森の罠、海の包囲
木の上の通路が、音もなく前方へ伸びていく。
道は、谷筋に沿った切り通しになっていた。
両脇は壁のように立ち上がり、横からの銃撃は通りにくい。
だが――
上は、空いている。
その上に、彼らはいる。
枝葉に隠れた影。
そこからなら、道の中を正確に狙える。
自警団は間隔を取り、それぞれの持ち場に入った。
息を潜める。
やがて。
ゲリラの前衛が、道に足を踏み入れた。
その瞬間――
パンッ!!
爆竹。
乾いた音が、谷に反響する。
ほぼ同時に、別の位置からスリングショットが放たれた。
石が空気を切り、前衛へ。
前衛は即座に身を沈める。
だが、遅れていた中央と後衛が反応した。
「そこだ!」
銃声。
乾いた破裂音が連続する。
枝葉が弾け、木の皮が剥がれる。
スリングショットの打ち手は無事だったが、その場に留まることはできない。
退避。
一撃で離脱。
連続射撃はできない。
(……読んでいる)
グリフは、敵の動きを見ていた。
側面の2人は、道と一定の距離を保ち、並走している。
道から離れすぎない。
接敵すれば、すぐ援護できる距離。
訓練されている。
道の中のゲリラは、反撃が止んだ瞬間を逃さなかった。
「進め!」
一気に前へ出る。
後衛まで、道の中に入り込む。
そのとき――
再び、上から射撃。
だが距離が遠い。
石の勢いが弱い。
ゲリラは警戒しながらも進み続けた。
頭を下げ、ヘルメットを深くかぶる。
腕や足への被弾は無視する。
痛みを、押し殺す。
(止まらない……)
グリフは歯を食いしばった。
自警団はよくやっている。
だが、銃の反撃を受けている以上、どうしても距離を取らざるを得ない。
致命打にならない。
それでも――
逃げていない。
撃ち続けている。
やがて、変化が生まれた。
1人の自警団員が、銃を撃つ瞬間を狙った。
引き金を引く直前。
ゲリラが顔を上げる、その一瞬。
石が飛ぶ。
「ぐっ!」
頭部に直撃。
完全には倒れないが、狙いが乱れる。
別の場所でも同じことが起きた。
銃口を向ける瞬間――そのわずかな隙。
そこを、撃つ。
(……いける)
グリフの目が鋭くなる。
ゲリラ側は、徐々に狙いを定められなくなっていた。
だが、それでも。
前に進む。
確実に、村へ。
*
グリフは視線を切り替えた。
(こっちだ)
側面。
森の中。
ナイフを持った男が、低い姿勢で進んでいる。
動きは速いが、無駄がある。
(……いける)
戦えば勝てる。
そう判断した。
だが問題は、その後だ。
(撃たれる)
近接戦闘に入った瞬間、他のゲリラに位置が割れる。
銃で撃たれる。
(引き離す……)
そのきっかけが必要だった。
*
そのころアンダルは、村民たちを引き連れて、村へ続く道の罠の復旧に向かっていた。
集まったのは、思っていた以上の人数だった。
自警団のメンバーだけではない。
農民たち――普段は畑にいる男衆も、多くついてきていた。
誰もが無言だった。
状況は、もう全員が理解している。
(……来たんだな)
アンダルは、胸の奥でそう思った。
あれだけ議論し、備え、そして、解除したものが。
現実になって、目の前に来ている。
道の切り通しに着くと、丸太が積まれていた。
数十本。
以前、罠として用意していたものだ。
本来なら、ゲリラが通過する瞬間を狙って落とす仕掛けだった。
だが――
(そんな余裕はない)
タイミングを計る時間も、合図を待つ余裕もない。
やるべきことは一つ。
「今、落とすぞ!」
アンダルは声を張った。
「村側を塞ぐ! 一気にやれ!」
男たちが一斉に動く。
縄を切り、支えを外し、丸太を押す。
重い音とともに、丸太が崩れ落ちた。
ゴゴゴッ――
土と石を巻き込みながら、道を埋めていく。
切り通しは深い。
両側は3メートルほどの壁。
横には逃げられない。
丸太は折り重なり、完全に通路を塞いだ。
「よし……!」
誰かが息を吐く。
だが、アンダルはすぐに次の指示を出した。
「残りを運べ!」
「ここじゃない、もう少し下だ!」
塞いだ場所から、やや下。
まだゲリラ側に近い位置へ。
丸太を引きずり、転がし、配置する。
(ここが、最後の線だ)
道は曲がっている。
この位置なら、まだゲリラからは見えない。
不意を突ける。
そのとき――
遠くから、音がした。
銃声。
そして、爆竹の破裂音。
森の上で、戦いが始まっている。
誰かが小さく言った。
「……グリフたちだ」
アンダルは答えなかった。
ただ、丸太を押す手に力を込めた。
(頼む……)
(持ちこたえてくれ)
*
一方、道の奥。
ゲリラたちは、交戦を続けながら進んでいた。
スリングショットの石が飛ぶ。
銃声が返る。
互いに決定打を欠きながら、距離だけが縮まっていく。
そのとき。
――ゴゴゴッ……
低く、重い音。
地面を伝ってくる振動。
前衛の1人が顔を上げた。
「……なんだ?」
中央のリーダーが、耳を澄ます。
そして、理解した。
(……塞ぐ気だ)
道の先。
見えない位置で、何かが崩された。
「道を……!」
誰かが叫ぶ。
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
リーダーは考えた。
(引くか)
ここで引き返せば、被害は少ない。
だが。
(……民間人相手に?)
