現代の糒 その1(『春の祭典』大地の礼賛)
ごぶさた?
まぁ
前の投稿から考えたら早いかな?
さて、
今回は前回の後書きで言ったように「餓死」を少なくしようとする試みです。
「兵器じゃないやん!」
という言葉は受け付けません ウンウン
副題は僕の個人的好みの曲(初演の時に暴動が……)から…
では
お楽しみください。
『空腹では隣人を愛せない』
(W・ウイルソン 第28代アメリカ合衆国大統領)
◇ ◇
「特飯、出してやれ」
「はっ」
既に一ヶ月以上はその顔にカミソリを当てていないひげ面の古参兵は見事な敬礼をしてその場を離れた。
「おぃっ、許しを得たぞ」
薄暗いジャングルの中で蠢く兵たち。
幾つかの一斗缶が大事そうに運ばれていた。封緘を切る音、周囲の期待の雰囲気。久しぶりに中隊の明るさが戻った。
しばらくして、そう30分くらいはたった頃だろうか。
ぬっと飯盒が差し出された。
「中隊長、検食お願いします」
いつか無くなっていた自分の箸の代わりに、木の枝を使った一膳の箸が添えられていた。
「うん」
白米だ、飯だ、冷たいままなので香りがやや古米よりで、そして飯というには薄いものの胃が鳴くことを感じる。
飯盒の底に、そう、そこにはお椀一杯分くらいの、それでもお粥のようなものではなく白米が存在していた。たぶん兵らの倍はあるのだろう。
箸はその固形物をじわじわとした手つきで捉え、そして口にくわえる。口にはできない声が喉に引っ掛かる。貪りたくなるが、当番兵の目の前で醜態は見せられない。検食でもある。
ゆっくりと口を動かす。
「美味い」
咀嚼を数回、その声が漏れた。薄汚れた当番兵の顔に笑みが浮かんだ。
「大丈夫だ、おまえらも食え」
「はっ」
周囲の空気がより緩む。
「検食終了!」
喜色の輪は次第に広がっていた。
「100万食分?」
「いや、とりあえずの数ですから、将来的にはその100倍は考えてください」
陸軍、しかも身近な大阪糧秣廠ではなく広島の宇品糧秣廠支廠からの依頼に尾西食品研究所(後の「尾西食品」)という大阪の小さな会社は大騒動になった。
社長の尾西敏保は
「なんで海軍でなく、陸軍なんだ?」
と混乱していた。
尾西敏保は徴兵後に海軍の特に潜水艦畑(徴兵以前の蒸気機関車助手という経歴が考慮されたようである)を経て、製薬会社の勤務の後にこれまでの経験を元にこの会社を興した。会社は火も使わず、水を注ぐだけでつきたてのお餅になる「即席餅の素」(現在、幾つかの会社から真空ドライ乾燥ではあるが「浮かし餅」という名称で売られている)等を開発してそれなりに知られつつあるもののホントに小さな会社であった。
古巣の海軍に見本を持って問い合わせると「即席餅の素」は好評を得、糧食の一つとして採用された。そして尾西が最初から狙っていた潜水艦の厨房からは
「艦内でご飯を炊きたいが、万一の場合に備えて火を使わずに食べられるご飯を開発してほしい」
という要請が届く。
潜水艦勤務の中で、一番の満足・不満はその食事である。尾西は自分の経験の中でよく分かっていた。少しでも良いもの、美味しいものを食べたくても、水中行動中・戦闘行動中には我慢を強いられる。厨房の「火」も入れられない。(この場合は蒸気や電気利用の「釜」を示す)
ならば…
「火」を使わない食事が必要である。
洗わず、煮炊きせず、水を注ぐだけで米飯に戻り、軽量で保存性に優れたもの。
それを受けてこの会社はあるものを開発する。
「オニシマイ」
現在では「アルファー米(正確にはアルファー化米であろうか)」と言われているものである。
社長の尾西は拘った。
未だ試作が続く中でなんとか「使えるモノ」ができたばかりであったにもかかわらず陸軍からの依頼が来た。自分の「領域」であった海軍、しかも潜水艦での食事事情改善のためのものであればその流れは理解できる。既に期待を込めて発注されている。しかし陸軍の糧秣廠(既に大阪糧秣支廠とは「即席餅の素」の納入もあって関係があったものの)、しかも別の方…これまでの人脈の中では異例の「跳び」であった。
