一話:石の眠る洞窟
緑の光を頼りに、俺は洞窟の奥へ進んでいた。
足元は悪い。壁は湿っている。天井からは時折、水滴が落ち、ぽちゃんという音が、妙に大きく響いた。
「……静かすぎるな」
(怖い!!普通に怖いけど、雰囲気は最高!!洞窟、謎の光る石、奥へ進めという導き!!イベントとしては百点!!ただし当事者としては零点!!)
俺は手の中の石を見る。淡い緑色の光は、細い糸のように前方へ伸びていた。まるで「こっちに来い」と言っているみたいに。
「……なあ」
石に話しかけてみる。
「せめて出口を指してくれないか」
返事はない。それでも、光は奥を指し続けている。
「進むしかないか」
石の光を頼りに進むが、光量としては心許ない。足元が見えないほどではないが、安心できるほどでもない。
「……もう少し明るくならないか」
石が、ほんの少しだけ強く光った。
「……え?」
(反応した!?今、反応したよな!?やっぱりただの石じゃないだろお前!!いや知ってたけど!!)
俺は石を顔の前に持ち上げる。
「……明るくなれるのか?」
石は、それ以上は光らなかった。
「気まぐれか」
(思春期か!! 石のくせに!!)
俺はため息をつき、また歩き出した。
洞窟は、思ったより広かった。自然にできた洞窟というより、どこか人工的な気配がある。壁の一部には、何かの模様のようなものが刻まれていた。
文字、だろうか。だが、俺の知っているどの文字にも見えない。
「……古代文字っぽいな」
(うわー!! いい!! こういうのいい!! 読めないけど!! 読めないからこそいい!!)
指で壁の溝をなぞる。冷たい。長い年月を感じさせる、摩耗した線。俺の部屋にあるガラクタとは違う。これは間違いなく、何か大きな意味を持っていたものだ。
たぶん。いや、知らないけど。
「……写真撮っとくか」
スマホを取り出し、カメラを起動する。画面は少し乱れたが、撮影はできた。
「よし」
(こういう時、写真は大事!!後で見返してニヤニヤできる!!いや、帰れたらだけど!!)
撮影した画像を確認しようとした瞬間、画面がちらついた。
「……ん?」
保存はされている。
だが、画像の一部が妙に歪んでいる。
文字の部分だけ、光ったようにぼやけていた。
「……スマホの不具合か?」
そう思うしかない。そう思うしかないが、さっきから現実的な説明がどんどん苦しくなっている。俺はスマホをしまった。
「……進むか」
しばらく進むと、洞窟の空気が変わった。狭い通路の先に、広い空間がある。緑の光は、その中央を指していた。
「……着いた、のか?」
足を踏み入れる。そこは、洞窟の中に作られた小さな広間のようだった。
壁には崩れた石柱。床には砕けた石板。天井の一部から、細い光が差し込んでいる。
そして広間の中央に――何かが、倒れていた。
「……なんだ、あれ」
俺はゆっくり近づく。
それは、人形のようにも見えた。ただし、人間ではない。
小柄な体。丸みのある頭部。石と金属が組み合わさったような身体が、苔と土に半分埋もれている。胸の中央には、丸いくぼみがあった。
「……ゴーレム?」
(うおおおおお!!なにこれ!!小型ゴーレム!?古代遺跡の守護者!?朽ちた機械人形!?最高じゃないか!!)
俺はしゃがみ込んだ。もちろん、警戒はしている。しているが、好奇心の方が勝っていた。
「……動かないよな?」
指先で、肩のあたりを軽くつつく。反応はない。
「……壊れてるのか」
(いい!! 壊れてる感じもいい!! 完璧に動いてるやつより、こういう“かつて何かだった感”がいい!!)
顔にあたる部分には、丸い目のような窪みが二つある。表情はない。だが、どこか愛嬌がある。
「……お前、何なんだろうな」
そう呟いた時だった。手の中の石が、強く光った。
「……ん?」
光の筋が、まっすぐゴーレムの胸のくぼみに伸びる。
「……はめろってことか?」
俺は石とくぼみを見比べた。サイズは、どう見てもぴったりだ。
「いやいやいや」
俺は首を振る。
「普通に考えたら危ないだろ」
(でも!!こんなのはめるしかないだろ!!胸部コア!! 再起動イベント!!絶対そういうやつ!!)
