90分の攻防
グリフは、拘束したゲリラを木に縛り付けると、すぐに体を反転させた。
(チャンドラさん――)
位置は見当がついている。
走り出す。
その途中で、上を見上げた。
「ローサ、上を行け!」
木の上の通路を指さす。
「上から援護だ。無理はするな」
ローサは何も言わず、すぐに動いた。
軽やかに木に取り付き、あっという間に姿を消す。
(……あいつに避難しろって言っても、聞かないな)
半ば諦めながらも、グリフは前へ進んだ。
*
チャンドラがいるはずの場所に着くと――
戦闘は、すでに終わっていた。
ゲリラは倒され、木に縛られている。
チャンドラが、肩で息をしながら振り返った。
「チャンドラ、無事だったか」
「ああ」
短く答える。
「予想通りだ。大した腕じゃなかった」
少し笑う。
「そっちも楽勝だったろ」
「いや、まあ……」
グリフが言葉を濁した、そのとき。
上から、くすっとした笑い声。
ローサだ。
チャンドラが振り向こうとしたが――
グリフが先に口を開いた。
「チャンドラ」
声が少し低くなる。
「道の連中の状況を見に行こう」
「アンダルさんが、道を塞いでるはずだ」
一瞬、間を置く。
「……さっき、大きな音がした」
チャンドラの表情が引き締まる。
「何かあったかもしれない」
グリフは上を見上げる。
「ローサ、お父さんは無事だ」
短く言い切る。
「すぐ避難しろ」
返事はなかった。
だが、枝が揺れ、気配が離れていく。
(……頼む)
*
2人は木の上の通路へ上がり、村の方向へ向かった。
森の中に、音が散っている。
銃声。
スリングショットの発射音。
断続的に。
やがて、視界が開ける。
道。
切り通し。
そこでは――
膠着していた。
自警団は、木の幹に身を隠しながら、上から撃っている。
ゲリラは、丸太の前に固まっている。
前にも行けない。
後ろにも戻れない。
だが――
完全に無力ではない。
丸太の陰に身を隠せる。
直撃を避けている。
時折、銃声。
だが、数は少ない。
(弾を節約している)
グリフはすぐに理解した。
(長くは持たない……が)
完全に止めきれてもいない。
状況は――
均衡している。
ゲリラのリーダーが、トランシーバーを握っているのが見えた。
何度も話しかけている。
だが、応答はない。
(繋がっていないのか……?)
それが事実なら、こちらにとっては有利だ。
だが――
(船が来たら終わる)
その可能性は、消えていない。
*
グリフは、自警団の1人から報告を受けた。
「アンダルさんが……」
言葉が詰まる。
「足をやられて……村に運ばれました」
グリフの表情が固まる。
「……重いのか」
「かなり……」
一瞬、目を閉じる。
(……くそ)
すぐに顔を上げた。
「このまま維持だ」
短く指示を出す。
「無理に攻めるな。近づくな」
「時間を稼げ」
自警団がうなずく。
グリフは、通路を戻った。
*
数分後、村。
アンダルは横たえられていた。
顔色が悪い。
呼吸も浅い。
グリフは一目で理解した。
(……まずい)
「港に運べ!」
村人に指示を飛ばす。
「船を出す!」
すぐに無線を取る。
「父さん」
ディオに状況を伝える。
「アンダルさんが重傷だ。すぐに運ぶ」
「船を頼む」
短いやり取り。
了解の返事。
それで十分だった。
*
それから、グリフはしばらく動かなかった。
立ったまま。
視線を落とし、考えていた。
(……このままじゃ、動かない)
膠着。
時間は稼げている。
だが、解決していない。
(決めるしかない)
顔を上げる。
「農機具はどこだ」
近くの村人に聞く。
案内されるまま、小屋へ入る。
中には、農作業用の機械と――
燃料缶。
グリフはそれを持ち上げた。
重さを確かめる。
(……これでいく)
*
再び、戦闘地域。
グリフは自警団に声をかけた。
「これから近づく」
全員の視線が集まる。
「銃を撃たせるな」
「集中して撃て」
「俺に向けさせるな」
短いが、意味は伝わる。
