現代の糒 その4(『春の祭典』第2部生け贄の儀式 終曲「選ばれし生贄の乙女」)
皆さま
お疲れ様です。
365日、日曜日となったポチは
それでもなんだかんだと忙しい日々を過ごしてます。
最近、chatGTP4という玩具を手に入れて、これまでの文章をリライトしたり、画像を出させて遊んでます。これが始まった時に少し遊びましたけれど、いやー、ビッグデータってすごいですね。どんどん賢くなってます。
さて、とりあえず「食料」をどうにか前倒しすることで、餓死を少しは少なくしたつもりですが…
では
お楽しみください
“One cannot think well, love well, sleep well, if one has not dined well.”
「きちんと食事をしていないと、きちんと考えることも愛することも眠ることもできない」
(Virginia Woolf)
☆ ☆
「まだか」
「まだです」
若い兵が膝の間に抱えていた飯盒を持ち上げ、耳元で振った。
ちゃぷ、ちゃぷ。
まだ水の音がする。
その音さえ雨音に紛れそうだった。
「こうやって振ったら早く戻らんか?」
「知りませんよ」
「学校でオニシマイの戻し方なんか習ってません」
「役に立たんなぁ」
誰かが笑った。
笑い声は、頭上を覆う木々から落ちてくる雨音にすぐ消された。
雨期である。雨は夕方からずっと降っている。いや、この何日か、降っていなかった時間の方が短いような気さえする。空気そのものが水を含んでいた。
軍服は濡れているというより、もう身体の一部になったように肌へ貼りついている。背嚢も毛布も湿っている。小銃の銃床までじっとりと濡れ、触れば手のひらに冷たさが残った。靴などもっと酷い。一歩歩くたび、中でぐちゅ、ぐちゅ、と水が鳴る。
何もかもが湿っていた。
飯は炊かなくてもよかった。これだけは、この雨の中ではありがたかった。
「まだか?」
「まだです」
今度は少し大きな笑い声が起きた。
小さな紙包みが渡される。乾燥味噌。紙まで湿気を吸って柔らかくなっていたが、中身はどうにか無事だった。そこへ乾燥野菜をひとつかみ。縮んでいた野菜が少しずつ膨らんでいく。匂いがした。
「味噌の匂いだ」
それまで周囲にあったのは、濡れた土の臭いだった。腐りかけた葉。泥。黴。汗。濡れた軍服。湿った革。そんなものばかりだった。
そこへ、味噌の匂いが混じった。ほんの少しだった。
「できたぞ」
飯盒の蓋が差し出された。
味噌を節約したから色も薄い。野菜も数えるほどしか浮かんでいない。
美味いか? そう聞かれれば、別に美味くはない。
雨はまだ降っている。
雨に濡れた顔のまま、もう一口啜る。腹が一杯になったわけでもない。そして明日になれば、また腹は減る。戦況が良くなったわけでもなかった。
ただ、その夜。
雨と泥と黴の臭いしかしなかったジャングルの片隅で、ほんのしばらくの間だけ、味噌の匂いがしていた。
「第五十八聯隊より報告」
参謀が紙を読んだ。
「小銃弾、定数の三割以下。軽機弾、二割程度。手榴弾――」
「もういい」
佐藤が止めた。
少ない。少ないという言葉すら多すぎるほど、少ない。
あるものを減らしながら戦っている。これは勇気で埋められるものではなかった。
「来る見込みは」
「……ありません」
「糧秣は」
参謀は答えなかった。
「聞こえんかったか」
ようやく、糧秣担当の将校が手帳を開いた。数字は頭の中に入っている。
「定量なら、十二日です」
「定量なら?」
糧秣担当は黙ったままだった。佐藤幸徳中将は顔を下げた。
地図を見た。
コヒマ。
インパール。
ウクルル。
そして遥か後方にチンドウィン河。
地図の上ならば指一本で辿れる距離だった。
人間が歩けば、そうではない。
「参謀長」
「は」
「もう一度聞く」
「はい」
「今なら、歩けるか」
意味を理解するまで少し時間がかかった。
「……はい」
飯は十二日ある。
弾はない。
ならば、その十二日は戦うための十二日ではない。
帰るための十二日だった。
「下がるぞ」
参謀たちが顔を上げた。
「今なら、まだ歩いて帰れる」
「宮崎を呼べ」
歩兵団長、宮崎繁三郎少将。コヒマまで最も深く食い込んだ部隊を率いた男だった。
「一番難しい仕事を頼む」
宮崎は黙って聞いていた。
「師団は帰る」
「だが、ただ帰れば敵が追ってくる」
「追わせろ」
宮崎が顔を上げた。
「ただし、追いつかせるな」
少しだけ、宮崎の口元が動いた。
「難しいですな」
「だから貴様に頼む」
佐藤は机の隅に置かれていた紙包みを宮崎へ投げた。
宮崎が受け取る。
オニシマイだった。
「持っていけ」
宮崎は包みを見た。
「師団長は」
「ある」
「本当ですか?」
「貴様、上官を疑うのか?」
佐藤の口の端が上向いていた。
宮崎は初めて笑った。
「では、ありがたく」
そして敬礼した。
ここから先は、攻撃ではない。
撤退という名の作戦が始まる。
インパール作戦。
昭和十九年三月、日本陸軍第十五軍はインド東北部への進攻を開始した。
参加兵力、およそ十万。
目標はインパール。
そして北方ではコヒマ。
作戦等については、今さらここで長々と述べる必要もないだろう。
日本陸軍史上、最も有名な作戦の一つである。
悪い意味で。
全ての弾薬・糧秣、はては大砲まで、背負うしかない。
人間が、馬が、牛が、背負って山を越える。
それが途切れた瞬間、前線は死ぬ。
インパール作戦は、最初からそういう戦いだった。
しかし実行に移された。
何のため?
