第5話 希望
レインは飲み込みづらい灰褐色のスープを手にしたまま、目の前の白髪の少女を見つめていた。
何だ、これは。
この柔らかそうな小娘が、青い顔に牙を生やし、人肉を生で喰らい、その名を聞いただけで帝国の子供すら泣きやむと噂される、今代の魔王だというのか?
人間の教会に属する情報機関は、揃いも揃って節穴なのか。
それとも、わざと魔王を怪物として描いているのか。
レインの無遠慮な視線を受けても、白髪の少女は特に気にした様子を見せなかった。
木製の盆を持ったまま、自然な動作でレインの向かい側の長椅子へ腰を下ろす。
「こほん」
そばにいたメフィストが姿勢を正した。
砂時計へ目を向けると、軽く身をかがめる。
「魔王陛下。大賢者殿も到着されましたので、私はこれで失礼いたします。暗影山脈の外縁で、強欲な亜人商隊がまた騒ぎを起こしておりまして」
「人間側が商路を封鎖したことにつけ込み、粗塩と質の悪い古麦の取引価格を、さらに三割も引き上げてきました」
そこまで話すと、普段は余裕を崩さない万象魔主も、さすがに眉をひそめた。
「分かりました」
魔王は小さくうなずく。
「できる限り彼らをなだめ、争いは避けてください。冬を迎えた今、前線の兵士たちに塩を欠かすわけにはいきません」
「御意」
メフィストは再び右手を胸へ当て、礼をする。
立ち去る直前、何かを含んだ目でレインを一瞥すると、そのまま身を翻し、足早に食堂を出ていった。
メフィストが去ると、辺りには静寂だけが残った。
魔王は木の匙を手に取り、少しずつスープを口へ運んでいる。
レインは黙ってその姿を眺めていた。
残酷で冷血な魔王という想像と、目の前で慎重にスープを飲んでいる小柄な少女。
あまりにもかけ離れた現実を前に、何を言えばいいのか分からなかった。
粗末な食事は、ほどなくしてすべてなくなった。
魔王は木の匙を置き、色の抜けた麻のハンカチで口元を拭った。
そして窓の外へ顔を向ける。
「大賢者。あの窓の向こうに、何が見えますか?」
静かな声で尋ねられ、レインもその視線を追った。
先ほど泣き叫んでいた魔族の少女を思い出し、低い声で答える。
「不毛な土地だ」
「それだけではありません」
魔王は訂正した。
暗赤色の瞳に、空が映り込んでいる。
「苦しみもあります」
少し間を置いた。
声音は穏やかなままだが、その奥には押し殺した感情がにじんでいる。
「この大地は痩せています。荒れ狂う魔力のせいで、草一本まともに育たないからです」
「ですが同時に、ここは世界で最も豊かな土地でもあります」
「この暗赤色の土の下には、大陸でもっとも純度が高く、巨大な魔晶鉱脈が眠っています」
魔晶鉱脈。
その言葉を聞き、レインの瞳孔がわずかに縮んだ。
人間社会において、魔晶は確かな価値を持つ財産だ。
魔法陣を動かし、魔法武器を鋳造し、上流貴族が地位を誇示するための高級品にも使われる。
爪ほどの大きさしかない純度の高い魔晶でも、平民の一家が一生遊んで暮らせるほどの価値がある。
「ですが、皮肉な話でしょう?」
魔王は自嘲するように目を伏せた。
「生まれながらに魔力炉を持つ魔族にとって、魔晶など道端の石と何も変わりません。腹を満たすことすらできないのですから」
「それでも、人間はそれをひどく欲しがります」
「強欲な人間たちは地下の富を狙っています。しかし、魔族の強大な戦力を恐れ、全面戦争には踏み切れない」
「そこで教会と手を組み、神々の名のもとに異端を討つという偽りの大義を掲げました」
「商路を封鎖し、食料の供給を断ち、長い飢えによって少しずつ魔族の血を枯らそうとしているのです」
身に余る宝を持つ者は、それだけで罪に問われる。
レインは、この種族間戦争の根底にある理屈を理解した。
聖戦も、光と闇の対立も、すべて建前にすぎない。
正体は、宗教の衣をかぶった資源の奪い合いだ。
「それなら、種族全体で移住すればいいんじゃないか?」
レインは思わず尋ねた。
