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90分の攻防

 グリフは、拘束したゲリラを木に縛り付けると、すぐに体を反転させた。

 (チャンドラさん――)

 位置は見当がついている。

 走り出す。

 その途中で、上を見上げた。

「ローサ、上を行け!」

 木の上の通路を指さす。

「上から援護だ。無理はするな」

 ローサは何も言わず、すぐに動いた。

 軽やかに木に取り付き、あっという間に姿を消す。

 (……あいつに避難しろって言っても、聞かないな)

 半ば諦めながらも、グリフは前へ進んだ。


*


 チャンドラがいるはずの場所に着くと――

 戦闘は、すでに終わっていた。

 ゲリラは倒され、木に縛られている。

 チャンドラが、肩で息をしながら振り返った。

「チャンドラ、無事だったか」

「ああ」

 短く答える。

「予想通りだ。大した腕じゃなかった」

 少し笑う。

「そっちも楽勝だったろ」

「いや、まあ……」

 グリフが言葉を濁した、そのとき。

 上から、くすっとした笑い声。

 ローサだ。

 チャンドラが振り向こうとしたが――

 グリフが先に口を開いた。

「チャンドラ」

 声が少し低くなる。

「道の連中の状況を見に行こう」

「アンダルさんが、道を塞いでるはずだ」

 一瞬、間を置く。

「……さっき、大きな音がした」

 チャンドラの表情が引き締まる。

「何かあったかもしれない」

 グリフは上を見上げる。

「ローサ、お父さんは無事だ」

 短く言い切る。

「すぐ避難しろ」

 返事はなかった。

 だが、枝が揺れ、気配が離れていく。

 (……頼む)


*


 2人は木の上の通路へ上がり、村の方向へ向かった。

 森の中に、音が散っている。

 銃声。

 スリングショットの発射音。

 断続的に。

 やがて、視界が開ける。

 道。

 切り通し。

 そこでは――

 膠着していた。

 自警団は、木の幹に身を隠しながら、上から撃っている。

 ゲリラは、丸太の前に固まっている。

 前にも行けない。

 後ろにも戻れない。

 だが――

 完全に無力ではない。

 丸太の陰に身を隠せる。

 直撃を避けている。

 時折、銃声。

 だが、数は少ない。

 (弾を節約している)

 グリフはすぐに理解した。

 (長くは持たない……が)

 完全に止めきれてもいない。

 状況は――

 均衡している。

 ゲリラのリーダーが、トランシーバーを握っているのが見えた。

 何度も話しかけている。

 だが、応答はない。

 (繋がっていないのか……?)

 それが事実なら、こちらにとっては有利だ。

 だが――

 (船が来たら終わる)

 その可能性は、消えていない。


*


 グリフは、自警団の1人から報告を受けた。

「アンダルさんが……」

 言葉が詰まる。

「足をやられて……村に運ばれました」

 グリフの表情が固まる。

「……重いのか」

「かなり……」

 一瞬、目を閉じる。

 (……くそ)

 すぐに顔を上げた。

「このまま維持だ」

 短く指示を出す。

「無理に攻めるな。近づくな」

「時間を稼げ」

 自警団がうなずく。

 グリフは、通路を戻った。


*


 数分後、村。

 アンダルは横たえられていた。

 顔色が悪い。

 呼吸も浅い。

 グリフは一目で理解した。

 (……まずい)

「港に運べ!」

 村人に指示を飛ばす。

「船を出す!」

 すぐに無線を取る。

「父さん」

 ディオに状況を伝える。

「アンダルさんが重傷だ。すぐに運ぶ」

「船を頼む」

 短いやり取り。

 了解の返事。

 それで十分だった。


*


 それから、グリフはしばらく動かなかった。

 立ったまま。

 視線を落とし、考えていた。

 (……このままじゃ、動かない)

 膠着。

 時間は稼げている。

 だが、解決していない。

 (決めるしかない)

