三話:ガラクタの価値
ベルカ・トレジャーハンター組合の扉は、思ったよりも重かった。
イオナが慣れた様子で押し開けると、内側から一気に音があふれてきた。人の声。笑い声。怒鳴り声。何か硬いものを机に置く音。紙をめくる音。金属が触れ合う音。
中は、思っていた以上に騒がしかった。
「……すごいな」
(うひょー!!これ、あれだ!!異世界アニメで見る冒険者ギルドっぽいやつだ!!酒場みたいなざわつき!!受付カウンター!!壁の掲示板!!絶対あそこに依頼書とか貼ってあるやつだろ!!見たい!!全部見たい!!)
組合の建物は広かった。入口近くには受付らしきカウンター。奥にはいくつもの丸テーブル。壁には紙が大量に貼られた掲示板。さらに別の一角には、石造りの台と、奇妙な計測器のようなものが置かれている。そこが鑑定所だろうか。
出入りしている人間たちも、いかにもだった。泥だらけのブーツ。腰に短剣。背中に大きな荷物。片腕に奇妙な機械をつけた男。瓶詰めの光る石を抱えた女。
会社のオフィスとは、空気がまるで違う。効率的ではない。静かでもない。整然ともしていない。
だが、妙に活気があった。
(いい!!無駄にうるさい!!無駄に雑多!!でもこういう場所、嫌いじゃない!!)
肩の上で、シューシュが小さく身を乗り出した。
「ジン、すごいです!人がいっぱいいます!」
「見ればわかる」
「道具もいっぱいです!」
「それも見ればわかる」
「ジン、目が足りません!」
「さっきも言ってたな、それ」
「何度でも言えます!」
「自慢になるのか?」
その時、近くのテーブルにいた大柄な男がこちらを見た。視線は俺ではなく、肩のシューシュに向いている。
「……おい、あれ何だ?」
「小型ゴーレムか?」
「喋ってなかったか?」
周囲の視線が集まってくる。イオナが小さく舌打ちした。
「やっぱり目立つわね」
「だろうな」
「シューシュ、少し黙って」
「はい!黙ります!」
「だから、それが黙ってないのよ」
「難しいです……」
シューシュは俺の肩の上で、両手で自分の口元を押さえた。口らしい口はないのだが、気持ちは伝わる。
「……かわいいな」
「何か言った?」
「いや」
(かわいいな!!肩の上で口を押さえてる小型ゴーレム!!絵面が強い!!)
イオナは俺たちを連れて、受付ではなく、まず鑑定所らしき一角へ向かった。
「先に売れる物があるか確認するわ」
「登録より先でいいのか?」
「売れる物がなかったら、そもそも飯も宿もないでしょ」
「現実的だな」
「何度も言わせないで。現実的じゃないと死ぬの」
まったくもって正論だった。
鑑定所には、細身の女性が座っていた。年齢は三十代くらい。丸い眼鏡をかけ、黒髪を後ろでまとめている。机の上には書類と小さな魔石、金属製の道具がいくつも並んでいた。彼女は顔を上げ、イオナを見る。
「イオナ。戻ったのね」
「ただいま、ミラさん」
「今日は早いわね。収穫は?」
「収穫というか、拾い物」
イオナは俺を指差した。
「これ」
「これって言うな」
ミラと呼ばれた鑑定士は、俺を見た。次に、肩のシューシュを見た。そして、手元のペンを止めた。
「……イオナ」
「何?」
「あなた、また面倒なもの拾ってきた?」
「拾ってない。見つけただけ」
「同じようなものよ」
「違うわ」
やり取りからして、イオナは普段から何かしら面倒ごとを持ち込んでいるらしい。ミラは眼鏡の位置を直した。
「お名前は?」
「九楼仁です。仁でいいです」
「ジンさんね。私はミラ。ここの鑑定士をしているわ」
「よろしくお願いします」
「それで、その肩の子は?」
シューシュが口元を押さえたまま、もごもごと動いた。俺は小声で言う。
「喋っていいぞ」
シューシュはぱっと手を離した。
「私は小型ゴーレム型アーティファクトです!」
「……自分で言うのね」
「練習しました!」
ミラは目を細めた。
「喋る小型ゴーレム型アーティファクト。聞いたことがないわね」
「俺も今日初めて見ました」
「持ち主がそれを言うの?」
「持ち主というか、成り行きというか」
「怪しいわね」
「今日だけで何回言われただろうな」
イオナが横から言った。
「ミラさん、とりあえず鑑定してほしいものがあるの。この人、本当にお金がないから」
「現地通貨がないだけです」
「それを無一文って言うのよ」
「否定できない」
ミラは苦笑した。
