二話:旧遺跡の少女
「……あんたたち」
声がした。俺とシューシュは、ほとんど同時に振り返った。岩場の上に、一人の少女が立っていた。
年は十代後半くらいだろうか。 髪は赤に近い茶色で、肩甲骨あたりまである長さを後ろでざっくりと束ねている。きっちり整えているわけではなく、前髪や横髪が少し無造作にこぼれていて、風に揺れていた。
肌は日に焼けて健康的で、体つきは細身だが引き締まっている。 動きやすそうな生成りのインナーシャツの上に、短丈の濃い色のジャケット。胸元には軽い革の防具。 腰には短剣といくつもの道具袋が下がり、背には弓と矢筒。 足元の編み上げブーツはかなり使い込まれていて、いかにも野外を走り回っていそうな格好だった。
可愛い、というよりは、実用的で格好いい。生き残るための装備をそのまま着ている、という印象だ。
(異世界の人!!しかもめちゃくちゃそれっぽい!!弓!!短剣!!道具袋!!完全に冒険者って感じだ!!)
少女は俺を見た。 次に、俺の横にいるシューシュを見た。
そして、もう一度俺を見た。
眉間にしわが寄る。
「その格好で、ラフェル旧遺跡から出てきたの?」
「……ラフェル旧遺跡?」
俺が聞き返すと、少女は少し怪訝そうに目を細めた。
「ハンターの間じゃ“緑灯窟”って呼ばれてるけど」
「緑灯窟……」
シューシュがきょとんと首を傾げる。
「ここは、そういう場所なのですか?」
「……そういう場所って、どういう意味?」
「ええと……洞窟です!」
「見ればわかるわよ」
少女の視線がシューシュに固定された。
沈黙。…わりと長い沈黙。
「……喋った」
「喋ります!」
シューシュは妙に得意げに胸を張った。
「いや、そこを誇らしげに言われても」
「すごいことです!」
「まあ、すごいけど」
少女は額に手を当てた。
「ちょっと待って。状況を整理したいんだけど」
「奇遇だな。俺もしたい」
「こっちの台詞よ」
少女は岩場から軽やかに飛び降りた。着地に一切の無駄がない。 地面を踏む音も軽い。
(身軽!!この高さを普通に降りるのか!!こっちは洞窟を出るだけで必死だったのに!!やっぱりプロだ!!)
少女は俺たちから少し距離を置いた位置で止まり、片手を腰の短剣に添えた。
「登録証は?」
「登録証?」
「トレジャーハンターの」
「持ってない」
「じゃあ密掘り?」
「密掘りって何だ」
「質問で返さないで」
「知らないものは答えられないだろ」
「……本当に何も知らないわけ?」
疑いの目だった。当然だ。むしろ、かなり穏当な反応だと思う。
知らない洞窟から、スーツ姿の男と喋る小型ゴーレムが出てきたのだ。俺でも怪しむ。
「怪しいわね」
「否定はしにくいな」
「しなさいよ」
「無理がある」
「自覚あるのね」
少女は今度はシューシュを見た。
「で、その小さいのは何?」
「小さいのではありません。シューシュです!」
「名前じゃなくて、種類を聞いてるの」
「種類……」
シューシュは少し考えたあと、胸を張って言った。
「精霊です!」
少女の表情が止まった。
「……精霊?」
「はい!」
「精霊って、あの精霊?」
「あの、がどの精霊かわかりませんが、私は精霊です!」
少女はゆっくりと俺を見た。
「この子、壊れてるの?」
「再起動したばかりだから、多少は曖昧なんだと思う」
「ジン!」
シューシュが俺を見上げる。
「私は壊れていません! 少し欠けているだけです!」
「それを壊れてるって言うんじゃないか?」
「言い方の問題です!」
「言い方か」
少女はため息をついた。
「精霊なんて、おとぎ話でしょ」
その言葉に、シューシュの目の光がかすかに揺れた。
「おとぎ話ではありません」
「でも、あたしは見たことないわ」
「今、見ています!」
「喋る小型ゴーレムがそう言ってるだけじゃない」
「ゴーレムではありません!」
シューシュは小さな拳を握る。
「私は精霊です!」
その瞬間、少女――イオナはまだ名乗っていない少女が、少し慌てたように手を上げた。
