神エルバの歪んだ愛に俺の心身はぼろぼろです
周囲には祝福という毒ガスが渦巻く中、これまた祝福により強化された鎖で縛られた俺は、かつてない苦しみの中にいた。シェリー姉ちゃんがいた時は格好つけて何もないよう振舞ってはいたが、今は意識が朦朧として仕方がない。
どうでもいい賑やかし担当のクリスはいつの間にかどこかに行ってしまった。多分今頃おいしい食事をとって、ぐっすり眠っているのだろう。
いいご身分だ。俺は食事もベッドもないというのにひどい。というか、忘れているんじゃねえだろうな。
シェリーには殺してみれば?と開き直って挑発したが、彼女は気後れしたようだった。ちょっと考えてみる、とか言いながらどこかに行ってしまったきりである。どういうことだ。
……いや?そうか、わかったぞ。奴の狙いは餓死か。俺が飢え、弱っていく様を観察し日記にでもつけるのだろう。なんて陰湿、陰険なんだ。これだからエルバスタ教は!
大体のことについて対策を取ってきた自信のある俺ではあるが、今の状況は正直完全に万事休す。詰みである。こんな特殊環境で逃げおおせる自信はどこにもない。俺はただただその時が来るのを待つだけ。
「そうだ、暇だから祈ろう。エルバの神に。――ああ、神エルバよ!どうかエルバスタ教に永遠の繁栄あれ!俺の祈りだ。裏目って、破滅するには違いない。はははは!はははは……はあ」
暇すぎて、やることなすことがあまりにもつまらない。下手にやきもきするよりも寝た方がいい。そう判断して俺は朦朧とする意識に身を任せて気絶した。
それから祝福による気絶とその苦痛による覚醒の繰り返しが何度かあった。それが何回あったか数えてはいないが、絶不調の先を更新したことは間違いなかった。もうまともな呼吸ができているかも怪しい。
半死半生で抵抗する気力もない俺だったが、突然衛兵に部屋から連れ出された。いつの間にか朝日が昇っている。どうやら一日は乗り切ったらしい。
通された広間のような部屋にはシェリー姉様とクリス、そして昨日見なかった年老いた修道女がいた。魔族の俺を見ても動じた様子はない。穏やかな表情からは年相応の落ち着きを感じさせるが、その実何を考えているやら。単なる直感の印象に過ぎないが、一筋縄ではいかなさそうな雰囲気を感じた。
衛兵を下がらせ、代わりにシェリーが俺の背後から鎖を握る。
誰から用件を話すのだろうと思っていると、老シスターが切り出した。
「おはようございます。ダスクさん。私はメリダ。このエルバドルフの封印を守る『エルバの巫女』です。昨日はよく眠れましたか?」
「全く眠れませんでした、シスター。どうにも神は私のことが嫌いみたいです」
俺のすっとぼけた皮肉にメリダは穏やかな笑顔を崩さない。
「ダスクさん、エルバ神は誰であれ皆平等に愛します。ゆえにあなたを嫌うことはありませんよ」
「なるほど。この痛みが神の愛、だと。となれば、私への愛はかなり歪んでいると言わざるを得ませんが……。ふふ。まあ、それも神が与えたもうた敬虔な信徒への試練と思えば耐えねばなりませんね」
その場にいる全員が驚きを露わにした。
「信徒⁈おじさんってエルバスタ教の信者だったの⁈」
「少年。言っていなかったがな。俺はエルバスタ教に改宗したんだ」
「「はあ⁈」」
「シスター。昨日私は彼女、シェリー姉様に洗礼していただきました。洗礼名『エルバ』。恐れ多くも神の名をいただきました。神の名の下に命じます。この拘束を解きなさい。今すぐに」
せせら笑った直後だった。一瞬の間に俺の身体が地面に叩きつけられる。
メリダだ。老いとは何なのか疑いたくなる素早さでシェリーから鎖を取り、抵抗する間すら与えず地面に引き倒したのだ。鮮やかな手並みだった。
ぎりぎりと俺を縛る鎖が軋みをあげ、身体を容赦なく締め付ける。思わず苦悶の悲鳴を漏らす中、メリダの声は聖句を読むかのように穏やかだった。
