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ダダッコ秀忠 ~天下一のぐうたら将軍~  作者: おしゃまな耳かき
第七章「将軍を辞めたい!」

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大御所になる前に、引継ぎ手順書を作ろうとした件

── 楽をするための整理が、幕府の記録文書を整えた ──


引退を決めた翌日。秀忠が土井利勝に言った。


「あのさ、家光が困らないように、今まで僕がやってきたことをまとめとかないといけないですよね」


「さようでございます。引継ぎの書類を……」


「書類じゃなくて。書類は読まないから」


土井が少し止まった。


「……では、どのような形に」


「なんか、困った時に何をしたか、の事例集みたいなの。大名が揉めた時はこうした、とか。外国から船が来た時はこうした、とか。それを全部並べといたら、家光が困っても参考にできるじゃないですか」


「……なるほど」


「書類の書き方とか手続きは土井が教えてあげてください。僕には無理なので」


土井利勝は手元に書き留めた。


「……ただ一つ聞いてもよろしいですか」


「何ですか」


「その事例集は、秀忠様が判断された理由も書きますか」


秀忠は少し考えた。


「……理由は書かなくていいんじゃないですか。正直、よくわからなかった時もあるし。結果だけ書いといて、家光が自分で考えた方がいい」


土井は黙った。


「理由がわかってたら真似ができるけど、わからなかった時の判断は真似できないじゃないですか。だから事例だけ並べとく。家光が見て、自分なりに考えればいい」


土井は「なるほど」と思いかけて、止めた。


「なるほど」と言うと、この発言が深いものであることを認めることになる。深いのかどうかは、まだ判断できなかった。ただ、理に適っていることだけは確かだった。


「……承知しました。事例と結果だけ、まとめます」


「お願いします。長くなりすぎないようにしてください」


「はい」


「一件、一枚くらいで」


「……一枚は」


「長いですか」


「場合によっては、もう少しかかるものも」


「じゃあなるべく短く」


「……努力します」


土井が部屋を出た後、廊下で本多正信とすれ違った。


「土井殿、今しばらくよろしいか」


「はい」


「秀忠様から何かありましたか」


「事例集を作るようにと。判断の理由は書かず、事例と結果だけ並べる、という方針で」


正信は少し止まった。


「……理由は書かない」


「はい。秀忠様は『よくわからなかった時もある』とおっしゃいました」


「……」


「『家光が自分で考えた方がいい』とも」


正信はしばらく黙った。


「土井殿。それは……」


「深いですか」と土井が言った。


「……深い、と言えば深い」


「面倒くさかっただけ、という可能性もありますか」


「……ある」


「どちらだと思いますか」


正信は少し考えた。


「両方だと思う」


「両方」


「面倒くさかったことと、深いことは、この方の場合、一致することが多い」


土井は「……なるほど」と言いかけて、今度こそ言った。


言ってから、「なるほど、と言ってしまった」と思った。しかし撤回する言葉も出てこなかった。


この発言から、土井利勝と本多正信が中心になって、秀忠の在職中の主要案件と対処の記録をまとめる作業が始まった。


「理由は書かない。事例と結果だけ」という秀忠の方針がそのまま踏襲されたため、できあがった文書は「事例集」の体裁になった。


竹松がその作業を手伝いながら、ある日土井に問うた。


「土井殿、この事例集には……秀忠様が書類を三枚目でお閉じになった件も入りますか」


「……入れるか、どうか」


「参考になりますでしょうか、家光様に」


土井は少し考えた。


「……入れましょう。事例として」


「理由は書きませんか」


「理由は、わかりかねますので」


竹松は筆を取った。


「わかりかねる、とは書けませんので、何と書けばよいでしょうか」


「『書類の精選を行い、担当者への権限委譲を実施』とでも書いてください」


「……はい」


竹松は書いた。書きながら、「これは正確なのか」と思った。正確でもあり、正確でもない気がした。しかしそれ以外の書き方が思いつかなかった。


岡崎主水正がその作業を廊下から覗き見て、土井に声をかけた。


「土井殿。参勤交代の件も入りますか」


「入ります」


「あれは……秀忠様がどのようなご意図でおっしゃったのか、私にはいまだわからないのですが」


「事例だけ書きます。ご意図は書きません」


「それは……」


「秀忠様のご方針です」


岡崎は少しの間、作業を眺めた。


「……正しい方針だと思います」


「左様でございますか」


「理由がわからないものを、理由があるように書いたら、嘘になる」


土井は「おっしゃる通りです」と言おうとして、少し止まった。


「……岡崎殿、それは秀忠様と同じことをおっしゃっています」


「……そうですか」


「はい」


岡崎は何も言わなかった。廊下を少し歩いた。


五歩目で、廊下の段差でもないところにつまずいた。


振り返っても、やはり何もなかった。


後の幕府では、この形式を踏まえた「前例集」が政務判断の基礎資料として機能することになった。


後世の歴史家はこれを「秀忠が慣習法的な統治の基盤を整えた」と評価した。


秀忠の意図:「家光が自分で考えられるようにしといた方が楽だと思った」



◇後世の歴史家注◇

幕府における「判例・前例の記録化」は江戸中期以降に本格化するが、その素地が草創期に整備されていたことは研究者の間でも知られている。秀忠の引退時に記録整備が進んだことは史料で確認できるが、「理由は書かなくていい」という発言の記録は、土井利勝の覚書に断片が残るのみである。「家光が自分で考えた方がいい」という部分については、現在も「秀忠の深謀」「単なる面倒くさがり」で解釈が割れている。なお竹松の手帳には「書類の精選を行い」という記述の横に小さく「本当はよくわからない」と書かれた跡があるが、後から消されており、誰が消したかは不明である。

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