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【連載版】加護なしの第八王女は、前世が社畜だったので王宮生活がイージーモードにしか見えない  作者: 茨木野


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80.

帝城の一角にある、ミシェルの私室を兼ねた広大な執務室。

 その中央には、上質な羊毛で編まれた分厚い絨毯が敷かれており、窓から差し込む柔らかな陽光が部屋を明るく照らしていた。


 絨毯の上には、先日『銀のフクロウ邸』から納品されたばかりの特注の知育玩具が広げられている。

 ふわりと漂う爽やかな木の香りと、滑らかに磨き上げられた積み木の表面が、心地よい空間を作り出していた。


 三歳のカイウスは、小さな両手で四角い積み木を握りしめ、絨毯の上にちょこんと座っていた。

 彼の目の前には、完璧な姿勢で正座をする冷徹妃ミシェルの姿がある。

 彼女は手元に自ら引いた設計図を置き、氷のように澄んだ瞳でカイウスを見つめていた。


「いいですか、カイウス。まずは基礎工事です。土台となる四角形のパーツを、ミリ単位の狂いもなく等間隔に配置しなさい。重力バランスを計算しなければ、上層部を構築した際に一瞬で崩壊します」


 ミシェルは事務的な声でそう告げると、自分の手元にある積み木を、定規で測ったかのように正確に並べていく。

 一切の隙もなく、完全に幾何学的な美しさを持った土台が、あっという間に完成した。


「さあ。お手本通りにやってみなさい」


 促されたカイウスは、小さな体をびくりと震わせた。

 彼の手はかすかに震えており、大きな瞳には困惑と怯えの色が浮かんでいる。


 カイウスにとって、大人の言う通りに何かを作るということは、遊びではなく過酷な『作業』であった。

 修道院の地下室で、大人たちから言いつけられた雑用を思い出す。

 もしも失敗すれば、少しでも形が歪んでいれば、容赦のない罵声と共に蹴りが飛んできたのだ。


 ミシェルに怒られるかもしれない。

 その恐怖がカイウスの心に影を落とし、彼は積み木を持ったまま、カチコチに固まってしまった。


「どうしたのです。手順は理解できましたか。理解できないのであれば、再度言語化して入力しますが」


 ミシェルはどこまでも真面目に、カイウスの論理的思考を育てようとしているだけなのだが、その能面のような無表情さが逆効果になっていた。

 カイウスの目に涙がじわりと滲み、きゅっと唇を噛み締めてうつむく。


 その時、重厚な扉を蹴り開けるような勢いで、巨大な影が執務室に乱入してきた。

 筋骨隆々の鋼の肉体を揺らし、尊大にふんぞり返った皇帝ギデオンである。

 彼は足音も荒く絨毯に近づくと、ミシェルの隣にどっかりとあぐらをかいて座り込んだ。


「何しに来たんですか?」

「ミシェルがかまってくれないからな」

「はぁ……ちょっとこの子の相手してあげてください。これ使って」


 ミシェルはギデオンに、積み木を渡す。


「俺は大人だぞ。遊びなどこんなの簡単だ。見ているがいい、カイウス。皇帝の圧倒的な建築センスをな」


 ギデオンは自信満々に鼻を鳴らすと、太い腕を伸ばして無造作に積み木を掴んだ。

 そして、ミシェルのような緻密な計算など一切せず、ただひたすらに上へ上へと積み上げ始める。


 カチャ、カチャと、小気味よい木の音が響く。

 しかし、バランスを無視した一本柱のような構造が、重力に逆らいきれるはずもなかった。

 グラグラと揺れ始めたかと思うと、あっけなく崩壊し、絨毯の上にバラバラと積み木が散らばった。


「なっ。難しいだとっ」


 ギデオンは目を見開き、信じられないものを見たかのように大きくのけぞった。

 そして、両手で頭を抱え、絨毯の上にガクンと膝から崩れ落ちる。


「ば、馬鹿な。この覇王ギデオンの計算が狂うなど。この積み木、さては何らかの魔術的な妨害が仕掛けられているなっ」