「魔族は一人ひとりが強い。魔晶はなくても農業に向いた人間領の平原を一つ奪うくらい、難しくないだろ」
魔王は顔を向け、じっとレインを見つめた。
長い沈黙のあと、ようやく小さな声で答える。
「ここが、魔族の故郷だからです」
「私たちの祖先はこの地に生まれ、今もこの大地の下で眠っています」
故郷。
レインは黙り込んだ。
生まれ故郷である地球へ二度と帰れない転移者だからこそ、その言葉の重さは誰よりも理解できた。
二人は無言で盆を片づけた。
やがて魔王が立ち上がり、提案する。
「話を聞くだけでは分からないこともあります。大賢者、実際にこの大地を近くで見てみませんか?」
食事を終えたあと、魔王はレインを連れ、黒石の宮殿を出た。
レインが本当の意味で魔族の土地へ足を踏み入れるのは、これが初めてだった。
地面を踏んだ瞬間、足元の土から脈動のようなものが伝わってくる気がした。
まるで、この大地そのものが生きているようだった。
レインは開けた場所まで進むと、その場へしゃがみ込んだ。
手を土の中へ差し入れ、黒みを帯びた暗赤色の土をひとつかみすくい上げる。
指先で擦り、粒の細かさと湿り気を確かめる。
それから鼻先へ近づけ、匂いを嗅いだ。
「黒土か……もったいないな」
手についた土を払いながら、レインは惜しむように呟いた。
これほど肥沃な土壌が、魔力に満ちすぎているせいで、作物の育たない死の大地へ変わっている。
あまりにも惜しい話だった。
魔王はレインの顔に浮かんだ表情へ気づいた。
それでも邪魔はせず、そばに静かに立ったまま言う。
「自由に見て回ってください」
レインは立ち上がり、荒れ地を見渡した。
そして、先ほど魔族の少女が地面を掘っていた場所へ、まっすぐ歩いていく。
掘られた穴はまだ残っていた。
その場へしゃがみ、辺りを探し回る。
やがて少し離れた場所で、少年に叩き落とされ、そのまま捨てられていたものを見つけた。
表面には粗い瘤が浮かび、不気味な紫と緑の斑点が広がっている。
指ほどの大きさしかない、ねじ曲がった根茎だった。
レインはそれを手に取り、何度も裏返しながら観察した。
次第に眉間へ皺が寄っていく。
魔王もそばまで歩み寄った。
レインが手にしているものを見て、注意を促す。
「それは呪われた毒草です。魔界の荒れ地には、いたるところに生えています」
「口にすれば腹痛や嘔吐を引き起こし、ひどい場合は喉が痙攣します。餓死寸前でもない限り、誰にも食べることは勧められません」
その説明を聞いた瞬間、レインの頭の中で思考が激しく巡った。
小さく歪んだそれを、何度も見直す。
やがて口元が、ゆっくりと持ち上がった。
どう見ても、これは呪われた毒草などではない。
まだ一度も人の手で品種改良されていない、野生のジャガイモだ。
考えてみれば当然だった。
魔界のような特殊な土地でも、しぶとく根を張って育てる植物を挙げるなら、ジャガイモは間違いなく有力候補の一つだ。
原始的な野生のジャガイモには、もともと非常に多くのソラニンが含まれている。
古代の先住民たちが、何千年もの歳月をかけ、世代を重ねて選別し、毒を減らし、栽培化してきた。
その結果、ジャガイモは丸く、黄金色で、毒の少ない高収量の主食作物になったのだ。
そして魔界の大地には、その最も原始的で、毒を含んだ荒々しい姿が、そのまま残されていた。
毒があるか。
もちろん、ある。
だがレインは、物理的な処理によってソラニンの毒性を除去し、あるいは大幅に弱める方法をいくつも知っている。
毒草を手にしたまま、レインの目が輝き始めた。
その様子を見て、魔王は不思議そうに首を傾げる。
「それに……何か特別な価値があるのですか?」
レインは立ち上がった。
そして、自分より頭一つ分ほど小さな魔界の君主へ向き直る。
「魔王陛下」
手の中で、歪んだ毒ジャガイモを軽く転がす。
「俺……飢えを解決する方法を見つけたかもしれない」




