行軍を楽にしたくて、地図が進化した件
── ぐうたらな最短距離探しが、情報収集の仕組みを作った ──
出陣から二日が経った。
街道は乾いていたが、日が落ちると風が冷たかった。行軍の列は延々と続き、先頭から末尾まで一望することなどできない。旗が風を受け、馬の蹄が土を踏み、荷駄の車輪が轍を深く刻んだ。
先鋒の武者が速度を上げれば、後続が遅れる。後続を待てば、先が詰まる。大軍の行軍というのはそういうものだと、岡崎主水正忠則は三十年の経験で知っていた。
岡崎は列の中ほどで馬を進めながら、周囲の気配を読んでいた。士気は悪くない。天候も今のところ問題ない。作戦書の第七ページに書いた行軍速度の見積もりとほぼ一致している。このままいけば、予定通りの行程を……
「……これ、もっと短くなりませんか」
前方で、のんびりした声がした。
岡崎は顔を上げた。列の先に、馬上で地図を広げている秀忠の姿があった。
秀忠は地図を両手で広げ、空にかざすようにして眺めていた。
馬が少しよろめくたびに地図も揺れた。それでも秀忠はぼんやりと地図を見ていた。隣を並んで進んでいた竹松が「馬の手綱を……」と小声で言ったが、秀忠は聞いていなかった。
「榊原さん」
榊原康政が馬を寄せた。
「はい」
「この道さ、もっと短くなりませんか」
榊原は一瞬だけ目を閉じた。こういう問いかけには、少しだけ覚悟がいる。
「街道はこのように定まっておりまして……迂回は兵力の分散につながるため、現在の経路が最善かと」
「でも」秀忠は地図をひっくり返した。「昨日、村の人が言ってたんですよ。峠を越えれば半日短くなるって」
「それは山道でございますので、大軍には……」
「だから全員で行かなくてもいいじゃないですか」
榊原は言葉の途中で止まった。
「荷物の少ない人が先に行って、道の様子を確かめておけば」秀忠は地図の端を指でとんとんと叩いた。「後から来る人が、ここは通れるとか通れないとかわかって楽でしょ。毎回、来てみて初めてわかる、みたいなの、もったいないと思うんですよ」
「……それは、先行部隊を出して道を……」
「そう、そういうこと」
榊原は黙った。
秀忠は地図を丸めようとして、うまくいかず、竹松に渡した。
「あと」と言った。
「はい」榊原が静かに答えた。
「地図に、村の人の話を書き込んどいてもらえますか」
「……と、申しますと」
「こっちに抜け道がある、とか。ここは水が出る、とか。この時期は川が増える、とか。そういうの、誰かが集めてけば、次使う人が楽でしょ。今度また来た時に、また一から聞かなくていい」
榊原は少しの間、何も言わなかった。
「村ごとに、そういうのを聞く人を決めてもらえれば」秀忠はあくびをした。「めんどくさいかな。でも後で楽になるから」
「……なりません」と言うべき点が、どこにもなかった。
榊原は静かに頷いた。「承知いたしました」
「あ、ありがとうございます。じゃあよろしく」
秀忠は馬上でまた前を向いた。少しうとうとしているようだった。
竹松は列の少し後ろで、今のやり取りを聞いていた。
「……なぜでございますか」と言おうとして、やめた。
何が「なぜ」なのかが、うまく言葉にならなかった。何かがおかしいわけではない。言っていることは筋が通っている。ただ、それを二日目の行軍の最中に、馬上で地図を眺めながら言い出す人間というのは、今まで一人もいなかった気がした。
竹松は前を歩く岡崎の背中を見た。
岡崎は正面を向いたまま、ぴくりとも動かなかった。
本多正信は、その会話をやや後方の馬上で聞いていた。
聞き終えてから、手帳を取り出した。
書いた。
「出陣二日目昼。秀忠様、地図の不備を指摘。先行部隊による道の確認を提案。現地住民からの情報を地図に書き加えることを要望。動機:楽したかっただけ(推定)。」
書いてから、少し考えた。
「楽したかっただけ(推定)」という一行が、なんとなく引っかかった。
正確には「楽したかっただけ」なのか「合理的に考えた結果として楽な方を選んだ」なのか、区別がつかない。区別がつかないまま書くのは記録として精度が低い。
正信はもう一行書き足した。
「補記:動機の特定不能。結果のみ記録する。なお、この行動が繰り返された場合、地図の精度が上がる。それ以上でも以下でもない。」
それ以上でも以下でもない、と書いたが、実際には少し気になっていた。
次の村で、誰かが立ち止まって古老の話を聞くようになったら。その話が地図に書き込まれるようになったら。次にこの道を通る軍は、昨日の竹松のような「なぜ」を感じずに済む。それは……
正信は手帳を閉じた。考え過ぎは記録の精度を下げる。今日のところは、ここまでにする。
その日の夕暮れ、野営地に着くころには、先行部隊が峠道の状況を確認して戻っていた。
「通れます。ただし荷駄が多ければ日暮れに間に合いません」
榊原が報告を受け、地図を広げて書き込んだ。「峠道、通行可。荷駄少なければ半日の短縮」と。
岡崎がそれを横目で見ていた。
何かを言おうとして、やめた。
自分の二十一ページの作戦書には、この峠のことは書いていなかった。街道以外の道は「大軍向きでない」として除外していた。それは正しい判断だったが、しかし、こういう書き込みが積み重なれば、次の誰かの作戦書の精度が上がる。
岡崎は正面を向いた。
「……改訂版の作戦書に、反映しておこう」
誰にも聞こえないほどの声で、そう言った。
三日目。
本多正信の手帳は、すでに三冊目に入っていた。
一冊目:秀忠の言動の記録。
二冊目:その結果の記録。