「わかったわ。何を鑑定するの?」
俺はシューシュを見た。
「出せるか?」
「やってみます!」
シューシュは胸のコアに両手を当てた。緑色の石が淡く光る。
「収納領域、確認します。ジンと結びつきのある物品……売却候補……ええと、売ってもジンが泣かなそうなもの……」
「判断基準」
「ジン、泣きますか?」
「物による」
「難しいです!」
イオナが呆れた顔になる。
「何を出すつもりなのよ」
「俺にもわからん」
「持ち主でしょ」
「倉庫番はシューシュだ」
「倉庫番です!」
シューシュはなぜか誇らしげだった。
胸のコアから小さな光が伸びる。その中から、ぽとりと何かが落ちた。俺は手で受け止める。
小さな金属片だった。親指の先ほどの大きさ。片側が少し曲がっていて、表面に細かい傷がある。何の部品なのかはわからない。
「ああ、これか」
見覚えがあった。散歩中に見つけた金属片だ。たぶん、何かの機械から外れたもの。拾った時は、角の削れ方と、くすんだ銀色が妙に気に入った。
(うわー!!懐かしい!!これ、川沿いの道で拾ったやつだ!!何の部品かわからないけど、形が妙に良かったんだよな!!)
イオナが覗き込む。
「……これ?」
「これだな」
「何なの?」
「わからん」
「わからないものを持ってたの?」
「形が良かった」
「形」
ミラが少し笑った。
「見せてもらえる?」
「あ、はい」
俺は金属片を鑑定台に置いた。ミラはそれをピンセットのような道具でつまみ、石造りの台の中央に置いた。台の周囲には、円形の溝が彫られている。そこに小さな魔石をはめ込むと、淡い青白い光が走った。
「……おお」
(鑑定台!!魔力鑑定!!いい!!こういう専門道具、めちゃくちゃいい!!)
シューシュも肩の上で身を乗り出した。
「きれいです!」
「落ちるなよ」
「落ちません!たぶん!」
「たぶんはやめろ」
ミラは真剣な表情で計測器を覗き込んだ。
「……反応あり」
イオナが眉を上げる。
「あるの?」
「微弱だけど、旧時代合金に近い反応ね」
「旧時代合金?」
俺が聞くと、ミラは説明してくれた。
「古いアーティファクトの外装や接続部に使われる素材よ。今の技術では完全再現できないから、小さな欠片でも修理素材として需要があるの」
「これが?」
「ええ」
ミラはもう一度金属片を見る。
「量は少ないけれど、状態は悪くないわ。小物の修理素材としてなら十分使える。買い取りできるわよ」
「売れるのか」
「売れるわ」
その瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。
(勝った!!俺のガラクタが売れた!!いや、まだ売ってないけど!!俺の目に狂いはなかった!!形が良いものはやっぱり良い!!)
イオナが少し驚いた顔をする。
「本当に売れるんだ」
「失礼だな」
「だって、ただの金属片にしか見えないもの」
「だからいいんだろ」
「その“だから”がわからないのよ」
シューシュが嬉しそうに言った。
「ジンのガラクタ、すごいです!」
「ガラクタと言うな」
「ジンの大切な金属片、すごいです!」
「よし」
「いいんだ」
イオナが呆れる。
ミラは小さく笑いながら、書類に何かを書き込んだ。
「買い取りなら、八千リルね」
「八千リル」
俺にはそれが高いのか安いのかわからない。
「どれくらいの価値なんだ?」
俺が聞くと、イオナは指を折りながら答えた。
「屋台飯なら十回分くらい。安宿なら一泊、節約すれば二泊。靴を買ったらかなり減るわね」
「つまり、しばらく豪遊できる金ではないと」
「できるわけないでしょ」
感覚としては、一リルが一円くらいに近いのかもしれない。
(道端で拾った金属片が八千円相当!!すごい!!でも生活費としては一瞬で消える!!異世界、世知辛い!!)
ミラは小さな革袋から、銀色の硬貨を八枚取り出してカウンターに並べた。
「銀貨一枚で千リル。八枚で八千リルね」
俺は銀貨を一枚つまみ上げる。白っぽい銀色の硬貨だった。縁には細かい刻みが入っていて、表面には天秤のような紋章が刻まれている。
仁は気になってイオナに尋ねた。
「この模様は?」
「秩序神オルディアの印で、銀貨以上の硬貨に入ってるわ」
「金にも神様か」
「それが普通なの」
普通。また出た。この世界の普通は、俺にとってはまだ少し重い。
(普通、か!!この世界の普通、だいぶ濃いな!!)