 顔を上げる。

「農機具はどこだ」

 近くの村人に聞く。

 案内されるまま、小屋へ入る。

 中には、農作業用の機械と――

 燃料缶。

 グリフはそれを持ち上げた。

 重さを確かめる。

 (……これでいく)


*


 再び、戦闘地域。

 グリフは自警団に声をかけた。

「これから近づく」

 全員の視線が集まる。

「銃を撃たせるな」

「集中して撃て」

「俺に向けさせるな」

 短いが、意味は伝わる。

 全員がうなずいた。


*


 タイミングを合わせる。

 一斉射撃。

 パシュッ、パシュッと連続音。

 ゲリラが身を伏せる。

 その瞬間。

 グリフは動いた。

 道の側面。

 壁をよじ登る。

 丸太の上方。

 そこから――

 燃料缶を傾ける。

 液体が流れ落ちる。

 ゲリラの上へ。

 匂いが立つ。

 鼻を刺す刺激臭。

 ガソリン。

 グリフが叫ぶ。

「おい、お前ら!」

 声が谷に響く。

「すぐに投降しろ!」

 一瞬、間を置く。

「銃は撃つな!」

 さらに強く。

「死人は出したくない!」

 ゲリラが顔を上げる。

 動きが止まる。

「匂いでわかるだろ!」

 グリフは缶を振る。

 液体がさらに落ちる。

「ガソリンだ!」

「引火すれば――」

 言葉を区切る。

「全員、焼け死ぬぞ」


*


 沈黙。

 その中で、リーダーが口を開いた。

「……待ってくれ」

 一度だけ、強く言う。

 そして、呼吸を整える。

 声の調子を戻す。

「俺たちは……」

 言葉を選んでいる。

「命令で来ただけだ」

「敵対するつもりはない」

 少しずつ、落ち着きを取り戻していく。

「君たちの言うことを聞くのも……問題ない」

 そこで、止める。

 そして、続ける。

「ただ……少し時間をくれ」

 グリフの目が細くなる。

「本隊に確認を取りたい」

「許可がいる」

 (……時間稼ぎか)

 そう思う。

 だが――

 (火は出せない)

 森だ。

 燃えれば終わる。

 島ごと。

 そして――

 (焼いたら終わりだ)

 観光。

 島の未来。

 すべてに傷が残る。

 グリフは歯を食いしばる。

 判断する。

「……わかった」

 短く言う。

「だが時間はやれない」

 声を強める。

「早くしろ」

 本当は。

 こんな返答ではいけない。

 相手に考える余地を与える。

 だが――

 強く押し切ることも、できなかった。

 グリフは、燃料缶を握ったまま、相手の動きを睨み続けた。


*


 一方そのころ。

 ファジャルは、揺れる船の上で無線機を握っていた。

 視線の先には、ゲリラの船。

 互いに距離を取りながら、海の上で向かい合っている。

 波が、間に入る。

 誰も動かない。

 だが――

 水面の下では、すでに駆け引きが始まっていた。

「こちらの条件は一つだ」

 ファジャルは、ゆっくりと口を開いた。

「この島から離れてもらうこと」

 間を置く。

「その代わり、食料と水は提供する」

 ノイズの向こうで、少し遅れて声が返る。

「……いいだろう」

 軽い口調だった。

 だが、すぐに続ける。

「食料と水はもらう」

「島を離れることも考える」

 一瞬、希望を持たせる。

 そして――

「ただな」

 声の調子が変わる。

「他にも欲しいものがある」

 ファジャルは何も言わない。

 相手に言わせる。

「もっと速い船を貸せ」

「それと――」

 わずかに笑いが混じる。

「誰か1人、こっちに来い」

「安全な場所に着いたら解放してやる」

 (……来たな)

