三つの備え
夜風が港の方から吹き抜け、板張りの床の下から波の音が聞こえていた。
集会所の中央では、6人の男たちが粗末な木のテーブルを囲んでいる。
灯りは、壁に吊るされたランプだけ。
部屋の隅は暗く、皆の顔にも揺れる影が落ちていた。
ディオが軽く咳払いをした。
「さて――今日も長い一日だったな」
いきなりファジャルを見る。
「漁はどうだった?」
「今、その話ですか?」
「大事だろ。魚は島の飯だぞ」
ファジャルは苦笑した。
「まあまあです。いいのが5匹獲れました。明日には港に並びますよ」
「それは楽しみだ」
ディオは満足そうにうなずく。
「じゃあ、うまい魚の話は明日に回して……今夜は、もう少しまずい話をしよう」
わずかに笑いが起きた。
だが、ディオの表情はすぐに引き締まった。
「グリフ。ホジャンを見てきた結果を聞かせてくれ」
テーブルの向こうで、グリフが姿勢を正した。
「はい」
一度、皆の顔を見る。
「先に結論から言います。アリの話は、おそらく本当です」
笑いが消えた。
「少なくとも、ホジャン島にゲリラの訓練施設があることは間違いないと思います」
「そこまで分かったのか?」
アンダルが聞く。
「はい。それと、近いうちに軍か警察が動くという話も、かなり信憑性があります」
短い沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのはファジャルだった。
「待ってくれ」
腕を組み、グリフを見る。
「どうやってそこまで調べた?」
「というと?」
「アリは、こっちが動いていることを知られない方がいいと言ってただろ」
ファジャルの目が少し鋭くなる。
「それなのに、もうホジャンまで行って確認してきた。早すぎないか?」
グリフは少し意外そうな顔をした。
ファジャルから真っ先にそこを突かれるとは思っていなかった。
だが、その疑問はもっともだった。
「直接、ルンザットから行ったわけじゃありません」
「どうしたんだ?」
「まず、父の高速艇で州都へ行きました」
グリフは説明を始めた。
「そこから定期船に乗り換えて、ホジャンへ入ったんです」
ヘルマンがうなずく。
「ルンザットの船で乗りつければ目立つからか」
「そうです」
「向こうでは何者を名乗った?」
「日本から来た観光ツアーの調査員です」
ファジャルが眉を上げた。
「そんなの、通るのか?」
「俺は日本国籍も持っています。パスポートを見せても不自然じゃない」
「なるほど」
「服も、日本にいたころ使っていたものを持っていきました」
グリフは少し笑った。
「学生時代に、観光調査の通訳をやったこともあります。だから、どう振る舞えばそれらしく見えるかは分かっていました」
「妙な経験が役に立つもんだな」
ディオが言う。
「俺もそう思ったよ」
グリフは水の入ったカップを一口飲んだ。
「ホジャンは、俺が想像していたよりずっと賑やかな島でした」
「人口は五千だったな」
アンダルが確認する。
「はい。ルンザットより少し大きい程度だと思っていました。でも、観光客がかなり多い」
グリフは続けた。
「外国人もいました。英語で話している人間も珍しくない。だから、日本人観光客を装っても、ほとんど目立ちませんでした」
「フィリピン人も多いのか?」
ファジャルが尋ねる。
「正規に来た人間だけじゃないと思います」
「不法入国か」
「たぶん」
グリフはうなずいた。
「フィリピンまでは近いですから。小さな船でも、半日あれば行き来できる距離です」
「それなら、人の出入りまでは管理しきれんだろうな」
ヘルマンが呟いた。
「それで、肝心のゲリラはどう調べた?」
「観光地を回りました」
「観光?」
「写真を撮りながら、店の人に英語で聞くんです」
グリフは少し身を乗り出した。
「『日本からツアーを組みたい。観光客がまだ知らない場所はないか』って」
「なるほどな」
「それを何軒かで繰り返していると、地域の顔役らしい男が2人、向こうから話しかけてきました」
ヘルマンの目が少し細くなる。
「向こうから?」
「はい」
「何を聞かれた?」
「どんなツアーを考えているのか。何人くらい連れてくるのか。そんな話です」
「そこでゲリラのことを?」
「いきなりは聞きません」
グリフは首を振った。
