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島を守るために

 森を切り開いて造られた広場には、低いざわめきが満ちていた。

 島のほぼ中央にあるこの場所は、祭りの日なら歌や踊りで夜まで賑わう。だが今夜は、笑い声よりも囁き声のほうが多かった。

 アリが島を去ってから4日。

 彼の存在と「ゲリラ」の噂は、一度は島中を駆け巡った。今は少し落ち着いたように見えるが、火種そのものが消えたわけではない。

 踏み固められた地面には、老人も子どもも集まっていた。色あせたランタンがいくつも吊るされ、村の女たちは肩を寄せ合い、男たちは腕を組んで立っている。

「何の話だ?」

「やっぱり、あのホジャンの男のことじゃないか?」

 そんな小声が、あちこちで交わされていた。

 広場の中央には簡素な演台が置かれている。その後ろの高台には、ディオ、ヘルマン、アンダル、ファジャルが腰を下ろしていた。

 ディオの背後には、グリフが立っている。

 まだ23歳。

 島の古老たちの中に混じるには若すぎたが、その顔には、年齢に似合わない緊張が浮かんでいた。

 ――トニーさんは、もう首都へ向かったころか。

 グリフは演台を見つめながら考えた。

 同行を申し出たが、断られた。

『政治のやり方は繊細だ。若さと正義感は、ときに邪魔になる』

 トニーはそう言った。

 理屈では理解している。

 だが、グリフの胸にはまだ引っかかるものが残っていた。

 ――俺の案は、おまけ扱いか。

 自分でも、危うい考えだとは分かっていた。それでも、何か手を打たなければ、この島が飲み込まれるかもしれない。

 そして、その中には父もいる。

 グリフは誰にも見えない位置で、静かに拳を握った。

「そろそろ始めようか」

 ファジャルが立ち上がった。

 漁で鍛えた声が、広場の端までよく通る。

「今日は大事な話があって集まってもらった。まずディオから説明がある。悪いが、少し静かに聞いてくれ」

 ざわついていた人々が、少しずつ口を閉じていく。

 グリフはその様子を見ていた。

 やはりファジャルには、人を振り向かせる力がある。

 祭りでもいつも進行役を務めてきた。声を張るだけで、自然と皆がこちらを見る。

「ディオ、頼む」

「ん?」

 呼ばれた本人は、隣のヘルマンと小声で何か話していた。

「お前の番だ」

「ああ、そうか」

 ディオが慌てて立ち上がる。

 広場から笑いが漏れた。

「ディオだ」

 一応、胸を張る。

「……忘れてるかもしれんが、この島の村長をやってる」

「知ってるよ!」

 後ろから声が飛んだ。

「たまには仕事しろ!」

「してるだろ!」

 さらに笑いが起きた。

 ディオも笑ったが、やがて表情を戻した。

「まあ、今日はその仕事の話だ」

 声の調子が変わる。

「みんなに伝えておかなきゃならんことがある」

 広場が静かになった。

「どうやら、ゲリラがこの島に訓練所を作ろうとしているらしい」

 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、広場が大きく波立った。

「ゲリラ?」

「本当なのか!」

「この島に?」

 ざわめきが一気に広がる。

 恐怖だけではない。

 戸惑い、好奇心、半信半疑の顔。

「訓練所が来たら金を使うんじゃないか」

 そんな声も混じった。

「馬鹿言うな。去年のバリみたいなことになったらどうする」

「政府が軍を送ってくるぞ」

 声が重なり合い、広場は再び騒がしくなった。

 ディオはすぐには止めなかった。

 皆が言いたいことを吐き出すのを、しばらく待った。

 やがて声が少し落ち着いたところで、片手を上げる。

「まだ決まったわけじゃない」

 ざわめきが弱まる。

「この話は、ホジャン島から来たアリという男から聞いた。確かな情報だと言い切ることはできん」

 何人かが顔を見合わせる。

「だが、嘘だと決めつけることもできない」

 ディオはゆっくり言った。

「今のところ、ルンザットは候補の一つだ」

 その言葉に、何人かが息を吐いた。

 だが、ディオは続ける。

「それと、もう一つ」

 広場を見回した。

「もしゲリラに協力したと政府から見なされれば、支援が止まる可能性がある」

 空気がまた変わった。

「場合によっては、島から立ち退けと言われることだってあり得る」

 今度は、さっきのような大きなざわめきは起きなかった。