「……危ないよな」
(危ない!!でも見たい!!)
「……やめとくべきだよな」
(やめられるか!!)
俺は深呼吸した。冷静に考える。
ここは正体不明の洞窟。目の前には正体不明のゴーレム。手元には正体不明の光る石。正体不明の三点セットだ。
どう考えても、まともではない。でも俺は…
「……ここまで来たらな」
俺は石をくぼみに近づけた。
ぴたり。石は、吸い込まれるように胸部へ収まった。
次の瞬間、ゴーレムの身体に、緑色の光が走った。
「うおっ!」
俺は思わず後ずさる。
カチリ、という音がしたあとに、胸の石が脈打つように光る。ゴーレムの指が、ぴくりと動いた。
「……動いた」
(動いたああああ!!やっぱり動いた!!いや動いたら動いたで怖い!!何してくれてんだ俺!!)
小型ゴーレムの目に、淡い光が灯る。そして、途切れ途切れの音声が響いた。
「……き、どう……確認……」
「喋った!?」
「魔力供給……極小……憑代損傷……多数……人格核……再接続……」
「待て待て待て」
俺は両手を前に出す。
「急に専門用語を並べるな。わからん」
ゴーレムはゆっくりと上体を起こした。土と苔がぱらぱらと落ちる。関節が少し軋んでいる。だが、その動きはどこか生き物じみていた。
「……再起動、完了しました!」
急に声が明るくなった。そして、少女のような声だった。
「わあ……動きます! 私、動いています!」
「いや、こっちの台詞だが」
ゴーレムは自分の両手を見つめ、指を開いたり閉じたりした。
「指も動きます! すごいです! ちょっと引っかかりますけど!」
「それはたぶん整備不良だな」
「整備……そうです! 私は整備が必要です!」
「自覚あるのか」
ゴーレムは俺を見上げた。目の光がぱちぱちと瞬く。
「あなたが、私を起こしてくれたのですね!」
「たぶん、そうなるな」
「ありがとうございます!」
ぺこり、と頭を下げた。動きが妙に丁寧だ。
「ええと……あなたのお名前は?」
「九楼仁」
「クロウ、ジン?」
「ああ。仁でいい」
「ジン!」
ゴーレムは嬉しそうに言った。
「いい名前です!」
「そうか?」
「はい! 短くて呼びやすいです!」
「評価基準そこか」
「呼びやすいのは大事です!」
真面目な声で言う。見た目は石と金属の小型ゴーレム。なのに、喋り方は妙に素直で、明るくて、幼い。
なんというか。
(かわいいな、おい!!ゴーレムなのに!!声が完全に女の子なんだが!!ギャップがすごい!!)
「お前は?」
「私ですか?」
「ああ。名前」
ゴーレムは少し考えるように首を傾げた。
「私は……シューシュ、です」
「シューシュ」
「はい! たぶん!」
「たぶん?」
「はい。記憶に、そう残っています!」
「不安な自己紹介だな」
シューシュは少し考えるように胸のコアへ手を当てた。
「それと、私は精霊です!」
「……精霊?」
「はい! たぶん!」
「またたぶんか」
「でも、そういう記録があります!」
俺は目の前の小さな身体を見た。
石と金属でできた丸い頭。ぎこちなく動く関節。胸で光る緑のコア。
「見た目は完全に小型ゴーレムだが」
「これは憑代です!」
「より専門用語が増えた」
「精霊が宿るための身体です! たぶん!」
「つまり、お前は精霊で、その身体はゴーレムみたいな器ってことか」
「はい! ジンは理解が早いです!」
「理解したというより、そういうことにしただけだ」
シューシュは胸を張った。小さな身体なので、あまり威厳はない。
「でも、シューシュです!」
「そうか。じゃあシューシュ」
「はい、ジン!」
すごく自然に呼び捨てされた。
「……距離が近いな」
「近い方が聞こえやすいです!」
「そういう意味じゃない」
シューシュは自分の身体を軽く動かしながら、周囲を見回した。
「ここは……」
「知ってる場所か?」
「……わかりません」
「わからないのか」
「はい。見覚えがあるような、ないような……でも、古いです」
「古いのは見ればわかる」
「とても古いです!」
「強調された」
シューシュは胸の石に手を当てた。
「このコア……ジンが持っていたのですか?」
「拾った」
