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価値なき石の拾い主 〜ガラクタ好きのおっさんと、記憶を失った小さなゴーレム〜  作者: でう


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四話:白札の怪しい男

 ベルカ・トレジャーハンター組合を出ると、街の喧騒が改めて耳に入ってきた。石畳の道を、荷車が軋みながら進んでいる。道端では屋台の主人が肉を焼き、別の店では歯車のような部品を並べた職人が客と値段交渉をしていた。


 空には煙突から細く煙が上がり、街灯のような魔道具が青白い光を放っている。ファンタジーの街。そう言ってしまえば簡単だ。だが、実際にその中に立つと、画面越しに見ていた景色とはまるで違った。匂いがある。音がある。人の熱がある。


(うひょー!!異世界の街!!ちゃんと生活してる!!屋台!!職人!!魔道具!!情報量が多すぎる!!観光したい!!でも今は腹が減って死にそう!!)


 肩の上で、シューシュが小さく身を乗り出した。


「ジン、あちらの屋台からいい匂いがします!」

「俺もわかってる」

「あちらの看板、光っています!」

「それも見てる」

「あちらの人、すごく大きな袋を背負っています!」

「見えてる」

「ジン、目が忙しいです!」

「本当に忙しい」


 イオナが少し前を歩きながら振り返った。


「きょろきょろしすぎ。田舎から出てきた子どもみたいよ」

「似たようなものだ」

「否定しないのね」

「否定する材料が少ない」


 イオナは呆れたようにため息をついた。


「とりあえず、ご飯にするわよ。あんた、本当に倒れそうな顔してる」

「助かる」

「お金は?」

「ある」


 俺はポケットの中の銀貨を確認する。


 八枚…。さっき手に入れたばかりの、この世界の金。ずしりとした金属の感触が妙に頼もしい。だが同時に、頼りなさもある。八千リル…感覚としては八千円くらい。


 食事はできる。宿にも泊まれる。だが、生活できるかと言われると、まったく安心できない。


(異世界初収入!!しかし即生活費に消える予感!!金属片、もう少し高く売れてもよかったんじゃないか!?いや、売れただけありがたいけど!!)


 その時、通りの向こうから、子どもたちの声が聞こえた。


「無駄は堕落。秩序は幸福。力は正しく管理されるべきもの」


 声をそろえた、まだ幼い子どもたちの声だった。俺は思わず足を止める。通りの先に、小さな広場があった。白い天秤の紋章が掲げられた建物の前で、子どもたちが列になって立っている。その前には、白い長衣を着た教会の人間らしき大人がいた。


「無駄は堕落。秩序は幸福。力は正しく管理されるべきもの」


 子どもたちはもう一度、同じ言葉を繰り返した。


「……今のは?」


 俺が聞くと、イオナは何でもないことのように答えた。


「教会学校の復唱よ。どこの街でもやるわ」

「子どもに?」

「小さいうちから覚えるものだから」

「そういうものか」

「そういうものよ」


 そういうもの。たぶん、この世界では。


(子どもが声をそろえて“無駄は堕落”か……。なかなか圧が強いな!!俺の小学生時代なら、一発で反抗期に入ってるぞ!!)


 シューシュは肩の上で、じっと子どもたちを見ていた。


「ジン」

「何だ?」

「無駄は、悪いものなのですか?」

「……さあな」


 すぐには答えられなかった。イオナは少しだけ黙ったあと、歩き出した。


「あそこ。鉄鍋亭。ハンター向けの食堂よ」

「鉄鍋亭」


 見ると、通りの角に大きな木製の看板が掲げられていた。看板には、鉄鍋らしき絵と、俺には読めない文字が描かれている。店の入口は開け放たれていて、中から肉と豆を煮込んだような匂いが漂ってきた。


 ぐうと腹が鳴る。

 