俺は八枚の銀貨を受け取った。金属の重みがあった。
「……これが、この世界の金か」
「そうよ」
「なるほど」
俺は金属片が置かれていた鑑定台を見る。少しだけ寂しい気もした。あの金属片は、俺のコレクションだった。意味はなかった。役にも立たなかった。だが、気に入っていた。
それが今、金になった。嬉しい。でも、少し寂しい。
(嫁に出した気分だ!!いや金属片だけど!!幸せになれよ金属片!!修理素材として第二の人生を歩め!!)
「ジン、顔が複雑です」
シューシュが肩の上から覗き込む。
「そうか?」
「はい。嬉しいけど、ちょっと寂しい顔です」
「……よく見てるな」
「ジンの肩にいますから!」
「距離の問題か?」
イオナは俺を見て、少しだけ表情を緩めた。
「そんなに大事なものだったの?」
「まあ、そこそこ」
「なら売らなくてもよかったんじゃない?」
「腹は減る」
「現実的ね」
「お前に言われたくない」
ミラは鑑定記録を見ながら言った。
「でも、不思議ね。緑灯窟で拾った物じゃないのに、旧時代合金に似た反応があるなんて」
俺はシューシュを見る。シューシュは胸のコアに手を当て、少し首を傾げた。
「アーカイブ・コアの中で、この世界の魔力に馴染んだのかもしれません」
「アーカイブ・コア?」
ミラの目が鋭くなった。イオナも小さく「あ」と声を漏らす。俺はすぐに言った。
「シューシュの胸部コアのことです。たぶん、そういう名前らしいです」
「たぶん?」
「まだ全部はわかっていません」
ミラはじっとシューシュの胸を見る。
「……それも、詳しく鑑定した方がよさそうね」
シューシュが少しだけ俺の首元に身を寄せた。
「ジン」
小さな声だった。嫌がっている、というより不安そうだった。俺はすぐに言った。
「無理に外したりはしないでください」
ミラが一瞬、俺を見る。
「もちろんよ。稼働中のアーティファクトを無理に分解するような真似はしないわ」
「ならいいです」
イオナが腕を組んだ。
「でも、これは支部長に話を通した方がいいわね」
「支部長?」
「ベルカ支部の責任者」
「偉い人か」
「偉いし、面倒な人」
イオナがそう言った瞬間だった。
「誰が面倒だって?」
背後から、低い声がした。
振り返ると、大柄な男が立っていた。五十代前半くらいだろうか。背が高く、肩幅が広い。白髪が混じった短髪で、顔には無精髭。左目の上には古い傷跡があり、片腕には金属製の義手のようなものをつけている。ただの義手ではない。関節の部分に小さな魔石が埋め込まれ、指先がかすかに光っている。
(うわ、強そう!!絶対元ベテラン!!酒場で若者に説教するタイプ!!でもこういうおっさん、だいたい頼れる!!)
イオナが少し顔をしかめる。
「グレン支部長」
「おう、イオナ。帰って早々、面倒な拾い物か」
「拾ってません。見つけただけです」
「同じだ」
「違います」
グレンと呼ばれた男は、俺を見た。次に、肩のシューシュを見た。さらに、鑑定台の記録を見た。
「妙な仕立ての服を着た男に、喋る小型ゴーレム。旧時代合金の欠片。無登録。緑灯窟から生還」
グレンはにやりと笑った。
「なるほど。面倒だな」
「だから言ったでしょ」
イオナがぼそっと言う。グレンは俺の前に立った。
「名前は?」
「九楼仁です。仁でいいです」
「グレン・バルド。ベルカ・トレジャーハンター組合の支部長だ」
「よろしくお願いします」
「堅いな」
「初対面なので」
「それもそうか」
グレンはシューシュを見る。
「で、そっちは?」
シューシュは少し緊張した様子で言った。
「小型ゴーレム型アーティファクトのシューシュです」
「ずいぶん流暢に自己紹介するアーティファクトだな」
「練習しました!」
「ほう」
グレンは笑った。
「気に入った」
「気に入ったのですか?」
「ああ。面倒そうなものほど面白い」
「ジンと同じです!」
「同じにするな」
グレンは俺を見た。
「お前さん、緑灯窟でこいつを拾ったのか?」
「拾ったというか、起こしたというか」
「起こした?」
「洞窟の奥に倒れていたので、持っていた石を胸にはめたら動きました」
「さらっと危ないことするな」
「自分でもそう思います」
(でもはめるしかなかった!!あんな胸部くぼみ、絶対はめるイベントだった!!)