全員がうなずいた。
*
タイミングを合わせる。
一斉射撃。
パシュッ、パシュッと連続音。
ゲリラが身を伏せる。
その瞬間。
グリフは動いた。
道の側面。
壁をよじ登る。
丸太の上方。
そこから――
燃料缶を傾ける。
液体が流れ落ちる。
ゲリラの上へ。
匂いが立つ。
鼻を刺す刺激臭。
ガソリン。
グリフが叫ぶ。
「おい、お前ら!」
声が谷に響く。
「すぐに投降しろ!」
一瞬、間を置く。
「銃は撃つな!」
さらに強く。
「死人は出したくない!」
ゲリラが顔を上げる。
動きが止まる。
「匂いでわかるだろ!」
グリフは缶を振る。
液体がさらに落ちる。
「ガソリンだ!」
「引火すれば――」
言葉を区切る。
「全員、焼け死ぬぞ」
*
沈黙。
その中で、リーダーが口を開いた。
「……待ってくれ」
一度だけ、強く言う。
そして、呼吸を整える。
声の調子を戻す。
「俺たちは……」
言葉を選んでいる。
「命令で来ただけだ」
「敵対するつもりはない」
少しずつ、落ち着きを取り戻していく。
「君たちの言うことを聞くのも……問題ない」
そこで、止める。
そして、続ける。
「ただ……少し時間をくれ」
グリフの目が細くなる。
「本隊に確認を取りたい」
「許可がいる」
(……時間稼ぎか)
そう思う。
だが――
(火は出せない)
森だ。
燃えれば終わる。
島ごと。
そして――
(焼いたら終わりだ)
観光。
島の未来。
すべてに傷が残る。
グリフは歯を食いしばる。
判断する。
「……わかった」
短く言う。
「だが時間はやれない」
声を強める。
「早くしろ」
本当は。
こんな返答ではいけない。
相手に考える余地を与える。
だが――
強く押し切ることも、できなかった。
グリフは、燃料缶を握ったまま、相手の動きを睨み続けた。
*
一方そのころ。
ファジャルは、揺れる船の上で無線機を握っていた。
視線の先には、ゲリラの船。
互いに距離を取りながら、海の上で向かい合っている。
波が、間に入る。
誰も動かない。
だが――
水面の下では、すでに駆け引きが始まっていた。
「こちらの条件は一つだ」
ファジャルは、ゆっくりと口を開いた。
「この島から離れてもらうこと」
間を置く。
「その代わり、食料と水は提供する」
ノイズの向こうで、少し遅れて声が返る。
「……いいだろう」
軽い口調だった。
だが、すぐに続ける。
「食料と水はもらう」
「島を離れることも考える」
一瞬、希望を持たせる。
そして――
「ただな」
声の調子が変わる。
「他にも欲しいものがある」
ファジャルは何も言わない。
相手に言わせる。
「もっと速い船を貸せ」
「それと――」
わずかに笑いが混じる。
「誰か1人、こっちに来い」
「安全な場所に着いたら解放してやる」
(……来たな)
ファジャルは、心の中で呟いた。
予想通り。
逃げるための条件。
そして、人質。
「……無理だな」
短く答える。
「船も、人も出せない」
沈黙。
数秒。
波の音だけが、耳に残る。
「なら、こちらも無理だ」
あっさりと返ってきた。
再び沈黙。
互いに、一歩も引かない。
(いい)
ファジャルは思った。
(焦っている)
条件を積んできた時点で、余裕はない。
そのとき。
別の無線機が鳴った。
ディオだ。
「ファジャル、聞こえるか」
「聞こえる」
短く応じる。
「上陸した連中は閉じ込めた」
ディオの声は落ち着いている。
「ガソリンをかけて、投降を迫っている」
ファジャルの目がわずかに細くなる。
「……グリフか」
「ああ」
「向こうは、船と連絡を取ってから判断すると言っている」
少し間。
「だが、繋がりにくいらしい」
(やっぱりな)
ファジャルは、口の端を上げた。
「了解だ」
短く答える。
無線を切る。
(装備が雑なんだろうな)
正規の装備じゃない。
周波数も安定していない。
(なら――)
やれることは一つ。
「繋げてやるふりをする」。