 シューシュがぴんと背筋を伸ばした。


「ジンのお腹、三回目です!」

「数えるな」

「記録は大事です!」

「その記録はいらない」


 イオナが笑いをこらえるように口元を押さえた。


「行くわよ。立ってるだけで腹が鳴る人、初めて見たわ」

「俺も好きで鳴らしてるわけじゃない」




 鉄鍋亭の中は、組合ほどではないが、やはり騒がしかった。


 丸い木のテーブルがいくつも並び、ハンターらしき男女がそれぞれ食事をしている。壁際には大きな鍋がいくつも置かれ、奥の厨房では太った店主が木べらで煮込みをかき混ぜていた。


 肉の匂い。豆の匂い。焼いたパンの匂い。胃袋に直接攻撃してくる。


(うわ!!これは勝てない!!完全に空腹特攻!!異世界飯、匂いだけで強い!!)


 俺たちが席に着くと、イオナは慣れた様子で注文した。


「煮込み定食二つ。ひとつは大盛りで」

「俺、大盛りなのか?」

「今のあんたは普通盛りじゃ足りないでしょ」

「否定できない」


 シューシュが肩の上で手を挙げた。


「私は?」


 イオナがシューシュを見る。


「食べられるの?」

「わかりません!」

「じゃあ無理でしょ」

「でも見たいです!」

「見るのは自由よ」


 俺は店内を見回した。壁にはいくつか木札が掛けられている。書かれている文字は読めない。だが、その隣には絵や記号があった。


 剣に斜線。魔石のような絵に丸印。天秤の紋章。


「イオナ、あれは何だ?」


 俺が壁の札を指すと、イオナはそちらを見た。


「ああ、店内規則」

「読めない」

「そうだったわね」


 イオナは指を折りながら説明した。


「店内での武装型アーティファクト起動禁止。無登録魔道具の使用禁止。神律教会未認証品の持ち込み注意。喧嘩で店を壊したら修理費は当人持ち」

「飯屋にしては物々しいな」

「ハンター向けの店だからね。これでも少ない方よ」

「少ないのか」

「王都の店ならもっと細かいわよ。席に着く前に登録札を確認される店もあるって聞くし」

「飯を食うにも登録か」

「危ないものを持ってる人間が集まるんだから、当然でしょ」


 当然。イオナは自然にそう言った。


 俺はもう一度、壁の札を見る。読めない文字。だが、そこに込められている空気はわかる。


 使うな。見せろ。認められたものだけ持ち込め。


 便利な街だ。活気もある。だが、どこかで常に何かに管理されているような気配がある。


(……飯屋でこれか。俺の部屋のコレクション棚なんて、ここじゃ完全にアウト寄りじゃないか?)


 シューシュが俺の肩の上で小さく首を傾げた。


「ジン、難しい顔です」

「そうか?」

「はい。お腹が空いている顔とは少し違います」

「よく見てるな」

「ジンの肩にいますから!」

「便利な観察台だな」

「移動する観察台です!」

「その表現、気に入ったのか?」




 料理が運ばれてきた。深い皿に入った、肉と豆の煮込み。表面には湯気が立ち、黒っぽいパンが添えられている。香草のような匂いが少し強いが、悪くない。


「肉豆煮込み定食。九百リル。茶は百リル」


 イオナが言った。


「合計千リルか」

「大盛りだからね」

「銀貨一枚」


 俺はポケットから銀貨を取り出し店員に渡し、煮込みを一口食べた。


 熱い。濃い。少ししょっぱい。だが、うまい。


「……うまいな」


(うまい!!ちゃんと飯だ!!異世界の飯!!謎肉だったらどうしようと思ったけど普通にうまい!!豆がいい!!肉もいい!!パンは硬いけどそれもいい!!)


