第十四話:はじめてのハンター装備
翌朝になっても、シューシュは目を覚まさなかった。
組合の空き部屋に差し込む朝の光の中で、小さな体は柔らかい布の上に横たわっている。胸のコアは、昨夜と同じように淡く、ゆっくりと光っていた。
「おはよう、シューシュ」
返事はない。
いつもなら、ここで「おはようございます、ジン!」と元気よく返ってくるところだ。
俺は布ごとシューシュを抱き上げた。小さな体は、やはりいつもより少し重い。
「今日も一緒に行くぞ。なんたって今日はついに俺の装備を仕立ててもらいに行くんだからな」
胸のコアが、ほんの少しだけ明るくなったように見えたが、気のせいかもしれない。
組合併設の食堂で簡単な朝食を取ったあと、俺たちはグレン支部長からもらった紹介状を持って、仕立て屋へ向かうことになった。
仕立て屋までは、イオナとダリオが案内してくれるらしい。俺はシューシュを抱えたまま、二人の間を歩いていた。
「本当にそのまま連れて行くのね」
イオナが横から言う。
「当然だろ」
「採寸の時は、私が預かってあげるわ」
「採寸も抱えたままじゃ駄目か?」
「駄目に決まってるじゃない。どうやって採寸するのよ」
「やっぱり駄目か」
「正確に測れないもの。シューシュのためにも、ちゃんとした装備を作るんでしょ」
「……それはそうだな」
俺は腕の中のシューシュを見た。眠ったままの小さな相棒は、淡く光っている。
「じゃあ、その時だけ頼む」
「ええ。任せて」
イオナは小さく頷いた。ダリオは肩をすくめる。
「まあ、採寸の間だけでも離れられるなら進歩じゃねえの」
「離れるわけじゃない。預けるだけだ」
「はいはい」
「雑に流すな」
「大将のこだわりは長くなるからな」
「……否定できない」
ベルカの通りは、朝から賑やかだった。
屋台からは焼いた肉の匂いが漂い、石畳の上を荷車がごろごろと音を立てて進んでいる。店の軒先には干した薬草や革紐が吊られ、道端ではハンターらしい男たちが依頼書を広げて相談していた。
昨日までなら、俺はその光景を異世界らしいと思って眺めていた。
だが今日は、少し違う。これから自分も、この世界で動くための服を手に入れる。会社員の服ではなく、ハンターとしての服。
(ついに装備を整える時が来た!! ただし財布はすでに瀕死!!)
俺たちが向かったのは、組合から少し離れた職人通りの一角だった。
表通りほど華やかではない。けれど、鍛冶屋の槌音、革を打つ音、布を裁つ音があちこちから聞こえてくる。建物の壁には使い込まれた道具が掛けられ、店先には修理待ちの盾や革靴、外套が並んでいた。
その中に、ひときわ無骨な木の看板を掲げた店があった。看板には、針と革手袋、それから小さな槌の絵が彫られている。いかにも職人の店、という雰囲気だった。
(高そう!! 絶対に高そう!!)
グレン支部長の紹介状がなければ、店構えを見ただけで財布を押さえて逃げていたかもしれない。
「ここよ」
イオナが言った。
「ハンター用の服や軽装、それに革具や簡単な金具の調整もしてくれる店。ベルカだと評判はいいわ」
「評判がいい店は高いのでは?」
「命を預ける装備なんだから、安さだけで選ばないの」
「正論だな。よし、入るか」
ダリオが扉を開けた。
中に入ると、革と布と油、それから熱した金属の匂いが混ざっていた。
壁には外套、革の胸当て、膝当て、手袋、ベルトが並んでいる。棚には布の巻物が積まれ、奥の作業台には裁ちかけの服と金属の留め具が置かれていた。さらにその奥では、小さな炉の赤い光がゆらめいている。
服屋というより、工房だ。
作業台の向こうから、巨大な男が顔を上げた。スキンヘッド。太い首。丸太みたいな腕。顔には古い傷。目つきは鋭い。
初見で逃げたくなる圧だった。
(怖い!!完全に職人というよりボス敵の風格!!)
