悪乗りの魔獣討伐
鼓膜が破れるかと思うほどの咆哮にクリスは金縛りにあったように硬直した。
ヒュージボアだ。しかし、巨大な猪――その表現に収まらないほどの威容だった。
山が丸ごと動いている。そう勘違いするほどの大きな図体。剥き出しの立派な牙は太く鋭い。人の身体を容易く貫くだろう。全身の毛が逆立ち、怒りの波動が肌で感じられるほどだった。
ぎょろりと動いた獣の目がアンデッドを、次に空に浮かぶダスクたちを捉えて睨んだ。
「ひっ!」
「おお、怒っている、怒っている」
ダスクは余裕たっぷりに嘲笑う。
荒々しい獣の唸り声。その呼吸は極度の興奮状態だ。見たこともないほどの太い足で地面をしきりに抉り、縄張りを侵犯した愚か者を踏みつぶしてやろうと息巻いている。
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオッ‼」
ヒュージボアがアンデッドに向かって突進する。不吉な血のように赤い目を爛々と光らせたアンデッドが各々の武器を握って戦意高く立ち向かう。
だが――
「「「「うわあああああああああああああっ‼」」」」
ヒュージボアの突進をもろに受けたアンデッドが吹き飛んだ。あるものは骨を砕かれ、あるものは肉を抉られ、あるものは原型を失って崩れ落ちた。
しかし――
「しゃあっ!こいつが例の魔獣かあ⁉探す手間が省けたぜ!」
「お前ら、囲めえっ!袋叩きにしてやるんだ!」
「殺す殺す殺す殺す殺すううううううううううっ‼」
アンデッドの士気は下がらなかった。それどころか本命のお出ましに戦意をさらに燃やす。
ヒュージボアの命を刈撮ろうと各々の武器を振り回す。剣が前足を裂いて、槍が肩を穿つ。巨大な鉄球を振り回しては腹を打ち、分厚い斧が首を狙う。
だが、アンデッドも人間と変わらない大きさである以上限界がある。その攻撃の多くが足元しか届かない。そもそもあの大きさでは人の剣の一本や二本、刺さったところで分厚い肉に阻まれて致命傷にはならない。
続いて魔法の嵐が四方八方から飛んできた。雷がヒュージボアの頭上を打ち、鋭い氷が腹を穿つ。イビルアントを燃やし尽くした炎が容赦なくヒュージボアを襲う。
だが、ヒュージボアはそれらの攻撃を受けてこゆるぎもしなかった。煩わしそうに攻撃を仕掛けるアンデッドに突っ込んでは蹴散らす。
「情けねえな、お前ら。だが安心しろ。俺という真打は後から登場する。そう、みんなのゴルドさんだ。ふふふ、イノシシ野郎。お前はまだ俺という脅威を知らない。さあ、その身をもってとくと味わえ!喰らいやがれえっ!俺のエクスカリバー!」
ゴルドが格好つけて、準備万端とヒュージボアの前に躍り出る。薄汚れた大剣をまっすぐに振り上げて、ヒュージボアに切りかかる。だが――
「フガッ!」
「ぐえっ!あれ⁉えええええええっ⁈」
ヒュージボアが振り向いたときにたまたまゴルドの頭が引っかかり、ゴルドの頭は遠くの夜空に消えていく。
「おあああああああああああああっ⁈」
視界を失ったゴルドの胴体がまごついたまま、哀れヒュージボアの下敷きになる。
「ゴルドがやられたああああああっ!」
「おいっ!誰か頭を取ってやれ!」
「ええ?どこだよ?つうか、俺の頭貸せばなんとかなるかな?」
「ならねえよ、バカ!」
そんな茶番を繰り広げながら、アンデッドは戦いを続けた。剣や魔法による猛攻が間断なく続いていく。
一目大してダメージは通っていない。まだまだ余力はある。が――
「勝てるかも……?」
アンデッドは大群であることの利点を生かして、なんと連携を取り始めた。木によじ登ってからの高所からの槍投げ。遠距離からの魔法。盾持ちは味方を守るために最前線に出て防御陣を敷いている。
「お前らああああっ‼少しずつでいい‼削っていけえええっ‼奴は着実に死に向かっているぞおおおおおおおおおっ‼」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ‼」」」」」