 ファジャルは、心の中で呟いた。

 予想通り。

 逃げるための条件。

 そして、人質。

「……無理だな」

 短く答える。

「船も、人も出せない」

 沈黙。

 数秒。

 波の音だけが、耳に残る。

「なら、こちらも無理だ」

 あっさりと返ってきた。

 再び沈黙。

 互いに、一歩も引かない。

 (いい)

 ファジャルは思った。

 (焦っている)

 条件を積んできた時点で、余裕はない。

 そのとき。

 別の無線機が鳴った。

 ディオだ。

「ファジャル、聞こえるか」

「聞こえる」

 短く応じる。

「上陸した連中は閉じ込めた」

 ディオの声は落ち着いている。

「ガソリンをかけて、投降を迫っている」

 ファジャルの目がわずかに細くなる。

「……グリフか」

「ああ」

「向こうは、船と連絡を取ってから判断すると言っている」

 少し間。

「だが、繋がりにくいらしい」

 (やっぱりな)

 ファジャルは、口の端を上げた。

「了解だ」

 短く答える。

 無線を切る。

 (装備が雑なんだろうな)

 正規の装備じゃない。

 周波数も安定していない。

 (なら――)

 やれることは一つ。

 「繋げてやるふりをする」。

 ファジャルは、ゲリラとの回線に戻った。

 声を変えず、しかし少しだけ軽くする。

「おい」

 呼びかける。

「お前らの仲間、困ってるぞ」

 わざと間を置く。

「トランシーバー、繋がらないだろ」

 相手は答えない。

 だが、聞いている。

「少し浜に寄れ」

 淡々と言う。

「200メートルくらいなら問題ない」

 視線で海底の深さを測る。

 この距離なら、座礁はしない。

「まだ底は深い」

 そして、少しだけ笑う。

「ちゃんと繋がるようになるぞ」

 沈黙。

 数秒。

 長く感じる。

 やがて――

 1隻の船が、ゆっくりと動いた。

 エンジン音が低く響く。

 慎重に。

 探るように。

 浜へと近づいていく。

 (……よし)

 ファジャルは、小さく息を吐いた。

 もう1隻は、動かない。

 様子を見ている。

 (十分だ)

 1隻でも動かせばいい。

 位置が変わる。

 隊形が崩れる。

 そして――

 選択肢が、減る。

 ファジャルは無線機を握り直した。

 次にどう動かすか。

 そのことだけを、静かに考えていた。


*


 上陸したゲリラのリーダーは、トランシーバーから声が返ってきた瞬間、わずかに息を吐いた。

 (……つながった)

 ガソリンの匂いが、鼻を刺している。

 肌にも染みている。

 時間は、数分しか経っていないはずだった。

 だが――

 長い。

 その間にも、爆竹の音が鳴り続けていた。

 最初は遠く。

 それが、少しずつ近づいてくる。

 威圧。

 焦らせるための音。

「つながったか、状況を教えてくれ」

 船からの声。

 リーダーは、すぐに答えた。

「状況は……こちらが優勢だ」

 迷いなく言う。

「村の手前にバリケードがある」

「中に入るのに手間がかかりそうだ」

 一瞬だけ視線を上げる。

 木の上。

 気配。

 (見られている)

 それでも、声は崩さない。

「島民と接触した」

「今、交渉している」

 短く区切る。

「このまま突破もできるが……少し時間がかかる」

 そして、わずかに声を落とす。

「いったん投降を装って、村に潜入する」

「夜にでも来てくれ」

「わかるようにしておく」

 無線の向こうが、少し黙る。

「……そうか」

 慎重な声。

「順調なんだな」

「ああ」

 即答する。

「問題ない」

 爆竹の音が、すぐ近くで弾けた。

 パンッ、と乾いた音。

 リーダーは、ほんの一瞬だけ眉をひそめる。

 だが、すぐに戻す。

「……少し時間はかかるが、想定内だ」

 そして、結論だけを残す。

「村に入る」

「通信はいったん切る」

 返事を待たず、スイッチを切った。

 トランシーバーを地面に置く。

 そして――

 ゆっくりと、両手を上げた。

 周囲のゲリラも、それに倣う。

 銃が地面に落ちる。

 ナイフが置かれる。

 1人、また1人。

 武器を手放し、両手を上げる。

 (……来い)

