98式噴進砲 その3 (安定した推進薬って?)
ポチです。
今回、狂言回し的に、一人の若者をあちこちに行ってもらいました。
すべては
火薬、推進薬
のためです。
もともと理工系大好きなだけの文系ですので、ちょっと表現が怪しい(笑
笑って許してください。
では
お楽しみください。
『私たちは星の材料で出来ている』
(カール・セーガン)
◇ ◇
日本に、ロケットの原理が知られていなかったわけではない。
かの元寇時の「てつはう」。手投げ弾のようなものとも言われているが、あの『蒙古襲来絵詞』(どこまでホントか? 笑)には、飛ぶ石火矢のような形で描かれている。
そして、これまたどこまで本当か分からないが、戦国時代、秩父では、ずっと昔から似たものを空へ飛ばしていたという。
『龍勢』(場所によっては「流星」とも)
木をくり抜いた火薬筒。黒色火薬。それを支える長い竹。白煙を吐きながら、空へ昇る。
どう火薬を詰めるか。どのくらい詰めるか。噴き出す口をどう作るか。長い竹をどこへ取り付けるか。どうすればより真っ直ぐ上がるか。土地ごと、流派(27の流派があるらしい)ごとに作り方が伝えられていた。理屈より先に経験があった。
少なくとも幕末には、そうした龍勢が実際に打ち上げられていた記録がある。現在に伝わる秩父吉田の龍勢にもその技術は残っている。
もちろん。
陸軍科学研究所が龍勢を参考にして、ロケットの研究を始めた――という話ではない。
そんな記録は全くない。
ただ、そういう経験そのものが、この国に突然現れたわけではなかった。
◇
火薬そのものについても、陸軍と海軍がきれいに別々の道を歩いてきたわけではない。
むしろ、少しごちゃごちゃしていた。(調べるつどに混乱します)
明治十二年。発足して間もなくの海軍は東京の目黒に火薬製造所を作った。ドイツに範を求め、設備を入れた。ドイツ人技師も呼んだ。まずは近代的な製法で黒色火薬を作り、褐色火薬も研究した。
ところが明治二十六年。
「これ、陸軍へ渡します」(え?)
目黒火薬製造所は、海軍から陸軍へ移管された。東京砲兵工廠目黒火薬製造所となった。
そして海軍は必要な火薬を陸軍から受け取る。一度は、そういう形にした。
またまたところが(笑)同じ明治二十六年に海軍では下瀬雅允の研究した炸薬が制式採用された。
『下瀬火薬』
「これは別です」
火薬というものは、なかなか一か所に収まってくれない。
それでも、完全に別々になったわけではない。
明治三十六年に陸軍火薬研究所が板橋に置かれた。名称を
陸軍火薬研究所。
という。陸軍?そう陸軍の管轄のはずである。ところが(何度目だ?ナウ○カ…)その組織の中には最初から海軍もいた。火薬を研究するのに陸軍も海軍もない。(確かに…)だから必要なら、海軍将校や海軍技師も所員を兼ねる。(だよね ウンウン)海軍技師が研究へ参加することもできる。
「火薬だからな」
その一言だ。
火薬は、陸軍だから燃え方を変えてくれるわけではない。海軍だから爆発の仕方を変えてくれるわけでもない。
更に大正八年。陸軍火薬研究所は廃止され、その仕事は新しく設けられた陸軍科学研究所(あれ? どっかで聞いた記憶が…)へ引き継がれた。
そして同じ年。海軍は平塚にあった火薬会社を買収した。
日本火薬製造株式会社。
そもそもこれは明治三十八年、艦砲用無煙火薬を国内で製造するため、日本政府と英国企業によって作られた会社だった。結局、海軍火薬廠になった。
また組織は分かれた。
だが、その下にある火薬技術まで二つに割れたわけではなかった。
「愛知、行ってきます。出張許可お願いします」
「愛知?」
「はい」
「……ああ、知多か」
武豊。
駅を降りると、東京とは風の匂いが違った。
海が近い。冬だったが、風には少し湿り気があった。潮の匂いがある。その中へ、工場へ近づくにつれて別の匂いが混じった。
薬品。油。湿った木。それから、何と表現すればいいのか分からない、鼻の奥へ残る臭い。
「帝国火薬工業武豊工場」
帝国火薬工業ができたのは大正八年だった。
ここでは、すでに材料をただ混ぜて火薬にし、袋へ詰めるだけの仕事をしていたわけではなかった。紐状無煙火薬を作る設備まであった。
「紐?」
研究員が聞き返した。
「火薬を?」
「火薬を」
工場の若い技術者は、特に面白いことを言ったつもりはないらしい。
建物と建物の間を、海から来た風が抜けていた。火薬工場では棟が離れている。何かあったとき、隣まで一緒に持っていかれないためだった。
研究員は試験記録を出した。
会社の技術者が読む。一枚。そしてもう一枚。
「つまり……燃焼を揃えたいんですね」
「そうです」
「なるほど」
さらに一枚。
「よく飛ばしましたね」
感心されたのか、呆れられたのか分からなかった。しばらくじっと考えていた技術者が応える。