 シューシュが俺の顔を覗き込む。


「ジン、美味しいですか?」

「ああ。普通にうまい」

「普通にうまい、とはどのくらいですか?」

「難しいな」

「数値でいうと?」

「腹が減ってたから、かなり上振れしてる」

「うわぶれ」

「つまり、今はだいたい何でもうまい」

「なるほど!」


 シューシュは真剣に頷いた。


「私も食べてみたいです!」

「口、あるのか?」

「ありません!」

「ないのか」

「でも気持ちはあります!」

「気持ちだけでは食べられないんだよな」

「残念です!」


 イオナがその様子を見て、少し不思議そうにしていた。


「本当に食べ物に興味があるのね」

「あります! ジンが美味しそうにしているので!」

「味覚もないんでしょ?」

「たぶんありません!」

「それでも?」

「はい!」


 シューシュは胸を張る。


「美味しそうなものを見ていると、なんだか楽しいです!」


 イオナは返事をしなかった。ただ、少しだけ目を細めた。無機質なゴーレムの身体。食べることもできない。それでも、シューシュは楽しそうに飯を眺めている。


 俺はそれを見て、少しだけ思った。食べられないなら意味がない。味がわからないなら無駄だ。そう言い切るのは、たぶん簡単だ。だが、シューシュは今、確かに楽しんでいる。


 それだけで十分じゃないか。




 食事を半分ほど食べたところで、イオナが俺を見た。


「あんた、本当にああいう金属片を集めてたの?」

「ああ」

「何のために?」

「眺めるため」

「……眺めるため?」

「形が良いものは、眺めていて飽きない」

「わからない」

「だろうな」

「でも、あれが売れたのは事実よね」

「俺の目に狂いはなかった」

「調子に乗るとすぐ死ぬわよ」

「肝に銘じる」


 イオナはパンをちぎりながら続けた。


「ベルカだから、まだ変な趣味で済むと思う。でも、王都や教会都市なら、そういうのはあまり良く見られないわよ」

「そういうの?」

「役に立たないものを溜め込むこと。壊れたものを捨てないこと。使い道のないものに執着すること」

「……趣味の収集は?」

「実用性があるならいいんじゃない?」

「ない場合は?」

「変人ね」

「なるほど」


(俺、王都なら社会的に死ぬな!!いや、こっちでもだいぶ怪しいけど!!)


 イオナは続ける。


「オルディアの教えでは、無駄は堕落って言うでしょ。ベルカじゃそこまで真面目に言う人は少ないけど、考え方としては普通に根付いてるわ」

「使えないものは捨てるべき、か」

「場所も取るし、管理も面倒だし、危険なものかもしれない。だったら処分した方がいい」

「合理的だな」

「でしょ」

「だが、少し寂しいな」


 イオナの手が止まった。


「寂しい?」

「ああ」


 俺は煮込みの中の豆をスプーンで転がした。


「使えないから捨てる。危ないから管理する。効率が悪いから省く。全部、間違ってはいないんだろうな」

「……」

「でも、それだけで全部決めるなら、拾われないものが多すぎる」


 言ってから、自分でも少し驚いた。別に、格好つけたかったわけではない。ただ、自然に口から出た。イオナは俺をしばらく見ていた。


「……あんた、変なこと言うわね」

「自覚はある」

「でも、少しわかる気もする」

「そうか?」

「ほんの少しね」


 それだけ言って、イオナはまた食事に戻った。肩の上で、シューシュが嬉しそうに俺の髪を軽くつまんだ。


「ジン、今のかっこいいです!」

「やめろ。照れる」


(今の俺、ちょっといいこと言ったな!!でも自分で意識すると急に恥ずかしい!!)