グレンは顎に手を当てた。
「胸のコアは外せるのか?」
シューシュが俺の肩の上で固まる。俺はすぐに答えた。
「外したくありません」
「理由は?」
「シューシュが動かなくなるかもしれない」
「ほう」
グレンの目が細くなる。
「ただの道具扱いはしないってことか」
「今のところ、会話相手なので」
「道具とも会話するやつはいるぞ」
「俺も少しわかります」
「わかるのか」
「はい」
イオナが横で小さく呟いた。
「変なところで意気投合しないで」
グレンは肩を揺らして笑った。
「いいな。変なやつだ」
「今日そればかり言われます」
「言われるだけのことはある」
否定できない。
グレンはミラから鑑定記録を受け取り、ざっと目を通した。
「旧時代合金に近い金属片。こいつの所持品から出てきた、と」
「はい」とミラ。
「出所は不明。けれど反応は本物です」
「他にもあるのか?」
グレンが俺を見る。
「あるかもしれません」
「曖昧だな」
「シューシュの中に収納されているようなんですが、俺も全部は把握していません」
「自分の荷物を把握してないのか」
「部屋のコレクションの一部が入っている可能性がありまして」
「部屋、ね」
グレンはそこで少しだけ口元を歪めた。
「まあ、詮索しすぎると仕事にならん」
「助かります」
「で、そのコレクションとやらは何だ?」
「石とか、ネジとか、金属片とか、用途不明の部品とか」
「金にならなそうなもんばかりだな」
「そこがいいんです」
グレンの笑みが深くなった。
「なるほどな」
「何がなるほどなんですか」
「お前さん、金目の物を見る目じゃない。捨てられた物を見る目をしてる」
俺は少し驚いた。
「……わかるんですか」
「俺も昔はハンターだ。遺跡で生き残るやつには、だいたい何かしら変な目がある」
「変な目」
「イオナは危険を見る目。ミラは素材を見る目。俺は人を見る目」
グレンは俺を指差した。
「で、お前さんはガラクタを見る目だ」
その言葉に、俺の内心はかなり跳ねた。
(このおっさん!!わかってる!!いや、わかりすぎて怖い!!初対面でそこまで見る!? 支部長すごいな!!)
シューシュが嬉しそうに言った。
「ジン、褒められました!」
「褒められたのか?」
「たぶんな」
グレンは笑う。
「褒めてるさ。ベルカじゃ、変な目は武器になる」
イオナが腕を組む。
「支部長、この人どうします?」
「どうするも何も、無登録で緑灯窟から出てきたんだろ。放っておいたら教会に持っていかれるか、街の外で死ぬか、どっちかだ」
「ですよね」
「なら組合で預かる。仮登録だ」
「仮登録?」
俺が聞き返すと、グレンは受付の方へ顎をしゃくった。
「トレジャーハンター見習いとして登録する。白札だ」
「白札」
「一番下の登録証。旧遺跡の深部には入れない。高危険度アーティファクトの所持も不可。だが、発掘品の鑑定と買い取り、簡単な依頼の受注はできる」
「つまり、最低限働けると」
「そういうことだ」
俺は少し考えた。帰る方法はわからない。この世界の金はない。宿も飯も必要。シューシュのことも調べなければならない。そして何より、俺のガラクタがこの世界で何になるのか。それは、かなり気になる。
「登録します」
俺が言うと、イオナが少し驚いた。
「即決?」
「他に選択肢が少ない」
「それはそうだけど」
シューシュが肩の上で手を挙げる。
「私も登録しますか?」
グレンはにやりと笑った。
「お前さんは、ジンの所有アーティファクト扱いだな」
「所有……」
シューシュが少し複雑そうにする。俺はすぐに言った。
「相棒扱いでお願いします」
グレンが片眉を上げる。
「相棒?」
「はい」
俺は肩の上のシューシュを軽く見た。
「書類上はどうでも、俺はこいつを売る気はありません」
シューシュの目の光がぱっと明るくなった。
「相棒です!」
「嬉しそうだな」
「嬉しいです!」
グレンは少しだけ黙り、それから頷いた。
「書類上は所有アーティファクト。実態は相棒。そういうことにしておけ」
「書類上」
「世の中、書類に書けることと実際のことが違うなんてよくある」
「大人ですね」
「お前も十分大人だろ」
「年齢だけは」
グレンは豪快に笑った。
受付で書類を書くことになった。名前、年齢、出身地、職業。そこで、俺は書類を前にして手を止めた。紙に書かれた文字が読めない。いや、正確には、文字だということはわかる。だが、意味がまったく頭に入ってこない。
「……読めないな」
俺が呟くと、イオナが横から覗き込んだ。
「読めない?」
「ああ。話は通じるのに、文字はわからない」
「喋れるのに?」
「俺が聞きたい」
(言語補正あるのに文字補正はないのか!!惜しい!!いや、喋れるだけありがたいけど!!)
