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島という会議室

 4日目から、グリフは大人に話を聞き始めた。

 とはいえ、この島における「大人」は曖昧だった。

 体が大きくなれば大人。

 周囲が認めれば大人。

 だから、日本ならまだ高校生くらいでも、ここでは一人前として扱われる。

 その日、グリフが話をしたのはクサナとナディだった。

 2人は兄弟で、畑の端で作業をしていた。

 土を起こし、苗の間の雑草を抜いている。

 日差しは強く、空気は湿っていた。

 遠くで鳥の鳴き声が聞こえ、土の匂いが立ち上る。

 グリフも黙って手伝った。

 しばらくは世間話だった。

 最近の漁の話。

 ゲリラの後の島の変化。

 誰が結婚したとか、誰が怪我をしたとか。

 汗がにじみ始めたころ、グリフは切り出した。

「ちょっと聞きたいことがあるんだ」

 もう何度も話してきた内容だ。

 要点だけを短く伝える。

 自分でも、ずいぶん無駄が削ぎ落とされたと感じていた。

 説明を終えると、すぐにクサナが聞いてきた。

「で、グリフ自身はどっちがいいと思ってるんだ」

 兄らしい、まっすぐな問いだった。

 グリフは少し考えてから答えた。

「難しいな。話すたびに変わる」

 正直な言葉だった。

「こっちがいいと思ったり、やっぱりあっちもありだと思ったり……」

 クサナはうなずいた。

「俺は農民だからってのもあるが、新作物優先でいい気がする。安定してる感じがするしな」

 そして横を見る。

「お前はどう思う」

 ナディは肩をすくめた。

「俺はどっちでもいい」

 軽い口調だった。

「どうせそのうち島出るし」

 グリフは手を止めた。

「そうか……出るのか」

「うん」

 ナディはあっさり言った。

「まだ何も決まってないけどな。出てから探す」

「当てはあるのか」

「ない。トニー先生とかヘルマンさんのツテでもあればいいなと思ってるけど」

 グリフは少し眉をひそめた。

「日本はどうだ」

「いいかもな」

 ナディは笑った。

「グリフの知り合いとかで仕事ない?」

「……ないな」

 即答だった。

「ディオでも難しいと思う」

「だよな」

 ナディは肩を回した。

「州都で紹介してくれる奴いるらしいけど、最初に金いるらしいし」

「その手の話は気をつけろ」

 グリフは少し強めに言った。

「騙すやつも多い」

「わかってるよ。でも他に方法思いつかないんだ」

 ナディは少しだけ真顔になった。

「だからさ」

 土を踏みしめながら言う。

「俺にとっては、冷凍施設とか新作物とかより、自分の仕事のほうが大事なんだよ」

 その言葉は重かった。

 グリフは一瞬、返す言葉を失った。

「……そうだよな」

 やっとそれだけ言えた。

 少し間をおいて、グリフは続けた。

「でもさ、もし客観的に考えるとしたら――」

 言いかけて、自分でも無理があると感じた。

 ナディは苦笑した。

「無理だな」

 あっさりだった。

「真面目に考えてるつもりだけどさ……わからん」

 少し考えてから続ける。

「適当に言うなら兄貴に合わせて新作物って言える。でもそれは俺らの都合だしな」

 そしてグリフを見る。

「島にとってって言われたら無理だ」

 一拍おいて、ぽつりと。

「俺はグリフを信じるよ」

 グリフの胸に、その言葉が静かに落ちた。

「グリフが決めたほうでいい」

 横でクサナが笑った。

「こいつ真面目なんだよ」

 そして少し顔を引き締める。

「グリフ」

 声が変わった。

「お前のやってることを否定するつもりはない」

 だが、と続ける。

「これって本来、お前たち幹部の仕事じゃないのか」

 グリフは黙った。

「俺たちに聞くのは悪くない。でもな――」

 クサナはゆっくり言葉を選んだ。

「見方を変えれば、責任をこっちに押し付けてるようにも見える」

 風が吹いた。

 葉がざわりと鳴る。

 グリフはすぐに否定した。

「違う」

 言葉が少し強くなる。

「そうじゃない」

 しかし、その先が続かなかった。

 何が違うのか、どう違うのか。

 うまく言葉にできない。

 しばらく沈黙が流れた。

 グリフはやっと口を開いた。

「……罠の撤去のときだ」

 2人が顔を上げる。

「あれは俺の判断だった」

 グリフの声は低かった。

「そして、多分間違ってた」

 土を握る手に力が入る。

「みんな不便だと思ってると思った。でも違った」

 息を吐く。

「俺の判断で島を危険にさらした。……アンダルさんの足も」

