島を分ける電気
グリフはまず、冷凍施設の様子を見に行くことにした。
港のはずれに建てられたその建物は、島では見慣れない規模だった。
鉄骨とコンクリートで組まれた外壁は、まだ新しく、陽の光を反射して白く光っている。
中に入ると、ひんやりとした空気が肌に触れた。
機械の低い唸り音が、途切れることなく続いている。
(……金がかかってるな)
そう思った。
この施設が動き出せば、確かにすぐに金になる。ファジャルが強気になるのも無理はない。
奥で作業をしていた男に声をかけた。
「イルハンさん、ですか」
男は振り向いた。
40代くらいだろうか、日焼けした顔に油の汚れがついている。
「ああ、そうだ。君は?」
「グリフです。島の者で、少し電力のことで話を聞きたくて」
イルハンは工具を置き、軽く頷いた。
「いいだろう。ちょうど一段落したところだ」
2人は建物の外に出た。
機械音が少し遠ざかり、代わりに波の音が聞こえてくる。
*
「冷凍施設を動かすには、発電量の7割が必要だと聞いています」
グリフが切り出すと、イルハンはあっさりと答えた。
「ああ、だいたいそのくらいだ」
迷いのない言い方だった。
「ただし――」
少し指を立てる。
「気温と、魚の量で変わる」
「涼しければ少なくて済む。だが暑い日や、大量に魚を入れたときは……」
少し笑った。
「7割じゃ足りないこともある」
グリフは思わず眉をひそめた。
「7割を超えることも?」
「ある」
即答だった。
グリフは一度、言葉を整理した。
「実は……農業の方でも電力が必要なんです」
「ポンプを回すために、最大で5割くらい」
イルハンは少し驚いた顔をした。
「5割?」
「それは……」
腕を組む。
「合計したら、完全に足りないな」
グリフは苦笑した。
「そうなんです」
イルハンは少し考え込んだ。
「私は総発電量しか聞いていなかった」
「それだけあれば問題ないと思っていたが……」
首を振る。
「他にも使うなら話は別だ」
そして、はっきりと言った。
「悪いが、冷凍側としては削れない」
「そちらはそちらで、何とかしてもらうしかないな」
***
(やっぱりそう来るか)
グリフは内心でため息をついたが、顔には出さなかった。
「一つ聞きたいんですが」
「時間帯で電力を分けることはできませんか?」
イルハンが眉を上げる。
「例えば、昼は冷凍を優先して、夜は農業側に回す、とか」
イルハンは少し考えた。
「……理屈としては可能だ」
「夜は気温が下がる。多少電力を落としても回る」
「だが――」
首を横に振る。
「魚の量が読めない」
「漁は自然相手だ。大量に入る日もあれば、ほとんどない日もある」
「そのたびに電力を調整するのは……」
言葉を濁す。
「現実的とは言えないな」
グリフはそれでも食い下がった。
「つまり、状況によっては電力を抑えることもできる、ということですよね」
イルハンは少しだけ肩をすくめた。
「まあ、そういうことになる」
「だが、それを前提に運用するのは危険だ」
「冷凍は一度失敗すると、全部ダメになる」
グリフは頷いた。
「わかりました」
「参考になりました。ありがとうございます」
イルハンは軽く手を上げた。
「役に立てばいいがな」
***
翌日。
グリフはローサのいる畑に向かった。
以前よりも整備が進み、木の間に新しい苗が並んでいる。
土は黒く湿っていたが、ところどころ乾いた場所も見える。
(……確かに水が必要そうだ)
そう思いながら歩いていると、ローサが気づいて顔を上げた。
「よう、ローサ。頑張ってるな」
ローサは一瞬だけ笑って、すぐに表情を変えた。
「やっぱ来たね」
腕を組む。
「今回は引けないよ」
グリフは苦笑した。
「もう話は聞いてるんだな」
「当たり前でしょ」
*
グリフは本題に入った。
「冷凍施設の責任者と話してきた」
「そっちの話も詳しく聞きたい」
ローサは少しだけ目を細めた。
「で?」
「何を聞きたいの」
「ポンプの電力」
グリフは真っ直ぐに言った。
「5割必要って話は本当か?」
ローサは少し考えてから答えた。
「……いつもじゃないけど、それくらいは必要になる」
「いつもじゃない?」
グリフはすぐに反応した。
「つまり、条件によって変わるってことか」
「そう」
「雨季はほとんどいらない」
*
グリフは少し笑った。
「それはまあ、そうだろうな」
そして少し真面目な顔になる。
「でもさ」
「そもそも、なんでそんなに水が必要なんだ?」
ローサは少し黙った。
そして、ゆっくりと話し始めた。
「アンダルさんのときは、小規模だったから大丈夫だったの」
「でも今回は違う」
「島全体でやるの」
ローサは畑の先、森の方を指さした。
「森を切るでしょ」
「そうすると水が流れちゃうの」
「土が水を貯められなくなる」
グリフは頷いた。
「……保水力が落ちるってことか」