 誰もが、自分の家や畑、船を思い浮かべているようだった。

 ディオは少し間を取った。

「俺たちの見立てでは、ゲリラ側の人間が近いうちに島を見に来る」

「いつだ?」

 誰かが声を上げた。

「分からん」

 ディオは正直に答えた。

「次の定期船かもしれん。次の次かもしれん。3回先まで見ておいたほうがいいと思ってる」

「どんな奴なんだ?」

「それも分からん」

「分からんことばかりじゃないか」

 小さな笑いが起きた。

「そうなんだよ」

 ディオも苦笑した。

「だから面倒なんだ」

 少し場が和らぐ。

「調査に来る奴は、ゲリラだなんて名札をつけて来ない。商売人かもしれんし、観光客かもしれん」

 ディオは指先で演台を軽く叩いた。

「だから俺たちは、誰が見ても『この島は面倒だ』と思うようにしておきたい」

「面倒?」

「簡単には脅せない。島民がまとまっている。何かあればすぐ動く」

 ディオは皆を見回した。

「そう見せられれば、奴らは別の島を選ぶかもしれない」

 そこで、少し笑った。

「とはいえ、観光客まで追い返すなよ。普段は普段どおりでいい。笑って暮らしてくれ」

 何人かが笑う。

「……で、具体的に何をするかは、ファジャルから聞いてくれ」

「丸投げかよ!」

「ディオはいつもそれだ!」

「細かい話は若い者に任せるのが長生きの秘訣だ」

 今度は、先ほどより大きな笑いが起きた。

 ファジャルが呆れた顔で前へ出る。

「はいはい。村長はもう座っててくれ」

「頼んだ」

「本当に丸投げじゃねえか」

 ファジャルは苦笑しながら演台に立った。

 そして、両手を腰に当てる。

「じゃあ、具体的な話をするぞ」

 空気が少し引き締まった。

「まず、見張り台を作る」

 人々が耳を傾ける。

「この広場の端に一つ。それから、船が入りやすい海岸に3つ」

「4つもか?」

「竹と木があれば作れる。大げさなもんじゃない」

 ファジャルは周囲を見回した。

「手を貸せる奴は、明日から頼む」

 あちこちで頷きが返る。

「次に、もし本当にゲリラが来た場合だ」

 笑いが消えた。

「そのときは合図を出す」

「何の合図だ?」

「それは後で決める。とにかく合図を聞いたら、この広場に集まってくれ」

 ファジャルは地面を指した。

「ここを囲って、ある程度立てこもれるようにする。食料も水も置く」

 女たちの間から、小さなざわめきが起きた。

「家にいた方が安全じゃないのか?」

「ばらばらにいる方が危ない」

 ファジャルは即答した。

「奴らが一番使いやすいのは、人質だ」

 その言葉で、ざわめきが止まる。

「だから、家族を守ろうとして1人で戦うな」

 ファジャルの声が低くなった。

「まず集まる。それから動く」

 男たちの何人かが、黙ってうなずいた。

「それと、船を持ってる連中」

 ファジャルは港の方角を指した。

「無線機のある船は、交代で沖に出てもらいたい。不審な船を見つけたら知らせる」

「ゲリラだったら?」

「島に戻らず、そのまま州都へ行く」

 広場がざわついた。

「軍でも警察でもいい。とにかく知らせる」

「でも、すぐには来ないだろ」

「ああ」

 ファジャルはうなずいた。

「たぶん何日かかかる」

 そこで、一度言葉を止めた。

「だから、それまでの間は自分たちで守るしかない」

 誰も笑わなかった。

 ファジャルは少し息を吸った。

「そのために――自警団を作る」

 今度は、違う意味のざわめきが広がった。

「自警団?」

「戦うのか?」

「武器はどうする?」

「落ち着け」

 ファジャルが声を張る。

「ゲリラと正面から戦争をするためじゃない」

 少し間を置く。

「『この島には、自分たちを守る組織がある』と見せるためでもある」

 皆が静かになる。

「調査に来た奴に、ここを選べば面倒だと思わせる」

「なるほど」

「だからな」

 ファジャルは少し笑う。

「島の外の奴に聞かれても、『昨日作りました』なんて正直に言うなよ」

 広場から笑いが起きた。

「昔、海賊が来たときに作った自警団が、今も続いてる。そう言えばいい」

「嘘じゃねえか!」

「昔は似たようなのがあっただろ!」

「俺が子どものころだぞ!」

「なら十分昔だ!」

 笑い声が広がった。

 ファジャルは手を叩いて場を戻す。

「まあ、そういうことだ」

 少し表情を引き締めた。

「入りたい者は、このあと残ってくれ。訓練もする」