「拾った?」
「ああ。道端で」
「道端でコアが拾えるのですか?」
「普通は拾えないな」
「では、ジンはすごいです!」
「たぶん違う」
「でも拾いました!」
「拾ったのは事実だが」
シューシュは真剣な顔――というか、目の光を強めた。
「この石は、ただの石ではありません」
「それは薄々わかってきた」
「これは、おそらくアーカイブ・コアです」
「アーカイブ・コア」
聞き慣れない単語だった。
「何だそれ」
「記録、保管、接続、転移補助……いろいろできます!」
「いろいろが雑だな」
「まだ思い出している途中なのです!」
「便利な言い訳だ」
「便利は良いことです!」
「そこは同意する」
シューシュは胸のコアを軽く叩いた。
「この中に、複数の物品反応があります」
「物品?」
「はい。小さなものがいくつか。分類不能です」
「分類不能?」
「はい。武器のような、道具のような、飾りのような、ゴミのような」
「最後だけ聞き捨てならないな」
俺は眉をひそめる。
「ゴミではない。たぶん」
「でも、価値判定が難しいです」
「価値ってのは、そう簡単に判定できるもんじゃない」
「おお」
シューシュが俺を見上げる。
「ジン、今のちょっとかっこいいです」
「やめろ。照れる」
(今の俺、いいこと言ったな!! ちょっと自分でも思った!!)
「その物品たちは、ジンの反応と強く結びついています」
「俺の?」
「はい。ジンが大切にしていたものかもしれません」
「……大切にしていたもの」
俺は首を傾げた。何かが引っかかるが、まだはっきりとはわからない。
「俺の持ち物が、そこに入ってるってことか?」
「おそらく!」
「なぜ」
「わかりません!」
「元気に言うな」
「でも、調べればわかるかもしれません!」
「調べる時間はあるのか?」
俺は周囲を見回した。
洞窟。謎のゴーレム。謎のコア。謎の物品反応。現状、謎しかない。
「まずはここから出たい」
「はい! 外に出ましょう!」
「出口はわかるのか?」
シューシュはぴたりと止まった。
「……たぶん、こちらです!」
「たぶん?」
「自信は半分くらいあります!」
「低いな」
「半分もあります!」
「ポジティブだな」
シューシュは歩き出した。カタ、カタ、と小さな音が鳴る。
「……歩きにくそうだな」
「はい! この身体、あちこち固いです!」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫です! たぶん!」
「たぶんが多いな、お前」
「再起動直後なので!」
シューシュは胸を張る。そのたびに、肩のあたりから小さな砂が落ちた。
「……本当に大丈夫か?」
「ジン、心配してくれるのですか?」
「まあ、今倒れられると困るからな」
「えへへ。困られました!」
「喜ぶな」
俺たちは洞窟の通路を戻るように進んだ。シューシュの胸のコアが周囲を照らしている。さっきよりも明るい。
「便利だな、そのライト」
「ライトではありません! 私の胸です!」
「言い方」
「胸部コアです!」
「なら最初からそう言え」
シューシュはしばらく考えてから言った。
「ジンは、胸という言葉が苦手ですか?」
「苦手というか、文脈を選べ」
「ぶんみゃく」
「そう、文脈」
「難しいです!」
「すぐ諦めるな」
(なんだこの会話!!洞窟で迷子なのに、胸部コアの言い方で揉めてる場合か!?でもちょっと楽しい!!)
しばらく進むと、通路の先から、カリカリと何かを削るような音が聞こえ、俺は足を止める。
「……今の聞こえたか?」
「はい」
シューシュも声を落とした。
「何の音だ」
「何かが石を食べている音に似ています」
「石を食べる?」
「たぶん」
「またたぶんか」
カリ、カリ。音は近づいている。緑の光の先で、小さな影が動いた。
ネズミ、のように見えた。ただし、普通のネズミではない。大きい。犬ほどではないが、かなり大きい。背中には石のような突起。目は薄く光っている。
「……なにあれ」
(いやいやいや!!動物!?ネズミ!?デカくない!? 目、光ってるんだけど!?やっぱり普通の洞窟じゃないだろここ!!)
