裏切られた聖女は、300年後の魔王城で「女将」になる。~廃墟をホテルに改装して、魔族たちとスローライフ満喫します~
視界が、ぐらりと大きく揺らいだ。
鼻を激しく突くのは、鉄のような血の匂いと、焼け焦げた肉の異臭だ。
耳をつんざくような人々の歓声が、遠くの方で地鳴りのように響いている。
「はあ、はあ……っ」
魔王討伐の最終決戦を終えた直後。
勇者パーティの回復役であり聖女であるセシリアは、魔力を完全に使い果たし、冷たい石畳の上に力なく膝をついていた。
全身の骨がきしむように痛み、指先ひとつ動かすのも億劫だ。
それでも、ついに世界に平和が訪れたのだと、安堵の笑みを浮かべようとした。
――その瞬間。
ズプッ、と。
生々しい肉を裂く音と共に、背中から胸へ、熱くて冷たい鉄の塊が貫通した。
「え……?」
口から、ごぼりと赤黒い血が止めどなく溢れ出す。
信じられない思いでゆっくりと視線を落とすと、胸から生えていたのは、見慣れた白銀の刃だった。
それは、勇者ナハトが持つ聖剣。
「どう……して……っ」
震える声で、背後に立つ男に問いかける。
今まで共に死線を潜り抜けてきた、最も信頼していたはずの仲間に。
「悪いな、セシリア。お前にはここで死んでもらう」
「な、にを……」
ナハトの声は、酷薄に冷え切っていた。
振り返り見た彼の顔には、狂気じみた邪悪な嘲笑が浮かんでいる。
「お前の回復魔法は確かに便利だったが、所詮はただの道具だ。これからの平和な世界に、民衆から支持される聖女の威光なんて邪魔なだけだからな」
「そん、な……」
「安心しろ! 魔王を倒した英雄としての名誉は、俺が全て背負ってやる!」
鈍い衝撃音と共に、ナハトが聖剣を乱暴に引き抜く。
同時にセシリアの体は無造作に蹴り飛ばされ、石の床に激しく叩きつけられた。
激痛が全身を駆け巡り、目の前が真っ暗になる。
道具として限界まで使い倒され、最後は名誉を独占するための口封じとして殺される。
感謝も、労いの言葉すらない。
これが、他人のために己の全てをすり減らしてきた女の末路だった。
「ああ、そうそう。おまえとの婚約もこれで無しってことで」
「っ!」
セシリアと勇者は魔王討伐後に結婚することが決まっていたのだ。
「異国の皇女に求婚されてたんだ。そっちのほうがいい女でよ」
……それが、一番の理由だったのではないだろうか。婚約破棄をすれば角が立ってしまう。だから、魔王との戦いの中落命したとしたほうが、対面がいい、と。
(ああ、もう、いやだ)
薄れゆく意識の中で、セシリアは静かに思う。
もう、誰かのための便利な道具になるのはごめんだ。
痛覚が麻痺し、冷たくなっていく体を抱えながら。
セシリアの視界は、完全な闇に包まれた。
◇
――ぽたり。
冷たい水滴が頬に落ちて、セシリアはゆっくりと重い瞼を開けた。
最初に感じたのは、ひどく埃っぽい空気と、鼻を突く強烈なカビの臭い。
硬い地面に手をついて体を起こすと、そこは見渡す限りの瓦礫の山だった。
「ここは……?」
天井は大きく崩れ落ち、その隙間から淀んだ灰色の空が覗いている。
美しかったステンドグラスは粉々に砕け散り、かつての威容は見る影もない。
だが、その歪な間取りにははっきりとした見覚えがあった。
つい先ほどまで、命がけで魔王と戦っていた場所。
紛れもなく、魔王城の玉座の間だった。
「おや、ようやくお目覚めだね。おはよう、セシリア」
ふいに、頭上から場違いなほど軽快な声が降ってきた。
驚いて見上げると、そこには淡く発光するソフトボール大の球体が浮遊している。
「あなたは……真理?」
「ご名答! 君の忠実なるサポート精霊にして、この星の叡智を司る真理だよ」
くるくると楽しげに宙を舞う光の玉。
かつてセシリアが森で朽ちかけていたところを救って以来、何かと付き従ってくる不思議な精霊だった。
ふわりふわりと飛び回っている。
どうやら、死の淵にいた自分をここまで運び、命を繋ぎ止めてくれたらしい。
「助けてくれたのね。ありがとう。……でも、ここは酷い有様ね。戦いが終わってから、数日は経っているのかしら」
