畑に眠る火種
昼下がりの陽射しが、畑の広い葉の上で鈍く反射していた。
風が通るたび、乾いた葉擦れの音が規則正しく響く。
その畝の間を、ディオがぎこちない足取りで歩いていた。左足の義足が土を踏むたび、わずかに沈む。
「アンダル!」
声を張ると、畑の奥で鍬を振っていた男が顔を上げた。
額の汗を手の甲で拭い、陽に焼けた顔に笑みを浮かべる。
「ディオさん。どうしたんですか? こんなところまで」
「少し話があってな。作業が一区切りしてからでいい」
「すぐ終わります。少しだけ待ってください」
「ああ。慌てなくていい」
ディオは畑の脇に立ち、周囲を見渡した。
整然と並ぶ畝。どの株も葉の色が濃く、手入れが行き届いている。
海風が吹きつけるこの島の土で、作物を育てるのは簡単ではない。それを知っているだけに、ディオは素直に感心した。
「よく育ってるな。漁師の目から見ても立派なもんだ」
アンダルは鍬を土に差した。
「はは。魚と違って逃げませんからね」
「俺たちへの嫌味か?」
「まさか」
アンダルは笑った。
「手間さえ惜しまなければ、ちゃんと応えてくれるってことです」
「なるほどな。人間より素直だ」
作業を終えたアンダルは鍬についた土を払い、ディオを自宅へ案内した。
木の梁がむき出しになった質素な家だった。飾り気はないが、掃除が行き届き、風通しもいい。外から乾いた土の匂いが入り込んでくる。
「すみません。たいしたもてなしもできませんが」
「いや、座らせてもらえれば十分だ」
ディオは椅子に腰を下ろし、義足のあたりを軽くさすった。
「ずっと立ってると、まだ痛むんですか?」
「天気と機嫌によるな。今日は少し機嫌が悪い」
アンダルは心配そうに足元を見たが、それ以上は聞かなかった。
「それで、話というのは?」
「昨夜の会議で出た、『島民の融和』についてだ」
ディオは背もたれに体を預けた。
「俺はな、島にある反感の種の中で、一番大きいのは漁民と農民の間だと思ってる」
アンダルはすぐには答えなかった。
少し考えてから、静かに口を開く。
「対立、とまでは言わないと思います。でも……漁師ばかりが恵まれていると思っている農民は、確かにいます」
「やっぱりな」
「港もありますし、燃料の補助もある。それに、村長もずっと漁業に近い人たちから選ばれてきた」
アンダルは一度言葉を切った。
「ただ、それは農民だけの話じゃありません」
「というと?」
「港へ行けば、漁師たちの間ではヘルマンさんの話ばかりですよ」
ディオが眉を上げた。
「あの宿が大きくなっていくのを、面白く思っていない人も多い。結局、人は自分より恵まれて見える相手が気になるんでしょうね」
「耳が痛いな」
ディオは苦笑した。
「そのヘルマンと、さっき話してきた」
「何をです?」
「俺とあいつの私財で、島のみんなが使える発電設備を作ろうってことになった」
アンダルが目を見開いた。
「本当ですか?」
「ああ。農家でも漁師でも使えるようにする」
アンダルはしばらく驚いた顔をしていたが、やがて大きくうなずいた。
「それは助かりますよ」
「そんなにか?」
「ええ。農家は収穫したものを保存するにも苦労しますから。電気が安定すれば、できることはかなり増えます」
アンダルの声には、素直な喜びがあった。
「農民の不満も、かなり減ると思います」
「そうか。それを聞いて安心した」
ディオは少し笑った。
「俺は逆に、金持ち2人が急にそんなことを始めたら、『偽善だ』なんて言われるんじゃないかと思ってな」
アンダルも小さく笑う。
「まあ、そう言う人はいるでしょうね」
「やっぱりいるか」
「何をしても悪く言う人はいますから」
だが、アンダルの表情はすぐに真面目なものへ戻った。
「それでも、役に立つものは役に立ちます。俺は素直にありがたいと思いますよ」