 その時だった。


 店の入口付近の空気が変わった。騒がしかった店内が、少しだけ静かになる。完全に黙ったわけではない。だが、声の大きさが一段落ちた。俺は入口の方を見る。白を基調とした長衣を着た二人組が入ってきた。胸元には、天秤の紋章。腰には武器らしいものはないが、代わりに小さな魔道具のようなものを携えている。


 神律教会。聞かなくても、なんとなくわかった。彼らは店内を見回し、壁の札や、入口近くに置かれた認証板のようなものを確認していく。誰かを咎めるわけではない。怒鳴るわけでもない。


 ただ、確認しているだけだ。それなのに、店内の空気は少し硬い。


「……今のは?」


 俺が小声で聞くと、イオナも声を落とした。


「神律教会の巡回。認証品の確認と、危険物の取り締まり」

「みんな急に静かになったな」

「面倒は避けたいから」

「治安維持か」

「表向きはね」


 その言い方が、少し引っかかった。肩の上で、シューシュが小さく身を縮める。


「ジン……」

「どうした?」

「あの人たち、少し苦手です」

「何か感じるのか?」

「よくわかりません。でも、胸がぎゅっとします」


 俺はシューシュの胸のコアを見る。緑の光が、ほんの少し弱く揺れているように見えた。教会の巡回官たちは、俺たちの席の近くも通った。俺は、できるだけ自然に食事を続けた。シューシュは黙っている。


 巡回官の一人が、肩のシューシュを見た。一瞬だけ足が止まる。イオナがすぐに口を開いた。


「小型ゴーレム型アーティファクトです。組合で仮登録済み。グレン支部長の一時預かりになってます」


 巡回官はイオナを見た。


「登録証は?」


 イオナは俺に視線を向ける。俺は慌てて白札を取り出した。巡回官はそれを確認し、短く頷いた。


「ベルカ支部の管理下なら、問題はありません。ただし、未認証機能の使用には注意を」

「わかっています」


 イオナが答える。巡回官たちはそれ以上追及せず、店の奥へ向かった。空気が少しずつ元に戻る。俺は息を吐いた。


(こわっ!!何もされてないのにこわっ!!ただ確認されただけなのに心臓に悪い!!)


 シューシュも小さく息を吐くような仕草をした。


「ジン、私、ちゃんと小型ゴーレム型アーティファクトでしたか?」

「ああ。完璧だった」

「よかったです」


 イオナが呆れたように言う。


「だから街では余計なことを言わないでって言ったでしょ」

「身に染みた」

「ならよかった」

「ベルカでこれなら、信仰の深い街はもっと厳しいのか」


 俺が聞くと、イオナは少しだけ目を伏せた。


「そうね。王都や教会都市なら、今の確認だけじゃ終わらないかも」

「……なるほど」


 ベルカは自由な街。信仰は比較的ゆるい街。そう聞いていた。だが、そのベルカでさえ、教会の巡回官が入ってくるだけで空気が変わる。


 この世界は、やはりどこか窮屈だ。




 食事を終え、店を出ようとした時だった。


「……なあ、あれだろ」


 近くのテーブルから、ぼそぼそとした声が聞こえた。


「あれが支部長預かりの白札か?」

「緑灯窟から出てきたってやつだろ」

「イオナが連れてるなら、ただの素人じゃねえんじゃないか?」

「でも見た目は変な服のおっさんだぞ」

「だから怪しいんだろ」


(聞こえてる!!全部聞こえてる!!変な服のおっさんって言うな!!事実だけど!!)


 俺がそちらを見ないようにしていると、椅子を引く音がした。ぎい、と、少し気だるい音。


「……あー、悪い」


 声をかけてきたのは、二十代後半くらいの男だった。

 薄い金髪を、肩にかからないくらいまで伸ばしている。きっちり整える気はないのか、毛先は少し無造作に跳ねていた。体つきは細身で、身に着けている装備も軽い。厚い鎧ではなく、動きやすさを優先した革の胸当てと、体に沿う短い上着。腰には幅広のナイフがあるが、大剣や盾のような重い武器は見当たらない。


 立ち上がり方も、歩き方も、どこかかったるい。全体的にやる気がなさそうなのに、目だけは妙にこちらを見ていた。首元には青い札が下がっている。青札ハンター、というやつだろう。


(軽い!!装備が軽い!!これはパワー型じゃなくてスピード型の人だ!!だるそうなのに、目だけ全然だるくない!!こういうタイプ、絶対めんどくさい!!)


