遅刻到着・家康との対面
慶長五年九月十五日。
関ヶ原の戦いは、午後には決していた。
西軍の諸将は散り、小早川の裏切りで崩れた陣形は煙のように消え、残ったのは勝者の旗と、広野に転がる無数の痕跡だった。
家康の本陣には、夕刻から勝者たちが集まってきた。東軍の主だった将たちが順々に顔を出し、戦功を報告し、杯を受けた。熱気があった。高揚があった。四半世紀の積み重ねがここに収束したという、重くて明るい空気があった。
本多正信は本陣の端に座り、その様子を静かに見ていた。
手帳を開いていたが、書くものがなかった。記録すべきことは山ほどあった。それでも筆が動かなかったのは、正信の頭が別のことを考えていたからだった。
秀忠軍は、まだ来ていなかった。
岡崎主水正忠則が本陣の外れに立っていたのは、その夕刻のことである。
西の空が燃えるように赤かった。戦が終わった日の夕焼けというのは、いつもより少し乱暴に見えると岡崎は思った。あるいは自分の目がそういうものを映しているだけかもしれない。
「岡崎様」
竹松が傍に来た。
「何か」
「……まだ、おいでになりません」
「わかっている」
「家康様が」
「わかっている」
岡崎は腕を組んだままだった。西の空の赤みが少しずつ薄れていくのを、見るとも見ないともなく眺めていた。
真田の足止めが三日。その後の行軍に何日かかったか。算術をするまでもない。関ヶ原は終わっている。終わってしまっている。秀忠様はそこへ、今から着く。
家康様が何をおっしゃるか。
それを思うと、岡崎は少しだけ胃のあたりが重くなった。
「……竹松」
「はい」
「お前はこういう時、何を考える」
竹松はしばらく黙った。
「……なぜでございますか、と思います」
「何が」
「何もかもが」
岡崎は返事をしなかった。竹松も続けなかった。二人は並んで、暮れていく空を見ていた。
その夜、秀忠軍が到着した。
知らせを受けた家康の表情が、岡崎には遠くからでも見えた。それがどういう表情だったか、岡崎は後々まで正確に言葉にできなかった。怒りだとは思った。しかしそれだけではないような気もした。長い旅の果てにようやく着いた者を出迎える、そういう何かが混ざっていたかもしれない。
秀忠が本陣に入ってきた。
行軍の疲れが顔に出ていた。髪が乱れていた。鎧の一部が泥で汚れていた。
岡崎は背筋を正した。傍の竹松も、知らずと背が伸びていた。
場の空気が、ぴんと張った。
家康がゆっくりと立ち上がった。
諸将が見守る中、父と子が向き合った。
「……」
家康が何かを言おうとした。
秀忠が、一瞬早く口を開いた。
「お父さん、お腹すいた」
静寂があった。
本陣の中にいた全員が、あるいは静止した。
あるいは吸っていた息を、どこへ吐けばいいかわからなくなった。
岡崎は自分の口が少し開いているのを感じた。閉じようとしたが、うまくいかなかった。
家康は眉間に皺を寄せた。一拍、二拍、三拍の沈黙。
「貴様ァ……!!」
本陣が震えた。
「なぜこんなに遅れたか分かっておるのか!! 天下分け目の戦に間に合わなかったのだぞ!!」
「……だって寒かったし」
「言い訳をするな!!」
「寒かったのは本当のことです」
「それが言い訳というんじゃ!!」
秀忠は少し考えた。
「……ごめんなさい」
場の全員が思った。謝った。謝ったぞ。
「それと」と秀忠が続けた。「真田のおじさんもしつこかったんですよ。三日も足止めされて、こっちだってそれなりに大変だったわけで……」
「言い訳をするなと申しておる!!」
「ごめんなさいとは言いました」
「言い訳の後に謝っても……!!」
「順番の問題ですか」
「問題か問題でないかという話をしておるのではなく……!!」
「あの、ご飯は」
