第6話 アシュリーア
「どんな方法なのですか?」
レインの言葉を聞き、魔王の瞳がわずかに揺れた。
レインはすぐには説明しなかった。手の中の毒ジャガイモを軽く放り上げながら、わざと意味ありげに笑う。
「その方法なんだけどな。俺一人じゃどうにもならない。魔王陛下にも、直々に協力してもらう必要がある」
魔王は迷うことなくうなずいた。
「食糧問題を解決する方法が見つかるのであれば、どのような要求でも受け入れます」
柔らかな声だった。
だが、その言葉には揺るぎない決意が込められている。
日々、民が飢えに苦しむ姿を見続けてきた王にとって、協力する程度のことなど何でもなかった。
たとえレインに刃を首元へ突きつけられようとも、千年にわたって魔族を苦しめてきた食糧問題が解決できるのなら、眉一つ動かさなかっただろう。
レインは指を鳴らした。
「よし。今すぐ始めよう」
手の中の毒ジャガイモを見つめながら、レインの脳裏に、かつての人々が生み出した知恵が浮かぶ。
灰汁を使った煮沸処理だ。
レインの指示に従い、荒れ地から大量の枯れ草と低木の枝が集められた。
「まずは、この葉と枝を全部燃やして灰にする。中途半端じゃ駄目だ。余計なものが残らないよう、完全に焼き切ってくれ」
レインは地面に積まれた草木を指差し、指示を出した。
魔王本人に火を起こさせ、料理をさせる。
メフィストがこの光景を見れば、驚きのあまり言葉を失ったに違いない。
だが魔王は、少しもためらわなかった。
積み上げられた草木へ指先を向ける。
「ふっ……!」
青白い炎が、一瞬で草木を包み込んだ。
わずか数秒後、炎は静かに消える。
枯れ葉も枝も跡形なく焼かれ、そこにはきめ細かな灰白色の粉だけが、小さな山となって残されていた。
何だ、この燃焼効率……!
この子を化学工場か焼却施設で働かせたら、間違いなく天職だぞ。
魔法、便利すぎるだろ!
「これが草木灰だ」
内心の驚きを押し殺し、レインは指示を続けた。
「次は、この灰をきれいな水と混ぜる」
魔王は地面の灰を見下ろし、それからレインの手にある毒根茎へ視線を移した。
「燃え残った灰を水と混ぜるのですか? それが食べ物の調理と、どのように関係するのでしょう」
魔王の認識では、灰は汚れたものであり、死を象徴するものでもあった。
それを食べ物と結びつけるなど、彼女の常識からは大きく外れている。
「言われたとおりにやってくれ。これは、凡人にしかできない錬金術だ」
疑問を抱きながらも、魔王は素直に従った。
片手を上げると、澄み切った水球が空中に生まれる。
続いて、地面にあった草木灰が魔力に引かれ、すべて水球の中へ吸い込まれていった。
水球は空中でゆっくりと回転し、やがて濁った灰黒色の液体へ変わる。
「いいぞ。今度はそれを沸騰させるまで熱して、そのあと冷やす。最後に、底へ沈んだ灰の残りを取り除いて、液体だけを残してくれ」
説明しながら、レインは心の中で感嘆していた。
人間社会で同じことをしようとすれば、煮沸し、沈殿させ、濾過するまで、少なくとも数時間はかかる。
だが魔王の精密な魔力操作にかかれば、空中の水球は瞬く間に沸騰し、白い蒸気を噴き上げた。
直後には急速に冷やされる。
濁った灰は魔力に従うように沈殿し、分離し、最後には水球の外へ完全に取り除かれた。
最終的に魔王の掌の上へ残ったのは、黄褐色を帯びた、透き通る液体だった。
「完成だ!」
レインは興奮して身を乗り出した。
「これが灰汁だ。アルカリ性の液体になる」
草木灰には、大量の炭酸カリウムが含まれている。
それが水に溶ければ、天然のアルカリ水となる。
一方、野生のジャガイモに含まれ、人を中毒させるソラニンは、配糖体アルカロイドの一種だ。
高温かつアルカリ性の環境に長時間さらせば、その構造は壊れ、加水分解され、毒性を失っていく。
これこそ、化学の力だった。
「次が最後の工程だ」
レインは手にしていた毒ジャガイモを差し出した。
「魔王陛下、魔法で皮を剥いてくれ。毒の大半は表皮の近くに集中している。皮を剥いたら、できるだけ薄く切って、この沸騰した灰汁の中へ入れるんだ」
言い終えた瞬間、魔王の瞳に青い光が走った。
シュシュシュッ!