 クサナは首を振った。

「それは結果論だ」

 はっきり言った。

「俺も不便には思ってたしな」

 少し笑う。

「俺がその立場でも同じ判断したと思う」

 ナディが空気を変えるように笑った。

「グリフも真面目ってことだな」

 その軽さに救われたように、グリフは小さく笑った。

「少し愚痴っぽくなったな。すまん」

「いいよ」

 クサナが言う。

「でもさ」

 少しだけ口元を緩める。

「そのやり方、泥臭いよな」

 グリフは顔を上げた。

「でも嫌いじゃない」

 クサナはそう言った。

 グリフは一瞬、言葉に詰まった。

「……ありがとう」

 立ち上がる。

 会話は決着していない。

 むしろ、答えは遠くなった気すらする。

 だが、不思議と気分は悪くなかった。

 風が吹き抜ける。

 汗が乾いていく。

 グリフは2人に背を向け、ゆっくりと歩き出した。

 (遠回りだな……)

 そう思いながらも、

 (でも、これでいい)

 と、どこかで確信していた。


***


 数日後、グリフは久しぶりに加工場に戻っていた。

 潮の匂いと、煮詰めた魚の甘い匂いが混ざり合う、あの独特の空気。

 大きな鍋から立ち上る湯気。

 缶を打つ金属音が、一定のリズムで響いている。

 (やっぱり、ここは落ち着くな……)

 グリフはそう思いながら、手を動かしていた。

 本来の仕事は管理だ。帳簿の確認や出荷の調整。

 だが、時間があれば現場にも入る。

 そのほうが、この場所の温度がわかるからだ。

 夕方になり、作業が一段落すると、空気が一気に緩んだ。

 誰かが冗談を言い、誰かが笑う。

 疲れた体をほぐすように、人の声が広がっていく。

 加工場の外、風の通る日陰で、4、5人の女性たちが固まって話していた。

 手にはまだ仕事の余韻が残っているのか、布や道具を持ったままだ。

 グリフはそこに近づいた。

「少し時間もらえるかな」

 声をかけると、すぐに反応が返ってきた。

「おやおや、やっと現れたね」

 1人が笑いながら言う。

「例の話でしょ? 知ってるよ」

 別の女性が腕を組む。

「『グリフくんがまた変なこと始めた』って、こっちは順番まだかねって話してたんだよ」

 周りがどっと笑う。

「そうそう」

 別の1人が乗っかる。

「最近さ、朝ちょっと顔出して、昼にはいなくなるじゃない。何やってんだろうねって、陰口言ってたとこ」

 グリフは苦笑した。

「それは……まいったな」

 頭をかきながら言う。

「落ち着いたらちゃんと手伝うよ」

「ほんとかねえ」

「どうだかねえ」

 からかう声が飛ぶ。

 だが、その軽口の裏に悪意はない。

 この距離感が、グリフにはありがたかった。

「それでさ」

 グリフは少し声のトーンを落とした。

「冷凍施設と新作物の件、みんなにも聞きたくて」

 女性たちは顔を見合わせた。

 そして1人が言った。

「その前にさ」

 少し真面目な顔になる。

「冷凍施設ができたら、この加工場ってどうなるの?」

 グリフは一瞬、言葉に詰まった。

「……どうなるって?」

「だってさ」

 別の女性が続ける。

「魚は冷凍しちゃうんでしょ? だったらここ、いらなくなるんじゃないかって」

「ああ……」

 グリフはすぐに首を振った。

「それはないよ」

 少し強めに言う。

「うちの缶詰、結構評判いいんだ。やめたりしたら、逆に怒られる」

「へえ」

「そうなんだ」

 女性たちは少し安心したようにうなずいた。

 だが、別の声が上がる。

「でもね」

 少し年上の女性が言う。

「うちの旦那が言うには、冷凍施設できてもそんなにいいことないって」

「え?」

 グリフは思わず聞き返した。

「旦那さん、漁師だろ?」

「そうだよ」

 肩をすくめる。

「でもね、うちの船じゃそんなに魚獲れないんだって」

 周りもうなずく。

「冷凍施設に入れるほどの量じゃないってさ」

「だから、あれで得するのはファジャルとか、大きい船持ってる家だけだって言ってたよ」

 グリフは息を飲んだ。

 (……そうか)

 頭の中で、何かが静かにズレた。

「漁民=冷凍施設賛成」

 そんな単純な構図ではない。

「じゃあ、冷凍施設はいらないってことか?」

 慎重に聞く。

「いや、そこまでは言ってないよ」

 すぐに返ってくる。

「氷は欲しいって」

「氷?」

「そう」

 別の女性が説明する。

「氷を船に積んでいけば、魚が腐るの遅くなるでしょ」

「そしたら長く海にいられるから助かるって」

「なるほど……」

 グリフは小さく頷いた。

 (冷凍じゃなくて、「氷」か……)