その選択は、この場では合理的でも、その後を壊す。
仲間内での立場。
統率。
「逃げた」と見なされれば、もう二度とまとめられない。
歯を食いしばる。
「進むぞ!」
声が鋭く響いた。
「多少の怪我は覚悟しろ!」
「一気に抜ける!」
前衛が走り出す。
中央、後衛も続く。
銃を構え、頭を低くし、一気に距離を詰める。
森の上から、再び石が飛ぶ。
だが、止まらない。
止まれば、終わる。
ゲリラたちは、覚悟を決めて、道を駆け上がった。
グリフは、機を見た。
――来た。
遠くで、重い音。
そして同時に、道のゲリラたちが駆け出す気配。
(今なら、来ない)
目の前の敵に集中できる。
グリフは一気に踏み込んだ。
距離を詰め、手製の木刀を頭上から振り下ろす。
風を裂く音。
だが――
敵は、直前で気づいた。
ナイフを両手で構え、木刀を受け止める。
金属と木がぶつかる鈍い衝撃。
グリフはすぐに引いた。
距離を取り、半身になる。
腰を落とし、木刀の先を相手の腰へ向ける。
剣道の型ではない。
だが、知っている。
(ナイフ相手は、これだ)
リーチの差。
それだけで、主導権は取れる。
敵はナイフを左手に持ち、じり、と構える。
だが――
一瞬、迷った。
そして、背を向けた。
(逃げる……?)
グリフは舌打ちし、すぐに追う。
(連携されると面倒だ)
数歩。
距離が縮まる。
そのとき――
敵が振り向いた。
腕が振られる。
ナイフ。
投げた。
(しまっ――)
グリフは反射的に身をひねる。
頬の横を、刃がかすめた。
だが。
その次の瞬間には、もう一つの刃が迫っていた。
(もう1本……!)
敵は間合いを詰めていた。
ナイフを振るう。
グリフはしゃがみ込むようにしてかわす。
刃が、頭上をかすめる。
(……危ない)
もし体を狙われていたら、間に合わなかった。
だが、今だ。
低い姿勢のまま。
踏み込む。
木刀の先を、喉元へ。
体ごと突き出す。
一撃。
敵は体をひねってかわす。
完全には避けきれない。
首筋をかすめる。
「ぐっ……!」
うめき声。
体勢が崩れる。
明らかに、防御に入った。
「強いな」
グリフが短く言う。
「なんかやってたのか」
返事はない。
ただ、目が動く。
(……時間稼ぎか)
グリフは構わず、構えを維持する。
低く、静かに。
間合いを支配する。
敵は、再び背を向けた。
逃げる。
だが今度は違う。
数歩走ったあと、急に方向を変えた。
(……?)
その先。
グリフの視界に、少女が入る。
(まずい)
敵の意図が、すぐにわかった。
人質。
少女は気づき、振り向く。
そして、走り出す。
だが――
敵のほうが速い。
距離が詰まる。
(間に合わない……!)
グリフがさらに踏み込もうとした、そのとき。
少女が、止まった。
(……は?)
