ホジャン島からの使者
ディオの仕事部屋は、村の長の部屋にしては意外なほど開放的だった。
高窓からは光と風が入り、壁には木彫りの装飾や南国の布が掛けられている。片足を失ってから、ディオは長椅子に腰を下ろして過ごすことが多くなった。
その周りには、誰でも気軽に座れるよう椅子や籐のスツールが置かれている。
形式ばらず、客を緊張させない。
そんな部屋の雰囲気は、持ち主の性格をそのまま映していた。
やがて、グリフに案内されてアリが入ってきた。
アリは部屋を見回したあと、姿勢を正して慎重に頭を下げた。
「やあ、アリだな。俺はディオ。ルンザット島の部族長で、村長でもある」
ディオは長椅子に座ったまま、片手を上げた。
「聞けば俺に話があるそうだな。ただ、この足だ。わざわざ小屋まで行けなくてな」
自分の左足を軽く叩いてみせる。
「だから、まず息子に話を聞かせてもらった。失礼を詫びよう」
そう言って、にこやかに手をひらひらと振った。
アリは意外そうに瞬きをした。
もっと威圧的な人物を想像していたのかもしれない。わずかに肩の力が抜けた。
「いえ……こちらこそ、お手間をかけさせました」
「そう堅くならなくていい」
ディオは近くの椅子を指した。
「俺も昔、ホジャン島に寄ったことがある。大きくて活気のある、いい島だった。港に並んだ市場の賑わいが忘れられんよ」
アリの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「ホジャンは、ルンザットの5倍くらいの人口があります。町もそれなりに発展していて、州都への定期便も毎日動いている」
そこで少し間を置き、部屋の外へ目を向けた。
「……でも、この島の人たちの素朴さは、ホジャンにはもう残っていない気がします」
「なるほどな」
ディオは笑った。
「ここは10日に一度の船で精一杯だからな。のんびりしたもんだろう」
グリフも壁際の椅子に腰を下ろした。
しばらく穏やかな空気が流れたが、ディオはやがて身を乗り出した。
「さて――肝心の話を聞かせてくれ」
笑みは残っていたが、声の調子が少し変わった。
「ゲリラのことだ。人数はどのくらいだ?」
アリはしばらく考え込んだ。
「全部で……300人ほどだと思います」
「三百か」
「そのうち8割くらいは、新人の訓練生です。組織の全体像は、俺にもはっきりとは分かりません」
アリは膝の上で指を組んだ。
「ただ、おそらく組織長と、その補佐が数人。それに訓練生の日常を支える役割の者たちがいる。そんな形だと思います」
「その組織長の名は?」
「ナディです。ホジャン出身で、拠点の立ち上げからいる人物です」
ディオは黙って次の言葉を待った。
「性格は……よく知りません。ただ、必要とあれば人を殺すことに躊躇はない。それだけは確かです」
部屋の空気が、わずかに重くなった。
グリフが腕を組む。
「武器は?」
今度はディオが尋ねた。
「旧式の銃が多いです。でも、実弾を撃てるものが訓練生の数以上にある」
「三百丁以上かもしれないということか」
「ええ。それに……爆弾やテロに使うような武器も、おそらく相当数あるはずです」
ディオは軽くうなずいた。
表情は変わらない。
「島の住民はどうなんだ。ゲリラ活動への反対派と賛成派は、どのくらいの割合だと思う?」
「大半は反対派です」
アリはすぐに答えた。
「ただ、積極的に動いているのは、今は50人いるかどうか……。でも、少しずつ増えてきています」
「なるほど」
ディオは顎に手を当てた。
「政府はどうだ。ホジャンに拠点があることを、もう知っているように見えるか?」
アリは一度、グリフの方を見た。
「……おそらく知っています」
「それなのに動かない?」
「一斉摘発を狙っているんだと思います。ホジャンだけを叩いても、ゲリラは別の拠点へ逃げられる。だから、時期を待っている」
アリの声が少し低くなった。
「軍や警察がホジャンに来るのは、半年先になる見込みです。その前に……ゲリラは拠点を分散したがっている」
言い終えると、アリは深く息を吐いた。
ディオは変わらぬ笑顔を浮かべていた。
だが、目だけはじっとアリを見据えている。
***
「さて、アリ」
ディオは指を軽く鳴らした。
「お前の話じゃ、このルンザット島のほかにも候補があるそうだな。他には、どの島が挙がっている?」
アリは記憶をたどるように目を伏せた。
「……これから増えるかもしれませんが、今のところは4つです」
「どこだ?」
「イカニア、キャラ、サピダンク、オランジャック」
ディオの眉がわずかに動いた。
「イカニアとキャラは知っている。ここから近い」
指を折りながら思い出す。
「イカニアは、この島と同じぐらいの大きさだったな。キャラは……半分も人がいなかったはずだ」
「ええ、そのくらいです」
「その4つの島には、もう知らせが届いているのか?」
「……まだです」
アリは首を横に振った。