「よし、帰るか」
「なんでよ!」
ダリオはケラケラと笑いながら言う。
「覚悟を決めな、大将。どーんと構えとけって大将なんだから」
「俺は大将になった覚えはないんだが」
そんな話をしていると、男は俺たちを見て低い声で言った。
「グレンの紹介か」
「…はい!これです」
俺は片手でシューシュを抱え直しながら、紹介状を差し出した。
男は封を開け、ざっと目を通す。
「ジン。白札。妙な射出器を使う。装備一式を仕立ててほしい。支払いは、後日未開拓区域の報酬から」
「支部長、紹介状が適当すぎるのでは?」
男の目線が俺の方を向いて上下に動く。
「お前、変わった服着てるな。ちょっとこっち来い」
「えっ」
反射的に一歩下がりそうになった。その瞬間、隣でダリオが吹き出した。
「ははっ!大将、顔!ビビりすぎだって」
「笑う場面か!?」
「いや、笑うだろ。今のは」
「俺はかなり本気で命の危機を感じたんだが」
「服屋で命の危機を感じるなよ」
「見た目が服屋じゃないんだよ!」
ゴッズが無言でこちらを見る。俺は背筋を伸ばした。
「すみません」
「謝る必要はねえ。こっち来い」
声が低い。やっぱり怖い。
イオナが小さく息を吐いた。
「ジン、大丈夫よ。ゴッズさんは見た目が怖いだけ」
「見た目だけって、大変お強そうなお見た目で……」
「何言ってるのよ。腕は確かよ」
「そこは疑ってない!命を取られないかを心配してる」
「取らねえよ」
ゴッズ本人に低く言われた。
「聞こえてた!!」
男――ゴッズは、こちらの反応を気にした様子もなく、俺の服をじっと見た。
そして、太い指で袖の擦り切れた部分に触れる。
「良い服だ」
「すみません!失礼なことを言っ……え?」
予想外の言葉だった。
「縫いが細かい。布も薄い割に目が詰まってる。こっちじゃあまり見ねえ作りだな」
「そうなんですか」
「ああ。だが、もう限界だ」
ゴッズは静かに言った。
「よく働いた服だ。もう休ませてやれ。俺が新しいのを仕立ててやる」
その声は、見た目よりずっと優しかった。俺は思わず、ボロボロになった自分の服を見下ろした。
この世界に来た時から着ていた服。洞窟を走って、転んで、石喰い鼠から逃げて、守り手の石片を受けた服。
たしかに、よく働いてくれた。
「ありがとうございます。ボロボロになるまで俺を守ってくれていた大切な服です。……だから、捨てたくはないんです」
俺がそう言うと、ゴッズは少しだけ目を細めた。
「使わねえなら捨てろ、って言うやつは多い」
「……はい」
「ここじゃ、役目を終えた物は邪魔になる。場所も取るし、金にもならねえ。そう考えるのが普通だ」
それは、この世界に来てから何度も感じた空気だった。役に立つものには価値がある。役に立たないものは、要らないもの。
俺が元の世界で集めていたガラクタも、きっとそう見られる。
でも、ゴッズは俺の服から手を離さなかった。
「だが、持っておきたいなら持って帰れ」
「いいんですか?」
「お前の服だろ。お前の勝手だ。洗って畳んで、布袋に入れてやる」
「……ありがとうございます」
「服を大事にするやつは嫌いじゃねえ」
俺は深く頭を下げた。
「お願いします」
「おう」
(ゴッズええ人やん!!素敵やん!!ビビって損したやん!!)