「黙れ黙れ黙れ……!!」
本多正信は本陣の端に座ったまま、やり取りを聞いていた。
手帳は開いていたが、今は何も書かなかった。
書くべきことは多すぎたし、少なすぎた。
家康様が怒鳴っている。秀忠様が「ごめんなさい」と言っている。「ご飯は」と言っている。場の全員が置いていかれている。これは記録か。記録とは何か。
正信は手帳を閉じた。
「……秀忠様」
声が出た。自分でも驚いたが、すでに立ち上がっていた。
家康が鋭い目を向けた。
「なんじゃ」
「一言、よろしいでしょうか」
「……言え」
正信は家康に近づき、声を落とした。耳打ちというほど近くはないが、本陣の全員には聞こえない距離だった。
「上田城で真田昌幸が秀忠様の軍を三日足止めした間、昌幸は西軍への援軍に動けませんでした。その三日が、関ヶ原の戦況を変えた一因でございます」
家康は何も言わなかった。
「真田が西軍本隊に加わっていれば、この戦の結末は変わっていたかもしれません。秀忠様が上田に引きつけた三日間は……」
「……わかった」
正信はそれ以上言わなかった。
家康は、しばらく何も言わなかった。
正信も、言い終えた後は黙っていた。こういう時に余計なことを言うと、矛先が自分に向くことを、三十年の経験で知っていたからである。
家康は秀忠を見た。
秀忠はどこから出てきたのか団子を片手に持ち、「勝ったんでしょ? だったらよかったじゃん」と言っていた。
勝利の余韻も、遅刻への反省も、英雄的な自覚も、何一つない顔だった。ただ団子が旨そうだった。
「……この馬鹿者めが」
家康は怒鳴った。
しかし口元が、少しだけ緩んでいた。
「飯を持ってこい」
「あ、よかった」と秀忠が言った。
竹松は「秀忠様が何をよかったと思っているのか」が判断できなかったが、それを問うことはしなかった。
岡崎主水正は壁際に立ったまま、その一部始終を見ていた。
「……なぜ」
声が出た。自分でも気づかなかった。
竹松が横で静かに言った。
「私もわかりません」
二人とも、それ以上は何も言わなかった。
本陣に飯の支度が整い、家康と秀忠が向き合って座った。
諸将はそれぞれ席を離れ、本陣の外へ散っていった。二人の間の空気は、先ほどとは少し違っていた。怒鳴り合いの後の、疲れたような、それでいて妙に落ち着いた空気だった。
秀忠は飯をよく食べた。
家康はそれを横目で見ながら、時々杯を口に運んだ。
「……大変だったか」
家康がぼそりと言った。
「まあ、それなりに」
「真田め」
「しつこかったです。三日も待たせて。ひどいじゃないですか」
「……お前が言うか」
「僕のどこが悪いんですか」
家康は答えなかった。
しばらく二人とも黙って飯を食べた。
「……帰ったら」と家康が言った。「江戸でゆっくりせい」
秀忠は少しだけ顔を上げた。
「……はい」
それだけだった。
親子の会話はそこで終わった。外では家臣たちが勝利の喧騒の中にいたが、この場だけは静かだった。
その夜、本多正信は秀忠の陣に戻った。
秀忠は団子を食べ終えて、すやすやと寝ていた。
正信はしばらく、その顔を見ていた。
戦略家の顔ではなかった。天才の顔でもなかった。どう見ても、ただ満腹で眠い男の顔だった。
正信は手帳を開いた。
今日の記録を書こうとして、少し迷った。
「真田を釘付けにしたことで西軍への援軍が遮断された」という事実。これは正しい。記録する価値がある。
しかし「その理由が秀忠様の意図によるものかどうか」については、正信にも確認する方法がなかった。
正信はしばらく考えてから、こう書いた。
「結果のみ記録する。動機の詮索は控える。なぜなら、動機が何であれ結果は変わらないからである。ただし動機の詮索を控えるのは、答えが出ないからではなく、答えが出た場合に困るからである」