「イカニアとキャラには、これから俺が行きます。サピダンクとオランジャックには、別の人間が知らせに行く予定です」
「もう出発したのか?」
「俺がホジャンを出た時点では、まだでした。だから、今もこれからだと思います」
「なるほど」
ディオは腕を組み直した。
「サピダンクとオランジャックは、どんな島だ?」
「サピダンクはルンザットより少し小さい程度です。人口は800人くらい」
アリは続けた。
「オランジャックはホジャンの半分ぐらいの大きさですが、ルンザットよりはずっと大きい。人口も2,000人以上はいるでしょう」
「ふむ……」
ディオは天井を見上げた。
「奴らは、どういう基準で島を選んでいると思う?」
「俺には分かりません」
アリは首を振った。
「ただ……上の人間が言うには、時間がない。だから、島民の協力が得やすい島を選ぶはずだ、と」
「協力的な島ねえ」
ディオは唇の端を上げた。
「そんな島があるのかね。俺には想像もつかん」
その言葉に、アリの表情が険しくなった。
「……うちの島だって、最初はそうでした」
先ほどまで抑えられていた声に、初めて熱がこもる。
「誰も本気じゃなかった。でも、ちょっとしたきっかけで、あいつらは入り込んだ。それから少しずつ巣を作った」
拳を握る。
「今はもう、簡単には追い出せません」
ディオはしばらくアリを見ていた。
そして、空気をやわらげるように笑った。
「まあまあ。そう力むな」
突然、話題を変える。
「それにしても、いい体格をしているな、アリ。何かスポーツか武道でもやっていたのか?」
アリは一瞬きょとんとした。
やがて肩の力を抜き、少し照れたように答える。
「……子どものころからシラットをやっていました」
「おお、やはりな。伝統武術か」
ディオは嬉しそうにグリフを指した。
「実は、うちのグリフも剣道をやっていたんだ。日本の伝統的な武道でな」
「父さん」
嫌な予感がしたのか、グリフが口を挟む。
だがディオは構わず続けた。
「実践的な体術も習っていたらしいから、ケンカも強いんだろう」
「話を盛るなよ」
「母親が日本人で、その父――つまりグリフの祖父が師範なんだ。これがまた強い男でな」
アリは驚いたように目を見開いた。
「……やはり、そうでしたか」
「分かったのか?」
グリフが聞くと、アリはうなずいた。
「ここに来る途中、後ろを歩きながらグリフの足の運びを見ていました。普通の歩き方じゃない。何かやっていると思っていました」
グリフは少しばつの悪そうな顔をした。
「自分では気づかなかったけど……確かに、後ろを警戒しながら歩いていたかもしれない」
「ほら見ろ」
ディオが得意そうに笑う。
そして、ふと2人を見比べた。
「そういや、お前たち、年も近そうだな。アリ、いくつだ?」
「22です」
「そうか。グリフは20歳だったな」
「……23だよ、父さん」
グリフが即座に訂正した。
「おっと、そうだったな」
ディオは額を押さえた。
「息子の年まで忘れるとは、俺もいよいよ駄目だな」
「前からだよ」
「ひどいことを言うな」
ディオは苦笑した。
「俺が22のころなんて、大学を出るかどうかで右往左往していた。今思えば幼かったよ」
2人を見比べる。
「それに比べりゃ、お前たちはもう立派に大人の顔をしている。大したものだ」
そう言って、豪快に笑った。
アリの表情にも、わずかな笑みが戻った。
***
緊張が少し解けたところで、ディオは肘掛けに寄りかかった。
「一つ、どうしても気になることがある」
その声に、アリの表情が再び引き締まった。
「君たちのグループは、どうして候補になっている島にわざわざ知らせて回るんだ?」
ディオは軽く首を傾けた。
「ゲリラの機密を漏らすなんて、かなり危険な橋だ。見返りもなしに、ただ親切心だけで動くというのは……少し不自然じゃないか?」
アリは短く息をつき、視線を落とした。
「それは……すでにグリフにも言いました」
しばらく考えてから続ける。
「俺は、ただ伝えるように言われただけです。上の人間は、本当に他の島に迷惑を広げたくないと思っているんだと思います」
ディオは口元を緩めた。
「ふむ、そうかなぁ」
アリが顔を上げる。
「君の言葉は信じるよ。ただ、君の後ろにいる人間まで同じとは限らない」
ディオは人差し指を軽く立てた。
「だから、勝手に推測してみてもいいか?」
アリは目を瞬かせた。
「……そちらの立場なら、仕方ありません」
それでも少し困ったような顔になる。
「ただ、島の人間は、あまり複雑なことは考えません。深読みしすぎないでほしい」
「ほう」
「上の人間は、本当に親切で伝えようとしている。他の島の好意を得たいという気持ちはあると思います」
一度言葉を切った。
「もし下心があるとすれば……ゲリラが去ったあとの政府の取り調べや弾圧を、少しでも軽くしてもらいたい。そのくらいでしょう」
「なるほどな」
ディオは愉快そうに笑った。
