さすが人外魔境の地エルバドルフ。命がいくらあっても足りる気がしねえ
翌朝。イノブタの移動も終わって、ようやく待ちに待った休憩時間を取ることにした。朝日が昇る少し前に、移動を切り上げ、簡易的な結界を張る。
結界。単純に魔獣避けだ。弱い敵を弾いたり、結界を破って入ってきた敵を知らせたりする。ちょっと魔法や聖術が使える奴なら多少系統に違いはあれど誰でもできるものだ。
それにしてもだ。俺は昨晩のことを思い出す。あれは傑作だった。何があったかと言うとクリスが掴まっていたイノブタの毛皮がいきなり剥がれ落ちたのだ。
クリスの目が点になったあと、喜劇のようにあっさりと後ろに吹き飛ばされた時は死んだかと思った。結局俺の飛行の魔法が間に合って、少しばかり着地に失敗した程度で事なきを得たのだが、爆笑ものだったことは間違いない。
叶うならもう一度今度はわざとやってみたい。
思い出して、笑いそうになったが、ぎこちなく頬が歪む変顔になってしまった。クリスは反応しようとしない。俺もクリスも寝不足が限界に達しつつあった。
結界はできた。人間界の平野にいる魔獣程度脅威にはなりえない。安全の確保は十分。今やることはただ眠ることだけ。もう俺を放っておいてください。
俺たちは倒れるように眠った。
目を覚ますと太陽は随分と昇って昼前くらいの位置にあった。未だ目が覚め切らないままゆっくりと起き上がり、うんっと背伸びをした。
はてさて。改めて目の前の切り立った丘を見上げる。
当初の目的地エルバドルフ。俺たちはイノブタちゃんの夜間行軍の甲斐あって、一日でその麓に到着していた。
聞いた話だと頂上に教会があるらしいが、麓からはよく見えない。あそこに俺の求めるものがあるはずだ。
俺は感慨深く呟いた。
「ここがあの人外魔境の地、エルバドルフか……」
「しょっちゅう思うけど、おじさんの表現ってかなり狂っているよね」
先に起きていたらしいクリスが呆れたように言った。あれからぐっすりと眠れたらしい。目はぱっちりと開いている。
俺は肩を竦めたが、言い返ししなかった。実際、クリスの方が正しい。聖地を人外魔境と評する不届き者は異端もいいところ。呆れる程度で済んでいるのは単にクリスが俺の戯言に慣れてしまったからである。
「聖地巡礼に来たのによく言うよ。罰が当たっても知らないからね」
「……別に聖地巡礼に来たわけじゃない」
「え?じゃあ何しに来たの⁈」
「……内緒」
言えば、絶対に中に入れなくなってしまうからな!
「……それよりも、おじさん。顔色悪いけど……大丈夫?」
心配そうにクリスが尋ねる。ということはよほどの不調に見えるらしい。そして俺が本調子でないことは間違いじゃない。
「大丈夫じゃない。が、気にするな。どうにもここは俺と相性が悪い。……おえっ」
急に催した吐き気に俺はしゃがみこむ。遠くから眺めただけでこのありさま。まったく嫌になる。何もかもが億劫で地面にどこまでも埋まってしまいたい気分だった。
「え?ちょっ、本当に?どうしたのさ?」
クリスは何ともないようだった。突然俺が絶不調になった状況に当惑している。羨ましい限りである。
俺はゆっくりと立ち上がった。息を深く吸えば気分が悪くなる。なるほど聖地と言われるだけのことはある。
魔族の血が半分流れている俺にはよく分かる。ここは敵地だ。魔族を完全に排除してやろうと躍起になっている俺の敵……!
「なんでもねえよ。あのエルバドルフがすぐそこだからな。こいつは武者震いみたいなもの。興奮してちょっとふらついちまった」
「目が虚ろだ……。今にも死にそうな顔してるよ、おじさん……!」
「いい皮肉が言えるようになったなあ、少年。俺は嬉しいよ」
俺は大きく深呼吸する。吸った空気が俺の肺をちくちくと嫌がらせのように攻撃しているが、やせ我慢で耐える。……これ、後どのくらい耐えればいいですか?