ファジャルは、ゲリラとの回線に戻った。
声を変えず、しかし少しだけ軽くする。
「おい」
呼びかける。
「お前らの仲間、困ってるぞ」
わざと間を置く。
「トランシーバー、繋がらないだろ」
相手は答えない。
だが、聞いている。
「少し浜に寄れ」
淡々と言う。
「200メートルくらいなら問題ない」
視線で海底の深さを測る。
この距離なら、座礁はしない。
「まだ底は深い」
そして、少しだけ笑う。
「ちゃんと繋がるようになるぞ」
沈黙。
数秒。
長く感じる。
やがて――
1隻の船が、ゆっくりと動いた。
エンジン音が低く響く。
慎重に。
探るように。
浜へと近づいていく。
(……よし)
ファジャルは、小さく息を吐いた。
もう1隻は、動かない。
様子を見ている。
(十分だ)
1隻でも動かせばいい。
位置が変わる。
隊形が崩れる。
そして――
選択肢が、減る。
ファジャルは無線機を握り直した。
次にどう動かすか。
そのことだけを、静かに考えていた。
*
上陸したゲリラのリーダーは、トランシーバーから声が返ってきた瞬間、わずかに息を吐いた。
(……つながった)
ガソリンの匂いが、鼻を刺している。
肌にも染みている。
時間は、数分しか経っていないはずだった。
だが――
長い。
その間にも、爆竹の音が鳴り続けていた。
最初は遠く。
それが、少しずつ近づいてくる。
威圧。
焦らせるための音。
「つながったか、状況を教えてくれ」
船からの声。
リーダーは、すぐに答えた。
「状況は……こちらが優勢だ」
迷いなく言う。
「村の手前にバリケードがある」
「中に入るのに手間がかかりそうだ」
一瞬だけ視線を上げる。
木の上。
気配。
(見られている)
それでも、声は崩さない。
「島民と接触した」
「今、交渉している」
短く区切る。
「このまま突破もできるが……少し時間がかかる」
そして、わずかに声を落とす。
「いったん投降を装って、村に潜入する」
「夜にでも来てくれ」
「わかるようにしておく」
無線の向こうが、少し黙る。
「……そうか」
慎重な声。
「順調なんだな」
「ああ」
即答する。
「問題ない」
爆竹の音が、すぐ近くで弾けた。
パンッ、と乾いた音。
リーダーは、ほんの一瞬だけ眉をひそめる。
だが、すぐに戻す。
「……少し時間はかかるが、想定内だ」
そして、結論だけを残す。
「村に入る」
「通信はいったん切る」
返事を待たず、スイッチを切った。
トランシーバーを地面に置く。
そして――
ゆっくりと、両手を上げた。
周囲のゲリラも、それに倣う。
銃が地面に落ちる。
ナイフが置かれる。
1人、また1人。
武器を手放し、両手を上げる。
(……来い)
リーダーは、内心で呟いた。
*
上方から、その様子を見ていたグリフは、わずかに目を細めた。
(……早いな)
決断が。
だが――
不自然ではない。
ガソリン。
包囲。
通信の断絶。
条件は揃っている。
「父さん」
グリフは無線を取った。
「投降してきた」
短く報告する。
ディオの声が返る。
「そうか」
一拍。
「気をつけろ」
声が低くなる。
「人質にされるな」
「1人ずつ、確実に拘束しろ」
「距離を保て」
「了解」
グリフは無線を切った。
チャンドラを見る。
目が合う。
互いにうなずく。
「1人ずつだ」
「近づかせすぎるな」
チャンドラが答える。
「任せろ」
*
2人は、上から降りた。
慎重に距離を詰める。
ゲリラは動かない。
両手を上げたまま。
だが――
(……完全に崩れてはいない)
姿勢。
視線。
どこかに、芯が残っている。
グリフはそれを感じていた。
それでも、進むしかない。
「1人ずつ、来い」
グリフが指示する。
最初の1人が、ゆっくりと前に出る。
チャンドラが回り込み、腕を取り、後ろに回す。
拘束。
問題ない。
次。
また1人。
順番に引き上げる。
1人ずつ。
確実に。
その間、グリフはリーダーを見ていた。
動かない。
だが、目は生きている。