「待って。そういうの、ここではまだいいけど、街の中では絶対に言わないで」
「なぜですか?」
「本当に面倒なことになるから」
「面倒?」
「そう。かなり面倒」
俺は眉をひそめる。
「何があるんだ」
「神律教会がうるさいの」
「神律教会」
初めて聞く言葉だった。
「教会?」
「秩序神オルディアを祀ってる教会。まさか、それも知らないの?」
「知らない」
「……どこの田舎から来たのよ」
「かなり遠いところだ」
「どこの?」
「かなり遠い」
「怪しい」
「もうそれは認める」
少女は呆れたように肩を落とした。シューシュが小さく手を挙げる。
「オルディアとは、どなたですか?」
「神様よ」
「神様…」
「秩序を与えて、アーティファクトを人に授けた神。……って、教会では教えてる」
最後の一言に、少しだけ引っかかりがあった。
「教会では?」
俺が聞き返すと、少女は肩をすくめる。
「あたしはトレジャーハンターだから、教会の言うことを全部そのまま信じてるわけじゃない。でも、世の中ではそういうことになってる」
「アーティファクトを人に授けた…神…」
シューシュが小さく呟く。
「違う、と思います」
「違う?」
「うまく思い出せません。でも、神様のものではなかったはずです。もっと…みんなのそばにあったものです」
少女は黙ってシューシュを見た。俺も黙る。さっきまでの軽いやり取りとは少し違う空気が流れた。
「…ますます変ね」
少女はそう言ったが、さっきよりは刺々しくなかった。
「それで」
少女は仕切り直すように言った。
「あんたたち、本当にラフェル旧遺跡の中から出てきたの?」
「そうなるな」
「入口から入ったわけじゃなく?」
「気づいたら中にいた」
「気づいたら…?」
「ああ」
「それで生きて出てきたの?」
「なんとか」
「……運が良いのか悪いのかわからないわね」
少女は俺の格好を見た。
ワイシャツ。スラックス。革靴。汚れと擦り傷だらけではあるが、遺跡探索用装備ではないのは明白だ。
「その格好で緑灯窟に入るなんて、自殺志願者でももう少し考えるわよ」
「だから、入った覚えはないんだ」
「出てきた時点で同じ」
「厳しいな」
「旧遺跡は厳しいの」
少女は当然のように言った。
「ここはベルカ近郊のラフェル旧遺跡。昔のアーティファクトや魔石が出る場所よ。ついでに魔物も出る」
「魔物…」
「出会わなかった?」
「石を食う鼠みたいなのには会ったな」
「石喰い鼠ね。初心者が群れに囲まれたら普通に死ぬわ」
「普通に言うな」
「事実だもの」
シューシュが胸を張る。
「ジンは、おみやげブレードで切り抜けました!」
「おみやげ……何?」
「おみやげブレードです!」
少女が俺を見る。
「何それ」
「聞くな」
「気になるでしょ」
「俺もまだ受け止めきれてない」
俺は手の中の小さな剣キーホルダーを見る。
今はもう、ただの小さな土産物に戻っている。
少女はしばらくそれを見ていた。
「それ、アーティファクト?」
「たぶん」
「たぶん?」
「さっき光った」
「説明が雑すぎるわね」
「理解も雑だからな」
少女は額を押さえた。
「……本当に何も知らないのね」
「言っただろ」
「よく生きて出てきたわね」
「俺もそう思う」
シューシュが元気よく言った。
「私もそう思います!」
「お前はもう少し自信を持て」
「はい! 次から持ちます!」
「次があってたまるか」
少女は短剣から手を離した。完全に警戒を解いたわけではないが、少なくとも今すぐ敵扱いはしないらしい。
「名前は?」
「九楼仁」
「クロウ、ジン?」
「ああ。仁でいい」
「変わった響きね」
「そっちではそうかもな」
少女は少し眉を上げた。
「そっち?」
「……言葉の綾だ」
「怪しい」
「戻るな、その評価に」
少女は自分の胸を軽く叩いた。
「あたしはイオナ。ベルカを拠点にしてるトレジャーハンターよ」
「トレジャーハンター…」
俺はその単語に反応した。
(来た!!肩書きが強い!!トレジャーハンター!!つまり宝探しのプロ!!ロマン職!!)