 リーダーは、内心で呟いた。


*


 上方から、その様子を見ていたグリフは、わずかに目を細めた。

 (……早いな)

 決断が。

 だが――

 不自然ではない。

 ガソリン。

 包囲。

 通信の断絶。

 条件は揃っている。

「父さん」

 グリフは無線を取った。

「投降してきた」

 短く報告する。

 ディオの声が返る。

「そうか」

 一拍。

「気をつけろ」

 声が低くなる。

「人質にされるな」

「1人ずつ、確実に拘束しろ」

「距離を保て」

「了解」

 グリフは無線を切った。

 チャンドラを見る。

 目が合う。

 互いにうなずく。

「1人ずつだ」

「近づかせすぎるな」

 チャンドラが答える。

「任せろ」


*


 2人は、上から降りた。

 慎重に距離を詰める。

 ゲリラは動かない。

 両手を上げたまま。

 だが――

 (……完全に崩れてはいない)

 姿勢。

 視線。

 どこかに、芯が残っている。

 グリフはそれを感じていた。

 それでも、進むしかない。

「1人ずつ、来い」

 グリフが指示する。

 最初の1人が、ゆっくりと前に出る。

 チャンドラが回り込み、腕を取り、後ろに回す。

 拘束。

 問題ない。

 次。

 また1人。

 順番に引き上げる。

 1人ずつ。

 確実に。

 その間、グリフはリーダーを見ていた。

 動かない。

 だが、目は生きている。

 (……まだ何か考えてる)

 その違和感が、わずかに胸に残る。

 だが――

 今は、進めるしかない。

 グリフは、次の男に顎で合図した。

「来い」

 静かに、だが逃げ場のない声で。


*


 ファジャルは、無線を耳に当てたまま、海を見ていた。

「……90分後か」

 ディオの言葉を、頭の中で繰り返す。

 軍の到着まで、あと90分。

 上陸したゲリラは、すでに拘束された。

 (あとは――)

 海にいる連中。

 そして、浜に残っている連中。

 ここで逃がせば――

 別の島に行く。

 同じことを繰り返す。

 (ここで終わらせる)

 ファジャルは、視線を鋭くした。


*


 船上のゲリラは、すでに状況を知っているはずだった。

 上陸部隊が投降したことも。

 そして――

 それが「偽装」であると報告されていることも。

 だが。

 (信じてはいない)

 ファジャルはそう見ていた。

 あれは、リーダーの面子を守るための言葉だ。

 本気で偽装投降が成功しているとは思っていない。

 (だから迷っている)

 助けに行くか。

 見捨てるか。

 その間で、揺れている。

 その証拠に――

 浜に残っていたボートが動いた。

 2人で1艘。

 ぎこちない漕ぎ方で、船へ戻っていく。

 もう1艘は、形だけ、岩陰に隠してある。

 (……捨てたな)

 完全には見捨てていない、という形。

 だが実質は撤退。

 罪悪感を薄めるための行動。

 ファジャルは、わずかに鼻で笑った。

 (中途半端だな)


*


 そのとき、無線が入る。

「……どうやら、君たちはなかなかやるようだ」

 相手の声は、少しだけ柔らかい。

 だが、その裏にあるものは変わらない。

「この島は面倒だ。他に行く」

 ファジャルは何も言わない。

 続けさせる。

「ただ――」

 声が低くなる。

「さっきの提案は受ける」

「食料と水はもらおう」

 そして、少し間を置いて。

「用意できるよな?」

 さらに、追い込むように。

「もし無理なら……」

「港やホテルに行って、強制的にもらうこともできる」

 一瞬の沈黙。

「君たちも困るだろう?」

 ファジャルは、軽く息を吐いた。

 (脅しにきたか)