 若い男たちの間に、ざわめきが走る。

「何をやる?」

「走るのか?」

「殴り合いか?」

「まだ決めてない」

 ファジャルが即答した。

「だが、少なくとも今よりは強くなる」

「本当か?」

「たぶんな」

 笑いが起きた。

「担当は俺と――」

 振り返る。

「グリフだ」

 一斉に視線が集まった。

 グリフは一瞬、身体が硬くなるのを感じた。

 ランタンの光が横顔を照らしている。

 ――いよいよ始まる。

 人に教える。

 人を動かす。

 それだけなら、昔も経験があった。

 だが今回は、失敗すれば喧嘩に負ける程度では済まない。

 その視線の先には、父の背中があった。

「グリフ、何か言うか?」

 突然ファジャルに振られた。

「え?」

 広場から笑いが漏れる。

「担当なんだろ?」

「ああ……」

 グリフは一歩前へ出た。

「まだ具体的な内容は決めてません」

「それは聞いた」

 誰かが言った。

 また笑いが起こる。

 グリフも少しだけ笑った。

「じゃあ一つだけ」

 広場を見渡す。

「強い人だけを集めるつもりはありません」

 笑いが静まった。

「走るのが遅くても、身体が小さくてもいい。それぞれできることはあると思います」

 ファジャルが横でうなずいた。

「戦うためだけの組織じゃない。見張る人、知らせる人、子どもや老人を誘導する人も必要です」

 グリフは少し言葉を選んだ。

「だから、興味がある人は残ってください。一緒に考えましょう」

 若者だけでなく、何人かの中年の男たちもうなずいていた。

 グリフは一歩下がる。

 ファジャルが小声で言った。

「悪くない」

「急に振るなよ」

「人前で喋る練習だ」

 そのやり取りを近くの者が聞き、また少し笑いが起きた。

「あと」

 ファジャルは話を続けた。

「不安なことがある者は、ディオかアンダルに相談してくれ」

 2人を見る。

「しばらく仕事を少し減らして、島の中を回ってもらう」

 アンダルが立ち上がった。

「農家の人だけじゃなくて構いません」

 落ち着いた声だった。

「心配なことがあれば何でも話してください。噂を聞いた、誰かが怖がっている、それだけでもいいです」

 少し間を置く。

「自分で勝手に判断せず、まず知らせてください」

 その言い方には押しつけがましさがなかった。

 何人かの老人が、安心したようにうなずく。

「ディオに話すより、アンダルの方がいいな」

 後ろから声が飛ぶ。

「何でだ!」

「話をちゃんと聞いてくれるからだ!」

 広場に笑いが広がった。

「俺だって聞いてるぞ!」

「途中で寝るだろ!」

「それは長い話だけだ!」

 ディオが言い返し、笑いがしばらく続いた。

 ファジャルは頃合いを見て、広場の端に座っているヘルマンへ目を向けた。

「それから、もう一つ」

 声を少し張る。

「ヘルマンが、島のためにひと肌脱ぐそうだ」

 人々の視線が、一斉にヘルマンへ向いた。

「おお」

「珍しいな」

「聞こえてるぞ」

 ヘルマンが眉をひそめる。

 また笑いが起きた。

「俺から説明してもいいが」

 ファジャルがにやりとする。

「せっかくだ。本人に話してもらおう」

 ヘルマンは小さくため息をつき、ゆっくり立ち上がった。

 そのとき、雲に隠れていた月が姿を現した。

 淡い光が、広場に集まった人々を照らす。

 少し前まで、「ゲリラ」という言葉だけに怯えていた島民たちが、今は互いの顔を見ながら話を聞いている。

 恐怖が消えたわけではない。

 それでも、ただ待つだけだった空気は、少しずつ変わり始めていた。

 グリフは、その光景を黙って見ていた。

 自分たちの準備が間に合うのか。

 そもそも、このやり方が正しいのか。

 答えはまだ分からない。

 ただ一つ確かなのは――もう誰も、この話を他人事として聞いてはいなかった。


***


 ファジャルが一歩下がり、ヘルマンへ視線を送った。

 ランタンの灯りが風に揺れ、広場に落ちた影が長く伸びる。

 ヘルマンはゆっくりと立ち上がった。白いシャツの胸元を整え、演台へ向かう。

 ざらついた手でマイクを握ると、広場のざわめきが静まっていった。

「ヘルマンだ」

 低く太い声が広場に響く。

 いつもの商売人としての威勢のいい声とは、少し違っていた。

 ヘルマンは一度、集まった島民たちを見渡した。

「……ゲリラの話を聞いて、思い出したことがある」

 少し間を置く。