「旧遺跡に潜って、アーティファクトや魔石を回収する仕事」
「危険そうだな」
「危険よ」
「なのに人気なのか?」
「人気ね。儲かる時は儲かるし、一発当てれば人生が変わる。でも、運が悪ければ一発で死ぬ」
「落差がひどいな」
「そういう仕事だから」
イオナはさらっと言った。
「ただし登録制。組合に登録しないで遺跡から発掘品を持ち出すと、面倒なことになるわ」
「組合?」
「トレジャーハンター組合。ベルカにも支部がある」
(組合!!来た!!それっぽい施設!!異世界といえば組合!!)
「登録すると何ができる?」
俺が聞くと、イオナは少し意外そうな顔をした。
「食いつくのね」
「確認しているだけだ」
(めちゃくちゃ食いついてます!!)
「登録すれば、旧遺跡の探索許可が出る。発掘したものを組合で鑑定してもらえるし、売ることもできる。一部のアーティファクトは申請すれば所持も認められる」
「拾ったものを合法的に持てる職業ってことか?」
「言い方は悪いけど、だいたいそう」
「詳しく聞こう」
イオナが俺をじっと見た。
「……あんた、急に目が変わったわよ」
「気のせいだ」
「気のせいじゃない」
「たぶん気のせいだ」
「シューシュみたいなこと言わないで」
「ジン、私みたいですか?」
「嬉しそうにするな」
イオナの話によると、この世界ではアーティファクトの扱いがかなり厳しいらしい。
生活用の魔道具は一般にも出回っている。明かりを灯すもの。水を温めるもの。荷運びを助けるもの。
だが、武器になるものや強力な効果を持つものは、国や貴族、教会が基本的に管理している。一般人が勝手に持てば没収。悪質なら罰則。
ただし、トレジャーハンターだけは例外で、発掘したものの一部を登録の上で所持できる。
「便利そうなのに、不自由なんだな」
俺が言うと、イオナは短く答えた。
「不自由だから安全なのよ」
その一言が、妙に重かった。
「昔、大きな戦争があったって言われてる。魔法やアーティファクトが好き勝手に使われて、たくさん死んだ。だから今は、力は管理されるべきって考えが普通」
「教会の教えか?」
「それもあるわね」
イオナは遠くを見ながら言った。
「オルディアの教えでは、無駄は堕落。秩序は善。力は正しく管理されるべき。そう教わる」
「無駄は堕落、か」
俺は小さく呟く。胸の奥に、少しだけざらつくものが残った。
(嫌な言葉だな!!無駄を一括で悪者にするな!!無駄には無駄の味があるんだよ!!しょうもないものを愛する自由くらい残しとけ!!)
シューシュは黙っていた。
いつもならすぐ口を挟みそうなのに、胸のコアに手を当てて、じっとイオナの話を聞いている。
「魔法は?」
シューシュが小さく聞いた。
「魔法?」
「魔法は、もう使えないのですか?」
イオナは少し困った顔をした。
「魔法なんて、今はほとんど昔話よ。少なくとも、普通の人間が手を振って火を出すようなものは存在しないわ」
「精霊魔法は?」
「だから、精霊が昔話だって」
「昔話……」
シューシュの声が小さくなる。
「精霊の声は、聞こえないのですか?」
「聞こえないわ。聞こえるって言う人がいたら、教会に連れていかれるか、酒場で笑われるかのどっちかね」
シューシュは俯いた。
胸のコアの光が、ほんの少し弱くなった気がした。
「……そう、ですか」
さっきまで、空が青いだけであんなに喜んでいたのに。その落差が、少しだけ痛かった。
「シューシュ」
俺が呼ぶと、シューシュはぱっと顔を上げた。
「はい! 大丈夫です!」
「まだ何も言ってない」
「でも、ジンが心配そうでした!」
「……そうか」
「私は大丈夫です。ちょっと、びっくりしただけです」
たぶん、その“ちょっと”は嘘だ。でも、今はそれ以上言わなかった。イオナも追及はしなかった。
ここまでで、俺が理解できたことは三つだった。
ひとつ。ここは、俺の知っている世界ではない。ふたつ。この世界では、魔法や精霊は昔話になっている。そして、三つ。
俺は今、完全に無一文だ。
(最後が一番現実的に痛い!!)
