島にある亀裂
港近くの集会所にはランプが灯され、開けた窓から潮風が入り込んでいた。
昼のうちに、「ホジャン島から来た男がゲリラの話をした」という噂はすでに島中へ広まっていた。集められた者たちも、呼び出された理由は察している。
ざわめきが収まるのを待って、ディオが上座から口を開いた。
「皆を集めたのは他でもない。今日、グリフがホジャンの漁師と会った。アリという男だ」
何人かが顔を見合わせた。
「そいつの話では、ゲリラは拠点を分散させようとしているらしい。そして、その候補に――ルンザットも入っている」
一瞬で、場が静まり返った。
アンダルが眉をひそめる。
「まさか、本当にこの島が……」
「まだ決まったわけじゃない!」
ファジャルがすぐに声を張り上げた。
「よそ者の話を全部信じるのは危険だ。噂に踊らされれば、島が混乱するだけだぞ」
向かいに座っていたヘルマンが腕を組んだ。
「だが、あり得ない話でもない」
「何だと?」
「政府の動きも妙だ。それにホジャンの規模を考えれば、ゲリラの拠点があっても不思議じゃない」
「だからって――」
「まあ、待ちなさい」
静かな声が割って入った。
トニーだった。島で唯一の学校の校長で、2年前に首都から赴任してきた男である。
「私の耳にも、首都でゲリラ勢力が広がっているという話は入っています。ですから、完全には否定できません」
そこで一度、皆の顔を見回す。
「ただし、確証もないまま騒げば島民が浮き足立つ。まずは裏を取るべきでしょう」
「裏取りなんてしてる間に、島が巻き込まれたらどうする!」
ファジャルが机を叩いた。
「若い連中は血気盛んだ。変な話を耳にしたら、勝手に動き出すぞ」
「だからこそ、慌てるなと言っているんだ」
アンダルも身を乗り出す。
「準備だ、戦うぞなんて言い始めたら、不安を煽るだけだ」
「じゃあ、何もしないのか?」
「そうは言ってない!」
声がぶつかり合い、集会所が一気に騒がしくなった。
ディオはしばらく黙って眺めていたが、やがてにやりと笑って片手を上げた。
「分かった、分かった。そこまでだ」
まだ何か言いたそうなファジャルを見て、続ける。
「要するに、お前たちの意見は同じだろう」
「同じ?」
「誰も血を流したくない」
数人が顔を見合わせた。
「違うか?」
しばらくして、あちこちから苦笑が漏れた。
ファジャルも腕を組み直す。
「……なら、俺は言わせてもらう。無闇に反発するのはよくない。ある程度は協力するふりをした方がいい」
「それこそ危険だ」
ヘルマンがすぐに返した。
「政府に、ゲリラへ協力した証拠を握られるぞ」
「形だけならいいだろう」
「甘い」
ヘルマンは首を振る。
「俺は州都で役人たちと何度もやり合ってきた。あいつらは、後になって『仕方なかった』なんて言い訳を聞いてくれる連中じゃない」
アンダルが割って入った。
「だが、最初から拒絶してゲリラに畑を荒らされたらどうする?」
「だから――」
「どちらも危ういんです」
トニーの低い声に、2人が口を閉じた。
「協力するのも危険。正面から拒絶するのも危険です」
トニーはゆっくりと言葉を選んだ。
「だからまず目指すべきは、ゲリラと付き合わないことです。味方にも敵にもならない。それ以上でも、それ以下でもない」
ディオは満足そうにうなずいた。
「よし。今のところは、それでいこう」
皆の視線を受け止める。
「アリの話は事実だと仮定して備える。ただし、裏取りはする」
そしてグリフを見た。
「それは、お前に任せる」
「ああ」
グリフが短く答えた。
場に少し静けさが戻ったところで、グリフは膝の上で手を組んだ。
「それと、もう一つ」
皆の顔が向く。
「まだルンザットは、候補に挙がっただけだ。慌てて準備を始めれば、かえって島民を不安にさせる」