鋭い風切り音が、立て続けに響く。
レインには、何が起きたのかすら見えなかった。
毒ジャガイモは空中で目に見えない風の刃により完璧に皮を剥かれ、そのまま羽のように薄く、向こう側が透けて見えるほどの薄片へ変わっていく。
薄片は、再び沸騰し始めた灰汁の水球へ次々と落ちていった。
「すげえ……」
レインは思わず唾を飲み込み、小さく呟いた。
この包丁さばきなら、最高級の料理人にならないほうがもったいない。
沸騰する液体の中で薄片が踊る様子を眺め、レインは長く息を吐いた。
「これで作業は終わりだ。あとは数時間、高温を保ったまま煮続ければいい。アルカリ水が中の毒を完全に壊してくれる」
「そのあと取り出して、きれいな水で洗えば、この吐き気を催す毒ジャガイモも、柔らかくて腹持ちのいい食べ物になる」
説明を聞き終えた魔王は、空中で沸騰する水球をじっと見つめた。
薄黄色の液体の中で、内臓を傷つける何かが、不思議な法則に従って崩れていくのを感じ取っていた。
数時間も待つ必要はない。
一刻も早く確かめたい魔王にとっては、たとえ一分であっても、あまりにも長く感じられた。
魔王は指を伸ばし、魔力で沸騰する液体の中から、少しだけ火の通った一枚を取り出した。
「それなら、先に私が確かめます」
そう言って、ジャガイモの薄片を口元へ運ぶ。
「待て待て待て! ちょっと待て!」
レインは慌てて手を伸ばした。
「数時間は煮ろって言っただろ! まだ全然足りない。毒が残ってるかもしれないんだぞ。冗談で済む話じゃない!」
だが、レインの手はわずかに遅かった。
制止する彼へ、魔王は落ち着いた声で答える。
「私の身体なら、多少口にしても問題ありません」
そのまま薄片を口へ入れ、ゆっくりと噛み始めた。
魔王は丁寧に咀嚼しながら、瞳をわずかに揺らしている。
しばらくして、薄片を飲み込んだ。
緊張と呆れが入り混じったレインの視線を受けながら、魔王は感想を口にする。
「少し苦みが残っています。それに、まだ火も十分には通っていません」
レインの胸が、どくりと鳴った。
毒抜きに失敗したのかと思った、そのときだった。
魔王は言葉を続ける。
「ですが……口や喉に焼けつくような感覚はありません」
「本来なら食べたあとに起こる腹痛や痙攣も、まったく感じません」
魔王は空中の灰汁と、そこに浮かぶ薄片を見つめた。
「灰と水だけを使った、これほど簡単な方法で……本当に毒が消えたのですね」
山野のいたるところに生えている毒根茎が、目の前の人間による、わずか数段階の奇妙な作業によって、腹を満たせる食糧へ変わった。
それが何を意味するのか。
魔族はもう、幼い子供たちが荒野で飢え死にしていく姿を、ただ見ている必要がなくなるのだ。
強い風が荒れ地を吹き抜け、魔王の黒い長衣と銀白色の髪を揺らした。
彼女は、目の前に立つ人間を見つめる。
衣服はぼろぼろで、全身は泥にまみれ、魔力など一欠片も持っていない。
勇者に見捨てられ、馬小屋へ放置された狂人。
その男が、彼女の知らない知識を用い、千年以上も魔族を苦しめてきた絶望の呪いを、あまりにも簡単に打ち砕いた。
魔王は半歩後ろへ下がった。
その表情が、厳かで真剣なものへ変わる。
そして深く頭を下げた。
「お力添えに、心より感謝いたします。大賢者」
風の中、白髪の少女は顔を上げた。
レインへ小さな手を差し出し、誠実で厳粛な声で名乗る。
「私の名は、アシュリーアです」
その名前を聞き、レインはわずかに目を見開いた。
魔王が、偽りのない本当の名を、一人の人間へ預けた。
宙に差し出された小さな手を見つめ、レインはしばらく黙っていた。
やがて、それまで見せていた気だるさも、抜け目のない打算的な態度も消え去る。
レインは背筋を伸ばし、顔を上げた。
その眼差しが鋭く引き締まる。
右手を差し出し、魔王の手を力強く握った。
「俺は、レインだ」