 イオナが小さく眉をひそめた。


「ダリオ」

「よう、イオナ。……あー、いや、別に揉めたいわけじゃねえんだけどさ」

「じゃあ座ってて」

「それがなあ、気になると体が勝手に動くんだよ。悪い癖でさ」


 ダリオと呼ばれた男は、眠そうな目で俺を見る。


「あんたが、緑灯窟から変なゴーレム連れて出てきた白札?」

「変なゴーレムではありません。シューシュです!」


 肩の上でシューシュが即座に反応した。ダリオは少しだけ目を丸くする。


「……本当に喋るのか。へえ」

「喋ります!」

「そりゃ、気になるわけだ」


 ダリオは頭をかいた。


「面倒なんだけどな。気になっちまったもんは仕方ねえ」

「何が気になるんだ?」


 俺が聞くと、ダリオは少し首を傾げた。


「いろいろ。妙な服。喋るゴーレム。支部長の保証。イオナの付き添い。緑灯窟から生還。あと、なんか落ち着いてるところ」

「落ち着いてはいない」

「そう見えるんだよ」


(見えるだけ!!中身はずっと大騒ぎ!!)


 ダリオは俺の手元を見る。


「石喰い鼠の群れを切り抜けたって聞いた」

「逃げただけだ」

「逃げただけ、ねえ」


 ダリオは気の抜けた声で繰り返した。


「まあ、逃げるのも腕だけどな」

「そうなのか?」

「生きて帰るやつが一番偉い。倒した数を自慢するやつほど、だいたい早く死ぬ」


 その言葉は、少し意外だった。もっと雑に絡んでくるタイプかと思ったが、どうやら違うらしい。面倒くさそうではある。だが、ちゃんと見ている。


「でさ」


 ダリオはゆっくり片手を上げた。


「ちょっと反応見てもいいか?」

「反応?」

「殴るとかじゃねえよ。軽く肩に触るだけ。嫌ならやめる」


 そう言いながら、ダリオは一歩近づいた。その瞬間、肩の上のシューシュの胸のコアが、かすかに光った。俺はすぐに手でシューシュを押さえる。


「シューシュ、待て」

「はい!」


 俺は壁の札を見る。剣に斜線。武装型アーティファクト起動禁止。


 それに、テーブルにはまだ食器がある。周囲には客もいる。何より、俺は喧嘩をしたくない。


「ここでやると、店に迷惑だろ」


 俺はできるだけ平静に言った。実際の内心はこうだ。


(やめろ!!今ケンカは無理!!絶対無理!!俺は飯を食ったばかりの三十八歳だぞ!!戦闘イベントはまだ早い!!)


 だが、ダリオは俺の言葉を聞いて、少し目を細めた。


「……へえ」

「何だ」

「先に店を見るんだな」

「普通だろ」

「普通は、試されると思ったら身構える。怒るやつもいる。自慢したい新人なら、むしろ乗る」

「俺は乗りたくない」

「だから気になるんだよなあ」


 周囲のハンターたちがざわつく。


「ダリオの誘い流したぞ」

「余裕あるな」

「白札のくせに落ち着いてやがる」

「支部長が保証しただけはあるのか?」


(違う違う違う!!戦えないから避けただけ!!勘違いするな!!)