「この島への愛だ」

 広場の空気が、わずかに揺れた。

 普段のヘルマンから「愛」という言葉が出てくるとは、誰も思っていなかったらしい。

 後ろの方から、小さな笑いさえ漏れた。

 ヘルマン自身も苦笑する。

「笑うな。俺だって恥ずかしいんだ」

 今度は、もう少し大きな笑いが起きた。

「こんなことは今しか言えん。だから、少しだけ付き合ってくれ」

 笑いが収まるのを待ち、ヘルマンは続けた。

「俺は、この島で生まれた」

 声が少し低くなる。

「貧しい家だった。兄弟は5人いたが、上の2人は病気で死んだ」

 さっきまで笑っていた者たちの表情が変わった。

「10歳で島を出た。都会へ行って働いた」

 ヘルマンは遠くを見るように目を細めた。

「……あれは地獄だったよ」

 誰も口を挟まない。

「食うものもない。寝る場所もない。殴られることもあった。死んだ方が楽なんじゃないかと思ったことも、一度や二度じゃない」

 演台の横で、ディオが静かにヘルマンを見ていた。

「それでも、運よく生き残った」

 ヘルマンは小さく息を吐く。

「運よく金もつかんだ。家族も呼び寄せた」

 そこで、少し笑った。

「それで都会で立派に暮らせばよかったんだろうが……結局、俺はここへ戻ってきた」

 広場の端で、年配の男が静かにうなずいた。

「金持ちになったときは、そりゃ気分がよかった」

 ヘルマンは正直に言った。

「昔、俺を馬鹿にした連中より、いい服を着て、いい飯を食える。悪い気はしなかった」

 少し笑いが起きる。

「だが、島へ戻ってみると……何か引っかかった」

 ヘルマンは広場を見回した。

「俺が子どものころと、あまり変わっていなかったんだ」

 笑いが消えた。

「貧しい家がある。病気になっても医者はいない。若い奴は仕事を求めて島を出ていく」

 少し間を置く。

「俺だけ金持ちになっても、島そのものは変わっていなかった」

 女たちの中から、小さなため息が聞こえた。

「だから、いつか恩返しをしたいとは思っていた」

 ヘルマンは一度、ディオを見る。

「そんなところへ、このゲリラの話だ」

 今度は正面を向いた。

「もし奴らが来れば、この島は潰れるかもしれない」

 空気が再び引き締まる。

「ファジャルたちは、その前に何とかしようと動いてる」

 ファジャルが黙ってうなずいた。

「だったら俺も、できることは全部やる」

 その声に、飾った響きはなかった。

 何人かの漁師がうなずき、年配の女が胸の前で手を合わせている。

 ヘルマンは一呼吸置いた。

「……せっかくだから、もう少し話をさせてくれ」

 また誰かが笑った。

「長いぞ」

「分かってる」

 ヘルマンも笑った。

「でも今度は、この島の『これから』の話だ」

 広場が再び静かになる。

「ディオと話して、発電設備を作ることにした」

 一瞬、反応がなかった。

 やがて誰かが聞いた。

「発電設備?」

「ああ」

 ヘルマンはうなずく。

「今、この島の電気は港や俺の宿、それぞれの自家発電でまかなってる」

「金持ちだけだろ」

 後ろから声が飛んだ。

「だから今から、その話をしてるんだ」

 ヘルマンが即座に返し、広場に笑いが起きる。

「今度作るのは、島のみんなが使える電気だ」

 今度は本物のどよめきが広がった。

「本当か?」

「農家もか?」

「もちろんだ」

 ヘルマンはアンダルを見る。

「電気が安定して使えれば、水のポンプを動かせる」

 アンダルが立ち上がり、補足した。

「遠くの畑まで水を引ければ、育てられる作物は増えます」

「そういうことだ」

 ヘルマンが引き取る。

「キャッサバやイモだけじゃない。カカオやコーヒーみたいな、島の外で高く売れる作物だって増やせるかもしれない」

 農民たちの間から、ざわめきが起きた。

「漁師も同じだ」

 今度はファジャルたちを見る。

「冷凍施設が使えれば、魚をその日のうちに売り切る必要がなくなる」

「州都まで持っていけるな」

 漁師の1人が言った。

「ああ。もっと遠くの市場にだって出せる」

 ヘルマンは声に力を込めた。

「稼げる金が増えれば、その金はまたこの島で使われる」

「発電機の金は誰が出すんだ?」

 別の男が尋ねた。

「俺とディオだ」

 ざわめきが起きる。

 ディオが横から口を挟んだ。

「俺の方が少ないけどな」

「余計なことを言うな」

 笑いが広がった。

「それに、州からも補助を引き出すつもりだ」