「分かりました。ただ……」
単純に「できる」と「量産する」には幅がありすぎる。
その返答に陸軍はその幅広い人脈を使った。
(陸軍は海軍と比較して、自己完結的な研究・開発よりも民間(大学等を含む)を巻き込む形での研究を進めていた)
尾西食品研究所の小さな応接室に迎えたのは大阪大学産業科学研究所の二国博士。
「センセを迎えるには、大したこともできずに……」
「そんなことより、大したもんだ、この会社」
出された茶碗を片手に二国博士は鷹揚に応えた。
「この「オニシマイ」が学理に即した食品であることは事前の調査で判断している。が、それ以上に会社自体が分かっていることがしっかりしている。そして足らないことも分かっている」
説明と見学がが終わった感想として、そう、教え子の学生に言うような感じで社長を中心とした開発陣に伝えた。
「新しい工場は2カ所だったね。しばらく時間をもらうよ、確かめたいことが多い。今すぐでもいくつか手順を変えたり付け加えたいことがある」
「はぁ、あんじょう頼みます」
「尾西社長、化けるよ、この会社」
「は、はぁ」
陸軍からの補助と後押しもあって関西に新たな工場を設置する。二国博士の協力のもとに量産体制は改善され、そして「味も良くなった」
昭和15年春のことである。
オニシマイの「手本」となったのは、日本古来からある「糒」である。
「乾飯」「餉」とも呼ばれる。
『その澤のほとりの木の蔭に下りゐて、乾飯食ひけり。…(中略)…皆人、乾飯のうえに涙おとしてほとびにけり』
(伊勢物語 第九段「東下り」)
(もしかして涙の塩味……)
は、「かきつばた」でたぶんかなり有名な部分であるが、もう少し時間的に遡ると
『常知らぬ道の長手をくれくれといかにか行かむ糧はなしに』
(万葉集第五巻八八八番歌 山上憶良)
の「糧」は「乾飯」のことだという解釈が万葉集学者では一般的である。
この「乾飯」は旅のための必需品として奈良時代(もしかするともっと以前より)から使われたものであり、天日を利用することを別にすれば、現在の「アルファー化米」とほぼ同等のものである。そして歴史は旅人だけでなく、戦国時代の兵糧…そして日露戦争時まで使われている。(現在でも残っているのは桜餅でも有名な「道明寺粉」)
その年から本社を併せ、「オニシマイ」は初年度6,000トン、そして9,600トン(一億食分)をオーバーし、最終的には九州や関東、北陸等での新設工場・協力会社によって昭和19年には220,000トンを生産することとなる。
オニシマイは
・個食用の二合(紙包装・ボール紙箱に60食を詰めて出荷)
・一斗缶(10升・50食分)
・半斗缶(5升・25食分)
の生産を中心とした。そして
・ゴム袋(実は「突撃一番」の製造を流用)入り一升
(ちなみにかのオカモトの前身である「理研護謨工業」が製造)
は、ガ島攻防戦の中で開発された。
通常の補給では一斗缶や半斗缶を中心としていたが、敵勢力下の所謂「ネズミ輸送」においては駆逐艦や潜水艦からドラム缶を沖より流し、その先端をロープによって陸に揚げる方法が採られていた。一斗缶などではドラム缶に入れる量に「隙間」か生じがちであったがこのゴム袋入りの「オニシマイ」は隙間なく詰めるとができる。しかもゴム袋であるので湿気に強い。ドラム缶には生米も入れられていたが、中途半端に火を炊くことができない場所ではオニシマイは喜ばれた。
「赤飯ですか?」
「えぇ、兵らからの意見ですが、正月や紀元節(現、憲法記念日)、陸軍記念日(3月10日)など特別な日に欲しいと…」
「確かに兵隊さんには喜ばれるでしょうね」
「現在、オニシマイは白米だけです。それだけでもどれだけ前線の兵らの励みになっているか…」
「ありがとうございます、それだけでも社員皆の励みになります」