「じゃあ、何をする?」
アンダルが尋ねた。
「どうすれば候補から外れるか。それを先に考えたい」
ディオがゆっくりとうなずいた。
「俺も、それが一番だと思う」
ランプの炎が揺れた。
しばらく誰も口を開かなかった。
やがてグリフが、考えを整理するように話し始めた。
「まず、ゲリラがどうやって島に入り込むかを考えてみたい」
「どうやってって?」
ファジャルが眉を上げる。
「いきなり武器を持って押しかけてくるわけじゃないだろう」
グリフは首を振った。
「そんなことをすれば、最初から島全体を敵に回す。普通は、島民の誰かを取り込むところから始めるはずだ」
「誰かを?」
「ああ。最初はゲリラだと隠す。儲け話を持ち込むとか、仕事を紹介するとか、何でもいい」
グリフは皆を見回した。
「まず一部の人間を味方につける。そして、少しずつ仲間を増やす」
ヘルマンが低くうなる。
「気づいたときには、引き返せなくなっているわけか」
「そうだ」
グリフはうなずいた。
「そこで初めて正体を見せる。金を落とすこともあるだろうし、逆らう者には暴力を使うかもしれない」
「……ホジャンがそうだったということか」
トニーの問いに、グリフは少し考えた。
「アリの話を聞く限りでは、似たような流れだったんじゃないかと思う」
集会所の奥で、誰かが唾を飲み込む音がした。
「ただ、今回は事情が違う」
グリフは続けた。
「ゲリラには時間がない」
「政府が動くからか?」
アンダルが尋ねる。
「ああ。アリは、政府の一斉摘発は半年後くらいだと言っていた。ただ、早まる可能性もある」
グリフは指を1本立てた。
「だとすれば、3か月後くらいには新しい拠点を使える状態にして、人や物資を移し始めたいはずだ」
今度は2本目の指を立てる。
「そこから逆算すると、1か月半後くらいまでには候補地を決めなければならない」
「ずいぶん早いな」
ヘルマンが顔をしかめた。
「そう。だから、もうすぐ動き始める」
ファジャルが苛立ったように言った。
「でも、そんな連中に協力する奴がこの島にいるのか?」
何人かがうなずいた。
グリフはすぐには答えなかった。
「積極的に協力する人間は、たぶんいない」
「ほら見ろ」
「でも――」
グリフが遮った。
「政府に強い不満を持っている者なら、見て見ぬふりくらいはするかもしれない」
ファジャルの顔から笑みが消える。
「脅されたら?」
「従う者も出るだろう」
グリフは淡々と答えた。
「それに、島民同士に強い対立があれば、それを利用される」
「どういう意味だ?」
アンダルが聞く。
「例えば、島の中で主流派と反主流派が争っているとする。ゲリラが片方に『俺たちに協力すれば、お前たちを島の中心にしてやる』と持ちかける」
トニーが眉をひそめた。
「対立を利用して入り込むわけですね」
「そういうことだ」
ヘルマンが低くうなずいた。
「なるほどな……」
少し考え、腕を組み直す。
「つまり積極的に協力しなくても、積極的に敵対しなければ、奴らは入り込む隙を探す」
「その通り」
グリフは答えた。
「そういう隙は、ルンザットにだってある。たぶん、どの島にもある」
「問題は、その大きさか」
「ああ。それをゲリラがどう評価するかだ」
しばらく沈黙が続いた。
やがてヘルマンが口を開いた。
「だが、待て」
「何だ?」
「ゲリラがそんな評価をするとして、その情報をどこから得る?」
皆の視線がヘルマンへ向いた。
「外から島を眺めただけじゃ、住民同士が仲がいいか、政府に不満があるかなんて分からんだろう」
「だから、調べに来る」
グリフが答えた。
「現地を見て、島民と話す。その中で判断するしかない」
アンダルが身を乗り出した。
「ということは……」
