初陣をやめてくれ!
礼法の授業が一日半で終わってから、半月が過ぎた。
その日の朝、家康は秀忠を呼んで、ひとつのことを告げた。
「秀忠。そろそろ初陣だ」
縁側で団子を食べていた秀忠は、団子の串を持ったまま、しばらく止まった。
それから、静かに言った。
「嫌です」
家康はこの一言に対して、どう返すべきか、一瞬だけ考えた。しかしこれまでの経験から、論理で返しても時間の無駄だということはわかっていた。だから何も言わずに、続きを待った。
続きは、すぐに来た。
「死ぬかもしれないし」
「血も怖いし」
「馬も怖い」
「虫も多そう」
「……あと、何かいい音しないじゃないですか。戦って。銅鑼とか、うるさいし」
五段論法だった。
前回の剣術大会では四段だったので、一段進歩している。家康は「成長した」とは思わなかった。
岡崎主水正忠則は、廊下の角でこの一部始終を聞いていた。
听かないつもりはなかったが、廊下を曲がったところで声が聞こえてしまったのだ。引き返すのも不自然なので、そのまま柱に背をつけて壁のようになっていた。
「嫌です」「死ぬかもしれないし」「血も怖いし」「馬も怖い」「虫も多そう」「銅鑼うるさい」。
岡崎は目を閉じた。
武士の初陣とは、命を賭けた通過儀礼である。三河武士が積み上げてきた誇りと、先祖代々の名誉と、徳川家の威信がかかる、重大な節目である。自分は二十年前の初陣の朝、夜明け前から起きて素振りを二百回した。論語を暗唱した。水で顔を洗って正座した。死を覚悟した。
「銅鑼うるさい」。
岡崎は柱から背を離した。廊下を歩き始めた。何も聞かなかった方向で、颯爽と歩いた。廊下の先で本多正信とすれ違った。
「岡崎殿、どちらへ」
「……素振りに」
「今からでございますか」
「三百回やります」
正信はわずかに首を傾けた。「さようでございますか」
岡崎は答えなかった。歩き続けた。
結局、秀忠は出陣することになった。
なぜかといえば、家康が「しぶしぶ乗らせる」という方針のもと、竹松と岡崎主水正と榊原康政に全権委任したからである。委任された三名は三者三様の方法で説得を試み、竹松が「若様の大切な馬が、若様を待っております」と言ったところ、秀忠が「……馬は悪くないし」と言って立ち上がった。
それが突破口だった。
「馬は悪くないし」。
竹松は内心で「なぜでございますか」と問うたが、口には出さなかった。これまでの経験から、口に出しても答えは得られないとわかっていたからだ。そのかわり、素早く鎧の準備を整えた。
岡崎主水正は、この「馬は悪くないし」という一言で若様が動いたという事実の前で、二十年分の武士道論がどこかへいく感覚を覚えたが、気づかないふりをした。
出陣当日の朝。
馬の名は雷丸。勇ましい名前だが、本人(本馬?)は別に勇ましいわけではなかった。栗毛の、どちらかといえば気が細い馬だった。
秀忠は雷丸の前に立って、しばらく見ていた。
「大きいな」
「は。名馬でございます」と竹松が言った。
「……怒ったりしない?」
「雷丸は大人しい馬でございます」
「……嫌な音がしたら怒ったりしない?」
竹松はわずかに間を置いた。
「……普段は、しないかと」
「普段は」
「はい」
秀忠は雷丸の顔を、しばらく見ていた。雷丸も秀忠の顔を見ていた。
「……馬は悪くないんだよな」
秀忠は独り言のように言って、おそるおそる手綱を握った。
そのまま乗せられた。
軍勢が動き出した。
雷丸は確かに大人しかった。秀忠が手綱を握って、ぐらぐらしながら乗っていても、ゆっくり歩いた。揺れすぎず、速すぎず。竹松が横に並んで「左右の釣り合いを……」と言い続けたが、秀忠は「揺れる」「降ろして」「早く終わって」とだけ言いながら、しかし降りなかった。
岡崎は後方から秀忠の背中を見ていた。馬上でぐらぐらしている若様の姿は、武士の初陣としては到底理想的とは言えなかった。しかし岡崎は今日、最初から「かくあるべし」を期待するのをやめていた。剣術大会から礼法の授業まで、「かくあるべし」から遠ざかるほど結果が出る、という現実に、岡崎の頭はまだついていけていなかったが、体はすでに学習し始めていた。
正信は行列の外れから、静かに雷丸の背中を見ていた。
何も言わなかった。ただ見ていた。
敵陣手前まで来たとき、銅鑼が鳴った。
敵の合図の銅鑼だった。遠くで鳴ったが、それは十分に大きな音だった。
雷丸が、耳をぴんと立てた。
鼻孔が広がった。
次の瞬間、雷丸は走り出した。
前へ。ただまっすぐ、前へ。
秀忠は「うわあああ!」と叫んだ。「降ろして!降ろして!降ろして!」と叫んだ。しかし雷丸は怖かった。止まれなかった。怖くて走り続けた。止まれないまま、まっすぐ、前へ。
「若様!!」と竹松が叫んだが、雷丸はもう見えなくなっていた。
敵陣から見えた光景は、こうだった。
一騎の騎馬武者が、全力でこちらへ突進してくる。
後続はない。一騎だけだ。旗もない。叫び声だけがある。
「な、なんだあの騎馬武者!!」
「目が、目が、何かすごいぞ!!」