「まず観光の話をして、それから治安の話に移しました」
「どういうふうに?」
「首都で、『ホジャンにはゲリラと関係のある人間が多いと聞いた』と言いました」
ファジャルが顔をしかめる。
「ずいぶん直接的だな」
「だから、そのあとに付け加えました」
グリフは続ける。
「『ゲリラがいても、すぐにツアーをやめるつもりはない。ただ、安全な場所と危険な場所だけ教えてほしい』と」
「観光業者なら聞きそうな質問にはなるな」
アンダルが納得したように言った。
「はい」
「それで相手は?」
「2人とも、すぐには答えませんでした」
グリフの声が少し低くなる。
「英語で話していたのに、途中から現地の言葉に切り替えたんです」
ディオが身を乗り出した。
「お前は分からないふりをした?」
「もちろん」
「悪い奴だな」
「父さんに言われたくない」
わずかな笑いが起こる。
グリフはすぐに続けた。
「2人は、俺に聞かれていないと思って話していました」
「何と?」
「全部がはっきり聞き取れたわけじゃありません」
グリフは慎重に言った。
「でも、『訓練所』が実際にあること。それから、『近いうちに軍か警察が来るらしい』という話は確認できました」
アンダルが低く唸った。
「つまり、本人たちに白状させたわけじゃない」
「はい」
「知らないと思わせて、横で話させたのか」
「そういうことです」
ファジャルが少し感心したようにグリフを見る。
「なるほどな」
「そのあと、酒場や市場でもそれとなく聞いてみました。でも、それ以上の話は取れませんでした」
「十分だろう」
ディオが言った。
だが、ヘルマンはまだ表情を緩めなかった。
「いや。一番大事なところが残っている」
グリフを見る。
「何です?」
「ゲリラが拠点を分散させようとしていることだ」
「ああ」
「それと、ルンザットが候補になっているという話」
ヘルマンはテーブルの上で腕を組んだ。
「そこまでは確認できなかったんだな?」
「できませんでした」
グリフははっきり答えた。
「ホジャンに訓練施設がある。政府が動こうとしている。そこまでは、かなり確かです」
一度言葉を切る。
「でも、そこから先はまだアリの証言だけです」
「なるほど」
ヘルマンが小さくうなずいた。
アンダルが口を開く。
「ただ、もし政府が動くなら、ゲリラ側が何もしないとは考えにくいですね」
「俺もそう思います」
グリフが答えた。
「拠点を分けるという話自体には、かなり現実味があります」
「その行き先の一つがルンザットかもしれない」
「はい」
そこで、それまで静かに聞いていたトニーが口を開いた。
「その点について、私からも少し補足があります」
皆がトニーを見る。
「政府にいたころの知人を通じて、最近のゲリラ対策について確認しました」
グリフが身を乗り出した。
「何か分かりましたか?」
「ああ」
トニーは眼鏡の位置を直した。
「ホジャンに何らかのゲリラ施設があることは、政府上層ではすでに把握しているようです」
「やっぱりか」
ファジャルが呟く。
「ただし」
トニーは続けた。
「ホジャンは、ゲリラ組織の本部ではない。数ある訓練施設の一つ、という扱いらしい」
「重要度は低い?」
ヘルマンが尋ねる。
「政府から見れば、そうでしょう」
「なら、本当に軍が来るのか?」
「来る可能性は高い」
トニーは答えた。
「ただ、大規模な部隊ではないと思います。大きな掃討作戦が行われるとしても、ホジャンを担当するのは、その一部になるでしょう」
「つまり……」
アンダルが考えながら言った。
「ホジャンの住民からすれば大事件でも、政府から見れば全体の1か所にすぎない」
「そういうことです」
その言葉に、場が静まった。
ディオは組んだ手を見つめたあと、ゆっくりと皆の顔を見回した。
「整理しよう」
グリフを見る。
「ホジャンにゲリラの訓練所がある。これはかなり確か」
「はい」
「政府がいずれ動く。それも可能性が高い」
トニーがうなずいた。
「そして、ゲリラが拠点を分散するという話も、状況から考えれば不自然じゃない」
ヘルマンが続けた。
「ただし、ルンザットが候補だという証拠だけは、まだアリの話しかない」
「そういうことだな」
ディオは椅子に深く座り直した。
「なら、やることは変わらん」
全員がディオを見る。