「そう」
ローサは続けた。
「そうなるとね」
「これ、まだみんなには言ってないけど」
少し声を落とす。
「タロイモにも影響が出る」
グリフは一瞬、言葉を失った。
(……それはまずいな)
島民の主食に影響が出る。
それは単なる経済問題ではなくなる。
「それ、ベニは知ってるのか?」
「知ってるよ」
「でも……」
ローサは少しだけ視線を逸らした。
「どの程度の影響かは、まだわからない」
グリフはゆっくりと息を吐いた。
「なるほどな……」
「これは下手すると、農民同士でも割れる」
ローサがうなずく。
「だから」
「電力は絶対必要なの」
「お願い、グリフ」
少し身を乗り出す。
「頼めるよね?」
そして、少しだけ笑った。
「ゲリラ倒したの、私だって黙っててあげるから」
*
グリフは呆れたように笑った。
「そういうのいいから」
「別に話されても困らないし」
「まあ……」
少しだけ間を置く。
「話さないなら、その方が楽だけどな」
ローサは「ふーん」と鼻で笑った。
*
グリフは話を戻した。
「水の話は分かった」
「ため池作って、ポンプで上げるんだな」
「そう」
「じゃあ、ポンプは常にフル稼働じゃないな?」
ローサは少し考えた。
「……うん、そう」
「でもね」
「いつ必要になるかは天気次第」
「だから時間で決めるのは難しいと思う」
グリフは頭をかいた。
「冷凍も同じこと言ってた」
「結局――」
空を見上げる。
「使いたいタイミングが重なる」
ローサは肩をすくめた。
「でしょ」
*
しばらく沈黙があった。
風が吹いて、葉が揺れる。
グリフは小さくつぶやいた。
「……やっかいだな」
そして、ぽつりと。
「日本に帰りたい」
ローサが即答した。
「帰れば?」
「帰れねえよ」
「じゃあ文句言うな」
「はいはい」
グリフは苦笑した。
だが、目は少しだけ真剣だった。
(……分けるんじゃダメだな)
(順番でもない)
(もっと別のやり方がいる)
問題は、まだ何一つ解決していなかった。
だが。
どこが本当の問題なのかだけは、はっきりしてきていた。
***
2、3日後の夕方だった。
港の外れ、ディオの加工場の裏手にある小屋。
風通しはいいが、少し油と魚の匂いが残っている。
グリフは簡単な机に肘をつき、紙に何かを書いては消していた。
(……だめだな)
線を引いて、また消す。
(結局、どこかで切るしかない)
そのとき、戸が開いた。
「よう」
ディオだった。
松葉杖を軽く鳴らしながら中に入ってくる。
「どうだ、グリフ」
いつもの軽い調子だが、目は真剣だった。
「なんとかなりそうか」
グリフは顔を上げた。
少しだけ笑う。
「……あれから、いろいろ話を聞いたり調べたりした」
言葉を選ぶように黙った。
「でもな」
首を振る。
「双方を満足させる方法は見つからなかった」
ディオが固まった。
「え?」
「うそだろ」
半歩前に出る。
「いや、普通この流れなら――」
手を振る。
「お前がスパーンと解決して、めでたしめでたし、じゃないのか?」
グリフは思わず笑った。
「それは、おとぎ話だろ」
自嘲気味に肩をすくめる。
「現実はそんなに都合よくいかない」
*
少し沈黙があった。
ディオはため息をついた。
「……無理か」
グリフはゆっくり頷いた。
「無理だな」
はっきりと言う。
「結局、どちらかを優先するしかない」
「中途半端にやると、どっちも潰れる」
ディオが椅子に腰を下ろした。
「で?」
「お前の結論は」
グリフは少しだけ迷ったが、すぐに答えた。
「経済的に考えれば」
「冷凍施設だ」
「確実に金になる」
「農民には……悪いが泣いてもらうしかない」
ディオは少しだけ眉をひそめた。
「調整は無理なのか」
グリフはすぐに首を振る。
「いや、ある程度はできる」
机の紙を指で叩く。
「どっちも、常にフル稼働じゃない」
「ピークがずれてる時は、なんとかなる」
「でもな――」
視線を上げる。
「重なったら終わりだ」
*
ディオは黙って聞いている。
グリフは続けた。
「そのときは、どちらかを切らなきゃならない」
「農業を切れば――」
少しだけ言葉を選ぶ。
「せっかく育てた樹木が枯れるかもしれない」
「だったら、今止めてやったほうが……優しい」
ディオはすぐに首を振った。
「それはまずい」
即答だった。
「農業振興はもう走り出してる」
「政府に何て言う」
「ここで止めたら、もう援助は来ないぞ」
グリフは黙る。
ディオは続けた。
「とりあえず、可能性があるなら進めるべきだ」
「ピークが重なったら、そのとき考えればいい」
一瞬間を置く。
「……まあ、冗談半分だがな」
苦笑する。
*
グリフは無言だった。
ディオは少しだけ姿勢を崩した。
「でもな」
少し低い声になる。
「今の体制もよくない」
「俺とお前は漁民側だ」
「ベニは……あれだ」
