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ダダッコ秀忠 ~天下一のぐうたら将軍~  作者: おしゃまな耳かき
第六章 -幕間- 「元和《げんな》二年、駿府」

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駿府での対面

――作者より一言――

人間というのは、笑えない場面でもその人らしさは消えない、という法則がある。むしろ笑えない場面にこそ、その人の「本当の形」が、一番はっきりと出るものだ。

本幕間の秀忠は、最初から最後まで秀忠である。ぐうたらで、情けなくて、本質から一ミリもずれていない。

なおこの章を読んで泣いた読者がいたとしたら、それは秀忠のせいではなく、あなたがこの男の「情けない形」の中に何かを見てしまったからである。筆者の責任ではない。たぶん。

なお本章には、書いては燃やし、それでも一行だけ残した男が一人いる。その一行が、本章で最も正確な記録だった。



EP1 駿府での対面


大坂夏の陣が終わり、豊臣が滅んだ。


天下は完全に徳川のものになった。


それがどれほどのことか、秀忠にはよくわからなかった。わからなかったが、政務は続いた。土井が書類を持ってきた。岡崎が何かの計画書を作った。竹松が記録した。正信が手帳を開いた。


いつもと、変わらなかった。


変わったことが一つあるとすれば、家康が駿府で臥せっている、という知らせが届いたことだった。


秀忠が駿府へ向かう朝のことを、ひさは後年、お江にだけ話した。


「あの朝の殿は、行きたくなさそうなお顔でございました」


「そうね」


「でも……」


「でも?」


「支度が、一番早く終わっておられました」


お江は何も言わなかった。


ひさも、それ以上は続けなかった。


続けなかったが、あの朝の廊下の秀忠の背中は、ひさの中に長く残った。行きたくなさそうな顔で、しかし誰より早く支度を終えて、廊下に立っていた背中。何かが終わる前に、急いでいるような背中だった。


秀忠が駿府に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


出迎えた家臣の顔を見た瞬間、秀忠は何も聞かなかった。顔色でわかった。思っていたより、急いで来るべきだったということが。


部屋に入ると、家康は思ったより小さく見えた。


布団の中の父親が、こんなに小さかったか。秀忠はしばらく入り口に立ったまま、そのことが飲み込めなかった。関ヶ原の後に怒鳴ってきた父は、あんなに大きかったのに。大坂の陣の前に睨んできた父は、あんなに恐ろしかったのに。


布団の中の人間は、ただ小さかった。


「……来たか」


「……お父さん、顔色悪いよ」


「当たり前だ、死にかけておる」


「そんなこと言わないでよ」


家康は何も言わなかった。ただ、少し目を細めた。笑ったのか、それとも眩しかったのか、秀忠には判断がつかなかった。


秀忠は部屋に入り、布団の横に座った。


しばらく、二人とも何も言わなかった。


窓の外で、風が松の枝を鳴らした。


家康は天井を見ていた。天井の節目を、何かを数えるように見ていた。


「……秀忠」


「うん」


「お前は……天下が取れると思うか」


秀忠は少し考えた。


「取れるとか取れないとか、よくわかんない。ただ……みんなが勝手にうまくやってくれてるから、まあいいんじゃないですか」


家康は黙った。天井を見たまま、何も言わなかった。


「お父さんはさ、ずっと天下のこと考えてたの?」


「そうだ。ずっとだ。お前が生まれる前から」


「……疲れなかった?」


窓の外で風が鳴った。


長い沈黙だった。家康は答えなかった。答えないまま、ただ窓の外を見ていた。秀忠も何も言わなかった。言えなかったのではなく、この沈黙を埋めてはいけない気がしたからだった。


やがて家康が、独り言のように言った。


「……お前が羨ましかった」


「え?」


「怖いものがないような顔をしておる。ずっとそうだった。儂には……最後までわからなかった。天運なのか、ただの怠け者か」


秀忠は少し考えてから、答えた。


「僕も知らない」


家康が笑った。


生涯で一番力の抜けた笑い方だった。勝利の時でも、息子の奇行を見た時でも、一度もしたことのない笑い方だった。天下人がこんな笑い方をするとは、秀忠は知らなかった。


「……そうか。知らんか」


「うん。知らない」


それきり二人は黙って、しばらく並んで座っていた。


外の風の音だけが、部屋の中まで届いてきた。


秀忠が帰り際、立ち上がりながら言った。


「……また来るよ」


「来なくていい」


「え」


「……政務をしろ」


「土井がいるから大丈夫」


家康は何も言わなかった。目を閉じた。閉じたまま、もう一度だけ言った。


「……この馬鹿者めが」


その声はもう怒っていなかった。呆れてもいなかった。ただ、そう言いたかっただけのような声だった。


秀忠は何も返さなかった。返さないまま、静かに障子を閉めた。


廊下に出て、少し歩いてから、足を止めた。


止まって、何をするわけでもなく、しばらくそこに立っていた。


家臣が声をかけようとしたが、言葉が出なかった。立っている秀忠の背中に、声をかけていい気配がなかったからだった。気配がない、というより、声をかけることが、何か大切なものを壊してしまう気がした。


秀忠は一人で、しばらく廊下に立っていた。


廊下の端、見送りのために来ていたひさは、そこから秀忠の背中を見ていた。背中は何も語らなかった。ただ、その背中がいつもより少しだけ丸まっているように見えた。


見えただけかもしれない、とひさは思った。


後年、ひさがお江にそのことを話すと、お江は「そうね」とだけ言った。


「奥方様は、そのとき殿がどんなお気持ちだったと思われますか」


お江は少しの間、庭を見てから答えた。


「さあ。でも……帰りたくなかったんじゃないかしら、あの廊下から」


「……駿府に、残りたかった、ということですか」


「そうじゃなくて」


お江は、それ以上は言わなかった。


ひさも、それ以上は聞かなかった。

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