 だが、焦りはない。

「もちろんだ」

 あっさりと答える。

「こっちに持っていく」

「とりあえず、今ある分だけ小舟で運ぶ」

 そして、わざと付け加える。

「途中で撃つなよ」

 相手が何も言わないうちに、指示を出す。

 小舟を2艘。

 1艘には食料と水。

 もう1艘は、帰り用。

 (……急ぐな)

 ゆっくりでいい。

 時間をかける。

 わざとだ。

 小舟は、ゆっくりと進む。

 波に揺られながら。

 距離があるように見せる。

 実際以上に。

 やがて、ゲリラのボートが横付けする。

 食料が移される。

 水が運ばれる。

 その動作一つ一つが、遅い。

 (いい)

 時間が削れていく。

 確実に。


*


 ファジャルは、無線を取った。

「とりあえず、今ある分だ」

 軽く言う。

「足りるか?」

 すぐに返ってくる。

「足りるわけがない」

 当然だ。

「追加はあるんだろうな」

 ファジャルは、少し間を置いた。

 焦っていないことを見せる。

「ああ、ある」

 淡々と答える。

「港から、追加の食料を積んだ船を出した」

 もちろん、嘘だ。

「少し時間をくれ」

「どれくらいだ」

「……20分」

 少し考えたふりをして言う。

 無線の向こうが黙る。

 計っている。

 (乗るか、どうか)

 やがて。

「……わかった」

 低い声。

「それ以上かかるなら、こちらから取りに行く」

 ファジャルは即答した。

「大丈夫だ」

「そうはならない」


*


 無線を切る。

 すぐに別の回線を開く。

「ディオ」

 呼びかける。

「軍は?」

 少しのノイズのあと、返事。

「……あと1時間だ」

 トニー経由の情報。

 間違いない。

 ファジャルは、ゆっくりと息を吐いた。

 海を見た。

 ゲリラの船。

 囲む漁船。

 その間の距離。

 すべてを、もう一度確認する。

「……あと1時間か」

 小さく呟く。

 そして、ほんのわずかに笑った。

「ぎりぎりだな」

 ファジャルは、港の方角に目を向けたまま、船の揺れに体を預けていた。

 来るはずの船は、まだ見えない。

 だが焦りはなかった。

 (予定通りだ)

 港から来る船――

 その中身は、食料ではない。

 古びた漁網だった。

 使われなくなって久しい網。

 倉庫の奥に押し込まれていたものを、かき集めさせた。

 最初から使うつもりだったが、集めるのに時間がかかった。

 だから、順番を変えた。

 先に食料を渡す。

 小出しにして。

 時間を稼ぐ。

 そして――

 最後に網を使う。

 (気づかれていない)

 ゲリラは、まだこちらの意図に気づいていない。

 それだけで十分だった。


*


 やがて、無線が鳴る。

「……さっきから、だいぶ時間が経ったぞ」

 苛立ちを含んだ声。

「まだか?」

 ファジャルは、間を置いてから答えた。

 焦っていないことを見せるために。

「すまない」

「あと5分は必要だ」

「積み出しに手間取っているらしい」

 わざとらしくない程度に、曖昧に言う。

 無線の向こうで、短い沈黙。

 そして――

「……だったら、こちらから向かう」

 低い声。

 決断した音だった。

 次の瞬間。

 ゲリラ船のエンジン音が、低く唸り始める。

 (動いたか)

 ファジャルの目が細くなる。

「いやいや」

 すぐに言葉を被せた。

「沖はここ以上に波が荒い」

「積み替えなんてしたら、事故になる」

 少し強めに。

 現実的なリスクを押し付ける。

「……こちらから見えている」

 さらに続ける。

「本当に、あと少しだ」

 無線の向こうが、再び黙る。

 (迷え)