「虚言、不敬、低俗。こうもあからさまに神への冒涜を見せつけられては、私も立場上看過する訳にはいきません。これはその罰だと思ってください。身を苛む苦しみがあなたを惑わせているのでしょう。正気に戻りましたか?」
地面で苦しみにもがく俺を見下ろすように、言葉を投げ落とす。俺は面白くなって痛みを堪えながら、皮肉の言葉を吐き続ける。
「ああ、目が覚めました。どうやら悪い夢を見ていたようです。全く、酷い夢でした。私があのエルバを信じるなんて……。はっ!頭がどうかしていたとしか思えない。シスターのおかげです。ありがとうございます」
「――どうやらあなたの口から先が呪われているのかもしれません。もしよろしければお祓いしましょうか?」
「ははは、遠慮します。シスターの手違いで唇がなくなってはたまりませんから」
鎖に籠められた力が一層強くなり、俺は体が千切れそうな痛みに声すら出せなくなる。
だが、ふいに締め付けられる力が緩んだ。苦痛が和らいで俺は咳き込んだ。
メリダが鎖から手を放し、呆れたように言った。
「これでは話が進みません。ダスクさん。私はこんなことをするために呼んだのではありません」
「まるで俺が悪いみたいないい方じゃないか」
ダメージで声を出すのも億劫だった。鎖を手に取ったシェリーが俺の身体を起こそうと引っ張り上げる。俺は苦労してゆっくりと起き上がった。
「事実です。ただの挨拶からよくもここまで脱線させられたものです。いっそ感心しました」
「そいつはどうも。まあ、俺も悪ふざけが過ぎた。きつい縛りをくらって喜ぶような趣味もねえ。聞こうか。真面目な話、俺に何の用だ」
「あなたのこれからについて、です」
「……」
俺は目で続きを促した。
「その前に一つ。ダスクさん。あなたが本当にダスクさんであるかどうか確かめさせてください」
「というと?」
「人間界に来たのであれば、エルバスタ教のロザリオをお持ちでしょう。それをお見せいただきたいのです」
魔界と人間界の交流はほとんどないが、地続きで接している以上、まったく接点がないわけではない。人間界の国と魔界の国の間には国境として関所があり、いくつかの手続きを通じて国境を超えることは可能だった。
その手続きの一つにエルバスタ教のロザリオがあった。人間界ではエルバスタ教が国教である。国境を超える神の恩寵を知らぬ魔族に布教を行う、という形でロザリオを渡され、聞きたくもないありがたいお話を何時間と聞かされるのだ。
そのロザリオは布教以外にも身分証明書のような役割を持っていた。少なくとも教会による身分の保証という意味ではかなり信のおけるものであった。
「ああ、それか?確かに昔どこかでもらったな。けど、なくしちまった」
俺は笑って答える。なんなら、今回の国境越えも関所を通っていない。その答えにシスターがゆっくりと首を振った。
「いいえ。あなたがレックス様の仲間であるならば持っているはずです。レックス様と共に旅をした『神童の聖女』ティアナから与えられたものが。それまでは捨てたりはしていないはず。いかがでしょうか?」
「…………ちっ」
俺の逃げ道を防ぐようなメリダの言葉に舌打ちをした。すなわち出さなければ、仲間でない、とそう言っているのだ。
「俺のマジックバッグを出してくれ。それと拘束された状態じゃあ取り出せない。こいつを外してくれ」
シスターは頷いた。
「いいでしょう。シェリー、鎖を解きなさい」
「でも、母さん――」
「構いません」
シェリーが鎖を解いた。ようやく解放されたが、毛ほども嬉しさを感じなかった。クリスがマジックバッグを俺に手渡し、俺は素直にマジックバッグからロザリオを取り出した。
エルバラースをモチーフにした聖十字剣のお守りと白い数珠が繋がれたさして珍しくもないデザイン。それを俺は押し付けるようにシスターに渡す。メリダは受け取り、優しい手つきで検めると大きく頷いた。