不自然な停止。
そして、振り返る。
手に握られているのは――
スリングショット。
ローサだった。
距離、およそ10メートル。
敵は、一瞬たじろぐ。
腕を上げる。
頭を守る。
だが――
遅い。
パシュッ。
短く乾いた音。
鉄球が一直線に飛ぶ。
眉間。
正確に。
「……っ」
鈍い音とともに、敵が崩れ落ちた。
完全に沈黙する。
グリフは駆け寄り、素早く腕を押さえ、拘束する。
呼吸を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。
ローサを見た。
「……危ないだろ」
少し強めの声だった。
「たまたま当たったからいいが、外したらどうするつもりだ」
ローサは、きょとんとした顔で答えた。
「え?」
そして、けろっとした声で続ける。
「全然大丈夫だよ」
グリフは眉をひそめる。
「この森なら、もっと速く走れるし」
ローサは軽く肩をすくめた。
「わざと遅くして、追いつかせたの」
「……は?」
「外れても逃げられる距離で撃ってるから平気だよ」
少しだけ間をおいて、
「……ほんとは、お父さん助けるつもりだったんだけどね」
にやっと笑う。
「グリフになっちゃった」
グリフは、しばらく無言だった。
それから、ため息をついた。
「……助かったのは、こっちだよ」
そう言いながらも、どこか苦笑していた。
*
アンダルは、丸太が完全に道を塞いでいることを確認すると、すぐにその場を離れた。
(止めた……だが、まだだ)
視線を前へ向ける。
ゲリラは、まとまって動いていた。
もう前衛も後衛もない。
一つの塊になり、銃を振り回すように撃っている。
上。
左右。
森の上方へ。
枝が弾け、葉が舞う。
狙ってはいない。
威嚇だ。
2発撃っては、走る。
また撃って、走る。
その繰り返しで、確実に距離を詰めてくる。
(早い……)
アンダルは歯を食いしばった。
自警団のスリングショットも飛んでいる。
だが、ばらついている。
当たらない。
恐怖の中での射撃だ。
それでも、止められない。
ゲリラは、丸太の前に到達した。
「……くそっ!」
1人が叫び、丸太に取りつく。
だが――動かない。
重なり合い、噛み合っている。
崩すには時間がかかる。
上の丸太を外そうとする。
立ち上がる。
その瞬間――
パシュッ!
石が飛ぶ。
「ぐっ!」
顔をかばい、またしゃがむ。
銃を持った者が、スリングショットの方向へ威嚇射撃を返す。
だが、決定打にはならない。
丸太の向こう。
その先には、村が見えている。
(……もう戻らない)
浜へ引き返すよりも、前へ抜けたほうが安全。
そう判断している。
(ここで、止める)
アンダルの視線が、斜面へ向いた。
残っている丸太。
まだ使える。
(当てる)
直接、叩きつける。
だが、道まで持っていくのは危険すぎる。
なら――
転がす。
斜面の上から。
「丸太を上に集めろ!」
短く指示を飛ばす。
村民たちが動く。
重い丸太を、息を切らしながら運び上げる。
「ここからだ!」
斜面の上。
ゲリラの位置に向かって落ちるライン。
「順に転がせ!」
1本目。
ゴロゴロと転がる。
だが――
外れる。
道の脇へ逸れる。
「違う!」
アンダルは斜面を睨んだ。
(……何かに当たっている)
目を凝らす。
あった。
途中に、大きな石。
一抱えほどの岩が、転がりをずらしている。
「あの石だ……!」
振り返る。
「転がすのを止めろ!」
「石をどかす!」
指示と同時に、アンダルは駆け出した。
斜面を下る。
足場は悪い。
滑りそうになるのを踏みとどまる。
近くの村民2人も続く。
3人で石に手をかける。
重い。
びくともしない。
「せーのっ!」
声を合わせる。
持ち上げる。
ずらす。
石が動いた。
斜面の横へ転がる。
「よし……!」
息を吐く暇もなく、アンダルは顔を上げた。
「もう一度だ!」
「右にずらして転がせ!」
上の村民が応じる。
丸太が押し出される。
今度は――
いい。
真っ直ぐだ。
ゲリラのいるあたりへ向かっている。
「当たる……!」
アンダルはその軌道を目で追った。
そのとき――
「アンダル!!」
叫び声。
反射的に振り返る。
視界いっぱいに――
丸太。
2本の丸太がぶつかり、弾かれ、跳ね上がっていた。
軌道が変わる。
こちらへ。
(避けろ――)
体が動く。
だが、遅い。
ドンッ――!!