 ヘルマンは続けた。

「トニーが今、そのために動いてる」

 その言葉に、人々の表情が少し明るくなった。

「電気さえ安定すれば、できることは一気に増える」

 ヘルマンは少し声を落とした。

「そして、その先に――俺は病院を作りたい」

 今度の沈黙は、先ほどまでとは違っていた。

 女たちの何人かが顔を上げる。

「病院?」

「ああ」

 ヘルマンはゆっくりとうなずいた。

「小さくてもいい。医者がいて、薬がある場所だ」

 その顔から笑みが消えた。

「子どもが死ぬのは、もうたくさんなんだ」

 誰も動かなかった。

「昔よりは減った。それでも、病気になって、助かるはずの子が死ぬことがある」

 ヘルマンは少し言葉に詰まった。

「俺の兄弟もそうだった」

 広場の後ろで、子どもを抱いた母親が腕に力を込めた。

「医者がいれば助かったかもしれない」

 ヘルマンの声がかすかに揺れた。

「薬があれば、助かったかもしれない」

 老人たちの中にも、目を伏せる者がいた。

「そんなことを、もう終わりにしたい」

 ヘルマンは一度、深く息を吸った。

「病院ができれば、仕事も増える。若い連中が全部島を出なくても済む」

 若者たちを見る。

「家族が一緒に暮らせる島にしたい」

 しばらく、誰も声を上げなかった。

 やがて、どこかから小さな拍手が聞こえた。

 だがヘルマンは手を上げ、それを止めた。

「まだだ」

 少し笑った。

「いい話をして終わりじゃない」

 表情を引き締める。

「その前に、ゲリラを何とかしなきゃならん」

 広場の空気が現実へ戻った。

「この島を守れなければ、発電所も病院もない」

 ヘルマンはファジャルを見る。

「だから、ファジャルに協力してくれ」

 続いてグリフへ視線を向ける。

「自警団に入れる者は入ってくれ。入れない者も、それぞれできることをやってほしい」

 そして、広場全体を見渡した。

「俺もやる」

 一呼吸置く。

「金も出す。役人にも頭を下げる。必要なら嫌われ役もやる」

 少し笑う。

「もともと、嫌われるのには慣れてるからな」

 今度は大きな笑いが起こった。

「……柄にもないことを長々しゃべった」

 ヘルマンは照れくさそうに頭をかいた。

「言いたいことは、それだけだ」

 深く頭を下げる。

 最初は、ぱらぱらと拍手が聞こえた。

 やがて、それが広場全体へ広がっていった。

 大きな拍手が森へ反響し、夜空へ吸い込まれていく。

 ファジャルも拍手をしていた。

 アンダルも笑っている。

 ディオは隣で、満足そうに何度もうなずいていた。

 拍手が落ち着くのを待ち、ディオが立ち上がった。

「今のヘルマンの話、俺も同じ気持ちだ」

 演台へ上がる。

「まあ、俺はあんな立派には話せないがな」

「さっき十分しゃべっただろ!」

 声が飛び、また笑いが起きた。

「とにかく」

 ディオは続けた。

「何か心配なことがあれば、遠慮なく話してくれ。隠しておく方が危ない」

 その横にアンダルも立った。

「畑のことでも、食料のことでも構いません」

 落ち着いた声が広場に届く。

「農民も漁師も、今は同じ島の仲間です」

 一度、皆の顔を見回した。

「困ったことがあれば、1人で抱え込まずに話してください」

 その言葉に、何人もの島民が静かにうなずいた。

 広場には、先ほどまでとは違う空気が流れていた。

 グリフは少し離れた場所から、その光景を眺めていた。

 ――うまくいっている。

 率直にそう思った。

 最初、島民たちの顔にあったのは恐怖だった。

 ゲリラが来るかもしれない。

 家を失うかもしれない。

 家族が危険にさらされるかもしれない。

 だが今は、それだけではない。

 電気。

 豊かな畑。

 もっと高く売れる魚。

 病院。

 家族が島を離れずに暮らせる未来。

 ディオたちは危険を隠さなかった。

 そのうえで、この島を守る理由を示した。

 ――守るのは、今の生活だけじゃない。

 これから作ろうとしている未来もだ。

 グリフは広場に集まった人々を見回した。

 士気は高い。

 少なくとも今は、島民同士が同じ方向を向いている。

 これなら――

 グリフは小さく息を吐いた。

 ゲリラの調査員が来るまで。

 その時までは、きっと持つ。

 そう信じたかった。


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