「それで、どうするの?」
イオナが言った。
「どうする、とは?」
「このままここにいる気? 旧遺跡の近くは夜になると危ないわよ」
「できれば避けたいな」
「なら、街に行くしかない。ベルカまで歩いて半日もかからない」
「半日」
(遠っ!!普通に遠い!!異世界一日目で徒歩半日はきつい!!でも街!!拠点!!行くしかない!!)
シューシュが俺を見上げる。
「ジン、街に行きます!」
「ああ」
「人がいます!」
「たぶんな」
「ごはんもありますか?」
「俺は欲しい」
「私は食べませんが、見るのは好きかもしれません!」
「食レポだけするタイプか」
「しょくれぽ?」
「忘れろ」
イオナは俺たちのやり取りを見て、少し呆れたように息を吐いた。
「……本当に変な二人ね」
「二人扱いでいいのか?」
「一人と一体?」
「私は一体ではありません!」
「じゃあ一人と一精霊?」
「はい!」
イオナは肩をすくめた。
「街でそれは言わないこと。小型ゴーレム型アーティファクトってことにしなさい」
「でも私は精霊です」
「教会に聞かれたら面倒って言ったでしょ」
「……面倒は嫌です」
「ならゴーレム」
「小型ゴーレム型アーティファクトです!」
「切り替えが早いな」
「生存は大事です!」
「正しい」
イオナは俺たちを見比べてから、少しだけ真面目な声で続けた。
「それに、無登録で旧遺跡から出てきた人間を見逃したなんて知られたら、あたしの方が組合に怒られるのよ。教会に先に拾われても面倒だし」
「つまり、善意だけじゃないと」
「当たり前でしょ」
「正直だな」
「現場では正直な方が長生きするの」
その言い方に、俺は少しだけ納得した。
イオナは親切だ。 だが、ただのお人好しではない。自分が面倒に巻き込まれないためにも、俺たちを組合に連れて行く必要がある。その方が、彼女の行動として自然だった。
出発前に、イオナは俺の格好を上から下まで見た。
「その靴で歩ける?」
「歩くしかないだろ」
「ベルカに着いたら、まず靴を変えた方がいいわね」
「金があればな」
「お金くらい――」
イオナがそこで止まった。俺も止まる。
沈黙。
「……あんた、お金は?」
「ある」
「あるの?」
「ああ」
俺は財布を取り出した。
中には日本円。千円札と小銭。ポイントカード。レシート。
イオナはそれを見て、眉を寄せた。
「何これ」
「金だ」
「紙じゃない」
「紙幣だ」
「紙じゃない」
「そうだな」
小銭を一枚つまみながら、イオナはますます怪しいものを見る顔になる。
「どこの貨幣?」
「日本」
「ニホン?」
「かなり遠いところだ」
「またそれ?」
「便利な表現なんだ」
シューシュが覗き込む。
「ジン、この世界では使えなさそうです!」
「見ればわかる」
(終わった!!現地通貨ゼロ!!異世界生活、最初の壁が生活費!!現実的すぎる!!)
イオナは頭を抱えた。
「本気で無一文なの?」
「この世界基準では、そうなるな」
「どうやって生きる気だったのよ」
「今考えている」
「考えるのが遅い」
「こっちに来た初日なんだ。大目に見てくれ」
「こっち?」
「……言葉の綾だ」
「怪しい」
「もう何回目だ」
「怪しいものは怪しいの」
イオナは腕を組んで考えた。
「何か売れそうなものは?」
「売れそうなもの……」
俺は持ち物を確認する。スマホ。財布。ハンカチ。家の鍵。 おみやげブレードこと剣キーホルダー。そして、シューシュの胸のコア。
売れるもの。少なくとも、スマホは売りたくない。財布も鍵も論外。おみやげブレードも、さっき命を救ってくれたので、売る気になれない。
シューシュが胸のコアに手を当てた。
「収納領域に物品があります!」
「俺のコレクションか」
「はい! ジンのおうちのものです!」
イオナが反応する。
「コレクション?」
「……まあ、いろいろだ」
「どんな?」
「石とか、ネジとか、金属片とか」
「……それ、売れるの?」
「俺に聞くな」
「持ち主でしょ」