言葉を止め、周囲を見る。
「ゲリラの調査団が、候補になっている島へ来るということか?」
「そう考えるのが自然だ」
集会所が再びざわめいた。
「だが、『ゲリラの調査団です』なんて顔をして来るはずはない」
「そりゃそうだ」
ファジャルが吐き捨てる。
「観光客か、商売人か……そんなところか?」
「たぶん」
グリフはうなずいた。
「アリみたいに漁船で突然来ることもないだろう。普通の定期船を使うはずだ」
ディオが口を挟んだ。
「この辺りの定期船は10日に一度だ」
「そう」
グリフは続けた。
「しかも海が荒れれば欠航する。だから、1か月半後に新しい拠点を決めたいなら、その1か月くらい前には調査を始めたいはずだ」
トニーが計算するように目を伏せた。
「つまり……今から半月ほど先には、動き始めてもおかしくない」
「そう思う」
ざわめきが広がった。
ファジャルが指を折る。
「定期船は昨日来たばかりだ。だったら最短で9日後じゃないか?」
「いや」
グリフが首を振った。
「アリを港まで送ったとき、もう少し聞いた」
「何を?」
「拠点を分散すると決まったのは、ほんの数日前らしい」
グリフは机に身を乗り出した。
「訓練所だけで決められることじゃない。本部から厳重な文書が届いたとアリは言っていた」
「なら、準備が必要か」
「そうだ。調査する人間を選んで、島ごとの情報を集めて……そう考えれば、次の便には間に合わない可能性が高い」
そこで言葉を切る。
「もっとも、念のため警戒は必要だけどな」
集会所の木の壁に潮風が吹きつけた。
ぎしり、と柱が軋む。
アンダルが腕を組んだまま口を開いた。
「いずれにせよ、調査する連中が来たときに、『この島は新しい拠点には向かない』と思わせる必要があるわけだ」
「そうなる」
「だが、どうやって?」
誰もすぐには答えなかった。
しばらくして、トニーがぼそりと言った。
「政府と仲がいい」
皆がトニーを見る。
「暴力にも屈しない。そして、島民同士が仲良くまとまっている」
少し間を置く。
「そう見せればいい」
ファジャルが鼻を鳴らした。
「全部、本当にそうなら苦労しないな」
トニーは薄く笑った。
「ええ。実際は、必ずしもそうではありませんから」
何人かから小さな笑いが漏れた。
グリフもうなずいた。
「だからこそ、工夫が必要なんだと思う」
ランプの炎を見つめながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「具体的に何をするかは、まだ俺にもまとまっていない」
顔を上げる。
「皆さんの知恵を借りたい」
その言葉に、集会所の視線が一斉にグリフへ集まった。
***
翌朝の海は、淡い銀色にきらめいていた。
潮の匂いに、濡れた網の匂いが混じる。ファジャルは舵を握り、弟のガランと仲間のユディを乗せて沖へ出ていた。
船が波を越えるたび、古い船体がぎしりと鳴る。
ユディが網から魚を外し、甲板で仕分けている横で、ファジャルは昨夜の会議について弟に話していた。
「要するにだ」
話を聞き終えたガランが、眉を寄せた。
「ルンザットは政府に不満なんかありません。ゲリラにも屈しません。おまけに島民みんな仲良しです――って見せればいいんだな?」
「簡単に言えばな」
「無理だろ」
即答だった。
ファジャルが横目で見る。
「早いな」
「だって俺は政府に腹が立ってる」
ガランは指を折り始めた。
「病院はない。港は小さい。大型船も入れない。電気はしょっちゅう止まる」
「まだあるぞ」
「あるのかよ」
「州の帳簿じゃ、この島には冷凍施設があることになってるらしい」
ガランが目を丸くした。
「どこに?」
「俺も見たい」
ユディが魚を抱えたまま振り返った。
「俺も見たことありませんよ」