 (止まれ)

 数秒。

 そして――

 エンジン音が、少し落ちた。

 完全には止まらない。

 だが、加速もしない。

 (いい)

 ファジャルは、小さく頷いた。


*


 すぐに手を打つ。

 沖にいる2隻――

 食料を積んだ船と、漁網の船。

 それを、一度だけ近づけた。

 遠目には区別がつかない距離。

 船影が重なる。

 (これでいい)

 その状態から――

 食料の船だけを、ゆっくりとゲリラへ向かわせる。

 一方で。

 漁網を積んだ船は、方向を変えた。

 さらに外側へ。

 他の5、6隻と合流しながら、沖へ、沖へと離れていく。

 まるで関係のない漁船団のように。

 (見ていろ)

 ファジャルは視線をゲリラ船に固定した。

 気づくか。

 それとも。

 見逃すか。


*


 やがて。

 食料を積んだ船が、ゲリラ船に接近する。

 前回と同じように。

 ボートが2艘、降ろされる。

 だが今回は――

 量が違う。

 大量の缶詰。

 水。

 重量のある物資。

 ボートが沈みそうなほどの重さだ。

「……多いな」

 誰かが呟いた。

 ファジャルは答えない。

 ゲリラ側も、慎重になっていた。

 一つずつ。

 確実に。

 積み替えていく。

 だが、その動きは――

 明らかに遅い。

 慣れていない。

 重さに苦しんでいる。

 (いいぞ……)

 ファジャルは、内心で呟いた。

 時間が削れる。

 確実に。

 1分。

 また1分。

 波に揺られながら、作業は続く。

 ボートがきしむ。

 男たちの息が荒くなる。

 それでも、止まらない。

 止められない。

 止めれば――

 不利になるとわかっているからだ。


*


 ファジャルは、もう一度だけ空を見た。

 太陽は、すでに高くなり始めている。

 (あと――)

 頭の中で計算する。

 (40分……いや、30分)

 いけるか。

 いや――

 いかせる。

 そのためにやっている。

 ファジャルは、無線機を握り直した。

 そして、静かに呟いた。

「……もう少しだ」


*


 あれから、50分は稼いだ。

 本来なら――もう、とっくに軍の船影が見えていてもおかしくない。

 だが。

 (……まだか)

 ファジャルは、水平線から目を離さなかった。

 何も見えない。

 風だけが、強くなっている。


*


 食料の積み替えが終わった。

 ゲリラ船が、ゆっくりと向きを変える。

 浜の方角へ――

 そして、すぐに。

 沖へ。

 同時に、浜に残っていた見張りの船も動き出す。

 2隻は合流し、進路を揃えた。

 (逃げる気だ)

 その瞬間。

 ゲリラ船のエンジン音が、明らかに変わった。

 一段、高くなる。

 速度が上がる。

 (気づいたか……!)