「ダスク・サリバン。ロザリオに刻まれたあなたの名前。そして『神童の聖女』ティアナの祈り――籠められた一途で優しい祝福。確かにあなたがレックス様と共に旅をされたこと、間違いないようですね。ありがとうございました」
「……」
丁寧に返されたロザリオを俺は忌々しく受け取り、マジックバッグに突っ込む。俺に相応しくない物の内の一つだ。二度と見ることはないと思っていた。
嫌なものだ。まるで形見のようなものをひけらかしているような浅ましさを感じる。
クリスが少し興奮したように言った。
「おじさん、レックスと一緒にいたって本当だったんだ……!」
「なんだよ。嘘だと思ったか?」
「正直ちょっと?最後にほんの少し一緒だっただけかと思ってた」
俺は肩を竦めた。まあ、そんなものだろう。俺だって聞いただけだとそう思う。奴と俺とでは本来いるべき世界があまりにも違うのだ。
「我らエルバスタの教会はレックス様の動向について、ある程度聞き及んでおります。『神童の聖女』ティアナ。彼女からの報告です。その中にはあなたのことも書かれておりました」
「へえ。何と書かれていたか興味があるね」
「彼女なりにあなたのところだけかなりの苦労が見て取れました。控え目な報告でしたが、あなたの人となりを知るには十分だったと言えるでしょう。ただやはり実物は違いますね。想像以上でした」
その苦労が偲ばれて俺は頬を吊り上げる。聞くまでもないことだったが、興味本位で尋ねてみた。
「そうか。想像以上の人格者と?」
「想像以上の人格破綻者です。自覚がなかったのですか?」
俺はわざとらしく首を傾げた。
「はてさて。思い当たる節がないな。俺はいつも周囲を思いながら行動しているんだが……。まあ、あれだな。周りはそう受け取らなかったと。文化の違いというやつかな?」
「その言い回しと、文化の違いと片付けるあたりですよ。ダスクさん」
メリダがこほん、と咳ばらいをした。
「さて、ダスクさん。その後のお話しもシェリーから聞きました。魔神復活の時がもうすぐそこだということ。この世界が滅亡に近い今、あなたは独自に解決の糸口を模索している――そのためにエルバドルフに来られたということ」
「そうなる。俺としちゃあ、エルバラース以外に興味はない。そいつを少し見せてもらえれば、こんなところすぐにでもおさらばしたいところだ」
「無理でしょう」
一刀両断の言葉に俺は耳を疑った。
「……なに?」
「聖剣エルバラースは封印の要。おいそれと余人が触れることは許されません。魔神の再封印を検討するとなれば、遠目から見るだけではすまないはず。少なくとも直接手で触れようとは思っているのではないでしょうか?」
話が見えてきた。メリダの冷静な言葉に俺は渋々頷く。
「……まあ、そうだ」
「レックス様のお仲間のお一人といえど、あなたは招かれざる客――魔族です。となれば、こちらもより慎重を期さねばなりません。魔神の封印が解かれる危険はここ、エルバドルフにもあるのです。あなたの調査によって、万が一にでも封印が解かれることはあっては、世界の危機。あなたのお気持ちは分かりますが、許可できません」
メリダが深々と頭を下げる。静かでありながら強い意志を感じた。が、はい、そうですかとただ頷く訳にはいかなかった。
「他の方法を探せ、と?魔神に対抗できる手段はそう多くはない。時間も限られている今、目の前にある可能性をふいにできると思うか?すべてが滅んでから後悔しても遅いんだぞ」
「だとしてもです。あなたの言う方法が正しい可能性はあるかもしれません。が、滅びの時を早める可能性もまたあります。この地を預かる者として軽々な判断はできないのです」
「…………」
これだからエルバスタ教は、と吐き出す気持ちを抑える。目の前のメリダは俺が魔族であるにも関わらず、こうして丁寧に理由を教えてくれている。エルバスタ教関係者ができる最大限の厚意をすでに受けておいて、文句をつけるほど俺は厚顔無恥ではなかった。
――だが、さて、どうするか。