三冊目:一冊目と二冊目の「対応関係」の分析。
三冊目の最初のページには、こう書いてあった。
「法則の仮説:秀忠様が『嫌だ』とおっしゃった行動は、実行すると被害を被る。『めんどくさい』とおっしゃった行動は、実行すると意外な成果が出る。この二つの違いはどこにあるか。現時点では不明。要継続観察。」
正信はこれを書いてから、少し考えた。
「『嫌だ』と『めんどくさい』の違い……」
その日の午後、秀忠が「寒い」と言った。
翌朝、秀忠が「腹が痛い」と言った。
正信は新しい分類項目を立てようとして、既存の分類との対応関係が崩れることに気づいた。「寒い」は「嫌だ」の変形なのか、「めんどくさい」の変形なのか。それとも別の第三の種類なのか。
正信は三冊目の最初のページを見直した。
書き直すことになった。
四冊目が必要になった。
三日目の夕刻、榊原康政が正信の馬の傍を通りかかった。
正信が馬上で手帳に何かを書き続けているのを見た。
「……正信殿、何を」
「観察記録でございます」
「何の」
「秀忠様の」
榊原は少し止まった。
「……何か、わかりましたか」
正信は少しの間、手帳に目を落としたままだった。
「まだわかりかねます。ただ、一つだけ」
「なんでしょう」
「秀忠様が『出たくない』とおっしゃっている時は、出ない方が全員に得です」
榊原は関ヶ原を思い、上田城を思い、今ここにいる理由を思い、黙った。
「……それはもう、実証済みではございませんか」
「ですから、これからも記録します」
榊原は馬を進めながら、「正信殿は怖い人だ」と思った。しかしこれは秀忠への評価なのか正信への評価なのか、自分でもよくわからなかった。
その夜、野営の焚き火の傍で、竹松が岡崎に声をかけた。
「岡崎様」
「なんだ」
「正信様は、何をお書きになっているのでしょうか」
岡崎はしばらく焚き火を見ていた。
「秀忠様の観察記録だそうだ」
「……観察、でございますか」
「ああ」
「何かわかりましたか、と榊原様が問われていましたが」
「『まだわかりかねます』とのことだった」
竹松は黙った。
それ以上は何も言わなかった。それ以上言えることも、なかった。
二人とも、ただ焚き火を見ていた。炎が揺れるたびに、影が長く伸びては縮まった。
遠くで秀忠の陣から「今夜の団子はないのか」という声が聞こえた。
岡崎は何も言わなかった。竹松も何も言わなかった。
行軍四日目。
地図には、昨日今日と書き加えられた注記がいくつかあった。「此の辻より北、湧き水あり」「東の峠道、荷駄なければ通行可」「南の村、宿は少なし。野営地として不向き」。
いずれも通りがかりの村の古老や、街道脇の茶屋の主人が教えてくれた話だった。
地図係の小者が几帳面に書き込んだそれらの注記を、榊原は行軍の合間に確認した。
「……使えるな」
独り言だった。聞いていた者は誰もいなかった。
秀忠はその日も馬上でぼんやりしていた。
竹松が「地図の注記が増えました」と報告すると、「ああ、よかったじゃないですか」と言った。
「……秀忠様、これは秀忠様のご提案から始まったことですが」
「そうでしたっけ」
「一昨日、村の人の話を書き込むようにと」
「ああ、そんなこと言いましたっけ」秀忠はあくびをした。「なんか、後から楽になるかなと思って」
「……はい」
「できてよかった」
竹松は「なぜでございますか」と言いかけた。
いや、「なぜ」ではない。「なぜ」の問いに何を求めているのか、自分でもわからなかった。
秀忠は何も計算していなかった。楽をしたかっただけだった。しかし楽をしたいという一念から出てきた「あとから来る人が楽でしょ」という言葉が、地図に注記を加える習慣を生んでいた。
それは……
竹松は考えるのをやめた。考え続けると眠れなくなる気がした。
本多正信は、その夜に四冊目の手帳を開いた。
最初のページに書いた。
「現時点での結論:秀忠様の言動から、将来の成果を予測することは、現状では不可能。ただし、結果だけを見ると、一貫して全員に得をもたらしている。この事実は、動機とは無関係に記録し続ける価値がある。」
書いてから、一行付け足した。
「追記:なぜ全員に得をもたらすのかについては、わかりかねる。これは答えを探すことをやめたのではなく、現時点では答えが出ないため保留としている。」
保留、と書いた時、少し違和感があった。
「保留」というのは、いつか答えが出ることを前提にした言葉だ。
この問いに、いつか答えが出る日が来るのかどうか。
正信は筆を置いた。
焚き火の音が遠くに聞こえた。秀忠の陣からは、団子を食べ終えた者の満足そうな気配が漂ってきた。
「……わかりかねる」
誰にも聞こえないよう、正信はそう呟いた。
四冊目の手帳の最初のページに、「保留」という文字だけが残った。
◇後世の歴史家注◇
秀忠軍の行軍における現地情報の地図への書き込みは、出陣二日目から始まったとされる。先行部隊を出して道を確かめ、村の古老から抜け道や水場を聞く、それらを地図に書き加えていくやり方は、後に徳川軍の情報収集の基本として定着した。この手法が後の幕府による国絵図制作の素地となったと見る研究者もある。「楽したかっただけ」とする秀忠自身の発言は、関連資料の中に確認できる。研究者の間ではこれを「謙遜」として扱うのが通例となっているが、その判断の根拠については、各研究者の間で微妙に異なっている。本多正信の観察手帳については、「四冊が存在したとする記述が残るが、現存しない」とする記録がある。榊原康政の「使えるな」という独り言は、どの記録にも残っていない。