(……まだ何か考えてる)
その違和感が、わずかに胸に残る。
だが――
今は、進めるしかない。
グリフは、次の男に顎で合図した。
「来い」
静かに、だが逃げ場のない声で。
*
ファジャルは、無線を耳に当てたまま、海を見ていた。
「……90分後か」
ディオの言葉を、頭の中で繰り返す。
軍の到着まで、あと90分。
上陸したゲリラは、すでに拘束された。
(あとは――)
海にいる連中。
そして、浜に残っている連中。
ここで逃がせば――
別の島に行く。
同じことを繰り返す。
(ここで終わらせる)
ファジャルは、視線を鋭くした。
*
船上のゲリラは、すでに状況を知っているはずだった。
上陸部隊が投降したことも。
そして――
それが「偽装」であると報告されていることも。
だが。
(信じてはいない)
ファジャルはそう見ていた。
あれは、リーダーの面子を守るための言葉だ。
本気で偽装投降が成功しているとは思っていない。
(だから迷っている)
助けに行くか。
見捨てるか。
その間で、揺れている。
その証拠に――
浜に残っていたボートが動いた。
2人で1艘。
ぎこちない漕ぎ方で、船へ戻っていく。
もう1艘は、形だけ、岩陰に隠してある。
(……捨てたな)
完全には見捨てていない、という形。
だが実質は撤退。
罪悪感を薄めるための行動。
ファジャルは、わずかに鼻で笑った。
(中途半端だな)
*
そのとき、無線が入る。
「……どうやら、君たちはなかなかやるようだ」
相手の声は、少しだけ柔らかい。
だが、その裏にあるものは変わらない。
「この島は面倒だ。他に行く」
ファジャルは何も言わない。
続けさせる。
「ただ――」
声が低くなる。
「さっきの提案は受ける」
「食料と水はもらおう」
そして、少し間を置いて。
「用意できるよな?」
さらに、追い込むように。
「もし無理なら……」
「港やホテルに行って、強制的にもらうこともできる」
一瞬の沈黙。
「君たちも困るだろう?」
ファジャルは、軽く息を吐いた。
(脅しにきたか)
だが、焦りはない。
「もちろんだ」
あっさりと答える。
「こっちに持っていく」
「とりあえず、今ある分だけ小舟で運ぶ」
そして、わざと付け加える。
「途中で撃つなよ」
相手が何も言わないうちに、指示を出す。
小舟を2艘。
1艘には食料と水。
もう1艘は、帰り用。
(……急ぐな)
ゆっくりでいい。
時間をかける。
わざとだ。
小舟は、ゆっくりと進む。
波に揺られながら。
距離があるように見せる。
実際以上に。
やがて、ゲリラのボートが横付けする。
食料が移される。
水が運ばれる。
その動作一つ一つが、遅い。
(いい)
時間が削れていく。
確実に。
*
ファジャルは、無線を取った。
「とりあえず、今ある分だ」
軽く言う。
「足りるか?」
すぐに返ってくる。
「足りるわけがない」
当然だ。
「追加はあるんだろうな」
ファジャルは、少し間を置いた。
焦っていないことを見せる。
「ああ、ある」
淡々と答える。
「港から、追加の食料を積んだ船を出した」
もちろん、嘘だ。
「少し時間をくれ」
「どれくらいだ」
「……20分」
少し考えたふりをして言う。
無線の向こうが黙る。
計っている。
(乗るか、どうか)
やがて。
「……わかった」
低い声。
「それ以上かかるなら、こちらから取りに行く」
ファジャルは即答した。
「大丈夫だ」
「そうはならない」
*
無線を切る。
すぐに別の回線を開く。
「ディオ」
呼びかける。
「軍は?」
少しのノイズのあと、返事。
「……あと1時間だ」
トニー経由の情報。
間違いない。
ファジャルは、ゆっくりと息を吐いた。
海を見た。
ゲリラの船。
囲む漁船。
その間の距離。
すべてを、もう一度確認する。
「……あと1時間か」
小さく呟く。
そして、ほんのわずかに笑った。
「ぎりぎりだな」
ファジャルは、港の方角に目を向けたまま、船の揺れに体を預けていた。