「数日? ああ、君の感覚ではそうなるのか」
真理は、からかうようにわざとらしく明滅を繰り返した。
「残念ながら、ここは三百年後の魔王城だ。君は長い、長ーい眠りについていたんだよ」
「さんびゃく、ねん……!?」
予想外すぎる言葉に、セシリアは絶句して目を丸くする。
慌ててナハトに刺された胸の傷を確認するが、そこは跡形もなく綺麗に塞がっていた。
しかし、周囲の風化しきった荒廃ぶりを見れば、それが冗談でないことは明らかだ。
「驚くのはまだ早いよ。君にとって、もっとショッキングな事実を教えてあげよう」
真理はセシリアの目の前までフワリと降りてくると、淡々と、残酷な真実を口にした。
「現在の人間界において、君は『勇者をたぶらかし、国を滅ぼそうとした希代の大悪女』として歴史に名を刻まれている。街に出れば、間違いなく石を投げられて殺されるよ」
「は……?」
裏切られて殺された挙句、歴史を書き換えられ、悪女として名を残している。
あまりの理不尽な事実に、セシリアは口を半開きにして呆然と立ち尽くした。
三百年の時を経て目覚めた彼女を待っていたのは、かつての仲間が作り上げた残酷な現実だった。
◇
ヒュオォォォ、と。
ひんやりとした湿った隙間風が、荒れ果てた廃墟を吹き抜けていく。
セシリアはガックリと膝から崩れ落ち、冷たい石の床に両手をついた。
歴史の改竄。かつての仲間による残酷な仕打ちに、頭の奥がジンジンと痛む。
自分の命すら顧みず、ひたすらに身を削って世界を救おうとした結果がこれだ。
「私が、国を滅ぼそうとした悪女?」
「そうだよ。だから街に行けば、火あぶりにされるか、串刺しにされるかの二択だね。君の指名手配書は、三百年経った今でも歴史の教科書に載っているくらいさ」
真理は空中でぷかぷかと浮遊しながら、ケロリとした声で言い放つ。
他人事とはいえあまりにも軽い口調に、セシリアは深いため息を吐いた。
胸の奥から込み上げてくるのは、怒りよりも呆れと途方もない疲労感だ。
これまで誰かのために生きてきた。道具として扱われても、それが自分の使命だと信じて疑わなかった。
だが、その結果が背中からの凶刃と、悪女という汚名である。
誰かのために己をすり減らすのは、もう絶対にやめよう。
セシリアはギュッと拳を握りしめ、固く心に誓った。
「動かない方が賢明だね。ここは魔族の気配すらない、ただの巨大なゴミ捨て場さ。人間だって、わざわざこんな呪われた廃墟に近づこうとは思わないだろうしね」
「そうね。人間の街に戻る理由もないわ。戻ったところで、誰も私を歓迎しないもの」
セシリアはゆっくりと立ち上がり、改めて周囲を見渡す。
崩れかけた巨大な石壁。ひんやりと湿った床には、正体不明のぬめりが這っている。
鼻を突くのは強烈な黒カビの臭いと、何かが腐敗したような不快な悪臭だ。空間全体が、どんよりとした瘴気に包まれているようだった。
かつては魔王の居城として恐れられた場所も、今やただの不気味な廃墟に過ぎない。
だが、誰にも脅かされない静かな場所であることは確かだ。
どうせなら、この廃墟で誰にも邪魔されず、一人で気ままに生きていこう。
「まずは、この酷い臭いと汚れをどうにかしないと。こんな環境じゃ、一晩で病気になってしまうわ」
「おや、掃除でも始めるのかい? 手伝ってあげたいところだけど、僕は実体がないからねえ」
真理が面白そうに光を点滅させながら、くるくると宙を舞う。
セシリアは両手を胸の前に掲げ、静かに目を閉じた。
勇者パーティにいた頃、彼女の魔法は常に嘲笑の的だった。
強力な魔物には一切のダメージを与えられず、ただの汚れを落とすだけの力。
どれほど魔力を込めても、攻撃魔法はおろか、防御魔法すらまともに使えなかった。
『なんだその役立たずの魔法は! そんな暇があるならポーションの一つでも作れ!』
ナハトの不快な怒鳴り声が耳の奥に蘇る。
彼らにとって、セシリアの生活魔法は単なる無駄な余興でしかなかったのだ。
セシリアは首を激しく横に振り、最悪な記憶を頭から叩き出した。