 シューシュが胸を張った。


「ジンは本気を出していません!」

「出せる本気がないんだよ」


 俺はすぐに訂正した。だがその瞬間、厨房の方で大きな鍋の蓋が落ちた。があん、と派手な音が店内に響く。俺の声は、見事にかき消された。


「やっぱり本気じゃなかったのか……」

「白札なのに、底が見えねえな」

「いや、見た目はただの変な服のおっさんだぞ」

「だから余計に怪しいんだろ」


「待て」


 思わず声が出た。だが、時すでに遅い。ダリオはかったるそうに笑いながら、肩をすくめた。


「悪かったな。試すつもりだったけど、やめとくわ。ここじゃ迷惑だしな」

「そうしてくれると助かる」

「今度、外で見せてもらう。おみやげ何とかってやつも」

「見せるほどのものじゃない」

「そういうのが一番気になるんだよ」


 ダリオはひらひらと手を振り、自分の席へ戻っていった。イオナは俺を横目で見る。


「あんた、本当にただ怖がってただけじゃないの?」

「かなり怖かった」

「……正直ね」

「嘘をつく余裕もなかった」

「それなのに、なんでああ見えるのかしらね」

「俺が聞きたい」


 シューシュは嬉しそうだった。


「ジン、強そうに見えました!」

「それが困るんだ」

「でも強そうは良いことでは?」

「強い人が言うならな」

「ジンは?」

「普通だ」

「普通の定義が難しいです!」

「俺もだんだんわからなくなってきた」




 食堂を出ると、夕方の光が街を赤く染め始めていた。イオナは俺の残金を確認するように言った。


「食事で千リル。残り七千リル」

「一瞬で減ったな」

「これから宿よ」

「さらに減るのか」

「当たり前でしょ」


 イオナが案内してくれたのは、組合から少し離れた通りにある小さな宿だった。看板には、丸い寝台の絵が描かれている。文字は読めない。


「ここは?」

「白鹿亭。安いけど、最低限ちゃんとしてる宿」

「いくらだ?」

「一泊三千五百リル。朝の薄いスープ付き」

「薄いのか」

「濃いのが欲しいならもっと高い宿に行きなさい」

「薄くていいです」


(宿代三千五百円!!食事込みなら安い!!でも財布には痛い!!)


 宿代を払うと、残りは三千五百リル。八千リルあったはずなのに、もう半分以下だ。


「……金が溶けるな」

「生きるってそういうことよ」

「重いな」

「軽い生活なんてないわ」


 イオナはさらっと言った。宿の受付で部屋を取る時も、俺は文字が読めないのでイオナに任せた。宿の主人は、肩のシューシュを見て眉を上げたが、イオナが「組合登録済み」と言うと深く追及しなかった。ベルカでは、組合の信用がかなり効くらしい。


 部屋は小さかった。ベッドが一つ。小さな机。水差し。窓。以上。だが、清潔ではある。


「十分だな」


(硬そう!!ベッド硬そう!!でも洞窟の床より百倍マシ!!)


 シューシュが俺の肩から机に飛び移った。かたん、と軽い音がする。


「ジン、ここが今日のおうちですか?」

「一泊だけな」

「一泊のおうちです!」

「そういう表現だと少し寂しいな」

「では、仮のおうち!」

「少し良くなった」


 イオナは部屋の入口で腕を組んだ。


「本当は靴も買いたいけど、今の残金じゃ厳しいわね」

「靴はいくらくらいだ?」

「安い中古なら四千リルくらい。まともな探索用ブーツなら八千リル以上」

「今の全財産では中古も買えないと」

「そういうこと」

「革靴で頑張るしかないか」

「死にたいの?」

「死にたくはない」

「なら明日、簡単な依頼で稼ぐしかないわね」

「簡単な依頼」


 その言葉に、シューシュが反応した。


「依頼ですか!」

「白札でも受けられるやつよ」


 イオナは鞄から一枚の紙を取り出し、机に置いた。

 当然、俺には読めない。

 シューシュが机の上から覗き込む。


「ええと……これは……外縁調査、と書いてあります!」

「読めるのか」

「半分くらいです!」

「微妙だな」

「半分もあります!」


 イオナが補足する。


「ラフェル旧遺跡の外縁調査。緑灯窟の周辺を見回って、石喰い鼠の巣穴や魔力溜まりが増えてないか確認する依頼よ」

「また鼠か」

「危険度は低いわ。少なくとも深部に入るよりはね」

「その言い方、少し不安だな」

「白札向けなんだから、贅沢言わないの」

「報酬は?」

「基本報酬が三千リル。異常を見つけたら追加あり」

「三千リル」


 宿一泊に届かない額。だが、今の俺には大事な収入だ。


(初依頼!!報酬三千円!!いや金額は小さい!!でも労働の第一歩!!しかも遺跡外縁調査!!怖い!!でもちょっと見たい!!)