「俺も、そんなところかと思っていた」
そのとき、グリフが口を開いた。
「この話を……アリの名前を出さずに、政府側へ伝えてもいいのか?」
アリの顔が一瞬で固くなった。
「やめたほうがいい」
即答だった。
「政府にも、ゲリラとつながっている人間がいる」
ディオの笑みが少し消えた。
「それは確かなのか?」
「確証はありません。でも……拠点を完全に移すんじゃなく、分散させるのも、政府側の担当者に『手柄』を立てさせるためじゃないかと思っています」
グリフは肩をすくめた。
「なんだ。十分に複雑な状況じゃないか」
「……いや」
アリは慌てて言い直した。
「それは俺の想像です」
「想像?」
「ええ。たとえ政府にゲリラとつながる者がいたとしても、最近の流れはゲリラに不利です。だから、その人間たちも、もう手を切ってしまったかもしれない」
グリフは腕を組んだ。
「つまり、政府が徹底的に掃討するのか。それとも、形式だけで終わるのか。それすら分からないということか」
「ええ」
アリはうなずいた。
「徹底的にやる可能性は高い。でも、形式だけで終わる可能性も残っています」
ディオは2人を見比べ、軽く肩をすくめた。
「まあ、世の中だいたいそんなもんだ」
再び笑みを浮かべる。
「ホジャン島にとっては、ゲリラと政府のどちらに重心を置くか、悩ましいところなんだろう」
そしてアリをまっすぐ見た。
「だが、ルンザットにとってはもっと単純だ。まず、ゲリラの拠点候補から外れる。それだけを考えればいい」
アリが静かにうなずいた。
「……アリ」
ディオの声が柔らかくなった。
「自分の島が苦境にある中、知らせてくれてありがとう。感謝するよ」
アリは小さく頭を下げた。
そのとき、グリフが言った。
「でも、アリの話が本当かどうかは、念のためホジャン島に確認したい。構わないか?」
アリは目を細めた。
しばらく考えてから答える。
「それはこちらから止めることはできません。ただ……下手に動いてゲリラに知られれば、今後、俺たちが情報を伝えるのをためらうことになる」
「確かにそうだな」
グリフはうなずいた。
「でも、島の人たちに説明するには裏を取る必要がある」
少し考える。
「行かせるとしても、信用できる人間に任せるよ。迷惑をかけないよう、最大限配慮する」
「それならいい」
「それは俺からも約束しよう」
ディオが言葉を添えた。
窓から入った風が、壁に掛けられた布を揺らした。
***
「ところで、アリ」
ディオが尋ねる。
「これから、どうするつもりだ?」
「他の島に知らせたあと、首都へ行くつもりです」
「ホジャンには戻らないのか?」
「しばらくは」
アリの顔が曇った。
「候補地に伝えたことがゲリラに知られれば危険です。首都なら、政府の動きも少しは掴めるでしょうし」
「いつ出発する?」
「これからすぐです」
「そうか」
ディオはグリフを見る。
「港まで送ってやれ」
「ああ」
グリフが答えた。
「……何か、言い残したことはあるか?」
アリは黙り込んだ。
膝の上に置いた手を見つめたまま、しばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「ディオ、グリフ。俺は、2人を信じられる人間だと感じています」
その声は、それまでより静かだった。
「だから、頼みたいことがあります」
ディオの表情から笑みが消えた。
「聞こう」
「もっとも可能性が高いのは、ゲリラが掃討されたあと、住民が強制退去させられることです」
アリは言葉を選びながら続けた。
「過去にも、そういう例がありました。住む場所を失った人たちの多くはスラムへ流れ、厳しい生活を強いられています」
グリフが黙って聞いている。
「もしホジャンでも同じことが起きたら……」
アリは一度息を吸った。
「この島に、住民を受け入れてほしいんです。もちろん全員でなく、一部だけで構いません」
「ホジャンは5,000人だったな」
ディオはゆっくりとうなずいた。
「全員は無理だ。だが、何人かなら何とかなるだろう。島の連中も、いいやつばかりだからな」
「父さん」
グリフがすぐに口を挟んだ。
「安請け合いはしないほうがいい」
「おいおい」
「島民の説得も必要だ。食料や住む場所だって考えなくちゃならない」
ディオは口をつぐんだ。
グリフはアリに向き直る。
「それでも……もしそうなったとき、受け入れられるよう準備はしておく」
アリは深く頭を下げた。
「ありがとう。それで十分です」
その顔には、まだ不安の影が残っていた。
だが同時に、ひとつ仕事を果たした安堵の色も浮かんでいる。
アリは静かに部屋を出ていった。
グリフも、その後を追う。
1人残されたディオは、長椅子に深く身体を預けた。
足に鈍い痛みが走り、わずかに顔をしかめる。
窓の外へ目を向けると、グリフとアリが並んで海へ向かって歩いていた。
2人の背中を、潮風が押していた。