 ファジャルの眉がわずかに動く。

 こちらの意図に――

 時間稼ぎに。

 ようやく。


*


 ファジャルは、すぐに無線を取った。

「ああ、おいおい……」

 わざと軽い調子で。

「食料はちゃんと渡しただろ?」

「挨拶もなしかよ」

 一瞬、間を置く。

「……もう少し待てばな」

 声のトーンを少しだけ下げた。

「酒も用意できるんだがな」

 友人を誘うような口調。

「どうする?」

 無線の向こうが、沈黙する。

 そして――

「……いらん」

 短い返答。

「こっちも忙しい」

 素っ気ない。

 だが、その裏に焦りがあるのがわかる。

「囲みを解け」

 続けて言う。

「隙間はあるだろ」

「近くにいると……うっかり撃っちまう」

 脅し。

 だが、余裕のある声ではない。


*


 ファジャルは、小さく笑った。

「……そうか」

 少し残念そうに。

「酒はいらんのか」

 そして、声を締める。

「なら囲みは解く」

 一拍。

「……ただな」

 わずかに低くなる。

「こちらも沖まで送ってやる」

「途中で気が変わって港に来られちゃ困るんでな」

 さらに一歩踏み込む。

「あんたらも武器を持ってるかもしれんが……」

「こっちにも、ぶつけても惜しくない船がいくつかある」

 短い沈黙。

「……約束は守ってもらうぞ」


*


 すぐに指示を出す。

 船団が動く。

 ゲリラ船を囲んでいた輪が、左右に割れる。

 道を作るように。

 だが――

 逃がすためではない。

 誘導するためだ。

 ゲリラ船は、その「道」へ入る。

 速度を上げる。

 両側の船団が、距離を保ちながら並走する。

 (そのまま来い)

 ファジャルは、じっと見ていた。


*


 時間を確認する。

 予定時刻は、過ぎている。

 軍は――まだ来ない。

 (まずいな)

 一度逃げられたら、終わりだ。

 小型船を海で追うのは難しい。

 (ここで決めるしかない)

 ファジャルは、無線を取った。

「……実行だ」

 短く。

 沖の船団へ。


*


 ゲリラ船は、一直線に進む。

 最高速度。

 波を切り裂くように。

 その先には――

 2つに分かれた船団の「隙間」。

 自然に見える通路。

 だが。

 それは――

 作られた道だった。


*


 操縦士が、何かに気づく。

 水面。

 わずかな違和感。

 (……何だ?)

 だが、遅い。

 速度が出すぎている。

 止まれない。

「そのまま突っ切れ!」

 誰かが叫ぶ。

 ゲリラ船は――

 そのまま突っ込んだ。


*


 次の瞬間。

 両側の船が、一斉に動いた。

 巻き上げ機が唸る。

 海中から――

 巨大な漁網が、ゆっくりと持ち上がる。

 水を切りながら。

 壁のように。

 ゲリラ船は、その網に衝突した。

 衝撃。

 船体が揺れる。

 だが――

 突き破る。

 網が裂ける音。

 船は、そのまま進もうとする。

 (抜けるか――?)

 そのとき。

 両側の船が、大きく傾いた。

 引き上げていた力が、限界を超える。

 転覆の危険。

 甲板の男たちが叫ぶ。

 だが。

 誰も手を止めない。

 次の瞬間。

 巻き上げ機が逆回転する。

 網が、一気に解き放たれる。

 海中へ――

 そして。

 絡みつく。

 ゲリラ船の下へ。


*


 数秒後。

 エンジン音が変わった。

 異音。

 回転が鈍る。

 さらに――

 ガクン、と船が減速した。

 スクリューに、網が絡んでいる。

 完全に。

「くそっ!」

 ゲリラたちが叫ぶ。

 だが、どうにもならない。

 止めて外すしかない。

 だが。

 荒れた海。

 この波。

 飛び込めば――

 戻れない可能性が高い。

 それは、彼らにもわかった。


*


 ゲリラは、発砲を始めた。

 周囲の船へ。

 だが――

 距離が遠い。

 当たらない。

 ファジャルの船団は、すでに安全圏へ離れている。

 囲むだけ。

 逃がさないだけ。


*


 ファジャルは、静かにその様子を見ていた。

 (終わったな)

 そのとき。

 遠くに――

 白い影が見えた。

 水平線の向こう。

「……来た」

 誰かが呟く。

 軍の船だった。


*


 10分後。

 完全に軍の船に包囲された。

 ゲリラ船は、もう動かない。

 逃げ場はない。

 ファジャルは、ようやく息を吐いた。

 全身の力が抜ける。

 そのまま、甲板に置かれた椅子に腰を落とした。

 海風が、強く吹き抜ける。

「……終わったか」

 小さく呟いた。

 その声は、波の音にかき消された。


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