遺品が発見された日
秀忠が亡くなった後、遺品の整理を担当したのは竹松だった。
かつて秀忠付きの小姓として仕え、後に老中となった竹松は、この役目を自ら申し出た。理由は聞かれなかった。聞けるような雰囲気でもなかった。
竹松は一人で、将軍執務室から始めた。
### 遺品その一
将軍執務室の文机の引き出しの奥から出てきたもの。
将軍在職中に受け取った書類の山。未読のまま綺麗に束ねられ、「土井へ」と書かれた付箋が一枚一枚丁寧に貼ってあった。
土井利勝はとっくに亡くなっており、届く宛先がなかった。
竹松はしばらく付箋を見ていた。それから、一枚一枚、丁寧に剥がして重ねた。
捨てられなかった。宛先のない付箋を、竹松は懐にしまった。
### 遺品その二
寝室の床下から出てきたもの。
「将軍の仕事目録」と題された巻物。在職初日に老中から渡されたあの巻物だった。
一度も広げた形跡がなく、ほぼ新品同様だった。
竹松は少しの間それを持ったまま、何も言わなかった。
### 遺品その三
縁側の柱の裏から出てきたもの。
小さな紙切れに、秀忠の筆跡でこう書いてあった。
「いつか絶対に辞めてやる 慶長十年 秀忠」
在職一年目から書き留めていたらしかった。
竹松は「……なぜでございますか」と言いかけて、やめた。聞ける相手が、もういなかった。
### 遺品その四
家康が使っていた部屋から出てきたもの。
小さな木箱。
竹松は蓋を開けた。中には何も入っていなかった。
何も入っていない木箱を、しばらく持っていた。それから、ふと、底を見た。
秀忠の筆跡で、こう書いてあった。
「おとうさんへ とくがわひでただ」
幼い字だった。いつ書いたものか、誰にもわからなかった。
竹松は何も言わなかった。
その木箱は後に家光のもとへ届けられた。家光は長い沈黙の後、静かに言った。
「……父上らしい」
家光はその木箱を、生涯手放さなかった。
### 遺品その五
竹松が最後に確認したのは、将軍執務室の文机の、最も奥の引き出しだった。
一冊の薄い冊子が出てきた。
本多正信の筆跡だった。
表紙に「観察記録 第一冊」と書いてあった。
竹松はめくった。
最初のページ。「第一の事例:大会辞退により落命を回避。動機は不明。結果は明白。」
竹松は「大会辞退」という言葉を見て、自分が仕え始める前の話だと気づいた。
次のページ。「法則の仮説:秀忠様が『嫌だ』とおっしゃった行動は実行すると被害を被る。『めんどくさい』とおっしゃった行動は実行すると意外な成果が出る」
竹松はこれを読んで、二十年間の記憶を辿った。
「……これは」
確かめるまでもなく、当たっていた。
次のページ。「昼寝は重要な何かである。何かは不明」
次のページ。「『寂しくないんですかね』という発言の分析……」
竹松は読み進めた。読み進めるにつれ、奇妙な感覚が強まってきた。
正信殿はずっと、分析していた。秀忠様のことを。二十年間ずっと。
そして最後のページ。
「わかりかねる」
たったそれだけだった。
竹松は冊子を閉じた。しばらく持っていた。
二十年間分析し続けて、「わかりかねる」が最終結論だった。
竹松は「正信殿らしい」と思った。同時に、「秀忠様らしい」とも思った。
この冊子がなぜ秀忠の文机にあったのか、竹松にはわからなかった。
正信が置いたのか。秀忠が持っていたのか。
もし秀忠が持っていたとしたら、秀忠はこの「わかりかねる」を、読んでいたのか。
読んでいたとしたら、何と思っただろう。
「めんどくさい」と言って閉じたかもしれない。
「知らない」と言って笑ったかもしれない。
あるいは、黙って、文机の引き出しの奥に、しまっていたのかもしれない。
竹松は冊子を、未読の書類の束の隣に置いた。
「土井へ」と書かれた付箋の隣に、「わかりかねる」が並んだ。
竹松はそれを見て、しばらく動けなかった。
それから、静かに部屋を出た。
この冊子については、後世の記録に出てこない。竹松が誰にも言わなかったからだ。言い方がわからなかったからである。
◇後世の歴史家注◇
「将軍の仕事目録」が一度も開かれなかった件については、「秀忠が書類に頼らず、すべてを自らの見識で処理した証左」とする説が有力である。「土井へ」の付箋については、「大御所期における土井への全幅の信頼」と評される。柱裏のメモについては、発見されていない。竹松が最後に見つけた冊子については、この注釈の執筆時点で所在不明である。どこかにある可能性は高い。二百年後に学者が見つけた十四冊と同じものである可能性も、高い。