言葉を濁す。
「農民の不満を抑えられない」
グリフは頷いた。
「むしろ増幅するな」
「だろ?」
ディオは苦笑した。
「アンダルだったら違った」
「自分で始めたことだし、自分が我慢するって言えた」
「でもベニは違う」
「下の声をそのまま持ち上げる」
グリフは少し考えた。
「だから俺も」
「今は農民をどうなだめるかで考えてる」
ディオがちらっと見る。
「政府への言い訳はどうにでもなる」
グリフは続けた。
「軍の失態を隠してやってるんだ」
「こっちが多少無理言っても通る」
少し間があった。
グリフはぽつりと続けた。
「正直なところ」
「俺は農業を優先したい」
ディオが目を細める。
「自警団のときも」
「農民のほうが積極的だった」
「チャンドラさんも、ローサも、アンダルさんも」
少しだけ視線を落とす。
「……あの人たちを見てるとな」
「今回は、って思う」
ディオは黙って聞いていた。
グリフは続ける。
「今までは、どっちかと言えば冷遇されてた側だ」
「でもな」
顔を上げる。
「冷凍施設だって、リスクはある」
「不漁が続けば空回りする」
「農業は時間がかかるが――」
「安定する可能性は高い」
*
ディオは腕を組んだ。
「……でも」
「収益の可能性が高いのは冷凍だ」
グリフはすぐに頷いた。
「そうなんだ」
「そこに戻る」
苦笑する。
「この島が企業なら、迷わない」
「冷凍1択だ」
「でも島は違う」
ゆっくりと言う。
「みんなで幸せになるための場所だ」
ディオは静かに返した。
「でもな」
「金がなきゃ幸せにはできない」
小さく息を吐いた。
「病院がなければ、子どもは死ぬ」
グリフは何も言わなかった。
ディオは続けた。
「政府も万能じゃない」
「助けを求める島はいくらでもある」
「その中で――」
指で机を軽く叩く。
「自分たちでも動いてる島を優先するのは当然だ」
グリフはゆっくり頷いた。
「……そうだな」
小さくつぶやく。
「この局面では、経済優先か」
少し間があった。
グリフがふと思いついたように言う。
「農民には……」
「集会所にテレビと冷蔵庫を置く」
「それでバランスを取るのはどうだ」
ディオが少し笑った。
「悪くない」
「形としては納得しやすい」
「漁民の村にはないからな」
グリフは頷いた。
「問題は」
「それで納得する人間がどれだけいるかだ」
ディオは少し遠くを見るような目をした。
「……最近は変わってきてる」
「ゲリラの件以来」
「新作物に前向きなやつが増えた」
グリフもうなずく。
「自信がついたんだろうな」
「やればできるって」
「ベニも、少し変わった」
ディオは苦笑した。
「いいことなんだが……」
肩をすくめる。
「俺としては、昔のほうが扱いやすかったな」
少し小さな声で付け加える。
「……まあ、ここだけの話だ」
2人は少し笑った。
「じゃあ」
ディオが言う。
「冷凍優先、農民には家電」
「その方向でいくとしたら――」
少し間を置いた。
「どうなると思う?」
グリフはすぐには答えなかった。
代わりにディオを見た。
ディオは少し顔をしかめた。
「……俺が言うんだよな」
「村長として」
グリフは笑った。
「そうなるな」
ディオは頭を抱えた。
「いやだなあ……」
「昔、日本で見たんだよ」
「住民説明会」
グリフも思い出したように言う。
「ああ、ゴミ焼却場のやつか」
「ダイオキシンとかで揉めてた」
ディオはうなずく。
「あの市役所の人たち」
「めちゃくちゃ詰められてたろ」
「……あれを俺がやるのか?」
グリフは即答した。
「そうだな」
「村長だからな」
ディオは天井を見上げた。
「俺のイメージと違うんだよなあ……」
「南の島の族長って、もっとこう……」
手を広げる。
「のんびりしてるもんだろ」
グリフは笑った。
「時代が変わったんだよ」
ディオはしばらく黙っていた。
そして、ふと顔を上げた。
「なあ」
「お前も同席しろよ」
グリフが眉をひそめる。
「なんでだよ」
「チャンドラが怒るだろ」
真顔だった。
「あいつ強いんだよ」
「考え直せって言われたら、俺、多分『わかった』って言う」
グリフは吹き出した。
「情けないな」
「お前でも止められないだろ」
「チャンドラさんは無理だ」
少し真面目に言う。
ディオは少し笑った。
「じゃあ、止められる方法を考えろ」
グリフはため息をついた。
「……結局そこか」
しばらく黙っていたが、やがて言った。
「わかった」
「その形にならないようにする」
ディオは満足そうに頷いた。
「頼んだぞ」
そう言うと、松葉杖を抱えて立ち上がり、ゆっくりと外へ出ていった。
グリフは1人残った。
机の上の紙を見る。
書いては消した線。
答えはまだない。
だが――
(……逃げ場はないな)
小さく笑った。
「さて」
「どうやって、全員を納得させるか」