「できます。ただ…火薬は、です」
研究員は少し顔をしかめた。
「どういうことです?」
「どんな形で燃やしたいんです?」
「形?」
「はい」
鉛筆を取った。円を描く。
「これ、外から燃えます、塊ならば…」
そして、隣に棒状の形を1本描く。
「最近はこの形状でも火薬を作ってます。形を揃えれば揃えやすいんです」
「ならば…」
「いや、今回の話を聞いていてちょっと考えたことがあります。穴を開ければ、中からも燃える」
「穴?」
「はい」
「火薬に?」
「そうです」
研究員は紙を見た。
外で風が鳴った。
少し開いた窓から、潮気を含んだ空気が入ってくる。
技術者がそちらをちらりと見、また机へと視線が戻す。
「これ黒色火薬のままに続けますか?」
技術者は机の上の紐状火薬を一本取った。
「無煙火薬です」
「綿火薬を主体にしています。今だとニトログリセリンを加えたものもあります」
「混ぜるんですか?」
「混ぜます」
「危なくないですか」
「火薬ですから…ただ、黒色火薬より形は作りやすいですよ」
細長い火薬を指で転がした。
「押し出せます」
「押し出す?」
「別に材料を混ぜるだけではないのです。太さを決めて、長く出す。切れば同じ長さにもできます」
「……同じものを作りやすい」
「それに、乾かし方でも変わります」
「湿気ですか」
「火薬だって、天気を無視してくれませんから」
研究所では、火薬の重さを測っていた。工場では、その火薬がどんな形をして、どこから燃え、どんな温度と湿度で乾いたかまで見ていた。
研究所にとっては、新しい問題だった。
けれど、工場にとっては以前から仕事にしていた問題だった。
「火薬と言うより……、燃料ですね」
若い技術者が少し笑った。
「今、分かりました」
試作品が知多半島から運ばれてきた。
細長い。中央に穴が通っている。
机の上へ置く。
ころり。
「……穴が開いてるな」
「なんだか」
一人が摘まみ上げた。
「マカロニみたいだな」
「食べないでください」
一本だった。
そう、最初の一本だった。
「飛ばします?」
「飛ばします」
数が増えた。
一発。十発。百発。
試験場だけで済んでいるうちは、それでもどうにかなった。
まずは陸軍が欲しがった。そして早くしろと言われ続けた。
現場から追加要求が来る。
桁が変わった。
「一万?」
「同じものを?」
「同じものを」
今度は武豊だけを見ていても済まなかった。
完成した推進薬の、その前。原料。硝化綿。
「網干へ行ってきます」
「火薬会社?」
「いえ」
上司は紙を見る。
「大日本セルロイドって………セルロイド?」
「推進薬だよなぁ?」
「セルロイド屋へ?」
網干。
ここにも海があった。だが、武豊とは違った。風は開けていた。工場へ近づくと、潮の匂いより先に薬品の臭いが来た。酸。湿気のある原料。蒸気。そして水。
ときどき風向きが変わると、一瞬だけ海の匂いが戻ってくる。
「大日本セルロイド網干工場」
その根は大日本セルロイドという会社ができるより古かった。明治四十一年、この地に、日本セルロイド人造絹糸ができた。ここに川があった、揖保川。原料の硝化綿を洗うには、大量の水が要る。網干に工場ができた理由の一つだった。それから十年余り。第一次大戦のあとに、これまで乱立していたセルロイドの会社が苦しくなった。ならば…ということで八社がまとまった。その中に、網干の会社も入った。
「セルロイドというと……」
研究員が工場の中を歩きながら言った。
「櫛とか、玩具ですか?」
「はい、そんなのも」
案内役が振り返った。
「貴方が見ようとしているのはその前ですよね。原料を知ってますよね?」
資料を見る。分かっている、すでに東京で見ていた。硝化綿が出てくる。
研究員が立ち止まった。口角が上がっていた。
「そういうことです」
セルロイドという完成品だけを見れば、推進薬とは遠かった。その一つ手前へ戻れば、急に近くなった。
植物繊維を処理する。硝化する。洗う。安定させる。そして水を使う。乾かす。
工場の一角には、濡れた原料特有の匂いがあった。別の場所では酸の臭いが強くなる。また別の棟へ行けば、蒸気と水の匂いになった。
研究員が工程表の途中を指した。
「ここまで欲しいんです」
「この先は?」
「別で……」
「うちで火薬まで作れ、とは?」
「いいえ」
工場側の男が少し安心した顔をした。
「ここまでなら」
話はやっと進んだ。
原料技術があることと、完成品を作れることは同じではない。しかし、完成品を作るには、その原料が要った。大日本セルロイドが推進薬自身を作るわけではない。作る必要もなかった。必要なのは、その途中だった。
外へ出ると、海風が薬品の匂いを少し薄めていた。
「次は?どこに行くんだ?」
上司は、困惑の顔で聞く。あまりにもあちこちに行くのが分からないのか、いや、ちゃんと説明している…はずである。
