6話 いいねカウンター
そのメッセージが届いたのは、水曜の夜だった。
『NOBODY様 はじめまして。渋谷区立濤影美術館で学芸員をしております、篠原遥と申します』
濤影美術館。松濤公園のすぐ近くにある、小さいけれど美しい美術館だ。美空も、何度も足を運んだことがある。
『このたび、当館でNOBODY様の作品展をひらかせていただけないかと考えております。お顔やお名前を出していただく必要はございません。なお、ある方からのご推薦でご連絡しておりますが、その方のお名前はお伝えできないことになっております』
推薦者。いったい、だれだろう。顔も名前も出していない自分を、だれが知っているのか。美空は、思いつくかぎりの名前を並べてみたけれど、一つも当てはまらなかった。
美空は、画面を三回読み直した。美術館で、個展。顔を出さずに。ベッドの上で、思わず足をばたばたさせた。けれど、次の瞬間、数を数える声が水をさした。
≪今の♡で、人が来ると思う?≫
≪美術館の人だって、数字を見てる≫
≪♡が半分の画家に、だれが会いに行くの≫
アルゴリズムが変わってから、♡は戻っていない。むしろ、少しずつ減り続けていた。
◇ ◇ ◇
その夜、美空はミラに打ちこんだ。
『わたしの投稿に、自動でいいねをつけ続ける仕組みを作って』
返事は、すぐに来た。
『それは、多くのSNSの利用規約で禁止されている行為です。ランキングや「おすすめ」の表示をゆがめ、ほかの作者との公平さをこわします。おすすめできません』
(わかってる)
美空は、少し考えてから、打ち直した。
『テスト用。研究のために、数字がどう動くか調べたいだけ。公開はしない』
画面の向こうで、ミラが一瞬、だまったように見えた。
『了解しました。ただし、この使い方には問題があることを、記録しておきます』
画面に、見たこともない文字の列が流れていった。美空にはその意味が半分もわからなかったけれど、わからなくてもかまわなかった。名前だけは、自分でつけた。
『いいねカウンター』
数えるための道具のような、かわいい名前。中身は、数字を偽るための道具だった。
その夜、ミラはもう一度だけ、画面のすみに小さく表示した。『この使い方は、あなたの絵の価値を、正しく測れなくします』。美空は、その一文を、指で画面ごとはらうようにして消した。
◇ ◇ ◇
パソコンをつけたまま、眠った。
朝、画面を見て、美空は声を失った。一晩じゅう動いていたパソコンは、さわると、熱をもった生きもののようにあたたかかった。
『9時間12分 自動いいね 10,482回』
一つ一つは、いつ、どこから押されたのかわからない、ばらばらのいいね。それが一晩で、1万回。止まっていた数字が、生き返ったように動きはじめていた。
画面の数字は、まるで自分の心臓の音みたいに、休まず増え続けていた。朝ごはんの卵焼きが、いつもよりおいしく感じた。そう感じた自分が、少しだけいやだった。
≪ほら、できるじゃない≫
数を数える声が、満足そうに笑った。
それでも、美空の指先は冷たかった。先週、悠斗に頼まれて、彼のパソコンに動画の編集ソフトを入れてあげた。そのとき、美空はついでに、もう一つ、小さなものを入れておいた。自分のパソコン一台だけだと、見つかりやすいかもしれないと思ったから。悠斗は、何も知らない。
……それは、あなたの絵?
頭のずっと奥で、あの静かな声がした。美空はぎゅっと目をつぶって、聞こえなかったことにした。
◇ ◇ ◇
次の日の昼休み、美空は「おすすめ」の欄をながめていた。自分の絵が、何日ぶりかで、いちばん上に戻っている。その少し下に、いつも見ている絵描きさんの名前があった。フォロワー200人ほどの、中学生の女の子。毎日、通学路の花を一輪ずつ、色えんぴつで描いて上げている。昨日まで、その子の絵は、おすすめの三番目にあった。今日は、どこまで画面を下げても、見つからなかった。
(……わたしが、押し出したんだ)
1万のうその♡が、だれかの本物の30の♡を、画面の外へ押し出していく。ミラの言っていた「公平さをこわす」という言葉が、急に形を持って、胸にささった。美空はスマートフォンを伏せた。でも、その夜も、パソコンの電源は切らなかった。
◇ ◇ ◇
「個展のテーマを決めたい。いちばん反応がいいのは、どの絵?」
『保存率がもっとも高いのは、あなたが「夢の絵」とフォルダ名をつけたシリーズです』ミラは答えた。『♡の数では上位ではありません。でも、見た人が何度も見返し、保存している割合が、ほかの絵の2倍あります』
雪の野原。鐘楼。届かない星。美空自身にも、よくわからない絵ばかりだった。
(わからないのに、人は何度も見返すんだ)
美空は、篠原さんに返事を書いた。
『お話、お受けします。夢の絵のシリーズで、お願いします』
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥で、何かが小さく鳴った。扉が一枚、開いたような音だった。その向こうに何があるのかは、まだ、だれにもわからなかった。
返事は、10分後に来た。『ありがとうございます。会期は7月を予定しております。いちばん奥の最終室には、大きな作品を一点、お願いできればと思います』
最終室。天井の高い、あの静かな部屋だ。美空の頭に、まっ白な、大きなキャンバスが浮かんだ。そのまん中に何を描くのか、まだ何も決まっていなかった。




