本多正信の記録
── 書いては燃やし、それでも一行だけ残した件 ──
家康が死んだ翌朝。秀忠が「昨日の書類、持ってきていい?」と言って政務に戻った日。
本多正信は夜、手帳を開いた。
この日の秀忠のことを書こうとした。
書き始めた。
「殿は翌朝には常のお姿に戻られた……」
そこで手が止まった。
「常のお姿」と書いた。しかし「常のお姿」とは何か。
政務を土井に丸投げし、猫を撫で、昼寝をし、「めんどくさい」と言う姿か。それとも、訃報の翌日に「昨日の書類、持ってきていい?」と言える姿か。
正信はしばらく考えた。
この二つは、同じことだった。
秀忠にとって、政務も猫も昼寝も「しょうがないか、やるか」の範疇にある。父の死も、同じ範疇に収めた。
収めた、のではないかもしれない。
もともとその範疇に、全部が入っていたのかもしれない。
「しょうがないか」という言葉が、この男の宇宙の大きさかもしれない。
正信はここまで書いて、読み返した。
「……書きすぎた」
この分析を記録すると、後世に読まれる可能性がある。後世の人間は、これを読んで「正信は秀忠の本質に気づいていた」と解釈するかもしれない。しかし正信が本当に気づいているのかどうか、正信自身にもわからない。
気づいているふりをして書いている可能性が、なきにしもあらず。
「……わかりかねる」
正信はページを破って、灯りにかざした。
紙が燃えた。
それから新しいページを開いて、一行だけ書いた。
「殿は翌朝には常のお姿に戻られた。しかしその日より、政務を『めんどくさい』とおっしゃることが、少し減ったように思う」
最後に一行書き足した。
「それだけのことが、あったのだと思う」
そこで止めた。
これ以上書くと、また燃やさなければならなくなる。燃やす紙が増えると、手帳が薄くなる。
正信は手帳を閉じた。
「少し」という言葉を選んだのは、正信なりの誠実さだった。「なくなった」と書けば嘘になる。「変わらなかった」と書いても嘘になる。「少し」だけが、正確だった。
そして「それだけのことが、あったのだと思う」という一行が、本章で最も正確な記録だった。
正信はそのことに気づいていたかもしれないし、気づいていなかったかもしれない。
どちらかは、わからない。
翌朝、正信は手帳を開いた。昨夜の二行を読んだ。
読んで、筆を置いた。
何も書き足さなかった。
これ以上書かない、という判断が、この二行を正確なまま残すことになる、と正信はうっすら思った。うっすら、というのは、確信ではなかったからだった。
廊下を歩きながら、土井に会った。
「正信殿、昨夜は」
「手帳を書いておりました」
「……何を」
「秀忠様のことを」
「何と書きましたか」
正信は少し間を置いた。
「『少し減ったように思う』と」
土井は「何が」と聞きかけて、止めた。
「……なるほど」と土井は言った。
なるほど、と言ったが、正確には何がなるほどなのかは、うまく言えなかった。ただ、それが正しい気がした。正しいという確信もなかったが、反論する言葉も出てこなかった。
「それだけですか」
「あと一行」
「何と」
「『それだけのことが、あったのだと思う』と」
土井はしばらく黙った。
「……正信殿」
「なんですか」
「それは……」
言いかけて、止めた。
「……何でもありません」
正信も、それ以上は言わなかった。
二人は廊下を、それぞれの方向へ歩いていった。
◇後世の歴史家注◇
本多正信の手帳に残るこの二行、「政務を『めんどくさい』とおっしゃることが、少し減ったように思う」「それだけのことが、あったのだと思う」、は、後世の秀忠研究において「最も簡潔にして最も深い秀忠評」として引用されることが多い。「少し」という副詞の選択に正信の誠実さを見る研究がある一方、「観察者の主観に過ぎない」とする反論もある。なお正信が同じ夜に何枚かの紙を燃やしていたことは竹松の覚書から確認できるが、焼かれた内容は永久に不明である。研究者の一人は「焼かれた紙の内容が残っていれば、秀忠研究は百年早く進んでいた」と述べたが、別の研究者は「正信が焼いたのなら、残さなくて正解だったのかもしれない」と答えた。この議論は現在も続いている。