「延岡です」
「九州?今度は何屋だ」
「日本窒素火薬、火薬の会社です」
「今度はちゃんと火薬屋だな」
「窒素ですから…たぶん」
延岡は列車を降りた時から、空気が違った。暖かい。そして湿っている。
武豊の海風とも、網干の風とも違った。空気そのものが湿気のせいか少し重い感じがする。
遠くには山があった。大きな川があった。水の多い土地だった。
駅から工場へ向かう途中でも、ところどころで水の気配がした。
工場へ近づくにつれて、匂いが変わった。暖かい空気の中へ薬品臭が混じる。
研究員がわずかに顔をしかめる。
「慣れますよ」
「毎日いれば」
大きな配管が走っていた。曲がり、建物へ入り、また別のところから出てくる。蒸気が白く漏れていた。
それは武豊とも違う、そして網干とも違う。
ここでは、一つの原料が次の設備へ渡り、そこで別のものになり、さらに次へ送られていた。
「どうして、ここに?」
研究員が聞いた。
「こんな大きな化学工場が?」
案内役が少しだけ笑った。
「こんなところ?」
「あ、いや」
「まあ、東京から来ればそう思いますよね」
「水ですよ」
「水?」
「正しくは、電気でしょうね」
五ヶ瀬川、見た。大きな川だ、水量は大きい。そしてその上流へ行けば、水は落ちる。
落ちれば電気になる。明治時代、日本では川を利用して小さな電力会社が乱立した。ほとんどはエジソン電球を灯すためにその力を使った。
二十年ほど前、その電気を別の目で見ていた男がいた。
野口遵。
もとは電気屋だった。
東京帝国大学で電気工学を学び、電灯会社へ入り、そのあとシーメンスにいた。だが、電気を送るだけでは終わらなかった。電気を使って、何が作れるか。
まずはカーバイド。石灰窒素。そして肥料。
鹿児島では曽木滝の水を電気に変え、水俣ではその電気を化学工業へ変えた。
「野口さんですか?」
「知ってます?」
「ええ。名前くらいは」
案内役は川の方を指した。
「ここでも同じことをやったんです」
「水力発電を?」
「そして、その先です」
電気を作る。その電気を食う工場を作る。工場ができれば、また別のものが作れる。
野口は別のものを見る、そういう人間だった。
研究室の机の上ではできない仕事である。
第一次大戦で、ドイツのハーバー・ボッシュ法が何を意味するのかは、日本でも知られるようになった。
空気中の窒素から、アンモニアを作る。アンモニアはもちろん肥料になる。
そして硝酸にもなる。火薬の主たる材料。
『空気から火薬を作る』
第一次大戦は、どの戦線であっても火薬大消費のオンパレードである。日露戦争時とは桁が違う。が、日本陸軍にとって、それは欧州から届く報告書の数字だった。消耗戦ということは資料の上では分かっていたけれど。
「ハーバー法なら、前から日本にもあったんじゃないですか」
研究員が聞いた。
「ありましたよ」
「でも…特許は、です」
第一次大戦中、ドイツのハーバー法に関する日本国内の特許権は日本側へも移った。敵国財産としてである。ただ紙の上に特許があっても、工場は生えてこなかった。
高い圧力に耐える設備・圧縮機・配管・材料・触媒・大量の水素。
そして、それを毎日動かす人間。
「特許は工場にはなりませんから」
日本でも、ハーバー法を使おうとした。それだけで巨大なアンモニア工場が建つほど、話は簡単ではなかった。
野口遵は別の道を選んだ。
大正十年に、イタリアのカザレー法を見つけた。高圧で窒素と水素を反応させ、アンモニアを作る。野口は、その特許を買った。
大正十二年に、延岡にその工場を作った。いや、その前に五ヶ瀬川水系の電力を整えた。
日本窒素肥料がアンモニアを作り始めた。もちろん最初から簡単に動いたわけではない。外国から技術を持ってきても、そのまま工場になるわけではなかった。機械を据えることから始まり、配管をつなぐ。で、漏れる。止まる。そして直す。また動かす。その結果としてようやくアンモニアが出きあがる。後年、日本窒素火薬が成立。
「……長いな」
「何がです?」
「火薬まで来るのが」
「最初から火薬を作ろうとしてたわけじゃありませんから」
「でしょうね」
研究員は少し遠くを見た。
「……どこでも同じだな」
案内の社員が少し不思議そうな顔をした。
特許があることと、作れることは違う。
図面があることと、作れることも違う。
ただ、こちらは机の上に載る大きさではなかった。
外では蒸気が上がっていた。
南から来る湿った風が、その白い筋をゆっくり横へ流した。
いかがでしたか?
つい、「量産」前提で話を聞いているようですが、まだそこに至るまでは進んでいません。
使える安定した推進薬を探しているだけです。
ホントだよ…
実名を挙げた三つの会社の方々、間違いがありましたら申し訳ありません。
すべてはポチが悪いのです。
次も明日かなぁ~
ではでは。




