりえると誰かが判断したからである。
あちこちの『筒』と『箱』が集結する。ラバウルへと運び込んだ。そして、ガダルカナル島へと…決死の思いで駆逐艦が運び込んだ。駆逐艦から小発が行く、海岸からは残存の小発・大発。少ない食料、少ない医薬品、残りわずかな気力、それでも自分たちが動かなければガダルカナル島が飢える。そしてその帰りには病気が重くなった帰還兵を運び出した。
川口支隊が見る。
「アレって…陸軍にはないのか?」
『筒』は既にあった、川口支隊でも当たり前のように中隊に配備されている。ただ『箱』は未だない。が、間違いなく噴進砲は陸軍にもあった。20センチ噴進砲もわずかずつだが配備されていた。単に陸軍は『箱』にはしてなかっただけである。
当然、アメリカ軍にも損害は出た。
原因のすべてが噴進砲というわけではもちろんない。機関銃もあり、迫撃砲もあった。攻めるには地形も悪かった。ただ、日本軍陣地へ接近した部隊に、これまでとは違う形でまとまった爆発が降ってくることがあった。
海兵隊側も、それを認識した。
日本軍は飛行場を取り返せない。
だが、日本軍陣地を簡単に押し潰すこともできない。
それでも、アメリカ軍も引くことはできなかった。
ガダルカナル島への上陸は、日本軍が建設していた飛行場を奪い、オーストラリア、ニュージーランドへ至る交通路への脅威を取り除くために始められた作戦である。
ここで撤退すれば、飛行場は再び日本側へ戻る。
日本軍が奪還を諦めなかったのと同じように、アメリカ軍にもまた、渡してしまう理由がなかった。
互いに兵が増え続けた。
そして基地防衛のために航空機が増えた。
結果として損害も増えたことは否めない。
九月から十月にかけ、アメリカ側でもガダルカナル島の保持について深刻な懸念が生じていた。
それでも、ヘンダーソン飛行場は保持された。
一木支隊、川口支隊の報告書は陸軍へ、そして臨時ガダルカナル島守備隊の報告は海軍へ..本来は、それぞれ別の系統を上がっていく報告書だった。
だが、ラバウルでは違った。ガダルカナルは、すぐ目の前の問題だった。
陸軍の第17軍司令部と海軍の第8艦隊司令部。
同じ島を取り返そうとしている以上、互いの報告を読まないわけにはいかなかった。
読み進む。作戦。補給。損害。敵情。
報告は続く。一人の参謀が、ふとある記述で手を止めた。
陸軍の報告には、
「噴進砲、局地的効果アリ。弾薬不足」
とある。なるほど…何かしらの効果があるものが…
そしてあるものが気づく。
海軍の報告には、
「二十糎噴進砲、防御戦闘ニ有効。更ナル補充ヲ求ム」
とある。
同じ時、場所、ものを見た報告書ではない、が、誰かが二枚を見比べた。
「……これ、同じこと言ってないか?」
噴進砲という言葉が会議に参加していた全員を沈黙させた。既に知っている、見たこともある。当たらない、火薬を大量に消費する兵器、大したものではないという認識、しかし現場は使える、使いたいと訴えている。そして「もっとよこせ」という要求。
「……じゃあ、なんで別々にやってるんだ?」
誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
いかがだったでしょうか?
とりあえず、連休にはしゃいだ連投は終わり、ボクの書きためていた下書きも終了しました。
さて、また調査・考察に移ります。
ではでは。