「ほらな」
ファジャルが鼻を鳴らした。
「役人なんて、そんなもんだ」
ガランはさらに不機嫌そうな顔になる。
「それにヘルマンだ」
ファジャルが少し眉を上げた。
「出たな」
「あいつの宿に来る観光客も気に入らねえ。漁の邪魔するし、好き勝手に船を出すし」
「まあ、それは分からんでもない」
「宿は毎年でかくなる。自前の発電機まで持ってるらしいじゃねえか」
ガランは吐き捨てるように言った。
「どうせ役人とつるんで、島に来るはずの金を山分けしてんだろ」
「証拠はないぞ」
「でも怪しい」
「お前は昔から、金持ちはだいたい悪人だと思ってるからな」
「金持ちで善人なんているか?」
ユディが魚を持ったまま首を傾げる。
「ヘルマンさん、高く魚を買ってくれますけど」
「……それは別だ」
ガランが言い切った。
ファジャルは思わず笑った。
「都合がいいな、お前」
しかし、笑いは長く続かなかった。
ファジャルは沖へ目を向ける。
「とはいえ、ヘルマンがいなくても火種はある」
「農民か?」
「ああ」
ファジャルはうなずいた。
「農民から見れば、漁師ばかり優遇されてるように見える。港はある。燃料の補助もある。村長だって、ずっと漁業関係の人間から選ばれてきた」
「仕方ねえだろ」
ガランは肩をすくめる。
「人数だって漁師の方が多い。それに俺たちは命懸けで海に出てる」
網を引いていたユディが顔を上げた。
「農作業だって大変ですよ」
「でも畑でサメには食われねえだろ」
「海でも、そう簡単には食われませんよ」
ファジャルが吹き出した。
「お前ら、話がずれてるぞ」
ガランは不満そうに口を閉じた。
ファジャルの顔から笑みが消える。
「問題は、ゲリラがそこにつけ込むことだ」
「農民を味方につけるってことか?」
「そうだ」
ファジャルは舵を握り直した。
「積極的にゲリラへ手を貸す奴はいないと思う。だが、『漁師にいいようにされる生活よりマシだ』なんて吹き込まれたら、何人かは話を聞くかもしれない」
ガランの表情が曇る。
「それだけじゃない。ゲリラは、その話を今度は俺たち漁師に流す」
「農民が裏切ったぞ、と?」
「ああ。そうやって互いに疑わせる」
ファジャルは海面を睨んだ。
「追い詰められた農民がゲリラを引き入れる。漁師側がそれに反発する。気づいたときには、島全体が奴らの思うつぼだ」
ガランはしばらく黙った。
やがて小さく呟く。
「……そうなったら、俺たちは船で逃げればいいだろ」
「女や子どもを人質にされてもか?」
ファジャルが鋭く返した。
ガランの顔から冗談めいた色が消えた。
「結局、一度は言うことを聞くしかなくなる」
ファジャルは続けた。
「そして一度でも協力したら、今度は政府から『ゲリラの協力者』と見られる」
「最悪だな」
「ああ。ゲリラもそれを知ってる。だから『俺たちに従わないなら、政府に協力者だと言うぞ』って脅しもできる」
重たい沈黙が落ちた。
それを吹き飛ばすように、ユディが突然声を上げた。
「ファジャルさん!」
「なんだ!」
「いい魚が5匹もいます!」
ユディは満面の笑みで、1匹を持ち上げた。
「これはうまいですよ。どうします?」
甲板の上で銀色の魚が跳ね、朝日を弾いた。
ファジャルはしばらく魚を眺め、それから口元を緩めた。
「売れば結構な値になるな」
ガランを見る。
「どうする?」
ガランも魚を見た。
少し考えたあと、嫌そうに答える。
「……ヘルマンの宿だな」
「嫌いなんじゃなかったのか?」
「嫌いだよ」
「じゃあ他に売るか?」
「それは困る」
ガランは真顔で答えた。
「あいつが一番高く買う」
ユディが笑い出した。
「やっぱり都合がいいじゃないですか」
「うるせえ」
朝の海に、3人の笑い声が広がった。