来るはずの船は、まだ見えない。
だが焦りはなかった。
(予定通りだ)
港から来る船――
その中身は、食料ではない。
古びた漁網だった。
使われなくなって久しい網。
倉庫の奥に押し込まれていたものを、かき集めさせた。
最初から使うつもりだったが、集めるのに時間がかかった。
だから、順番を変えた。
先に食料を渡す。
小出しにして。
時間を稼ぐ。
そして――
最後に網を使う。
(気づかれていない)
ゲリラは、まだこちらの意図に気づいていない。
それだけで十分だった。
*
やがて、無線が鳴る。
「……さっきから、だいぶ時間が経ったぞ」
苛立ちを含んだ声。
「まだか?」
ファジャルは、間を置いてから答えた。
焦っていないことを見せるために。
「すまない」
「あと5分は必要だ」
「積み出しに手間取っているらしい」
わざとらしくない程度に、曖昧に言う。
無線の向こうで、短い沈黙。
そして――
「……だったら、こちらから向かう」
低い声。
決断した音だった。
次の瞬間。
ゲリラ船のエンジン音が、低く唸り始める。
(動いたか)
ファジャルの目が細くなる。
「いやいや」
すぐに言葉を被せた。
「沖はここ以上に波が荒い」
「積み替えなんてしたら、事故になる」
少し強めに。
現実的なリスクを押し付ける。
「……こちらから見えている」
さらに続ける。
「本当に、あと少しだ」
無線の向こうが、再び黙る。
(迷え)
(止まれ)
数秒。
そして――
エンジン音が、少し落ちた。
完全には止まらない。
だが、加速もしない。
(いい)
ファジャルは、小さく頷いた。
*
すぐに手を打つ。
沖にいる2隻――
食料を積んだ船と、漁網の船。
それを、一度だけ近づけた。
遠目には区別がつかない距離。
船影が重なる。
(これでいい)
その状態から――
食料の船だけを、ゆっくりとゲリラへ向かわせる。
一方で。
漁網を積んだ船は、方向を変えた。
さらに外側へ。
他の5、6隻と合流しながら、沖へ、沖へと離れていく。
まるで関係のない漁船団のように。
(見ていろ)
ファジャルは視線をゲリラ船に固定した。
気づくか。
それとも。
見逃すか。
*
やがて。
食料を積んだ船が、ゲリラ船に接近する。
前回と同じように。
ボートが2艘、降ろされる。
だが今回は――
量が違う。
大量の缶詰。
水。
重量のある物資。
ボートが沈みそうなほどの重さだ。
「……多いな」
誰かが呟いた。
ファジャルは答えない。
ゲリラ側も、慎重になっていた。
一つずつ。
確実に。
積み替えていく。
だが、その動きは――
明らかに遅い。
慣れていない。
重さに苦しんでいる。
(いいぞ……)
ファジャルは、内心で呟いた。
時間が削れる。
確実に。
1分。
また1分。
波に揺られながら、作業は続く。
ボートがきしむ。
男たちの息が荒くなる。
それでも、止まらない。
止められない。
止めれば――
不利になるとわかっているからだ。
*
ファジャルは、もう一度だけ空を見た。
太陽は、すでに高くなり始めている。
(あと――)
頭の中で計算する。
(40分……いや、30分)
いけるか。
いや――
いかせる。
そのためにやっている。
ファジャルは、無線機を握り直した。
そして、静かに呟いた。
「……もう少しだ」
*
あれから、50分は稼いだ。
本来なら――もう、とっくに軍の船影が見えていてもおかしくない。
だが。
(……まだか)
ファジャルは、水平線から目を離さなかった。
何も見えない。
風だけが、強くなっている。
*
食料の積み替えが終わった。
ゲリラ船が、ゆっくりと向きを変える。
浜の方角へ――
そして、すぐに。
沖へ。
同時に、浜に残っていた見張りの船も動き出す。
2隻は合流し、進路を揃えた。
(逃げる気だ)
その瞬間。
ゲリラ船のエンジン音が、明らかに変わった。
一段、高くなる。
速度が上がる。
(気づいたか……!)