シューシュが俺の肩から書類を覗き込む。
「私は少し読めます!」
「おお」
「でも古い表記と違うので、半分くらいです!」
「微妙だな」
「半分もあります!」
「前向きだな」
イオナはため息をついた。
「仕方ないわね。代筆するわ」
「助かる」
「嘘書いたら困るから、ちゃんと答えてよ」
「嘘を書くほど情報がない」
「それも困るのよ」
受付の女性が別の紙を用意し、イオナがペンを取った。
「名前」
「九楼仁」
「年齢」
「三十八」
「三十八?」
イオナが少しだけ驚いた顔をした。
「何だ」
「いや、もう少し若いかと思ってた」
「褒めてるのか?」
「たぶん」
「なら受け取っておく」
シューシュが嬉しそうに言った。
「ジンは三十八歳です!」
「発表するな」
イオナは続ける。
「出身地」
「日本」
「どこよ」
「かなり遠いところ」
「それ、書類に書けないでしょ」
グレンが横から言った。
「異邦地、とでも書いておけ」
「いいんですか?」
「ベルカじゃ珍しくない。遠方の少数民族、辺境の集落、記録にない村。そういうのはいくらでもいる」
「便利な街だな」
「便利というより、詮索しすぎると仕事にならん」
イオナは出身地欄に「異邦地」と書いたらしい。
「職業は?」
「会社員」
「何それ」
「元の仕事だ」
「こっちで通じないわよ」
「じゃあ何と書けばいい」
「無職」
「刺さるな」
「事実でしょ」
「今日からトレジャーハンター見習いです!」
シューシュが元気よく言った。
グレンが頷く。
「職業欄は見習いハンターでいい」
イオナが書き込む。見習いハンター。
(会社員から見習いハンター!!人生、急角度で曲がりすぎだろ!!)
受付の女性が書類を確認し、少し困ったようにグレンを見た。
「支部長。保証人はどうしますか?」
「俺の一時預かりにしておけ」
「支部長権限ですか?」
「こういう面倒な時に使うための権限だ」
受付の女性は慣れた様子で頷いた。イオナは呆れ顔だ。
「また雑に権限使ってる」
「必要な時に使わん権限は飾りだ」
「それっぽいこと言ってるけど、絶対面倒だからでしょ」
「半分当たりだ」
「半分は?」
「面白そうだからだ」
「最悪」
俺は小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はいい。問題を起こすな」
「努力します」
「そこは断言しろ」
「自信がないので」
グレンはまた笑った。しばらくして、受付の女性が小さな札を持ってきた。白い札。手のひらほどの大きさで、簡素な紋章が刻まれている。裏には俺の名前らしき文字が彫られていた。
「これが白札」
イオナが言う。
「なくさないでよ」
「なくすとどうなる」
「再発行料がかかる」
「気をつける」
「そこは命の心配じゃないのね」
「今は金が一番怖い」
「わかってきたじゃない」
俺は白札を受け取る。軽い。だが、その重みは不思議とあった。この世界での身分証。生きていくための最初の足場。
「ジン、白札です!」
「ああ」
「白いです!」
「見ればわかる」
「でも嬉しいです!」
「……そうだな」
俺も、少し嬉しかった。
「さて」
グレンが腕を組む。
「これでジンはベルカ組合の白札ハンターだ。とはいえ、今日から遺跡に潜れとは言わん。まずは飯を食って、宿を取れ」
「助かります」
「金は八千リルだったな」
グレンがミラを見る。
ミラが頷く。
「はい」
「安宿に一泊して、飯を食って、少し残るくらいだな。靴を買うならほぼ消える」
「ほぼ消えるのか」
「生きるには金がかかる」
「それはどこの世界も同じですね」
「いいこと言うじゃねえか」
グレンは笑ったあと、イオナを見た。
「イオナ」
「嫌な予感がする」
「こいつらの面倒を少し見てやれ」
「やっぱり!」
「拾ってきたのはお前だ」
「拾ってません!」
「見つけたんだろ。同じだ」
「違う!」
イオナは俺を見る。
「なんであたしがこの怪しいおじさんの面倒を見るのよ」
「怪しいおじさん……」
(刺さる!!三十八歳、異世界で怪しいおじさん認定!!間違ってないから余計刺さる!!)