 シューシュが胸を張った。


「大丈夫です! ジンには、おみやげブレードがあります!」

「不安しかないな」

「私も光れます!」

「持久力に問題があるだろ」

「明日は今日より長く光ります!」

「成長型か?」

「たぶん!」


 イオナが呆れながらも少し笑った。


「明日は朝に迎えに来るわ。ちゃんと寝なさい」

「ああ。いろいろ助かった」

「仕事よ」

「そうか」

「……まあ、少しは心配でもあるけど」


 イオナはそう言ってから、少し照れたように視線を逸らした。


「とにかく、明日は遅れないで」

「時間がわからない」

「宿の鐘が二回鳴ったら降りてきて」

「わかった」

「シューシュも、余計なこと言わない」

「はい! 余計なことは言いません!」

「今のところ、あまり信用できないわね」

「がんばります!」


 イオナは軽く手を振って部屋を出ていった。




 部屋に静けさが戻った。

 窓の外からは、ベルカの夜の音が聞こえてくる。

 人の声。馬車の車輪。遠くの鐘。

 俺はベッドに腰を下ろした。

 思った通り硬い。


「……硬いな」


(硬い!!予想通り硬い!!でも洞窟よりはマシ!!圧倒的にマシ!!)


 シューシュは机の上で、白札を興味深そうに眺めている。


「ジンは白札ハンターです」

「ああ」

「明日は初依頼です」

「ああ」

「ジン、わくわくしていますか?」

「してないと言えば嘘になる」

「怖いですか?」

「怖いな」

「両方ですか?」

「そうだな」


 シューシュは少し考えるように首を傾げた。


「人間は忙しいですね」

「そうだな」

「でも、忙しいのは楽しそうです」

「そう見えるか?」

「はい」


 俺はベッドに横になり、天井を見上げた。今日一日で、いろいろありすぎた。


 洞窟から出て。イオナと出会って。ベルカに来て。組合に登録して。ガラクタを売って。飯を食って。教会の巡回を見て。変な噂が立って。宿を取って。明日の依頼が決まった。


 会社員だった俺は、いつの間にか見習いハンターになっている。どう考えても、普通ではない。だが、普通ではないことが、少しだけ嫌ではなかった。


 それでも、胸の奥に引っかかるものはある。無駄は堕落。秩序は幸福。力は管理されるべき。


 この世界の人たちは、それを普通として生きている。ベルカはまだ自由な街だという。なら、そうでない場所はどれほど窮屈なのだろう。


「ジン」


 シューシュが静かに呼んだ。


「何だ?」

「今日、教会の人たちが来た時、少し怖かったです」

「そうか」

「でも、ジンがいたので大丈夫でした」

「俺は何もしてないぞ」

「いてくれました」


 その言葉に、少しだけ胸が温かくなる。


「……そうか」

「はい」


 シューシュは机の上から、俺の枕元へ移動してきた。軽い音を立てて、ベッドの端に座る。


「明日も、一緒に行きます」

「相棒だからな」

「はい! 相棒です!」


 俺は少し笑った。異世界初日。無一文から、白札ハンターへ。


 そして明日は初依頼。まともな始まりとは言い難い。


 だが――


(明日の仕事が遺跡調査!!怖い!!でも、ちょっと見たい!!)


 俺は目を閉じた。硬いベッド。知らない街の夜。枕元には、小さな精霊ゴーレム。


 こうして俺の異世界二日目は、最初の依頼から始まることになった。

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