鈍い衝撃。
丸太が、腰のあたりに叩きつけられる。
体が浮く。
次の瞬間、別の丸太が、足の上を転がっていく。
骨に、重みが乗る。
潰れる感覚。
音は、聞こえなかった。
ただ――
「……っ!!」
声にならない息が漏れる。
地面に叩きつけられる。
視界が揺れる。
誰かが駆け寄る。
「アンダル!」
腕を掴まれる。
引きずられるように、斜面の端へ。
アンダルの顔が歪む。
歯を食いしばる。
だが――
その力も、すぐに抜けた。
視界が白くなる。
音が遠ざかる。
そして、ふっと。
糸が切れたように、意識が落ちた。
***
ファジャルは、揺れる甲板の上で無線機を握っていた。
波は高くはない。
だが、うねりがある。
船体がゆっくりと持ち上がり、沈む。
そのリズムに合わせて、周囲の船も上下していた。
漁船が、円を描くように配置されている。
その中心に――
ゲリラの船があった。
「ディオ、聞こえるか」
無線に向かって低く言う。
少しのノイズのあと、返事が返ってきた。
「聞こえている」
ファジャルは、沖の船を見ながら言った。
「ところで、あいつらがこの島に来た理由は、なんだと思う」
間をおいて、ディオの声。
「そうだな……想定していたような、島民を懐柔して拠点を作る、という動きではなさそうだ」
「……」
「しばらく隠れて、食料や燃料を調達して、それからもっと遠くへ逃げる……そのあたりが現実的だろう」
ファジャルは、軽く舌を鳴らした。
「なるほどな……」
少し考えてから、続ける。
「トニーさんからは?」
「連絡はあった。軍と繋がったらしい。救援を要請して、今は返事待ちだ」
「来るまでどれくらいだ」
「早くても2時間だろう。軍の船でも、それくらいはかかる」
ファジャルは、短く息を吐いた。
(……長いな)
海の上で、2時間。
その間に何が起きるかは、誰にもわからない。
「俺は――」
ファジャルは言葉を選びながら続けた。
「あいつらを、ここに留めたい」
「浜の沖だ。港にも、ホテルにも回させない」
「できれば、そのまま軍に引き渡す」
少しの沈黙。
「……方法はあるのか」
ディオの声は静かだった。
疑ってはいない。
だが、軽くも見ていない。
ファジャルは、口の端をわずかに上げた。
「ある」
短く答えたあと、考えを伝える。
無線の向こうで、ディオは黙って聞いていた。
すべて話し終えると、ほんの一瞬の間があった。
そして。
「……いい」
ディオが言った。
「いけるかどうかは、正直わからん」
「だが――」
少しだけ、声に力が乗る。
「やるなら、成功するつもりでやれ」
ファジャルは、ふっと笑った。
「言われなくても、そのつもりだ」
*
無線を切る。
ファジャルは周囲を見渡した。
島の漁船が、静かに包囲を作っている。
距離は取っている。
近すぎれば危険。
遠すぎれば意味がない。
絶妙な間合い。
ゲリラの船も、それに気づいているはずだった。
だが、撃ってこない。
(撃てない)
波の上。
不安定な足場。
この距離。
命中率は低い。
撃てば、弾を無駄にするだけだ。
そして、こちらも同じ条件。
だからこそ――
均衡が成立している。
ファジャルは、手を上げて合図した。
1隻の小舟が、ゆっくりと前に出る。
エンジンは使わない。
櫂で、静かに。
やがて、その小舟は無人になる。
流れに乗って、ゆっくりとゲリラの船へ向かっていく。
船の上には、荷が積まれていた。
食料。
水。
そして――
1枚の板。
そこには、大きく数字が書かれている。
無線の周波数。
(読めるはずだ)
双眼鏡を使えば、十分に見える距離。
ファジャルは、自分の無線機のダイヤルを回した。
周波数を合わせる。
ノイズ。
静寂。
波の音だけが、耳に入る。
周囲の船も、動かない。
誰もが、見ている。
漂う小舟。
近づく。
ゲリラの船に、ゆっくりと。
ファジャルは、無線機を握る手に力を込めた。
(来い)
交渉になるか。
撃たれるか。
無視されるか。
どれでもあり得る。
だが――
ここで動かせれば、時間が稼げる。
それだけでいい。
ノイズの向こうで、かすかな音が混じった気がした。