「アリの話が間違いなら、それでいい」
声が少し低くなった。
「笑い話で終わる」
ランプの炎が揺れた。
「だが、本当だったときに何もしていなかったら、笑えない」
誰も口を挟まなかった。
「だから、備える」
ディオは静かに言った。
「外れたら無駄骨。それでいいじゃないか」
ファジャルがゆっくりとうなずいた。
「そうですね」
ヘルマンも腕をほどく。
「俺も異論はない」
「では、その前提で次を考えよう」
潮風が集会所を抜けていった。
しばらく、波の音だけが部屋を満たしていた。
*
ランプの炎が小さく弾け、壁に映った人影が揺れた。
ディオは手の甲で軽く机を叩き、皆の注意を集めた。
「話を続けたい」
「知っている者もいるが、昨夜グリフが挙げた3つの課題について、担当を決めた」
ざわめきが静まる。
「『政府寄りの住民意識』『ゲリラへの抵抗体制』『島民の融和』。この3つだ」
ディオは全員を見回した。
「理由は単純。時間がない。最短なら8日後の定期船で、『調査員』が来るかもしれん」
「8日か……」
誰かが小さく呟いた。
「そうだ。皆で話し合って、きれいに合意して、それから動きましょう――なんて悠長なことはしてられん」
ディオは肩をすくめた。
「少人数で相談して、必要なら半分は勘でもいい。現場で決めて動いてもらう」
何人かがうなずいた。
すでに個別に話を聞いていた面々から、異論は出なかった。
「担当はこうだ」
ディオはまずヘルマンとトニーを見る。
「政府関係は、この2人」
「了解した」
ヘルマンが短く応じ、トニーも静かにうなずいた。
「抵抗体制は、ファジャルとグリフ」
「任せろ」
ファジャルが答える。
「そして島民の融和は、アンダルと俺だ」
「分かりました」
アンダルも応じた。
ファジャルが顎を上げる。
「それぞれ、何をやるかくらいは今決めちまった方がいいんじゃないか?」
「いや」
ディオは首を振った。
「大まかな方向だけでいい。どれも相手がいる話だからな」
「相手?」
「役人がどう出るかは分からん。若い連中も、こちらの思い通りに動くとは限らない。農民だって同じだ」
ディオは机に肘を置いた。
「ここで細かく決めすぎると、現場で『会議ではこう決めました』なんて面倒なことになる」
「なるほどな」
ファジャルは納得したようにうなずいた。
「でも、報告はするぞ。互いに正反対のことをやってたら笑えん」
「それはそうだ」
ヘルマンが腕を組んだ。
「ただ、俺とトニーは州都、それから必要なら首都まで行く。ここには電話もないし、船の無線も途中までしか届かん」
「向こうでは連絡できるんだろ?」
「ああ。トニーとは電話で連絡を取れる」
ディオがうなずいた。
「なら、連絡できる組は連絡を取る。ただし――」
皆を見る。
「俺への許可待ちで動きが止まるのはなしだ。現場優先でいこう」
「それでいい」
ファジャルが即座に答えた。
「こういうときは、その場で決めた方が早い」
「お前は普段から、その場で決めすぎるけどな」
ヘルマンがぼそりと言った。
「何か言ったか?」
「いや、頼もしいと言った」
「絶対違うだろ」
小さな笑いが起きた。
ディオも笑ったが、すぐに手を上げる。
「もう一つ」
少し声を落とした。
「担当は2人1組だ。意見が割れた場合は、なるべく話し合って決めてくれ」
「なるべく?」
ファジャルが聞き返す。
「どうしても決まらない場合もあるだろ」
ディオは少し困ったように頭をかいた。
「その場合だけ、最終判断をする側を決めておく。独断ですまんが――政府関係はヘルマン。抵抗体制はファジャル。島民の融和は俺だ」
トニーが静かにうなずく。
「私は異存ありません」
「俺も大丈夫です」
アンダルも答えた。
ディオがグリフを見る。
「グリフもいいな?」
「もちろん」
グリフは軽く頭を下げた。
「俺は島の幹部でもないし、最終的にYESかNOかを決める立場じゃないのは分かってる」
ちらりとファジャルを見る。
「ファジャルさんの足を引っ張らないようにやるよ」
「そうか」
ディオは急に真面目な顔を作り、ファジャルへ向き直った。
「ファジャル。愚息を頼む」
「父さん」
「こいつはな、子どもの喧嘩しか知らん」
「だから、それは――」
「日本にいたころ、不良の頭をやってた時期もあるらしくてな」
