第6話 ゼロと、その前
消えたものを探す人間だけが、たどり着く店がある。
仁が掘り起こすのは、自分で埋めた三年前だ。
「こわいか、って?」
仁は壊れた箱の残骸を爪先で寄せながら言った。
「こわいのはお前じゃない。お前をこわがれない自分のほうだ」
リアはその答えを噛みしめ、しばらく黙っていた。それから、ふっと息を吐いて立ち上がり、ジャンパーの裾を払った。
「じゃあ、行こう」
「どこへ」
「あなたがわたしを思い出せる場所」
仁には心当たりが一つだけあった。
*
第三階層のいちばん底。配管と下水と忘れられた店ばかりが並ぶ一角に「クズ屋」があった。
看板はない。錆びた暖簾の向こうに古い端末の残骸が山みたいに積まれている。壊れた記録媒体、焼けた神経素子、行き場をなくしたデータの墓場だ。その番人をみんな、クロと呼んだ。
この街にはこういう場所がいくつかある。世界OSの目がうまく届かない、死角。上書きの網からこぼれ落ちた、小さな吹きだまり。まっとうな人間は近寄らない。近寄るのは消えたなにかを探している人間だけだ。消えた恋人。消えた借金。消えた、自分の過去。──仁は後者を探しに来た。
「おや。ゼロの坊主か」
暖簾をくぐるとしわがれた声がした。奥の椅子に痩せた老人が座っている。片目に古い型の記録レンズを嵌めていた。もとは統治局の回収屋だったという。抱えすぎて壊れる前に逃げ出した男だ。今は世界がこぼした「消された者たちのかけら」を――この街の言葉で形見を――拾い、繋いで、細々と食っている。消される前に、誰かが小さな物へ遺した、ひとかけの記憶。それを売り買いする、うしろめたい商いだ。
「珍しいな。お前が自分から降りてくるとは」
「訊きたいことがある」
「金は」
「ない」
「はっはっ。相変わらずだ」クロは笑って咳き込んだ。「まあいい。──でそっちの嬢ちゃんは誰だ」
クロの片目のレンズがリアを捉えた瞬間。
その笑いが止まった。
老人はゆっくりと立ち上がり、レンズを外して、また嵌め直した。何度も瞬きをする。信じられない、というふうに。
「……おい。坊主。この子はどこで拾った」
「路地裏だ。統治局が消せと言ってきた。だが消せなかった」
「消せない、だと」
クロはリアの前に膝をついた。皺だらけの手が震え、触れる寸前で止まる。触れたら消えてしまうとでもいうように。
「READ-ONLY、か。……本物のオリジナルだ。こいつは書き換えられる前のこの世界の元のかけらだよ。今のシステムにこんなもんはもう残ってないはずだ」
クロの声が、震えた。
「形見なんてもんじゃない。……生きた形見だ。街の連中が硬貨や瓶の蓋に、記憶をひとかけ遺すだろう。あれの、桁ちがいのやつさ。世界そのものの、いちばん最初の記憶を、まるごと宿してる。──だから世界は、こいつだけは、どうやっても書き換えられん」
「元のかけら」
「世界OSはな、坊主。何度も自分を上書きしてきた。都合のわるい過去を消して、辻褄を合わせて、今のかたちになった。だが最初のデータってのは、理屈の上じゃどこかに残ってる。誰も消しきれなかったぶんがな」
クロはリアを見上げた。声がかすれていた。
「それがこの子だ。世界がいちばん消したがってる、いちばん古い本当のことだよ」
クロはそこで、声を落とした。
「……もっとも。世界が消しこぼしたもんは、この子だけとも限らん。本物のかけらってのは、一箇所にゃ留まらねえ。あちこちの吹きだまりの底へ、こぼれて沈む。……この街の、いちばん低いとこにな」
仁は、その呟きを聞き流した。このときは、まだ。
仁はリアを見た。リアは俯いて、自分のつま先を見ていた。
「……なあ、クロ」仁は乾いた喉で訊いた。「元のかけらってのはつまり、なんだ。この子が消えたら、どうなる」
「さあな」老人は肩をすくめた。「ただ――この子を消せば、なにが本当だったか、もう誰にもわからなくなる。逆に、いちばん下から引っぱり出せたなら」
クロはそこで言葉を切った。ひび割れた唇の端を、ゆっくりと持ち上げる。
「重ねた嘘が、めくれるかもしれん。統治局がいちばん恐れてるのは、たぶんそっちだ」
リアはなにも言わなかった。ただ、その言葉を自分のことなのに他人の話みたいに静かに聞いていた。
「クロ」仁は言った。「三年前の冬の記録を探してくれ。俺が命令を一度だけ無視したことがある。あのとき、俺が消さなかった相手が誰だったのか」
クロの手が止まった。
「……坊主。それを掘るのか」
「掘る」
「戻れなくなるぞ」
「もう戻れてない」
老人はしばらく仁を見つめて、それから深いため息をついた。がらくたの山に手を突っ込み、焼けた記録媒体を一つ、引き抜く。片目のレンズに繋いでなにか呪文みたいな操作を指で刻んだ。
空中にノイズだらけの古い記録の窓が開く。
ざ、ざと砂嵐が走り、その隙間から断片が切れ切れに浮かんだ。
《実行番号――〇〇一》
《三年前 冬》
《対象:リア》
《執行者:ゼロ》
そこまでは読めた。
仁の喉が鳴った。対象、リア。執行者、ゼロ。三年前。──全部、揃っている。認めたくない順番で。
「もう一行、ある」クロがレンズを覗いて、呻いた。「坊主、これは……」
砂嵐の向こうに最後の一行がゆっくりと浮かび上がった。
《処理結果――中断》
中断。
仁は消さなかった。三年前、この子を消せと言われて――途中で手を止めたのだ。
そして、その罰に母の声とこの子の記憶をまとめて、奪われた。
「……思い出したか」クロが静かに訊いた。
仁は首を横に振った。思い出せない。記録はそこにある。事実は目の前にある。なのに心のその部分だけが四角く空いたままだ。奪われた穴は記録を見せられても埋まらない。
リアが仁の袖をそっと握った。
「思い出さなくてもいいよ」
小さな声だった。
「わたしが覚えてるから。──二人ぶん、わたしが」
その手があんまりあたたかかったから。仁はこの三年、自分がずっとなにか大事なものを消したのではなく、預けていたのだと――そんな気がして。
砂嵐の記録がふっと途切れた。
同時にクロの片目のレンズに見慣れない、深紅の警告が走った。
「――坊主。逃げろ」
老人の声が裏返っていた。
「上がこの記録にアクセスした。今、こっちを見てる。……お前らをじゃない。この記録そのものを消しに来る。もっと上のいちばん上のあいつが」
読んでくれてありがとう。
三年前、仁はこの子を消さなかった。その罰に、母の声ごと奪われた。――いちばん上の"あいつ"が、記録を消しに来る。




