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ダダッコ秀忠 ~天下一のぐうたら将軍~  作者: おしゃまな耳かき
第六章 -幕間- 「元和《げんな》二年、駿府」

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翌朝

翌朝。


土井利勝が恐る恐る様子を見に来ると、秀忠はいつもの場所に座って、湯飲みを両手で包んでいた。


猫が膝に乗っていた。秀忠は猫を撫でていた。いつもと同じ動作で、いつもと同じ顔で。


土井は入り口に立ったまま、何も言えなかった。何を言えばよいかわからなかった。


「……昨日の書類、持ってきていい?」


「は、はい」


「うん。持ってきて」


それだけだった。


土井は書類を取りに行きながら、廊下で少しだけ立ち止まった。


何かが胸につかえていた。悲しいのとは違った。ただ、何かが、つかえていた。うまく言えないまま、書類を取りに行った。


書類を抱えて戻ると、秀忠はまだ猫を撫でていた。土井が書類を前に置くと、秀忠はちらりと見て言った。


「……土井」


「は」


「お父さんが死んだから、これから全部、僕のせいになるわけですよね」


土井は何も言えなかった。


「うまくいったら僕のおかげ、まずくなったら僕のせい。……めんどくさいなあ」


「……」


「まあ、しょうがないか」


秀忠は猫の耳の後ろを掻きながら、書類の一番上を手に取った。


土井利勝は、この瞬間の秀忠の顔を、生涯忘れなかった。


泣いていなかった。怒っていなかった。ただ「しょうがないか」という顔だった。それが何よりも、土井の胸につかえた。


「しょうがないか」が、この男の悲しみの全部だった。


土井はその日、廊下を何度か歩いた。書類を運ぶたびに、廊下を歩いた。いつもと同じ廊下だった。


何かが違う気がしたが、何が違うのかは、うまく言えなかった。


夕方、土井は本多正信と廊下でぶつかりそうになった。


「正信殿」


「土井殿」


二人は少しの間、立っていた。


「……今日の殿は」と土井が言いかけた。


「見ました」と正信が言った。


「……」


「『昨日の書類、持ってきていい?』という話は、竹松から聞きました」


「はい」


「『しょうがないか』という話も」


「はい」


正信はしばらく黙った。


「……わかりかねる」


「はい」


それだけで、二人はそれぞれの廊下を歩き始めた。


今日の「わかりかねる」は、いつもとどこか違う気がした、と土井は思った。何が違うのかは、やはりうまく言えなかった。


夜、竹松が手帳を閉じながら、廊下でひさとすれ違った。


「竹松殿、今日は」


「……記録が、うまく書けませんでした」


「何を書こうとしたんですか」


「殿が、『しょうがないか』とおっしゃった件を」


ひさは少し間を置いた。


「……書けませんでしたか」


「書き始めると、何かが足りない気がして。足りないのが何かもわからなくて」


「そうですか」


「ひさ殿は……今日のことを、どう思われましたか」


ひさはしばらく考えた。


「わかりません」


「やはりそうですか」


「でも」


「でも?」


「奥方様が今日、一度だけ縁側を見ておられました。殿がいる方の縁側を。それだけです」


竹松は何も言えなかった。


何も言えないまま、手帳を持ったまま、廊下を歩き続けた。


手帳の今日のページは、最後まで、うまく埋まらなかった。

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