 本気で驚き、本気で悔しがる皇帝の姿に、カイウスはきょとんと目を丸くした。


 失敗したのに、誰も怒らない。

 大きな大人が、子供の玩具が崩れただけで、大げさに天を仰いで悔しがっている。

 その光景は、カイウスの中にあった『失敗=痛み』という恐怖の方程式を、いとも簡単に打ち砕いた。


「よし、カイウス。俺一人では分が悪い。お前も手伝え。二人で協力して、この魔の塔を攻略するぞ」


 ギデオンが悔しそうに顔を上げ、カイウスを力強く指差す。

 誘われたカイウスは、おそるおそる手を伸ばし、ギデオンが積んだ土台の上に自分の積み木をそっと乗せた。


 カチャリと、木と木が触れ合う優しい音がする。

 今度は倒れなかった。


「おおっ、やるではないか。さすがは俺の弟だ。ならば次は俺の番だな」


 ギデオンが慎重に、しかしまたしても絶妙にバランスの悪い位置に三角の積み木を乗せる。

 塔は大きく傾き、数秒耐えた後、再び盛大に崩れ落ちた。


「ぐわーっ。やられたーっ。またしても崩壊だーっ」


 ギデオンが両手を広げ、絨毯の上に大げさに仰向けに倒れ込む。

 そのあまりにも滑稽なリアクションを見て、カイウスの小さな唇から、ころんとした笑い声がこぼれ落ちた。


「ふふっ、あははっ」


 カイウスは声を上げて笑い、自ら進んで積み木を拾い集め始めた。

 失敗してもいい。崩れても、また積めばいいのだ。

 遊びの本質を理解したカイウスは、夢中になってギデオンと共に新しいお城を作り始める。


 カチャカチャという楽しげな音と、ギデオンの騒がしい悲鳴、そしてカイウスの無邪気な笑い声が、執務室に温かく響き渡った。


 その光景を少し離れた場所から見つめ、ミシェルは静かに中指で眼鏡を押し上げた。


「……やりますね、ギデオン」


 ミシェルは感心したように、小さく息を吐く。


「わざと同じ目線に立ち、あえて失敗して見せることで、遊びを通じた『楽しみ方』を教えるとは。貴方のその情操教育の高等テクニック、わたしも学ぶべきところがあるようです」


 普段はバカ扱いしている皇帝の、思わぬファインプレー。

 ミシェルは自分の事務的なアプローチを反省し、彼を少しだけ見直そうとしていた。


 しかし。


「ぐっ。くそっ。なぜだ、なぜ俺の塔ばかり崩れるのだっ。カイウス、お前の城の基礎構造はどうなっている。教えろ、兄の命令だぞっ」


 ふふふ、とカイウスが微笑む。


「笑い事ではないっ。次こそは絶対に俺の方が高く積んでやるからなっ」


 積み木が崩れるたびに本気で悔しがり、床を叩いて地団駄を踏むギデオン。

 あまつさえ、三歳のカイウスが上手に作ったお城に対抗意識を燃やし、本気で勝ちに行こうと必死になっている。

 その姿には、教育的な意図など微塵も含まれていなかった。


 ミシェルの瞳から、先ほどの感心の光がスッと消え失せ、絶対零度の冷気が戻ってくる。


「……いえ、前言を撤回します。あれはわざとではなく、本気で三歳児と同じレベルで楽しんでいるだけですね」


 ミシェルは深く、ひどく深いため息を吐き出した。


「はぁ……まったく。誰の相手をしているのか分からなくなりますね」


 呆れ果てた冷徹妃の呟きは、楽しげに積み木を崩す二人の騒ぎ声にかき消されていく。

 三歳児と、精神年齢が同レベルの巨大な皇帝。

 温かな絨毯の上で繰り広げられる果てしない建築競争は、日が暮れるまで終わることはなかった。

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― 新着の感想 ―
ミシェルさんさあ…… ギデオンは毎度のことなんでいいとして、あんたもあんたで別の意味でポンコツだよな…… 某少年貴族が見たら 「いや3歳児に なにしとんねん」 って言われちゃうぞ。 最近まで被虐待児だ…
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