シューシュが小さく叫ぶ。
「石喰い鼠です!」
「知ってるのか?」
「名前だけ思い出しました!」
「攻略法は?」
「思い出せません!」
「役に立たないな!」
「ごめんなさい!」
石喰い鼠がこちらを見る。いや、正確にはシューシュの胸部コアを見ている。緑の石に反応しているようだった。
「……お前の胸、狙われてないか」
「胸部コアです!」
「今そこ大事か!?」
石喰い鼠が跳ねるように近づいてきた。
「来た!」
「ジン、逃げましょう!」
「言われなくても!」
俺たちは走った。いや、走ったつもりだった。
シューシュの足音はカタカタカタカタとうるさい。そして俺の革靴は洞窟の岩場にまったく向いていない。
「くそ、滑る!」
(革靴で洞窟探索は無理!! 装備ミス!! 完全に装備ミス!!)
「ジン! 右です!」
「どっちの右だ!」
「ジンの右です!」
「なら最初からそう言え!」
「ジンの右!」
「もう遅い!」
俺は壁に手をつきながら曲がる。背後で、石喰い鼠の爪が岩を削る音がした。
速い。思ったより速い。
「シューシュ、何かできないのか!」
「できます!」
「何が!」
「光ります!」
「もう光ってる!」
「もっと光ります!」
シューシュの胸部コアがぴかっと強く光った。石喰い鼠が一瞬ひるむ。
「おお!」
「やりました!」
「すごいぞ!」
「はい!」
次の瞬間、シューシュの光が少し弱まった。
「あ、ちょっと疲れました」
「持久力!」
ひるんだのは一瞬だけだった。石喰い鼠はまたこちらへ向かってくる。
「他には!?」
「収納領域に反応があります!」
「収納領域?」
「武器らしきものです!」
「武器!?」
その言葉に、俺は思わず振り返った。
「出せるのか!?」
「やってみます!」
シューシュが胸のコアに両手を当てる。
「ええと……物品指定……抽出……ジンとの結びつきが強いもの……形状、剣……」
「剣!?」
(剣!? 剣があるのか!? 俺の人生に剣なんて――)
そこで、嫌な予感がした。シューシュの胸元から緑の光が伸びる。その中から、小さな物体がぽんっと飛び出し、俺は反射的に受け取る。
手の中にあったのは…銀色の小さな剣。赤いプラスチック宝石。ドラゴン模様。観光地のお土産屋で買った、剣のキーホルダーだった。
「……お前かよ」
(いや好きだけど!!好きだけど今じゃない!!いや今なのか!?今なのかお前!?)
シューシュが目を輝かせる。
「武器です!」
「キーホルダーだ!」
「形は剣です!」
「サイズを見ろ!」
「気持ちで大きくしてください!」
「根性論か!」
石喰い鼠が迫る。俺はキーホルダーを握った。
「どう使うんだこれ!」
「強く思ってください!」
「何を!」
「かっこいい感じです!」
「雑!」
「ジンはこれを好きだったはずです!」
「好きだけど!」
「なら、いけます!」
「いけるのか!?」
「たぶん!」
「またたぶん!」
だが、もう時間がない。俺はキーホルダーを握りしめる。
(来い!!おみやげ剣!!今こそ全力で間違えたかっこよさを見せる時だ!!)
その瞬間。キーホルダーの剣身から、淡い光が伸びた。
短い。かなり短い。剣というより、光るカッター。だが、刃だ。
「出た!」
「出ました!」
「短い!」
「かわいいです!」
「褒め方!」
石喰い鼠が飛びかかってくる。
「うわっ!」
俺は反射的に光の刃を振った。
剣術なんて知らない。腰も入っていない。たぶんフォームも最悪だ。だが、刃は石喰い鼠の前足をかすめた。
鼠が嫌がるように跳ねて後退する。
「効いた!」
「すごいです、ジン!」
「俺がすごいのかこれは!?」
「両方です!」
(うひょー!!光の刃!!めちゃくちゃかっこいい!! でも怖い!!敵が普通に怖い!!)