「海軍出身の尾西社長はご存じないでしょうが、陸軍では兵一人に一日六合の白米と副食などを与えることとなっています。オニシマイによって六合までは無理にしても最前線の兵站を最低限維持できるようになりました。が、副食は…」
「あ、確かにそうですな」
「お願いなのは、赤飯だけではありません。炊き込みご飯、混ぜ飯、鶏飯……いろいろと言葉はありますが、そんなものはできませんか?」
その後、赤飯や炊き込み判ご飯、カレー飯(カレーピラフのゆるゆる版)
日本陸軍の場合、尋常糧秣1日分において、
精米(640g、4合5勺)、精麦(200g、1合6勺)、魚・肉類(150g、40匁)、食塩(12g、3匁)、醤油エキス(20g、5匁)、野菜類・漬物類・調味品(若干)である。合計で約3,800kcal(≒15,900kJ)に相当した。
美味い不味いは関係ない。
というより美味い不味いはそれぞれの部隊(連隊規模となる)に任せられる。内地や外地であっても拠点という場所では、それぞれにその分量に応じて材料を外注(地元の業者)され、部隊内の厨房で調理される。(このあたりは「めしあげ!」というマンガに詳しい)その場を仕切る厨房長の腕に関わる。
ある連隊で
「残飯が多すぎる」
という話題が出た。調べてみるとすぐに分かった。
『不味い』
のだ。
毎日の行動の中で飢えているはずの初年兵でさえ残す。
小隊長・中隊長たる中間管理職は別(自弁ではあるが…)にして、上司たる連隊長や参謀職は別メニュー(自弁であり、自分の給料から差し引かれる)でありそのことを知らなかった。
研食をして、納得した。
ならば…
ステキなことに、上が動いた。
『美味しくしろ』
名のあるホテルや料理屋のコックが招かれた。
同じ食材であっても、作業手順や香辛料・調味料等、工夫次第でどうにかなる。
当然、残飯は減った。
その後、陸軍糧秣廠は『美味しさ』にも拘りを見せる。
部隊内ではなく、前線でも『美味しさ』が必要。
「赤飯かぁ…」
「炊き込みご飯ねぇ…」
社長を中心とした開発陣は、ブツブツと呟きながらもその工程の乾燥温度と風力を測っていた。
「普段と同じおいしいもの」
そのために古米風味のアルファー米からその原因となる「米油」を取るために開発陣は駆使された。次には炊き込みご飯となるために油脂類を加える…かなりの難問であった。炊き込みご飯とカレー飯、油脂分は乾燥できない。
油脂類は古くなると匂いをまき散らす
「後から付け加えるならば簡単だけれど…」
二国博士も困惑した。
オニシマイの賞味期限は基本的に3年(現在では5年を期限としているようだ。もちろん食べられないことはない)とされていた。試作の炊き込みご飯はせいぜいが一年、下手すると半年で匂いを撒く(再度言うが、現在では工程の改善によって5年程度は大丈夫)。
その頃オニシマイを作っている工程の中での「温風乾燥」(「蒸気乾燥」的な部分を含む)の中では、それが限界であった。
もちろん赤飯は餅米と小豆との混合物である(既に会社は乾燥餅の実績もある、というより会社初期の主力品である)のでなんとかできた。賞味期限も3年を保てた。(再三言うが現在は5年)
「ならば…」
二国博士はきっぱりと言う。
「割り切れば良い」
こうして、炊き込みご飯とカレー飯のオニシマイは大阪の工場だけで作られる賞味期限が限定される特別な糧食となった。
いかがでしたか?
尾西食品様
すみませんでした ペコペコ
2~3年
オニシマイを早めました。
創業者の尾西社長の写真を別ウィンドウで見ながら、
この人ってどんな言葉を発するだろう?
って考えながらこの文章を描いてます。
イメージ(泣笑)
です。
すみません。
もしもこの読者の中で会社関係の方がいらっしゃったら、申し訳ありません。
さて続きは…
少しでも「餓死」を減らしたいと思ってます。
もちろん、もっと「美味しく」
ではでは