ディオは黙ってうなずいた。
「その、『何をしても悪意で取る人間』の中に……ゲリラにつけ込まれそうな者はいないか?」
今度は、アンダルの返事まで少し時間がかかった。
窓の外から風が吹き込み、壁際に掛けられた布を揺らす。
「……1人、気になる男はいます」
「誰だ?」
「ベニです」
ディオは聞き覚えのある名前を思い出すように目を細めた。
「お前より年上だったな」
「5つ上です。農家の中では一番の土地持ちで、雇い人もいる。前の農家代表は、ベニの父親でした」
「それなら影響力もあるな」
「あります」
アンダルは静かにうなずいた。
「でも、先に言っておきます。あいつは悪人じゃありません」
ディオは少し意外そうにアンダルを見た。
「庇うのか?」
「事実ですから」
アンダルは苦笑した。
「ただ、プライドが高いんです」
「なるほど」
「俺が農家の代表になったのも、ココナッツを育てて島の外へ売り出したのがきっかけでした。それがうまくいって、周りから評価されるようになった」
アンダルは窓の外の畑に目を向けた。
「ベニの家は、ずっと昔ながらのイモとキャッサバを作ってきた家です。俺みたいな年下が急に代表になったのは、面白くなかったと思います」
「お前を嫌ってるのか?」
「多少は」
アンダルはあっさり答えた。
「でも、それを責める気はありません。もし俺が逆の立場だったら、同じように思ったかもしれない」
ディオはしばらく黙ってアンダルを見た。
「お前は真面目だな」
「そうですか?」
「俺だったら、嫌われたら倍にして嫌い返す」
「ディオさんは、それをやるから話がややこしくなるんですよ」
アンダルが少し笑った。
「それもそうだな」
2人の間に、しばらく穏やかな沈黙が流れた。
やがてアンダルが手拭いで額を拭いながら、ぽつりと言った。
「もし島をまとめるために必要なら……俺は、農家の代表をベニに譲っても構いません」
ディオの表情が変わった。
「本気で言ってるのか?」
「ええ」
「せっかく自分で信用を積み上げて、代表になったのに?」
「代表でいることが目的じゃありませんから」
アンダルは淡々と答えた。
「ベニのほうが土地も持っているし、年上の農家への影響力も強い。あいつが前に立つことで農民がまとまるなら、それでもいいと思います」
ディオはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくり首を振る。
「いや。それは違う」
「そうですか?」
「ああ」
ディオは椅子の肘掛けを指で軽く叩いた。
「仮にそれで今回のゲリラ対策がうまくいっても、そのあとに何が残る?」
アンダルは黙って聞く。
「ベニは悪い男じゃない。それは俺も知ってる。だが、今のお前の話を聞く限り、誇りを拠りどころにする男なんだろう」
「そうですね」
「なら、島をまとめることより、自分の立場を守るほうに力を使うかもしれない」
ディオは少し身を乗り出した。
「それに、1人の人間を持ち上げても、農民と漁師の間にあるわだかまりが消えなきゃ意味がない」
「……はい」
「逆に言えば、そのわだかまりを薄くできれば、ベニ1人が何を言ったところで大きな流れにはならない」
アンダルはゆっくりとうなずいた。
「おっしゃる通りだと思います」
だが、すぐに眉を寄せる。
「ただ……そう簡単にいきますかね」
「何がだ?」
「農民と漁師の間の反感です」
アンダルは窓の外へ目を向けた。
「昨日今日できたものじゃない。何代も前から少しずつ積み重なったものです。半月やそこらで消せるとは思えません」
「消す必要はないさ」
ディオは口の端を上げた。
「軽くすればいい」
「どうやって?」
「昔からある方法だ」
ディオは少し間を置いた。
「外に敵を作る」
アンダルの眉がわずかに動く。