トニーがわずかに目を見開いた。
アンダルもグリフを見る。
「ちょっと待て。何でここでその話をするんだ」
「大事な引き継ぎ事項だろ」
「どこがだよ」
ディオは構わず続ける。
「変なところで『俺は戦える』なんて勘違いしてるかもしれん。迷惑なら遠慮なく外してくれ」
「ああ。そうする」
ファジャルが真顔で答えた。
「即答するなよ」
今度は少し大きな笑いが起きた。
ファジャルも口元を緩める。
「まあ、冗談だ」
グリフを見る。
「族長の家筋ってことを抜きにしても、昨日の話を聞く限り、人を動かす頭はある」
「ほう」
「必要なら外す。だが、俺の見立てじゃ、たぶんそうはならん」
ディオの顔がぱっと明るくなった。
「俺もそう思ってる」
「父さん」
「日本じゃ、こういうのを親ばかって言うらしいな」
「自覚があるなら黙ってろ」
また笑いが起きた。
「はいはい」
ディオは満足そうに手を振った。
「息子自慢はこのくらいにして、本題へ戻ろう」
「最初からするな」
グリフの小言を無視して、ディオは話を進めた。
「今のところ決まってるのはこうだ」
ヘルマンを見る。
「ヘルマンとトニーは、州や政府の役人に働きかけて、この島への支援を引き出す」
「ああ」
「それと、俺とヘルマンの金で、農民も使える発電設備を用意する」
アンダルがうなずいた。
「助かります」
「ファジャルとグリフは、若い連中の訓練を始める。細かいやり方は2人で決めてくれ」
「分かった」
「俺とアンダルは、農民と漁民のわだかまりを少しでも減らす方法を考える」
全員の顔を確認する。
「ひとまず、それで進めよう」
異論はなかった。
ランプの芯が小さく音を立てた。
ディオは椅子に座り直した。
「さて……」
それまでより、少しゆっくりした口調になる。
「本当なら、今日はここで解散にしたいところだ」
「まだあるのか?」
ファジャルが訊く。
「一つだけ。たぶん、これが一番難しい」
場の空気が変わった。
「島民に、どこまで話すかだ」
ディオは皆を見回した。
「ルンザットが、ゲリラの新しい拠点候補になっているかもしれない。そのことを、全員に伝えるかどうか」
「全部話すべきだろ」
ファジャルは迷わなかった。
「こんな大事なことを隠せるわけがない。それに、もう噂は広がってる」
「俺も、基本的にはそう思います」
アンダルが言った。
ただ、そのあとすぐには続けなかった。
「でも……心配なこともあります」
「ベニたちか?」
ディオが尋ねる。
「ベニだけじゃありません」
アンダルは首を振った。
「今の島のやり方を面白く思っていない人間は、ほかにもいます」
皆が黙って聞く。
「そういう人が、島に来た見知らぬ人間に『最近やってる対策なんて、全部急ごしらえだ』と話してしまうかもしれない」
「悪意がなくても、だな」
トニーが言った。
「ええ。雑談のつもりでも十分です」
ヘルマンが指を組んだまま口を開いた。
「それに、もう一つ問題がある」
「何だ?」
「アリの話が間違っている可能性だ」
ファジャルが眉をひそめた。
「今さらか?」
「可能性の話だ」
ヘルマンは淡々と続ける。
「島中に『ゲリラが来るぞ』と知らせる。皆で大騒ぎする。そして何も起きなかった」
少し間を置く。
「次に何かあったとき、誰が俺たちの話を信用する?」
「狼少年か」
グリフが呟いた。
「そういうことだ」
ファジャルは腕を組んだ。
「でも、何も言わずにどうやって若い連中を訓練する?」
ヘルマンを見る。
「理由も説明せず、『走れ』『構えろ』『殴られても逃げるな』じゃ、俺が一番怪しいだろ」
「最後のは別に言わなくてもいい」
グリフが口を挟んだ。
「例えばだが」
ヘルマンは続ける。
「海賊対策ということにするのはどうだ?」
「海賊?」
「この近辺に海賊が出た。近くの島が襲われた。警察がすぐに来られないから、自衛の準備をする」
アンダルが考え込む。
「まったくの嘘でもありませんね。この辺りは何かあっても警察がすぐ来られない」
「だろう?」
ファジャルはまだ納得していない様子だった。
「……言われてみれば、筋は通るが」
「俺は反対だ」
グリフが静かに言った。
皆の視線が集まる。
「海賊とゲリラじゃ、規模が違いすぎる」
「規模?」
「人数も武器も違う」
グリフはファジャルを見た。