石喰い鼠は怯んだが、逃げない。むしろ仲間を呼ぶように、甲高く鳴いた。奥の暗がりで、複数の目が光る。
「……増えたな」
「増えましたね」
「冷静に言うな」
「ジン、戦いますか?」
「無理だな」
「では逃げましょう!」
「同感だ!」
俺たちは再び走った。だが、今度はただ逃げるだけではない。手には、おみやげ剣――いや、光るカッターサイズの何かがある。
「名前は何ですか!?」
走りながらシューシュが聞いてきた。
「今それ必要か!?」
「名前があると安定します!」
「そういうものなのか!?」
「たぶん!」
「たぶん禁止!」
「じゃあ、きっと!」
「言い換えただけだ!」
俺は手元の光るキーホルダーを見る。お土産屋で買った剣。ダサくて、子供っぽくて、でも捨てられなかったやつ。
「……おみやげブレード」
「おみやげブレード!」
シューシュが嬉しそうに繰り返した。
「かわいい名前です!」
「かわいさは求めてない」
「でもジンっぽいです!」
「それは褒めてるのか?」
「はい!」
そう言われると、悪い気はしない。
(おみやげブレード!!名前ダサい!!でもいい!!むしろいい!!)
通路の先に、古い蔦のようなものが垂れ下がっていた。洞窟の中なのに植物があるのは妙だが、今は気にしていられない。その蔦が、道を塞いでいる。
「邪魔だ!」
俺はおみやげブレードを振る。光の刃が蔦を切った。意外なほど、すぱっと切れた。
「おお!」
「ジン、すごいです!」
「戦闘よりこっち向きだな!」
「便利です!」
「褒め言葉として受け取る!」
蔦が切れたことで、上から石が崩れた。小さな落石が通路を塞ぎ、追ってきた石喰い鼠たちの足を止める。
「よし!」
「やりました!」
シューシュが小さく跳ねる。その瞬間、足元の石に引っかかった。
「あ」
「おい!」
シューシュが前のめりに転ぶ。俺は慌てて腕を伸ばし、どうにか受け止めた。軽い。見た目よりずっと軽い。
「大丈夫か?」
「はい! 今のは地面が悪いです!」
「責任転嫁が早い」
「地面、反省してください!」
「地面に言っても無駄だ」
「では私が反省します!」
「素直だな」
背後で、石喰い鼠たちが落石を乗り越えようとしている音がする。
「反省は後だ。行くぞ」
「はい!」
通路の先に、光が見えた。自然光だ。
「出口か?」
「たぶん出口です!」
「今度こそ当たってくれ」
「当てます!」
「気合いで出口は当たらない」
出口の手前は、狭い隙間になっていた。人間一人がどうにか通れるくらい。シューシュなら余裕で通れそうだ。
「先に行け」
「ジンは?」
「後から行く」
「本当ですか?」
「本当だ」
「約束です!」
「はいはい」
シューシュが隙間を抜ける。俺も続こうとした時、背後から石喰い鼠が飛びかかってきた。
「っ!」
俺は咄嗟におみやげブレードを振る。刃は鼠を斬るのではなく、天井から垂れた細い根を切った。すると、出口手前の岩が崩れ、鼠との間に小さな壁ができた。
「ジン!」
外側からシューシュの声。
「今行く!」
俺は体を横にして、狭い隙間に滑り込む。服が岩に擦れる。肩が引っかかる。
「くそ、狭い……けど!」
俺は地面に転がるようにして、外へ出た。どうにか抜け出した瞬間、空気が変わった。湿った洞窟の空気ではない。
「風だ」
広い場所を渡ってきた、外の風だった。
「……っ、はあ……」
息を整えながら、顔を上げる。そして、言葉を失った。
そこには、広大な景色が広がっていた。草原。遠くに連なる山々。空には、見たこともないほど大きな雲。
そして、その向こうに――巨大な塔のような遺跡が見えた。
人間が作ったものなのか、自然にできたものなのかもわからない。だが、明らかに俺の知っている建物ではない。さらに空の高いところを、鳥のようなものが飛んでいる。いや、鳥にしては大きすぎる。翼の形も違う。
「……マジか」
(やっぱりそういうやつじゃないか!!これはもうそういうやつだろ!!洞窟だけならギリギリ言い訳できたけど、この景色は無理!!完全に知らない世界!!)
