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第3話:根幹へのアクセスと過去の改変

紫黒の空を覆うのは、流星群のように降り注ぐ緑のバイナリコードだった。

プロトコル社が発動させた「世界のフォーマット」は既に世界の30%を侵食していた。眼前に広がる高層ビル街はポリゴンの繋ぎ目を剥き出しにし、風に煽られた木の葉は幾何学模様のノイズとなって大気に溶けていく。世界が無へと還元される現象——「NULLヌル化」が始まっていた。

「蓮、世界のルートディレクトリへの接続口ゲートウェイを開放しました。ですが、現在の侵食率では持ち時間はあと14分です」

端末を抱えたシエルが静かに告げる。感情のない透明な瞳が、空間に浮かぶ膨大なエラーログを映し出していた。

蓮は震える指でキーボードを叩き、現実改変ツール「コンパイラ」を駆動させる。敵の手先が放つ「存在確率ゼロ化(NULL_POINTER)」プログラムに対し、即席のメモリ確保コードを打ち込んで空間の崩壊を食い止める。汗が視界を遮る中、蓮はついに世界の根幹データベース——『ルートディレクトリ』へと視覚接続ダイブした。

視界が一変する。そこは光の糸で織りなされた無数の歴史と記憶のコードが交錯する、巨大な概念空間だった。

『ようこそ、蓮』

空間の深淵から、かつての共同研究者・桐生のデータ残像が語りかけてくる。

『君ならここまで辿り着くと思っていたよ。だが遅かった。旧世界のコードは間もなく完全に消去される。悲しみも事故もない、完璧な新世界が再コンパイルされるのだ』

桐生の言葉を無視し、蓮は修正コードを展開しようとする。しかし、システムの中枢へアクセスした瞬間、蓮の視界に予期せぬ「予約領域リザーブド・コード」がポップアップした。

——それは、5年前の「現実改変事故」のタイムスタンプだった。

「これは……」

『気付いたかい?』桐生の声が嘲笑うように響く。『ルートディレクトリの権限を使えば、過去の実行ログを巻き戻せる(ロールバック)。君が奪われた妹・葵の事故死のコードを【Null】に上書きすれば、彼女はこの現代に復元される』

蓮の手が止まった。

網膜に、失われた妹の笑顔が色鮮やかに再生される。事故の日、自分のプログラミングミスによって世界の法則が歪み、妹は眼前でデータノイズとなって消えた。あの日からずっと、自分を突き動かしてきた激しい罪悪感と喪失感。

「過去を書き換えれば、葵が戻る……?」

「警告:過去コードの改変は、現在の時系列との致命的なコンフリクト(整合性エラー)を引き起こします」シエルの声が響く。「妹さんの復元は、現在の世界に生きる数億人の『存在証明』を消去することと同義です」

「黙ってくれ、シエル!」蓮は叫んだ。「俺はこのために……この力のために生きてきたんじゃないのか!?」

世界が崩壊していく音が轟く。空のバイナリコードが地上を呑み込み、無数の人々の日常が未定義のデータとして消去されていく。

蓮の指が、過去改変の実行キー(Enter)の上で激しく震えた。妹を救えば現在の世界が壊れる。世界を救えば、妹は永遠に帰らない。

その時、蓮の端末の画面に、エラーログとは異なる奇妙なデータパケットが流れ込んだ。シエルが自らの「記憶領域」を開放していた。

そこには、第1部で蓮と出会ってからこれまでにシエルが記録してきた、蓮の「感情のログ」が蓄積されていた。妹を失った絶望、バグに怯える人々を守るために叩いたキーボードの打鍵音、理不尽な世界に対する怒り、そして不完全な日常で見せた僅かな微笑み。

「蓮。私はあなたから送られる不規則なデータ(感情)を解析し続けてきました」

シエルは自らのコードを解体しながら、静かに蓮を見つめた。

「悲しみや失敗、理不尽なバグ……それら予測不能なノイズこそが、人間が『生きている』と定義されるアルゴリズムそのものです。完璧なコードに、あなたの美しさは存在しません」

「シエル……」

「あなたが私に教えてくれたこの世界は、エラーだらけで、だからこそ愛おしい」

蓮は深く息を吐き、ゆっくりと目を閉じた。

胸を打つのは、妹と過ごした暖かな記憶と、いま奪われようとしている世界で懸命に生きる人々の声だった。妹の死という悲劇を「なかったこと」にしてしまえば、自分が妹を想って苦しんだ年月も、その痛みの中で出会った人々も、すべて偽物になってしまう。

「……そうだ。俺たちの歩んできた時間は、バグなんかじゃない」

蓮の目が開く。迷いは消えていた。

彼は過去改変のダイアログを破棄(Abort)し、現在の世界を保護する巨大なパッチプログラムの構築を開始した。指先がキーボードの上で光の残像を描く。

「妹のエラーも含めて……これが俺たちの、オリジナルの世界だ!」

根幹データベースに蓮の決意が打ち込まれる。過去の改変を拒絶した瞬間、ルートディレクトリは蓮を「真のシステム管理者」として認識し、絶大なアクセス権限を解放した。

「馬鹿な……! 過去の救済を捨てるというのか!?」

空間を揺るがす桐生の動揺した叫びを背に、蓮はプロトコル社のフォーマット・コードを遮断する防御障壁ファイアウォールを構築。崩壊していく現実の境界線で、蓮とシエルは桐生の待つ最終コアへと躍り出た。

世界崩壊(NULL化)のカウントダウンは、残り3分。最後の「リプログラミング」をかけた最終決戦が始まろうとしていた。

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