「価値はある」
「金になる価値?」
「そこが問題だ」
イオナは呆れた顔になった。
「とりあえず組合で鑑定してもらえば? 遺跡由来の物じゃなくても、素材価値くらいは見てもらえるかもしれないし」
「旧遺跡由来ではないんだが」
「じゃあ何由来なのよ」
「俺由来」
「何それ」
「俺にもわからん」
シューシュが元気よく言った。
「ジンの大切なガラクタです!」
「おい、ガラクタと言い切るな」
「でもジンがそう言っていました!」
「俺が言うのとお前が言うのは違う」
「難しいです!」
イオナは少しだけ笑った。
「本当に変ね、あんたたち」
「褒めてるのか?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「呆れてる」
「だろうな」
俺たちはベルカへ向かって歩き出した。最初はシューシュも自力で歩いていたが、しばらくすると足取りが怪しくなった。
カタ、カタ、カタ。音がだんだん遅くなる。
「大丈夫か?」
「大丈夫です!」
カタ。
「たぶん!」
カタ。
「シューシュ」
「はい」
「乗るか?」
「乗る?」
「肩」
俺がそう言うと、シューシュの目の光がぱっと明るくなった。
「いいのですか?」
「歩くより早いだろ」
「ジンの肩に乗ります!」
俺はしゃがんでシューシュを持ち上げる。
本来なら石と金属の塊だ。
だが、持ってみると驚くほど軽い。
「……軽いな」
「精霊の加護です!」
「便利だな」
「はい! 私は軽量型です!」
「自分で言うのか」
肩に乗せると、シューシュはちょこんと収まった。
「ジンの肩、高いです!」
「人を展望台みたいに言うな」
「移動する高台です!」
「悪化したな」
イオナが横目で見ながら言う。
「……それ、目立つわよ」
「だろうな」
「街では喋るのを少し控えた方がいいかも」
「私、控えめに喋ります!」
「控えめに喋る時点で喋ってるのよ」
「難しいです!」
「でしょうね」
シューシュは肩の上で周囲をきょろきょろ見回していた。完全に観光気分だ。だが、ときどきふと黙る。
風が吹くたび。草が揺れるたび。空を見上げるたび。何かを探しているように見えた。
精霊の声。俺には何も聞こえない。けれど、シューシュにはこの世界の静けさが寂しいのだろう。
道中、イオナはいくつかこの世界のことを教えてくれた。
ここはベルカ近郊。旧遺跡が多く、トレジャーハンターが集まる土地。ベルカは、王都や教会都市ほど信仰が深い街ではないらしい。
「教会はあるけど、ベルカじゃ鐘の音よりハンターの靴音の方がうるさいわ」
イオナはそう言った。
「信仰が薄いってことか?」
「薄いというより、現場が濃すぎるのよ」
「現場」
「遺跡に潜る人間は、教義だけじゃ生き残れないから」
それは少しだけ、イオナ自身のことを言っているようにも聞こえた。教会の教えは知っている。けれど、全部を鵜呑みにしているわけじゃない。
「ベルカなら、あんたたちみたいな変なのも……まあ、ギリギリ何とかなると思う」
「ギリギリなのか」
「ギリギリね」
「私は変ではありません!」
肩の上でシューシュが抗議する。
「喋る小型ゴーレムが一番変よ」
「小型ゴーレム型アーティファクトです!」
「もう覚えたのね」
「生存は大事です!」
「賢いじゃない」
「はい! 私は賢いです!」
「そこは謙遜しろ」
「けんそん?」
「後で教える」
やがて、遠くに街が見えてきた。
城壁に囲まれた街。門の上には見張り台。外壁には補修の跡がいくつもある。周囲には荷車や旅人、武装した人間たちが行き来していた。大きな荷物を背負う者。短剣を腰に差した者。奇妙な器具を抱えている者。
街の上には、煙突から細い煙が上がっている。門の近くには、青白い光を放つ街灯のようなものが立っていた。
「……あれは?」
「魔灯よ。生活用魔道具」
「魔道具」
(うひょー!! 街灯が魔道具!! いい!! こういう生活感のあるファンタジー道具、大好きだ!!)