「俺たちがやろうとしている訓練は、単なる見回り程度じゃない。調査に来た連中に、『この島を押さえるには面倒なことになる』と思わせるためだ」
「なるほど」
「海賊対策という名目で、中途半端な訓練しかできなかったら逆効果になるかもしれない」
グリフは少し言葉を切った。
「『この程度なら簡単に押さえられる』と思われたら終わりだ」
アンダルがゆっくりと口を開く。
「でも、全員に本当のことを話す危険は残ります」
「ああ」
「怖くなって島を出る人もいるでしょう」
アンダルの声は穏やかだった。
「その人が、避難した先で誰かに話すかもしれない。そこから噂が広がって、ゲリラ側へ伝わることだってある」
しばらく考え、さらに続ける。
「もっと悪ければ、その人自身が脅されて、島へ入る手助けをさせられることだって考えられます」
グリフは黙って聞いていた。
やがて小さく息を吐いた。
「それでも、俺は話した方がいいと思う」
アンダルを見る。
「そこまで恐れて何もしなければ、確かに島は静かなままです」
誰も口を挟まなかった。
「でも、本当にゲリラが来たとき、島民からすればどう見えるでしょう」
グリフの声が少し低くなった。
「『村の幹部は知っていた。それなのに何も教えなかった』となる」
トニーがゆっくりとうなずいた。
「それは……後に残りますね」
「はい。たとえゲリラを追い出せても、島の中に不信が残る」
グリフは続けた。
「それに、最短なら8日後。遅ければ次か、その次の定期船。およそ1か月あります」
「1か月は長いぞ」
ヘルマンが低く言った。
「ああ」
「この島には昔からの住民だけじゃない。最近移ってきた人間もいる。観光客も出入りする」
ヘルマンは少し考えた。
「いっそ調査員を見つけ出して、そいつだけに狙って印象を与える方が安全じゃないか?」
「難しいと思う」
グリフはすぐに答えた。
「誰が調査員か分からない」
「それらしい奴を見張る」
「本当に観光客だったら?」
「……それは困るな」
「だから、島に来る知らない人間は全員、調査員かもしれないくらいに考えた方がいい」
ファジャルが呆れたように肩をすくめた。
「それじゃ、島じゅうで芝居することになるぞ」
「そうなる」
「そっちの方が難しくないか?」
「簡単だとは言ってない」
「まあ待て」
ヘルマンが2人を止めた。
「どちらにも理屈はある」
視線が、自然とディオへ集まった。
「どうする?」
ディオは答えなかった。
しばらく、ランプの炎を見つめていた。
外からは、規則正しい波の音だけが聞こえてくる。
やがて、ディオが口を開いた。
「……これは理屈というより、族長としての感覚だ」
声から、先ほどまでの軽さが消えていた。
「この島では昔から、大事なことは皆で知って、皆で決めてきた」
アンダルが静かに聞いている。
「今回は時間がない。『皆で決める』ところまではできない」
一度息をつく。
「だが、知らせることだけはしたい」
ファジャルが小さくうなずいた。
「もちろん、アンダルの心配も分かる。情報が漏れるかもしれない。こちらの意図を見抜かれるかもしれない」
ディオは机の上の手を見た。
「そのせいで、ルンザットが候補から外れないことだってある」
ランプの炎が揺れた。
「そして本当に、ゲリラが来るかもしれない」
誰も動かなかった。
「そのときは……抵抗する」
ディオが顔を上げる。
「少なくとも政府には見せられる。俺たちはゲリラに協力したんじゃない。拒んだんだ、と」
そこで、ほんのわずかに口元を緩めた。
いつもの調子で場を軽くしようとしたのだろう。
「まあ――政府に信じてもらうだけなら、この中の何人かがゲリラに殺された方が、話は早いかもしれんな」
一瞬だけ、誰も反応しなかった。
やがてファジャルが笑った。
「海に出りゃ、死ぬ覚悟くらい毎日してる」
軽い口調だった。
「明日も明後日も同じだ」
ディオも笑おうとした。
だが、先ほどまでのような笑いは広がらなかった。
アンダルは何も言わず、ランプの炎を見つめていた。
トニーは目を伏せたままだった。
グリフも笑わなかった。
外では、変わらず波が浜を打っている。
誰かが死ぬ。
それはまだ、冗談の形をしていた。
だが、その場にいた誰もが、それが冗談だけでは済まない可能性を、初めてはっきり意識していた。