隣で、シューシュが両手を広げていた。
「外です! ジン、外ですよ!」
「見ればわかる」
「空が青いです!」
「そこから喜ぶのか」
「はい! 青い空は嬉しいです!」
シューシュは本当に嬉しそうだった。小さなゴーレムの身体で、まるで子どものように空を見上げている。その姿を見ていると、少しだけ胸が緩む。
「……変なやつだな」
「変ですか?」
「まあ、かなり」
「ジンも変です!」
「否定しづらいな」
シューシュはしばらく空を見上げていたが、やがて小さく首を傾げた。
「……でも」
「どうした?」
「変です」
「俺が?」
「いえ、世界が」
シューシュの声が、少しだけ静かになった。
「私の知っている世界と、違います」
「……お前も知らないのか」
「はい」
胸のコアが、淡く揺れた。
「もっと、声がありました」
「声?」
「精霊の声です。風にも、土にも、水にも、たくさんいました」
「私と同じようなものたちの声です」
シューシュは草原を見つめる。
「でも、今は……とても静かです」
俺には、その違いはわからない。ただ、シューシュの声が寂しそうなのはわかった。
「……そうか」
「はい」
少しの沈黙。俺は手の中のおみやげブレードを見る。光の刃はもう消えていて、ただの剣キーホルダーに戻っていた。
俺の部屋にあった、しょうもないコレクション。それが、さっき俺たちを助けた。
「……なあ、シューシュ」
「はい」
「これ、俺の部屋にあったやつだ」
「お部屋?」
「俺が元いた場所だ」
「ジンの巣ですか?」
「巣ではない」
「では、おうち」
「そうだな。家だ」
シューシュは胸のコアを見た。
「では、このコアの中には、ジンのおうちのものが入っているのかもしれません」
「……マジか」
(俺のコレクション、こっちに来てるのか!?え、待て!!それは嬉しいような困るような!!いや、嬉しい!!でも部屋の棚はどうなった!?)
「全部出せるのか?」
「今は難しいです」
「なぜ」
「私が起きたばかりだからです!」
「またそれか」
「あと、ジンが思い出せるものの方が出しやすいです」
「思い出せるもの?」
「はい。ジンが『これだ』と思えるものです」
「……なるほど」
便利なようで、そうでもない。だが、俺らしいとも思った。何を持っていたか。なぜそれを大事にしていたか。それを覚えていなければ、取り出せない。
(つまり俺の記憶と愛着が鍵ってことか!!いい!!すごくいい!!でも不便!!そこがまたいい!!)
俺はおみやげブレードを見つめる。
「……お前が初陣とはな」
剣キーホルダーは、当然何も答えない。だが、少しだけ誇らしげに見えた。
「ジン」
シューシュが俺を呼んだ。
「何だ?」
「これから、どうしますか?」
「……どうするか」
俺は遠くの景色を見る。
知らない世界。知らない空。知らない遺跡。帰る方法はわからない。ここがどこかもわからない。
隣には、精霊を名乗る小型ゴーレム。胸には、俺の拾った緑の石。手には、さっき一瞬だけ光の刃を出したおみやげ剣キーホルダー。状況としては、だいぶ終わっている。
でも。
(ちょっと、いや、かなり面白くなってきたな!!)
「まずは、人を探す」
「人ですか?」
「ああ。ここがどこなのか、聞かないと始まらない」
「ジン、しっかりしています!」
「しっかりしないと死にそうだからな」
「それは困ります!」
「俺も困る」
その時だった。
「……あんたたち」
声がした。俺とシューシュは同時に振り返る。岩場の上に、一人の少女が立っていた。
赤に近い茶色の長い髪を無造作にまとめ、腰に短剣。背には弓。旅装束のあちこちには、小さな道具が括りつけられている。年齢は二十歳前後か。
少女は、俺とシューシュを交互に見た。そして、眉をひそめる。
「その格好で、旧遺跡から出てきたの?」
俺はシューシュを見る。シューシュも俺を見る。
「……旧遺跡?」
少女は、心底呆れたように息を吐いた。
「あんたたち、もしかして何も知らないわけ?」
こうして俺は、この世界で最初の人間――いや、正確には人間かどうかもまだわからない少女と出会った。