「捨て身の突撃か!!」
「なぜ一騎だ!!一騎で何をするつもりだ!!」
答えは「馬が止まらなかっただけ」だったが、敵兵にはその選択肢が思い浮かばなかった。
こちらへ向かって全力で突進してくる騎馬武者が、「馬が止まらなかっただけ」で来ているということは、戦場の常識では想定されない。戦場の常識には「捨て身の突撃」はある。「命を投げ捨てた覚悟」はある。「敵将の首を取りに来た死兵」もある。しかし「馬が止まらなかっただけ」はない。
誰かが「逃げろ!!」と叫んだ。
陣が崩れた。足軽たちが左右に散った。馬上の武将が馬を返した。後退の声が飛んだ。
雷丸は止まった。
敵陣の真ん中で、ぴたりと止まった。
怖くて走った。止まれなかった。走って止まったら、なぜか周りに誰もいなかった。
雷丸は、なぜ周りの人間がいなくなったのか、最後までわからなかった。
秀忠は、落ちた。
止まった拍子に前へ傾いて、そのまま地面に転がった。泥の中に顔から落ちた。鎧が重かった。起き上がれなかった。
「若様!!」と竹松が駆けてきた。岡崎と榊原がそれに続いた。
泥だらけの顔で、秀忠は呟いた。
「もう二度と馬乗らない……」
しばらく誰も何も言えなかった。
それから、後方で見ていた兵たちの間から、ざわめきが広がった。
「見たか……」
「初陣で、単騎突撃……」
「しかも敵陣のど真ん中へ……」
「あのお方は、一体何を考えておられるんだ」
「なんという大将だ……」
岡崎主水正は、その声を聞きながら、泥の中で動けない秀忠を見た。
「もう二度と馬乗らない」と言い続けている若様を見た。
それから崩れた敵陣の向こうを見た。
柱に三回つまずく感覚があったが、柱はなかった。
その夜、家康は一人で酒を飲んだ。
誰も呼ばなかった。呼べなかった。初陣で単騎突撃、敵陣崩壊、本人は「もう二度と馬乗らない」と泥に転がっている、この一連の出来事に対して、「天才か馬鹿か」という問いにまた答えが出なかったからだった。
酒が、苦かった。
初陣から帰った夜。
本多正信が、まだ若い土井利勝のそばに来た。
土井は秀忠が「もう二度と馬乗らない」と泥だらけで呟いていたのを聞いたばかりで、どういう顔をすればいいかわからなかった。
「土井殿」と正信が小声で言った。
「はい」
「今日の一件、どう見た」
土井は少し考えた。
「……馬が暴走して、たまたま敵陣に突っ込んだのでは」
「そう見えるか」
「……え、違うんですか」
正信は少しの間、土井を見た。
「若様が出発前に何と言っていたか、覚えているか」
「『嫌です。死ぬかもしれないし、血も怖いし、馬も怖い』と……」
「馬も怖い、と言った」
「はい」
「では、なぜ馬に乗ったのか」
「それは……しぶしぶ……」
「しぶしぶ乗ったにしては、最も効果的な場所に突入した」
土井は少し黙った。
「……それは、馬が勝手に走ったので」
「銅鑼の音を聞いて、その方向に走った」
「はい」
「なぜ銅鑼はその方向で鳴ったのか」
「……それは、合図の……」
「敵の、合図の銅鑼だ」
土井の頭が、少しずつ変な方向へ引っ張られていく感覚があった。
「……つまり、正信殿は、若様が意図的に銅鑼の方向へ馬を……」
「馬は怖いと言っていた。しかし乗った。銅鑼が鳴った。馬が走った。敵陣が崩壊した」
「……」
「わかりかねる」と正信は言った。「ただ、結果だけは明白だ」
土井は翌朝、秀忠に直接聞いてみた。
「若様、昨日の初陣なのですが……もしかして、あの銅鑼の方向というのは」
秀忠は泥を落とした顔で、不思議そうに言った。
「馬が走り出したんですよ。僕は降りたかっただけです。あと銅鑼、すごく嫌いな音です。やっぱり」
土井は「では正信殿の分析は」と聞こうとして、やめた。
やめたのは正解だった。聞いても困るだけだということが、この段階で既に何となくわかり始めていたからだ。
翌夜、土井は初めて正信の分析で眠れなかった。これがその後の長い習慣の始まりだった。
本多正信は、その夜また手帳を開いた。
「第三の事例:初陣。単騎突撃の体裁にて敵陣崩壊。動機:馬が止まらなかっただけ(本人談)。結果:武勇として語り継がれる。雷丸の証言、なし。なぜなら馬だからである。」
正信は書き終えて、一行だけ付け加えた。
「補足:本人は銅鑼の音が嫌いだと言った。この点については、引き続き判断を保留する。」
手帳を閉じた。
残りのページがまた少し減った。
◇後世の歴史家注◇
この初陣について「秀忠は敵の戦意を見切り、最小のリスクで最大の効果を得た」とする論文がある。また「あえて単騎突撃という奇手を選んだ果断」と評する軍記物も複数存在する。本多正信の手帳の「雷丸の証言、なし。なぜなら馬だからである」という一行については、「冷静な状況分析」として引用する研究者がいる一方、「単なる事実の記録では」と首を傾げる者もいる。雷丸はその後も江戸城で天寿を全うし、名馬として厚遇された。秀忠が生涯において雷丸に二度目に乗ったという記録は、どこにも残っていない。