深呼吸をして、体内の魔力をゆっくりと練り上げる。
三百年の眠りを経ても、彼女の中に宿る膨大な魔力は健在だった。いや、むしろ以前よりも澄み切っているようにさえ感じる。
「【浄化】」
静かな、だが凛とした声の詠唱と共に、セシリアの体から淡い黄金色の光が波紋のように広がる。
光の波は水面を滑るように床を這い、苔むした壁を伝い、高い天井の隅々にまで瞬く間に到達した。
シュウウウウ、と。
湿った音を立てて、分厚くこびりついていた黒カビが一瞬にして消滅する。
足元を覆っていた不気味なぬめりはサラサラの塵となり、吹き抜ける風と共に散っていく。
腐敗した臭いが嘘のように消え去り、まるで朝の森の奥深くのような、清浄でひんやりとした空気が空間を満たしていった。
触れれば病になりそうだった淀んだ水たまりすら、光を浴びて透き通った清流のように輝き始める。
「わあ、これはすごいね! 信じられないほどの力だ!」
真理が歓声を上げて飛び回る。
見違えるほど綺麗になった石造りの大広間に、セシリアは満足げに頷いた。
美しい大理石の床が、本来の輝きを取り戻している。
「ふふっ。やっぱり、私の魔法はすごいじゃない」
戦闘では最も無駄だと蔑まれた力が、皮肉にも今、最高の快適さをもたらしている。
誰かに命令されたわけでもなく、ただ自分の生活のために使った魔法。
心の中の暗い靄までスッと晴れたような気がして、セシリアは久しぶりにクスリと笑った。
その時だ。
ガタッ。
綺麗になった大広間の隅から、微かな物音が響いた。
セシリアは弾かれたように振り返る。
「誰か、いるの?」
誰もいないはずの廃墟。
セシリアは警戒しながら目を凝らす。
巨大な瓦礫の陰から、小さな気配が複数、こちらを怯えたように窺っていた。
◇
瓦礫の裏側に身を潜めていたのは、ボロボロの衣服を纏った三人の子供たちだった。
頭には小さなねじれた角が生え、腰のあたりからは細い尻尾が力なく垂れ下がっている。
間違いなく、魔族の子供たちだ。
「ひっ……ご、ごめんなさい……っ。なにも、してない、です……っ」
セシリアが一歩近づくと、一番年上の少年が、幼い弟と妹を庇うように前に出た。
その体は骨が浮き出るほどに痩せ細り、あちこちに痛々しい切り傷や打撲の痕が残っている。
「叩かないで……石を、投げないで……っ」
少年はギュッと目を強くつむり、ガタガタと全身を震わせた。
後ろに隠れた小さな二人は、恐怖のあまり声すら出せないようだった。
「おや、魔族の生き残りだね。人間たちに迫害されて、居場所がなくてこんな廃墟に逃げ込んできたんだろうさ」
真理が空中でパタパタと光を明滅させながら、同情するような声を出す。
その言葉を聞いて、セシリアの胸の奥がギュッと締め付けられた。
用済みとなれば捨てられ、誰も助けてはくれない。
逃げ場を失い、冷たい石の床で怯えるしかない彼らの姿が、かつて道具として酷使され、暗い場所で泣き寝入りしていた自分自身と痛いほどに重なったのだ。
(ああ、この子たちも、私と同じなんだわ)
セシリアはゆっくりとその場にしゃがみ込み、彼らと同じ目の高さになった。
そして、努めて優しく、穏やかな声音で語りかける。
「大丈夫よ。叩いたりしないし、石なんて投げないわ」
「え……?」
「痛かったでしょう。もう、我慢しなくていいのよ」
セシリアはそっと手を伸ばし、少年の泥だらけの頬に触れた。
ビクッと肩を跳ねさせた彼らに向けて、体内から温かな魔力を紡ぎ出す。
「【極大回復】」
ふわりと、黄金色の光の粒子が子供たちを優しく包み込んだ。
それは勇者パーティでも重宝された、セシリアが誇る最高位の回復魔法。
春の陽だまりのような温もりが、彼らの冷え切った体をじんわりと温めていく。
痛々しかった傷跡はみるみるうちに塞がり、青白かった肌に健康的な血色が戻っていく。
「あ……痛く、ない。血が……止まってる……?」
「ほんとうだっ。ポカポカして、すごく気持ちいい……っ」
子供たちは自分の体を見下ろし、信じられないというようにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