ファジャルの眉がわずかに動く。
こちらの意図に――
時間稼ぎに。
ようやく。
*
ファジャルは、すぐに無線を取った。
「ああ、おいおい……」
わざと軽い調子で。
「食料はちゃんと渡しただろ?」
「挨拶もなしかよ」
一瞬、間を置く。
「……もう少し待てばな」
声のトーンを少しだけ下げた。
「酒も用意できるんだがな」
友人を誘うような口調。
「どうする?」
無線の向こうが、沈黙する。
そして――
「……いらん」
短い返答。
「こっちも忙しい」
素っ気ない。
だが、その裏に焦りがあるのがわかる。
「囲みを解け」
続けて言う。
「隙間はあるだろ」
「近くにいると……うっかり撃っちまう」
脅し。
だが、余裕のある声ではない。
*
ファジャルは、小さく笑った。
「……そうか」
少し残念そうに。
「酒はいらんのか」
そして、声を締める。
「なら囲みは解く」
一拍。
「……ただな」
わずかに低くなる。
「こちらも沖まで送ってやる」
「途中で気が変わって港に来られちゃ困るんでな」
さらに一歩踏み込む。
「あんたらも武器を持ってるかもしれんが……」
「こっちにも、ぶつけても惜しくない船がいくつかある」
短い沈黙。
「……約束は守ってもらうぞ」
*
すぐに指示を出す。
船団が動く。
ゲリラ船を囲んでいた輪が、左右に割れる。
道を作るように。
だが――
逃がすためではない。
誘導するためだ。
ゲリラ船は、その「道」へ入る。
速度を上げる。
両側の船団が、距離を保ちながら並走する。
(そのまま来い)
ファジャルは、じっと見ていた。
*
時間を確認する。
予定時刻は、過ぎている。
軍は――まだ来ない。
(まずいな)
一度逃げられたら、終わりだ。
小型船を海で追うのは難しい。
(ここで決めるしかない)
ファジャルは、無線を取った。
「……実行だ」
短く。
沖の船団へ。
*
ゲリラ船は、一直線に進む。
最高速度。
波を切り裂くように。
その先には――
2つに分かれた船団の「隙間」。
自然に見える通路。
だが。
それは――
作られた道だった。
*
操縦士が、何かに気づく。
水面。
わずかな違和感。
(……何だ?)
だが、遅い。
速度が出すぎている。
止まれない。
「そのまま突っ切れ!」
誰かが叫ぶ。
ゲリラ船は――
そのまま突っ込んだ。
*
次の瞬間。
両側の船が、一斉に動いた。
巻き上げ機が唸る。
海中から――
巨大な漁網が、ゆっくりと持ち上がる。
水を切りながら。
壁のように。
ゲリラ船は、その網に衝突した。
衝撃。
船体が揺れる。
だが――
突き破る。
網が裂ける音。
船は、そのまま進もうとする。
(抜けるか――?)
そのとき。
両側の船が、大きく傾いた。
引き上げていた力が、限界を超える。
転覆の危険。
甲板の男たちが叫ぶ。
だが。
誰も手を止めない。
次の瞬間。
巻き上げ機が逆回転する。
網が、一気に解き放たれる。
海中へ――
そして。
絡みつく。
ゲリラ船の下へ。
*
数秒後。
エンジン音が変わった。
異音。
回転が鈍る。
さらに――
ガクン、と船が減速した。
スクリューに、網が絡んでいる。
完全に。
「くそっ!」
ゲリラたちが叫ぶ。
だが、どうにもならない。
止めて外すしかない。
だが。
荒れた海。
この波。
飛び込めば――
戻れない可能性が高い。
それは、彼らにもわかった。
*
ゲリラは、発砲を始めた。
周囲の船へ。
だが――
距離が遠い。
当たらない。
ファジャルの船団は、すでに安全圏へ離れている。
囲むだけ。
逃がさないだけ。
*
ファジャルは、静かにその様子を見ていた。
(終わったな)
そのとき。
遠くに――
白い影が見えた。
水平線の向こう。
「……来た」
誰かが呟く。
軍の船だった。
*
10分後。
完全に軍の船に包囲された。
ゲリラ船は、もう動かない。
逃げ場はない。
ファジャルは、ようやく息を吐いた。
全身の力が抜ける。
そのまま、甲板に置かれた椅子に腰を落とした。
海風が、強く吹き抜ける。
「……終わったか」
小さく呟いた。
その声は、波の音にかき消された。