泣きそうな気分を振り払うように俺はクリスを促した。
「いいから行くぞ。で?頂上に登る近道とかはどこだ?」
「え?いいの?でも、おじさん……いや。ここでじっとしているくらいなら教会に診てもらった方がいいよね。ついてきて」
勝手に納得したクリスの後に俺はついていく。ちなみに教会に診断してもらえば間違いなく処刑だろう。奴らは治すより処す方が得意だ。
入り組んだ道や茂みの中をクリスはするすると迷うことなく進んでいく。分かりやすい目印は見つからないが、何らかの分かる術があるのだろうか。森の中で方向感覚が分からないままについて行く。
進むことしばらくして、少し開けた広場にたどり着いた。一目行き止まりだ。目の前には岩壁があるばかりで、頂上にたどり着けそうな道は何もない。
クリスは何の変哲もない岩壁に近づいて、
「ここだよ。まずこの壁を押すと――」
ガコッ、という何かの装置が動いた音が聞こえた。同時に少し離れた地面から操作盤のようなものがぽっこりせり出てきた。
「おお……」
「で、この魔道具を決まった手順で触れると――」
慣れた手つきでクリスは操作盤にある小さな色とりどりのガラス球を動かす。動かした後、確定と言わんばかりに、押しボタンらしいスイッチを押した。
すると、ゴゴゴゴゴ……と重々しい音を立てて岩盤の一部が動いた。どういう仕組みか分からないが、操作盤が沈んで、代わりにいつの間にか岩壁に無骨だが立派な岩門のような隙間ができていた。
「おおお……!」
「ほらね。開いたでしょ」
俺はクリスの手際の良さに珍しく感心した。
「……すごいな。初めて俺はお前を連れてよかったと思った」
「ひどいなあ、もう!」
ひどくない。事実だ。俺の記憶では少年はずっとぎゃあぎゃあ叫んでいただけだったと思う。まあ、状況的にしょうがないと思うが。
「巡礼の門って言うらしいよ。ここから先、ちょっと洞窟みたいなところもあるけど大体一本道なんだ」
門の向こう側ではやや狭い道がだいぶ先まで繋がっているようだった。奥にはエルバスタ教のものらしい彫刻物や石像があちこちに設置されている。
クリスがぴょん、と軽い足取りで奥に入る。早くこっち来なよ、と背中が言っている。
俺はやれやれと首を振った。
「いやいや、元気いっぱいだなあ。こっちは二日酔いの気分だってのに。まあ、これが近道ってなら楽できてよかったぜ。ようやく俺にも運が――」
巡ってきた、という前のことだった。俺が足を踏み入れた瞬間、突然門が光り輝いて閃光が走った。視界が真っ白になり、俺の頭上から白雷が直撃した。
「ぐあああああああああああああああああっ⁉」
「おじさん⁈」
完全に無警戒だった。白雷は魔に連なるもの全てを消滅させようとする聖なる力でできていた。体全身が聖術によって焼かれて、門の外に抵抗すらできずはじき出される。ごみのように打ち捨てられた俺は地面に力なく倒れる。一瞬、三途の川でアンデッドが群がってくる幻が見えた。
「おじさん、おじさん⁉」
「……くそ、が……」
まだ聴覚が戻っていないのか、クリスの心配する声が遠くから聞こえる。
俺は口に入った砂の味を噛みしめる。屈辱の味だ。俺は拳を握って地面を掴み、痛む体を無理矢理起こす。全身が蒸発しそうな痛みを感じていた。
「あ、起きた」
クリスがほっと息を吐いた。
少しして手足の感覚が戻ってきた。いきなりのことで混乱したが、辛うじて無事らしい。が、この状況的に……もう笑うしかない。
「くくっ、ははっ!なるほど、なるほどな……!そりゃあそうだ!ここは聖地だ!魔族への備えがされている可能性をしっかり考慮に入れておくべきだった!」
俺はやけくそ気味に反省した。ああ、そうだ。敵地でありながら油断していた俺が悪い。
「……だ、大丈夫?」
「大丈夫じゃねえ、クソッたれがあああああああっ!」
「情緒不安定?こわっ!」
ふと真面目な顔でクリスは首を捻る。
「でも、なんでだろう?俺はなんともなかったのに、おじさんだけこんな目に遭うなんて」
「そりゃそうだ。お前らはなんともねえさ」
「どういうこと?」
クリスがきょとんとした顔で尋ねる。はあっ、とため息を付いて、俺は自分の髪をぐしゃぐしゃにかき回した。
「言ったろ。俺は半魔だって。魔族の血に反応したこの門が俺を拒んだわけだ」
「え?じゃあ、なんだ。おじさんのせいじゃん!」
「ああ、そうだが?なんだ?喧嘩売ってんのか、ええ⁈」
「ご、ごめん」
ああ、無駄な体力を使ってしまった。クリスにあたっても仕方のない話だ。
どうする?壊すか?この門を壊せば少なくともしばらくは進めるはずだ。
――いや、落ち着け。短絡的になっちゃいけない。トラップがここだけとは限らない。長期的な目で見れば、ここで下手を打って、教会から変に目を付けられてしまえば、俺の身はそれこそ消滅。目的どころの話ではない。
「少年、他の道を行くぞ」
俺はふっきるようにそう言ったのだった。
今思えばこのあたりのクリスが魔道具を操作したギミックはなくても問題なかったですね。反省でした。