最後の一行を書いてから、正信は筆を置いた。
「……答えが出た場合に困る」
自分で書いておいて、自分でそこに引っかかった。
答えが出た場合に何が困るのか。
「ただの怠け者でした」という答えが出た場合。
……それはそれで、困る。
「すべて計算の上でした」という答えが出た場合。
……それはもっと、困る。
正信は三冊目の手帳を閉じた。今夜はもう書かないことにした。
秀忠の寝息が、規則正しく聞こえていた。
「……わかりかねる」
誰にも言わずに、正信はそう呟いた。
関ヶ原の後、江戸へ戻る道中。
土井利勝が、初めて本多正信に直接問うた。
「正信殿」
「はい」
「殿は……本当に、何も考えていないのでしょうか」
正信は馬上で、少しの間黙った。
「土井殿はどう思われますか」
「……わかりません。だからお聞きしているのです」
また少し黙った。
「では一つお聞きします」
「はい」
「あなたは今まで、秀忠様が『出たくない』とおっしゃった結果、うまくいかなかった例を見たことがあるか」
土井は記憶を辿った。剣術大会。初陣。関ヶ原への出立。上田城。
「……ありません」
「では、秀忠様が積極的に動こうとした結果、まずくなった例は」
土井はさらに辿った。
「……これも、ありません」
「そうだ」
「ただそれは、あまりにも……」
「うまくいきすぎている、と言いたいのですな」
「はい」
正信はまた少し黙ってから、静かに言った。
「私もそう思っています」
「では、その理由は」
「わかりかねます」
土井は「また『わかりかねます』だ」と思った。しかし今回の「わかりかねます」は、以前と少し違う響きを持っていた。
以前の「わかりかねます」は「答えを言いたくない」という意味だった気がした。
今回の「わかりかねます」は、本当に「わからない」という意味に聞こえた。
本多正信が本当に「わからない」と言う時、世の中に怖いものは何もないと土井は思った。
その夜から、土井利勝も眠れない夜が始まった。
岡崎主水正は、帰路の馬上で巻物を一つ懐に持っていた。
「改訂版」と書いた二十一ページの作戦書、ではなく、新しく書き始めた巻物だった。
表には、まだ何も書いていなかった。
書くべき題目がわからなかった。
「秀忠様の軍略について」と書こうとして、やめた。「軍略」という言葉が正しいかどうかが、わからなかった。
「秀忠様の御性質について」と書こうとして、やめた。「御性質」で収まるかどうかが、わからなかった。
岡崎は白紙の巻物を懐にしまった。
江戸に帰ったら、考える。
そう思ったが、江戸に帰ってからも、ずっと白紙のままだった。
◇後世の歴史家注◇
関ヶ原において秀忠が遅参した理由については、諸説ある。「真田の足止め」「行軍速度の問題」「指揮系統の混乱」がその主なものだが、一次資料の中に「寒かったから」とする証言が一点存在することは、研究者の間でほぼ黙殺されている。家康との対面場面については、「父子の間でいかなる言葉が交わされたか」を詳述する資料はなく、「心を通わせた父子の邂逅」という表現が各書で踏襲されている。「お腹すいた」という発言の記録は現存しない。本多正信の耳打ちの内容は、正信自身の手帳に記録があったとされるが、手帳は現存しない。「わかりかねる」という正信の呟きを記録した者もいない。土井利勝が帰路に眠れない夜を過ごした事実も、記録には残っていない。残っているのは「関ヶ原後、東軍の結束は揺るぎなく、秀忠の遅参は後世への教訓とされた」という一行だけである。教訓の内容については、書いた者も読んだ者も、どちらが困るかを考えるのをやめたのかもしれない。