「今回は、もういる。『ゲリラ』という共通の敵がな」
ディオは続けた。
「今の状況を島民全員に正直に話す。農民も漁師も関係なく、島全体の問題だと伝える。そして結束を呼びかける」
アンダルはすぐには賛成しなかった。
「……全員に、ですか?」
「ああ」
「それは少し危険じゃありませんか?」
ディオの表情が引き締まる。
「理由を聞こう」
アンダルは少し考えてから、ゆっくり口を開いた。
「まず、驚いて混乱する人が出ると思います。話の一部だけが噂になって広がれば、必要以上に怖がる人もいるでしょう」
ディオは黙って先を促した。
「それに……島の人間全員が信用できるとは限りません。悪気がなくても、外で話してしまう者はいる。もしそれがゲリラの耳に入れば、こちらが警戒していることまで知られてしまいます」
「なるほどな」
「もう一つ気になるのは、対策を始めたあとのことです」
アンダルはわずかに眉を寄せた。
「『そんな付け焼き刃で何になる』と笑う人もいるでしょう。真剣に備えようとする人と、そうでない人の間で、今度は別の揉め事が起きるかもしれません」
ディオはしばらく考えた。
やがて、素直にうなずく。
「そうだな。俺も少し急ぎすぎたかもしれん」
ディオは義足の上に手を置いた。
「その懸念も含めて、今夜みんなで話そう。俺1人で決める話じゃない」
アンダルの表情がわずかに緩んだ。
「それがいいと思います」
*
風が家の中を抜けていった。
軒先に吊るされたヤシの葉が、さらさらと音を立てる。
しばらくして、アンダルが思い出したように口を開いた。
「そういえば……さっきの発電設備の話」
「ん?」
「本当に、ディオさんとヘルマンさんの2人で出すんですか?」
「本当だ」
ディオはにやりと笑った。
「俺が思いついて、あいつが金勘定をした」
「なるほど」
「似合わない組み合わせだろ?」
アンダルは少し笑った。
「ディオさんがやるのは、それほど意外じゃありません」
「そうか?」
「魚の加工場を作ったのも、漁に出られなくなった怪我人や年寄りが働けるようにするためだったと聞いてます」
「よく知ってるな」
「島のことですから」
アンダルは続けた。
「ああいうことをするのは、ディオさんらしいと思います。でも……ヘルマンさんまで金を出すとは思いませんでした」
「ヘルマンも、それなりに島のためにやってるんだよ」
ディオは煙草を指先で転がした。
「あいつの宿に、お前のココナッツも売ってるだろ?」
「ええ。かなりいい値で買ってもらってます」
「漁師も同じだ。いい魚が獲れれば、ヘルマンが高く買う」
アンダルは黙って聞いている。
「あいつはな、頑張ってる人間を金という一番分かりやすい形で支えるんだ」
「……なるほど」
アンダルは少し考え込んだ。
「言われてみれば、そういう見方もできますね」
「結局、解釈の問題さ」
ディオは肩をすくめた。
「俺だって悪意で見れば、『島の弱い人間を安い賃金で働かせて儲けてる男』になる」
「それは、ずいぶん意地悪な見方ですね」
「だろ?」
「ヘルマンさんなら、『島の魚や作物を安く仕入れて、自分の宿だけ大きくしてる男』になる」
「ほらな」
2人は少し笑った。
アンダルは笑みを残したまま、静かに言った。
「俺は、ディオさんがいい人だと思っていますよ」
ディオが少し目を丸くする。
「急になんだ」
「だから、そのディオさんがヘルマンさんを悪く言わないなら……俺も、もう少し違う目で見てみようと思います」
ディオの表情がやわらいだ。
「……ありがとう、アンダル」
少し照れたように視線を外す。
「そう言ってもらえると、救われるよ」
2人の間に、穏やかな沈黙が落ちた。
外では風が畑を渡り、葉がさらさらと揺れている。
傾き始めた午後の陽が、丹念に手入れされた畑を、ゆっくりと黄金色に染めていった。