警戒心で強張っていた彼らの表情が、ふわりと柔らかく解けていく。
「お、おかしいぞっ。今のは、治癒魔法だ。おれたち魔族にとっては、毒のはずだろうっ」
少年が、驚きのあまり声を上げる。
「そうね」
治癒魔法は聖なる光の属性。一方で、魔族や魔物、魔の付くものたちは闇の眷属。
光の対極にいる存在。
通常の治癒魔法では、魔族を治療することはできない。
「だから、調整したの」
「調整……?」
「そう。光の魔力を直接流すと、君たちを傷つけてしまう。だから、闇の魔力、負の力を流して、君たち魔族の体内にある同じく負の力を掛け合わせて、正のエネルギーを作って治癒したの」
子供の魔族は、セシリアの言っていることを理解できないようだった。
「ま、理解しろってほうが無理だ。なにせセシリアのやった治癒は、神業。一億人に一人できるかできないか、それくらいの精密な魔力操作ができないと、実現できない超越ヒールなんだからね」
えっへん、と真理が偉そうに胸を張るように明滅する。
「よくわかんねーけど……怪我治してくれて、あんがと」
「いえいえ」
きゅるるぅぅぅぅぅぅっ。
不意に、静まり返った大広間に、盛大な腹の虫の音が響き渡った。
少年の顔が、一瞬にして茹でダコのように真っ赤に染まる。
「あ、う……その……っ」
「ふふっ、お腹が空いたのね。待ってて、すぐにご飯にするから」
セシリアはクスリと微笑むと、空間魔法のポーチから野営用の携帯食料を取り出した。
カチカチに硬くなった干し肉と、味のしない黒パン。本来なら水で無理やり流し込むような粗末な代物だ。
だが、今のセシリアには時間も、持て余すほどの魔力もある。
彼女は干し肉と黒パンを鍋に入れ、澄んだ水を生み出すと、そこに【浄化】と【回復】の魔力を乗せて火にかけた。
「聖魔法調理・特製ポトフよ」
コトコトと煮込むこと数分。
鍋の蓋を開けると、ふわりと白い湯気が立ち昇り、暴力的なまでに芳醇な肉の香りが大広間いっぱいに広がった。
干し肉は魔力によって極上の柔らかさを取り戻し、スープには肉の旨みと野菜の甘みが溶け込んでいる。
グツグツと音を立てる黄金色のスープは、見るからに食欲をそそる温かさを放っていた。
「さあ、冷めないうちに召し上がれ」
セシリアが木皿にたっぷりと注いで手渡すと、子供たちはゴクリと喉を鳴らした。
熱々のスープを一口飲んだ瞬間、彼らの瞳にパァンッと星のような輝きが宿る。
「おいひいぃぃぃっ」
「お肉が、お肉が口のなかでとろけちゃうよぉ……っ」
子供たちは夢中でスープを啜り、フハフハと熱い肉を頬張った。
あまりの美味しさに感動したのか、腰の尻尾をパタパタと千切れんばかりに振っている。
カチャカチャとスプーンが皿に当たる小気味よい音が、静かな城内に響き渡る。
その微笑ましい光景を見つめながら、セシリアはふと口を開いた。
「ねえ。あなたたち、行くあてはあるの?」
「……ううん。人間は怖いし、魔族の村も、もう焼かれちゃって……」
少年がスプーンを止め、悲しそうに尻尾を丸めた。
セシリアは彼らの頭を順番に、優しく撫でる。
「私にも、帰る場所なんてないわ。だから……ここを、私たちの新しい居場所にしましょう」
「お姉ちゃんも、ここにいてくれるの……?」
「ええ。誰にも邪魔されない、温かくて安全な場所にしてみせるわ。だから、一緒にいましょう」
セシリアの言葉に、子供たちはポロポロと大粒の涙をこぼした。
不安と恐怖に満ちていた彼らの心に、初めて安心という名の灯がともった瞬間だった。
やがて、お腹いっぱいになった子供たちは、綺麗になった床に毛布を敷いて、丸まるようにして眠りについた。
スースーという穏やかな寝息が聞こえてくる。
「やれやれ、すっかり懐かれちゃったね。でも、君らしいや」
真理が呆れたように、しかしどこか嬉しそうに飛び回る。
セシリアもまた、満ち足りた思いで子供たちの寝顔を見つめていた。
だが、その平穏は、ふいに漂ってきた異質な気配によって破られた。