インドへ攻め込む。
英印軍の攻勢に先んじる。
ビルマを守る。
インド独立運動を利用する。
そして――
今さら、やめるとは言えない。
それもまた理由になった。
全ては「陸軍のメンツ」に他ならない。
チンドウィン河に蠢くように届いた時には、大隊の兵員は半数よりはやや多いくらいだった。ジャングルに残された兵らは這うようにして渡河拠点へと来ているはずである。そう思わないとやりきれない。
「所属!」
答える。
「名前!」
答える。
名簿上の線が一本増える。
ただ、それだけの作業だった。
未だ雨が降っている。
雨よけの天幕の下、座り込んでしばらく、ぬっと飯盒と椀
が目の前に出された。
「食え」
中を見る。
「……また、これかよ」
オニシマイだった。隣には薄い味噌汁。たぶん乾燥野菜と乾燥味噌だろう。
「文句言うなら食うな」
「食うよ」
兵は笑った。
汁はぬるかった。しかしそれで十分だった。
「次!」
雨の向こうから声がした。
「所属!」
答える声がする。
「名前!」
また、答える声がした。
ここからは見えないが、鉛筆が一本、名簿に線を引いた。
兵はそれを聞きながら、もう一口、飯を食った。
そして、ぬるい味噌汁を飲んだ。
戦後、オニシマイは残った。もちろん軍需糧秣としてではなく、民間のものとして。
特にアウトドアを趣味とする者、登山家などには静かに広まっていた。尾西食品も民需品としてのアルファー米、会社は舵を切った。生産量としてはかなり低くなった。が、自社の製品に自信を持ち、少しずつ改良を重ね続けた。
五十年が経った。
「オニシマイ? 何です、それ」
「昔のアルファ米の商品名だよ」
「へえ」
軍用食だった記憶が社会から薄れていく。
変化のきっかけとなったのは1995年の阪神・淡路大震災である。
そのころの非常時備蓄食品としては乾パンが典型的なものであった。長期保存でき、調理も水も不要だからである。そして缶詰類・カップ麺。電気・ガス・水道が止まった震災直後には、物はあっても食べにくい。数日経た後に外部から救援物資がやってくる。パン、おにぎり、弁当、缶詰、カップ麺・即席麺などが大量に。
しかし不満があった。非常時だからこそ、日常的に食べるものが食べたい。
つまり「白米」である。
いわゆるパック飯も搬入されたが加温しないと箸がぱきリと折れた。そして救援物資搬入が始まった数日後のことであり、その間でも白米が食べたいという欲求が避難者の間に広まった。
それを贅沢、と一言で片付けていいのだろうか。
人間は非常時だからこそ、昨日までの「普通」を求める。飯を食う。風呂に入る。学校へ行く。電車を走らせる。
広島では原爆投下から三日後、一部区間で市電が動き始めた。
日常に戻ろうとすることもまた、人間が生きるということなのだろう。
アルファー米が日の目を再び見た。
阪神・淡路大震災を契機に自治体などの非常食として備蓄が拡大した。
乾パン中心の「とにかく生存する非常食」から、アルファ米・レトルト・フリーズドライなどを含む「災害時でもなるべく普通の食事をする備蓄食」へと。
そして
2011年3月11日東日本大震災。
十分とは言えないが、阪神・淡路大震災の教訓が生きた。防災備蓄として、市役所・公民館、そして民間の企業にその倉庫を置いた。乾パン、缶詰、カップ麺・即席麺、レトルト食品・パック飯。阪神・淡路大震災の経験からアルファ米が備蓄されていた。
段ボール箱が開けられた。
「アルファ米?」
「水でも戻ります」
「水で飯になるのか?」
「時間は掛かります。でも、なります」
阪神・淡路大震災と比較して、東日本大震災はその及ぼされた影響が広範囲に広がっていた。大都市部に隣接する狭い地域、ならば救援物資の搬入も倒壊した建物があったものの人力でも搬入することができた。しかし東日本は広い、そして町や村が点在している。警察・消防署・自衛隊、様々な地域からの救援が集まり、広かった。備蓄の食料や毛布などは不足しがちであった。しかし、人々は生き続けた。
「こんなの、いつ買ったんだ?」
「備蓄ですよ」
「備蓄?」
「ええ」
担当者は箱を開けながら答えた。
「震災に備えて置いてあったんです」
十六年前。
神戸で足りなかったもの。神戸で困ったこと。神戸で学んだこと。
それらが、段ボール箱になってそこに置かれていた。
人は災害を止めることはできない。
地震がいつ来るのかも分からない。
だが、次に食わせる飯を、先に用意しておくことはできる。
箱が開く。袋が配られる。水が注がれる。そして、待つ。
「まだ?」
「まだ」
子供が袋を覗き込む。
「もう少し」
「どれくらい?」
「もう少しだよ」
どこかで聞いたような会話だった。
もちろん、この場にいる誰も聞いたことなどない。
遥か南のジャングルで、同じような会話が交わされたことなど知るはずもなかった。
ただし今度は、ジャングルではなかった。
戦場でもなかった。
そして何より、
戦うための飯ではなかった。
生きるための糧だった。
さて、
いかがだったでしょうか?
震災というものを絡ませたので,
もしかすると批判があるかな?
とは思いますが、どうしても入れ込みたいことでした。
とりあえず
今回で終章です。
次も
陸軍が中心となるかな?
では
coming Soon ……
え?
待ってない?
(; ;)ホロホロ




