帰城したら英雄になっていた件
慶長五年、九月下旬。
江戸城に、一足先に早馬が届いていた。
知らせをもたらしたのは榊原康政の使者だった。内容はこうである。「秀忠様が真田昌幸を三日間にわたって足止めし、西軍への援軍を遮断。関ヶ原の勝利に多大なる貢献を果たされた」。
土井利勝は、その文を三度読んだ。
三度読んで、一度だけ目を閉じた。
そして静かに言った。
「……出迎えの準備をせよ」
廊下を去り際、土井は小声で続けた。どんな顔で迎えればよいのか。まだ、それがわからなかった。
秀忠軍が江戸城の門をくぐったのは、昼過ぎのことだった。
門前には家臣たちが整然と並んでいた。
秀忠は少しだけ顔を曇らせた。
「……なんですか、これ」
土井が前に出た。
「関ヶ原における御戦功、まことにお見事でございました」
「戦功?」
「真田昌幸を三日間にわたって足止めされ、西軍への援軍を……」
「足止めしたのは向こうです」
土井の口が、少し止まった。
「……は?」
「足止めされたんですよ、僕が。三日も。大変でしたよ。ご飯も質素だったし、夜は寒いし」
「いえ、それはつまり……」
「まあ勝ったんでしょ? よかったです。それよりご飯とお風呂と猫にさっさと会いたいんですが」
秀忠は家臣の列を横目に見ながら、先へ歩いた。
残された家臣たちは、互いにそっと顔を見合わせた。
「……今、何と?」
「足止めされた、と」
「謙遜では?」
「猫に会いたいとも言っておられた」
沈黙があった。
岡崎主水正は、一歩引いたところでその様子を眺めていた。白紙の巻物が、懐の中にある。帰路の馬上でずっと考えたが、題目が決まらなかった。今もまだ、決まっていなかった。
居室に戻った秀忠が最初にしたことは、布団の上に倒れ込むことだった。
次にしたことは、廊下を通りがかった小姓に「猫、どこにいる?」と聞くことだった。
猫が連れてこられた。秀忠は「おかえり」と言った。猫の方は何も言わなかった。
そこへお江が来た。
「おかえり」
「ただいま」
「元気そうね」
「まあ」
それだけだった。
秀忠が猫を撫でながら「疲れた」と言い、お江が「そうね」と言い、それ以上の会話はなかった。お江は少しの間そこに座っていた。秀忠が「ご飯まだ?」と言うと、「もうすぐ」と答えて立ち上がった。
去り際、お江はちらりと秀忠の顔を見た。
疲れた顔だった。けれども、帰ってきた顔だった。
……よかった。
そう思ったが、言わなかった。言わなくてよいことがある。それを知っているのがお江という人だった。
本多正信は廊下を歩きながら、手帳に書いていた。
「帰城時発言:『足止めされたのは向こうです』(原文ママ)。解釈1:正確な事実の陳述。解釈2:謙遜の表現。解釈3:本当にそう認識している。現時点では判断不能。継続観察を要する」
書き終えて、正信は少し歩いた。廊下の角でお江と鉢合わせした。
「正信殿」
「奥方様」
「主人が戻りました」
「存じております」
「心配しましたか?」
正信は一拍おいた。
「……しました」
お江は少し笑った。
「私は心配しませんでした」
「それは何故でございますか」
「あの人がそういう人だから、ということに気づいたのです。いつの頃からか」
正信はしばらく、お江の顔を見た。
「……『そういう人』とは、どのような意味でございますか」
「そのまんまの意味です」
お江は廊下を進んだ。
正信は手帳を開いた。
「奥方様の発言:『そういう人だから』。解釈の余地なし。あるいは解釈を要しない。この発言が本章において最も正確な記述である可能性がある」
戦功の記録を書く役目は、最終的に土井のところへ回ってきた。
土井は机に向かい、しばらく考えた。
事実を列挙すれば、こうなる。
秀忠は関ヶ原に遅刻した。上田城で真田昌幸に三日間足止めされた。その結果、真田の主力が西軍本隊に合流できなかった。
これをどう書くか。
「遅刻した」という記録を残すのは、さすがに憚られる。しかし事実は事実だ。「足止めされた」というのも事実だ。だが「足止めされた」と書くのか「真田を足止めした」と書くのかで、まるで意味が変わる。
土井は筆を持ち、しばらく止まり、置いた。
「……殿に伺うか」
なぜそんなことを思ったのか、土井自身もよくわからなかった。有益な答えが返ってくるとは思っていない。ただ、当事者に聞くのが最も正確だろうという、職業的な反射だった。
秀忠の居室に、猫が一匹いた。
秀忠は縁側で猫を膝に乗せ、団子を食べていた。帰城から半刻も経っていない。すでに完全に「ただいた」顔をしていた。
「……殿」
「あ、土井さん。団子いる?」
「結構でございます。一つ伺いたいことが」
「なんですか」
「公式記録に、関ヶ原での御活動を書き留めたいのですが」
秀忠は団子を一口食べた。
「足止めされてました。以上」
「……それを記録として……」