シューシュが肩の上で俺の頭をぽんぽん叩いた。
「ジン、元気出してください」
「慰めるな。余計傷つく」
グレンは笑っている。
「まあ、監視も兼ねてだ。こいつが教会に目をつけられないように見張れ」
「それ、やっぱり面倒ごとじゃない」
「お前ならできる」
「褒めてもだめです」
「じゃあ、次のラフェル周辺調査の優先権をやる」
イオナの表情が変わった。
「……本当に?」
「ああ」
「仕方ないわね」
「早いな」
俺が言うと、イオナは睨んできた。
「仕事だからよ」
「なるほど」
シューシュが小声で言う。
「イオナ、ちょろいですか?」
「聞こえてるわよ」
「ひゃい」
シューシュが俺の肩に隠れた。ミラがくすくす笑う。
グレンは最後に、俺をまっすぐ見た。
「ジン。ひとつ忠告しておく」
「はい」
「そいつのことは、むやみに話すな」
「シューシュのことですか?」
「ああ。喋る小型ゴーレムなんて、それだけで珍しい。教会に見つかれば、調査だ保護だと言って持っていかれるぞ」
肩の上で、シューシュが小さく身を縮めた。
「それは困ります」
「困るで済めばいいがな」
グレンはシューシュの胸のコアを見る。
「それに、その胸の石も普通じゃない。組合の中でも、話す相手は選べ」
「なぜですか」
「価値がわからんものほど、欲しがるやつがいる」
その言葉に、俺は少しだけ背筋が冷えた。価値がわからない。だから捨てる者もいる。だが、逆にわからないからこそ、奪おうとする者もいる。
「覚えておきます」
「そうしろ」
グレンは俺の白札を軽く指で弾いた。
「ようこそ、ベルカへ。見習いハンター」
シューシュが肩の上で手を挙げる。
「よろしくお願いします!」
「お前もな、小型ゴーレム型アーティファクト」
「シューシュです!」
「そこは譲らないのね」
イオナが呆れたように言った。俺は白札を握りしめ、組合の中を見回した。騒がしい。雑多で、危険で、面倒そうで。それでも、どこか胸が高鳴る。
会社員だった俺は、今日から見習いトレジャーハンターになった。理由は世界を救うためではない。誰かに選ばれたからでもない。飯を食うため。宿に泊まるため。
そして、俺のガラクタがこの世界で何になるのか、確かめるため。
(悪くない!!いや、かなり悪くない!!)
その時、腹がもう一度鳴った。ぐう。シューシュが即座に言う。
「ジンのお腹、二回目です!」
「だから実況するな」
イオナはため息をつきながら、組合の出口を指差した。
「まずは飯ね」
「助かる」
「そのあと宿。それから靴」
「優先順位がしっかりしてるな」
「誰かさんが革靴で旧遺跡から出てきたからね」
「返す言葉もない」
俺は白札をポケットにしまい、八枚の銀貨を握った。初めて手に入れた、この世界の金。その代わりに手放した、小さな金属片。たぶん、他人から見れば大したことではない。でも俺にとっては、最初の取引だった。
価値がないと思われていたものが、ここでは価値を持った。その事実だけで、少しだけ足元が確かになった気がした。
俺はイオナの後について、組合の外へ向かった。肩の上では、シューシュが嬉しそうに白札のことを繰り返している。
「ジンは白札です。白札ハンターです」
「ああ」
「私は相棒です」
「ああ」
「小型ゴーレム型アーティファクトの相棒です」
「情報量が多いな」
「でも大事です!」
「そうだな」
俺は少し笑った。異世界初日。無一文から、白札ハンターへ。どう考えても、まともな一日ではない。
だが――
(こういう無駄に遠回りな始まり、嫌いじゃない!!)
ベルカの街の喧騒の中へ、俺たちは歩き出した。