「じゃあ」

 グリフは考えながら言う。

「氷を作るだけなら、大きな施設はいらないのか」

「そうじゃない?」

「でもさ」

 別の女性が言う。

「もう作り始めちゃってるんでしょ? 今さら小さくしろって言えないよね」

「……確かに」

 グリフは腕を組んだ。

 しばらく黙る。

 そして、ふと口に出した。

「区切れないかな」

「え?」

「中を」

 グリフは手で空間を切るような仕草をした。

「全部を一気に冷やすんじゃなくて、一部だけ使うとか」

 女性たちは顔を見合わせる。

「そんなことできるのかね」

「わからない」

 グリフは正直に答えた。

「でも、もしできれば電力はかなり節約できる」

 (……イルハンに聞く価値はあるな)

 頭の中で次の行動が浮かぶ。

 さらに考えが広がる。

 (氷を先に作っておくことはできないか……?)

 余裕のある時間に氷を大量に作る。

 ピーク時はそれを使って冷やす。

 (バッファを持てば……ピークを分散できるかもしれない)

 小さな歯車が、かみ合い始める感覚があった。

 女性たちはそんなグリフの様子を見て笑った。

「また何か思いついた顔してるよ」

「顔に出てるねえ」

「いや……」

 グリフは少し照れくさそうに笑った。

「ちょっとヒントもらった」

 そして、ふと心の中で思う。

 (ファジャルとだけ話してても、これは出てこなかったな……)

 漁民という「塊」ではなく、生活の中にいる「個人」。

 その視点の違い。

 それが今、はっきりとわかった。

「ありがとう」

 グリフは素直に言った。

「また話聞かせてくれ」

「いいよ」

「今度はちゃんと手伝ってからね」

「……はい」

 また笑いが起きる。

 その輪の中に、グリフも少しだけ混ざった。

 そして心の奥で、静かに確信していた。

 (やっぱり、このやり方でいくしかないな)

 一人一人の声を拾う。

 遠回りだが、確実な道。

 グリフは次に話を聞く相手の顔を思い浮かべながら、ゆっくりと立ち上がった。


***


 グリフが大人たちと話し始めてから、1週間が経っていた。

 島の人口は1,000人弱。子どもを除けば700人ほど。

 その一人一人に向き合うというのは、思っていた以上に骨が折れる作業だった。

 半日を使って話せるのは、せいぜい十数人。

 運がよければグループで5、6人。だが多くは2人か3人ずつ、ゆっくりとした会話になる。

 (このペースだと……)

 頭の中でざっと計算する。

 (全部回るだけで、2、3か月か)

 そこから意見を整理し、論点を抽出し、結論に落とす。

 (……さらに時間がかかるな)

 ため息が出そうになるのをこらえた。

 だが、時間をかける価値はあると思っていた。

 時間をかけた分だけ、結論は島民に「自分のもの」として受け入れられる。

 ディオが恐れていたような、日本の住民説明会――怒号と不信に満ちた場――にはならない。

 (……多分)

 グリフは苦笑する。

 (そうであってほしい、か)

 本音はそこだった。

 ただ、やはり――遅い。

 あまりにも非効率だ。

 自分でもそう思う。

 だが、その「遅さ」が変化を生み始めていた。

 数日前から、島民の側に変化が現れたのだ。

 グリフが話しかける前に、向こうから声をかけてくる。

「おい、あの話だけどな」

「ちょっと思いついたことがある」

 最初はぽつぽつだったが、それが次第に増えていった。

 冷凍施設か、新作物か。

 その話題は、島全体に広がっていた。

 畑でも、浜でも、加工場でも。

 誰かが話し、誰かが口を挟み、誰かが笑いながら否定する。

 島そのものが、ひとつの会議室のようになっていた。

 グリフのもとに来る人間は、ただ意見を言うだけではなかった。

 自分なりの理由や、時には解決策まで持ってくる。

 中には既に聞いた話もある。

 現実離れした案も多い。

 だが――

 (悪くない)

 グリフはそう感じていた。

 (少なくとも、みんな自分の問題として考えている)

 それが何より重要だった。

 そして、グリフは一つの仕掛けを思いついた。

 村の集会所。

 その壁に、大きな紙を貼る。

 そこに、これまで出てきた意見をすべて書き出した。

 誰が言ったかは書かない。

 内容だけを、できるだけそのままの言葉で並べる。

 最初は誰も気に留めなかった。

 だが、2日、3日と経つうちに、人が集まり始めた。

 仕事の合間にふらりと立ち寄る者。

 子どもを連れてくる母親。

 通りがかりに立ち止まり、腕を組んで読み込む男。

「これ、誰が言ったんだ?」

「さあな」

「でも、わかる気もするな」

 そんな声が聞こえるようになった。

 いままでは、グリフを探して話さなければならなかった。

 それが、ここに来ればいい。

 その変化は大きかった。

 意見の数が増える。

 そして、意見同士がぶつかり始める。

 (いい流れだ)

 グリフはそう感じていた。


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