「事実ですよ。真田のおじさんが三日も動かなかったんです。こっちが何かしたわけじゃないです。ただ待ってた」
「待っていた、のですか」
「最初はどうにかしようかとも思ったんですよ。でも道が悪いし、上田城は堅いし、大軍で突っ込んだら消耗するし……」
土井は頭の中で変換した。
「敵城の地形を鑑み、消耗を避けるため主力による強攻を避け、圧力をもって牽制する方策を選ばれ……」
「……なんか、正直言うと面倒になってきてたっていうのもあって」
「……」
「でも放っておいたら後ろから来るかもしれないし、そこだけは気になってたんですよね」
「背後からの脅威を断つため、主力を以て包囲の形を維持し……」
「まあ結局、向こうも動かなかったんで、勝手にそうなったって感じですけど」
土井は筆を走らせた。
筆が止まったのは、しばらくしてからだった。
後日、土井が書き上げた記録には、こうある。
「秀忠、真田昌幸を三日にわたり上田城に釘付けにし、西軍への援軍経路を封鎖したる功績は、関ヶ原の戦況を東軍有利に傾けたる一因となりたり」
後にこの記録を読まされた秀忠は「なんか大げさじゃないですか」と言い、土井は「事実のままでございます」と答えた。どちらも嘘はついていなかった。
その夜、岡崎主水正は行燈の前に座り、白紙の巻物を広げた。
今度こそ書くと決めていた。「軍略について」でも「御性質について」でもなく、ただ見聞きしたことを記録しようと。
岡崎は筆を取り、少し迷い、書いた。
「関ヶ原において秀忠様が果たされた役割について、私はいまだうまく説明できない。事実のみを述べれば、真田を三日足止めし、援軍を遮断した。理由を問えば、殿は『足止めされた』と言う。これを矛盾と言えば矛盾であり、事実と言えば事実である。判断がつかない。ただ一つだけわかることは、私が三日かけて作った二十一ページの作戦書よりも、殿の三日間の『待ち』の方が、結果として正確だったということである」
書き終えて、岡崎は巻物を巻いた。
表に、題を書いた。
「観察記録 其の一」
正信が同じ表題で手帳を書いていることに、岡崎は気づかなかった。
翌日、廊下で竹松がその巻物を見て「岡崎様も、でございますか」と呟いた。
「何が」
「なんでもございません」
竹松は「なぜでございますか」を口にしなかった。どう考えても、答えは「わかりかねます」だと知っていたからだ。
数日後、土井と正信が廊下ですれ違った。
「正信殿」
「はい」
「記録を書きました。関ヶ原での殿の件を」
「ご苦労様でございます」
「一つ聞いてもよいですか」
「はい」
「記録を書く時、動機と結果のどちらを書きますか」
正信は少し考えた。
「結果でございます」
「動機は」
「記録しない方が、後世の人間に考える余地が生まれます」
土井はしばらく黙った。
「……それは、動機を書いたら困るからでは」
「それもございます」
正信は歩き出した。土井はその背中に言った。
「同じですね。私も」
正信は振り返らなかった。しかし、確かに少し、歩みが遅くなった。
翌々日。秀忠は縁側で団子を食べながら、猫と昼寝をしていた。
土井が来た。
「殿、家康様がお呼びでございます」
秀忠は半目を開けた。
「……なんか嫌な感じがする」
「は?」
「お父さんに呼ばれる時に、嫌な感じがする時とそうじゃない時があって」
土井は答えなかった。
「今はどっちかというと嫌な方なんですよね」
「……はあ」
「なんの話ですかね」
「……存じません」
嘘だった。土井は知っていた。しかし今は言わない方がいいと判断した。理由は、後で考えることにした。
秀忠は廊下を歩きながら、ぼんやりと思った。
関ヶ原は終わった。寒かった。飯は質素だった。真田のおじさんはしつこかった。お父さんに怒鳴られた。でもご飯はもらえた。猫にも会えた。
それで十分だった。
なぜお父さんに呼ばれることが嫌なのか、自分でもよくわからなかった。ただ、嫌だという気持ちだけはあった。
こういう勘は、だいたい当たる。
秀忠は少しだけ足が遅くなったが、止まりはしなかった。
廊下を歩いた。
◇後世の歴史家注◇
関ヶ原後の帰城時、秀忠が家臣の出迎えに際して発した言葉は記録によって異なる。「謹んで御返参仕りました」とする公式記録と、「足止めされたのは向こうです」とする非公式の証言が存在するが、研究者の間では前者が採用されている。土井利勝の残した戦功記録は現存し、「遅刻した」という記録は現存しない。岡崎主水正の「観察記録 其の一」は後に発見されているが、「其の二」以降は確認されていない。本多正信の手帳についても、依然として「わかりかねる」としか言いようがない。なお、この時期の秀忠の猫については、名前も種別も記録に残っていない。ただ猫が存在したという事実のみが残る。学者の一人がこれを「秀忠の内面を示す唯一の一次資料」と論じたが、別の学者は「猫の話をするな」と反論した。論争は現在も続いている。