「……? 何、この匂い」
セシリアはスッと立ち上がり、城の奥深くへと続く暗い回廊を見つめた。
鼻を突いたのは、むせ返るような鉄とサビの匂い。
そして、肌を刺すような、ぞっとするほど冷たい死の気配だった。
「真理、子供たちをお願い」
「えっ、ちょっとセシリアっ。どこへ行く気だいっ」
真理の制止を背に受けながら、セシリアは躊躇うことなく暗い回廊へと足を踏み入れた。
その気配の先で、彼女の運命を大きく変える存在が待っていることなど、この時のセシリアは知る由もなかった。
◇
暗く冷たい回廊を抜けた先には、かつて魔王の私室として使われていたであろう豪奢な扉があった。
死の気配は、その重厚な扉の向こうから漂ってきている。
セシリアは静かに扉を押し開けた。
むせ返るような血の匂いが鼻を突く。
部屋の中央、ひび割れた豪奢な絨毯の上に、黒い塊が横たわっていた。
「これは……狼?」
近づいてみると、それは一匹の小さな黒狼だった。
艶やかな黒い毛並みは血と泥にまみれ、体中に深い裂傷を負っている。
微弱な呼吸を繰り返しているが、魔力は完全に枯渇しており、命の灯火が消えかける寸前だった。
「セシリアっ、気をつけなよっ。こいつ、ただの魔物じゃない。とんでもない闇の魔力を秘めてる」
遅れて追いついてきた真理が、警告を発する。
だが、セシリアは躊躇うことなく黒狼の傍らに膝をついた。
「どんな力を秘めていようと、死にかけている小さな命よ。見捨てる理由にはならないわ」
セシリアは黒狼の傷だらけの体に両手をかざし、先ほどと同じように光と闇の魔力を反転させて流し込む。
「【極大回復】」
温かな光が、瀕死の黒狼を包み込んだ。
致命的だった傷がみるみるうちに塞がり、荒かった呼吸が穏やかなものへと変わっていく。
やがて、黒狼は静かに瞼を開いた。
血のように赤い、宝石のような瞳。
その瞳が、自分を助けたセシリアをじっと見つめ上げる。
「おはよう。もう、痛いところはない?」
セシリアが優しく微笑みかけると、黒狼は警戒するそぶりも見せず、ふらつく足で立ち上がった。
そして、セシリアの膝にすり寄るように顔を埋め、甘えるように喉を鳴らした。
「あらあら。あなたも、行き場がないのね」
セシリアは黒狼の頭を優しく撫でる。
手の中の小さな温もりが、ひどく愛おしく感じられた。
「拾ったからには、ちゃんと責任をとらないとね。これからよろしくね、黒いワンちゃん」
黒狼は返事をするように、短く一度だけ鳴いた。
その瞳には、セシリアに対する深い忠誠と、絶対的な信頼の光が宿っているように見えた。
「やれやれ。子供の次は、得体の知れない魔獣かい。君の保護欲には恐れ入るよ」
真理が呆れたように宙を舞う。
それから、ふと思い出したように明滅を繰り返した。
「そういえば、セシリア。君を裏切って刺した、あの勇者ナハトの国のことなんだけどね」
「ナハトの国が、どうかしたの?」
「君という聖女を失ったせいか、あの後すぐに土地が痩せ細って、作物が全く育たなくなったらしいんだ。三百年経った今じゃ、見る影もないスラム街みたいに荒れ果てているそうだよ」
真理の言葉に、セシリアは目を丸くした。
かつて自分が命を懸けて守ろうとした国が、そのような末路を辿っていたとは。
「ふうん、そう」
「あれっ。もっと驚くか、ざまあみろって喜ぶかと思ったのに。薄い反応だねえ」
「だって、もう三百年前の他人事だもの。今の私には、関係のない話よ」
セシリアは、膝の上の黒狼を撫でながら静かに微笑んだ。
裏切られた怒りも、過去への未練も、すでに彼女の心からは綺麗に消え去っていた。
「それよりも、これからのことを考えないと。この広いお城を、どうやって居心地の良い場所に改装しようかしら」
魔王城という最恐の廃墟で、魔族の子供たちと、不思議な黒狼との共同生活。
道具として使い捨てられた聖女の、新しくてのんびりとしたスローライフが、今ここから始まろうとしていた。
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