アンデッドが人間よりも生き生きしている。
アンデッドが人間の兵隊さんのようにきびきび動いている。
アンデッドに対するクリスの常識は一秒ごとに崩壊していく。
「……」
状況の理解を諦めて、無の境地に達しかけているクリス。一方のダスクは気だるそうに呟いた。
「あー、時間かかりそうだな。放っておくと朝になるかどうか……徹夜は嫌だぞ。たっく、しゃあねえ。さっさと終わらせるとするかね」
そう言うとダスクは急降下した。何の前振りもないアクションにクリスは今日何度目か分からない悲鳴を上げた。突風が顔面を叩き、クリスは顔を歪ませた。
ダスクは何とか戦いの余波から生き残った木に近づくと、邪魔なものを片付けるように無造作にクリスを木の枝の上に降ろした。
「ちょっとそこで待ってろ」
「え?ちょっ!ええええええええええっ⁈」
クリスが下を見る。家の屋根上よりも高い。足を滑らせて落ちれば死んでしまうかもしれない。クリスは必死に木にしがみついた。
「こんなところで降ろすなよおおおおおおっ!」
「まあ、そう言うな。すぐに終わるさ」
ダスクはヒュージボアの眼前に下り立った。
「寝起きに悪いな。ちょっと悪いが討伐させてもらいに来た」
ヒュージボアは全方位から攻撃を受けて、傷だらけの在り様だった。だが、その傷はどれも浅く、目は未だ気力十分。群がるアンデッドを蹴散らしながら、眼前のダスクにさらなる戦意を燃やして、無礼極まりない迷惑な侵入者を殺してやると吠えたてた。
「フゴオオオオオオオオオオオオオオオッ‼」
その雄叫び一つで木々が、アンデッドが吹き飛んだ。
だが、見上げるほどの巨大な魔獣の咆哮を受けてなおダスクは余裕綽々で、大袈裟に手を広げた。
「おうおう。そう睨むなよ。悪いとは思っているさ。世の中は弱肉強食。お前も多分好きな言葉だろ?」
ダスクが腰の剣に手をかけた。ぞんざいに抜き放ったのは何の変哲もない鉄の剣。装飾も何もないただの一振り――のはずだ。
違和感はなにか。クリスには分からない。分かるのは、その剣からは普通の剣にはない凄まじい圧があるということだけ。
ダスクは刀を抜いてだらりと脱力しきっている。やる気のない構えですらない姿勢。まるで隙だらけだった。
なのに、うかつに飛び込めない。そんな風に感じさせるほど『何か』が剣先から立ち上っているようだった。
「だからまあ――死んでくれ」
「…………‼」
ダスクの醒めた目がヒュージボアの戦慄を呼ぶ。
この瞬間ヒュージボアは本能的に逃走の選択肢がないことを悟る。目の前の敵を殺さねば、殺される。その確信を全身で味わった。
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオッ‼」
ヒュージボアが再び地を震わすような咆哮をあげた。それは恐怖をそれ以上の怒りで吹き飛ばそうとするかのような叫びだった。同時に凄まじい速さで大地を駆ける。
手負いとは思えないほどの力強さで並みいるアンデッドの陣営を踏みつぶし、蹴散らして前を行く。止められるものは何もない。ダスクを殺す。それだけのために全力で、全身全霊で突き進む。
ダスクは動かない。不敵に。だが静かに待っている。
巨大な魔獣の一歩で地面が揺れる。その一歩がダスクの命を奪いに来ている。そして次の一歩で、分厚く鋭い牙が――
ザンッ!
ヒュージボアの身体がダスクを通り過ぎていく。ダスクの動きはほとんどなかったが、頭上から一振りの姿勢で止まっていた。
勝敗の結果はすぐに出た。
通り過ぎていたヒュージボアの身体がずるりと崩れて、両断された肉体が大きな音を立てて地に落ちる。声にならない絶鳴がゆっくりと消えていった。
ダスクがかったるそうに剣についた魔獣の血を払う。剣を肩に担いで、殺した森の主を振り返る。
「また会おうぜ。イノブタちゃん」
歌でも口ずさむようなおちょくった言葉でダスクは締めくくった。
こうして魔獣討伐の夜はあっという間に終わったのだった。