シューシュも目を輝かせている。
「魔力の流れが、とても細く整えられています!」
「わかるのか?」
「はい! ちょっと窮屈そうです!」
「窮屈?」
「魔力が、きれいに並ばされている感じです」
イオナが肩をすくめた。
「安全に使うためよ。暴走したら困るでしょ」
「でも、ちょっと苦しそうです」
「魔道具に苦しいも何もないわよ」
「あります」
シューシュは小さく言った。イオナは返事をしなかった。
門に近づくと、門番がイオナに気づいて手を上げた。
「イオナか。戻ったのか」
「ええ。ついでに変なの拾った」
「拾った?」
門番の視線が俺に向く。 次に、肩のシューシュへ。
「……それは?」
「小型ゴーレム型アーティファクト」
イオナが即答する。シューシュも小声で続いた。
「小型ゴーレム型アーティファクトです」
「なんで本人が名乗ってるんだ」
俺が小声で突っ込むと、シューシュは小声で返す。
「練習です!」
門番は一瞬怪訝な顔をしたが、イオナの顔を見ると深く追及しなかった。
「組合に通すのか?」
「そのつもり」
「なら早めに登録させろよ。最近、教会の巡回が少し増えてる」
「わかってる」
教会の巡回。その言葉に、イオナの表情が少しだけ硬くなった。俺も覚えておくことにした。
(教会、やっぱり面倒そうだな!! 今のところ絶対に深く関わりたくない組織ナンバーワンだ!!)
門を抜ける。そこには、活気のある街並みが広がっていた。石畳の道。軒先に並ぶ道具。屋台の匂い。金属を叩く音。人の声。
あちこちに、見慣れない道具がある。光る板。少し浮いている荷台。水を出す管のようなもの。歯車と魔石が組み合わさった看板。
(うひょー!!情報量が多い!!全部見たい!!全部触りたい!!でも今やったら完全に不審者だ!!)
「ジン!ジン!」
肩の上でシューシュが俺の髪を軽く引いた。
「見てください! あの看板、少し回っています!」
「見てる」
「あっちは水が出ています!」
「見てる」
「あちらの人は、大きなパンを持っています!」
「それも見てる」
「ジン、目が足りません!」
「本当にそうだな」
イオナが振り返る。
「観光客みたいにはしゃがないで」
「はしゃいでない」
「目がはしゃいでる」
「目の制御は難しい」
「言い訳が独特ね」
その時、腹が鳴った。かなりはっきりと。ぐう、と。シューシュがぴんと背筋を伸ばした。
「ジンのお腹が鳴りました!」
「実況するな」
イオナが呆れ半分で笑う。
「そういえば、あんた何も食べてないんでしょ」
「コンビニ弁当を食べ損ねた」
「コンビニ?」
「忘れてくれ」
屋台から焼いた肉の匂いがする。正直、かなりつらい。
「何か食べる?」
イオナが聞く。
「金がない」
「そうだったわね」
「……ない」
イオナはため息をついた。
「じゃあ、先に組合ね。売れるものがあるか鑑定してもらう。それで少しでも金になれば、食事と宿くらいはどうにかなるでしょ」
「助かる」
「ただし、借りにするから」
「現実的だな」
「現実的じゃないと死ぬ仕事なの」
シューシュが俺の肩の上で小さく頷く。
「イオナはしっかりさんです!」
「あなたに言われると不思議な気分ね」
「私はシューシュです!」
「知ってるわよ」
イオナは街の中央通りを進みながら、顎で前を示した。
「あれがベルカ・トレジャーハンター組合」
視線の先には、周囲の建物より一回り大きな建物があった。石造りの重厚な外壁。広い両開きの扉。
入口の上には、交差した探索具と魔石を模したような紋章。出入りする人間はみな、どこか武装していて、空気が違う。遺跡帰りらしい汚れた者。大荷物を抱えた者。仲間と何かを言い争っている者。騒がしい。雑多だ。なのに、不思議と居心地が悪くない。
(うひょー!!組合だ!!本当に組合だ!!それっぽい人がいっぱいいる!!完全に冒険の拠点だろここ!!)
「ついてきて」
イオナが言う。
「売れるものがあるか、まず見てもらいましょ。それから今後のことを考える」
「ああ」
俺は肩のシューシュを落とさないように支えながら、組合の建物を見上げた。
知らない世界。知らない街。知らない制度。そして現地通貨ゼロ。状況としてはかなりまずい。
けれど、胸の奥では奇妙な高揚感が膨らんでいた。俺のガラクタが、この世界では価値があるのか。
それを確かめるために――
俺たちは、ベルカ・トレジャーハンター組合の扉の前に立った。