そんなことを考えている間に、ゴッズは紹介状を作業台に置き、奥へ向かって声を張った。
「キャシー!」
「はいはい、呼ばれただわさね!」
店の奥から、小柄な女性がぱたぱたと出てきた。
二十代後半くらいだろうか。明るい栗色の髪を後ろでまとめ、腰には採寸用の紐や針道具を下げている。目はぱっちりしていて、表情はよく動く。
見た目は若いのに、喋り方だけが妙に世話焼きのおばちゃんっぽい。
「この子がグレンさんの紹介の新人さんだわさね?」
「ああ。採寸は任せる。要望もまとめておいてくれ」
「任されたわさ!」
キャシーは俺の前まで来ると、にこっと笑った。
「じゃあ採寸するさね! こっち来なね!」
「勢いがすごい」
「採寸は勢いと正確さだわさ」
「両立するんですか?」
「するさね」
キャシーは胸を張った。
ゴッズは作業台から革と金具をいくつか手に取り、奥へ向かう。
「射出器の革留めも見る。キャシー、形状を聞いておけ」
「はいだわさ!」
「俺は金具を叩いておく」
「お願いします、親方!」
「親方って呼ぶな」
「はいはい、ゴッズさんだわさね」
ゴッズは無言で奥へ消えていった。
怖い。でも、優しい。そして、たぶん照れ屋だ。
「じゃあ、まずはその子を預けるさね」
キャシーがシューシュを見て言った。
「採寸中に抱えてると、寸法がずれるだわさ」
「やっぱり駄目ですか」
「駄目だわさね」
「だそうよ、ジン」
イオナが両手を差し出した。
俺は少し迷ってから、シューシュを布ごとイオナに渡した。
「頼む」
「ええ」
イオナはシューシュを大事そうに抱えた。いつも肩の上にいたシューシュが、俺の腕から離れる。ほんの少しだけ落ち着かない。
「そんな顔しないの。ここにいるわ」
イオナが小さく笑う。
「わかってる」
「じゃあ、早く測ってもらいなさい」
「はい」
キャシーは採寸用の紐をぱん、と軽く伸ばした。
「じゃあ採寸するさね! 腕を広げるだわさ!」
「はい」
俺は言われるままに腕を広げた。
キャシーは驚くほど手際がよかった。肩幅、腕の長さ、胸回り、腰回り、足の長さ。次々と測っては、腰の小板に数字を書き込んでいく。
途中で、キャシーは俺の肩に手を置き、ぐいっと姿勢を直した。
「背筋伸ばすだわさ。ほら、肩が内に入ってるさね」
「す、すみません」
「謝らなくていいだわさ。採寸は体を見る仕事だわさね」
そう言いながら、キャシーは俺の胸回りに採寸紐を回し、腰の位置を確かめるように軽く叩いた。
「腰はこの辺だわさね。思ったより細いさね」
「評価されてるのか不安なんですが」
「服を作るには大事な情報だわさ」
その時、イオナがぽつりと言った。
「……ちょっと、触りすぎじゃないかしら」
キャシーがきょとんとする。
「採寸だわさ?」
「それは、わかってるけど」
「イオナ?」
俺が見ると、イオナはシューシュを抱えたまま、少しだけ目を逸らした。
「別に。ちゃんと測れているならいいわ」
ダリオがにやりと笑う。
「へえ」
ダリオが、にやにやしながら声を漏らした。
「何よ」
「いや、別に」
「その顔やめなさい」
「何も言ってねえだろ」
「顔が言ってるのよ」
「なんだ? 嫉妬か?」
「違うわよ!」
イオナの返事は、妙に早かった。
「おお、否定早え」
「違うんだから早くて当然でしょ!」
「じゃあ、なんで眉がぴくぴくしてんだよ」
「してない!」
「してた」
「してない!」
キャシーはにこにこしながら、採寸紐を俺の腕に回した。
「安心するだわさ。あたしは服を見る目で見てるだけだわさね」
「そ、そういう意味で言ったんじゃないわ」
「じゃあどういう意味だわさ?」
「……作業を続けて」
「はいはい、続けるさね」
俺は首を傾げた。
「採寸って大変なんだな」
「大将、そういうところだぞ」
「何が?」
「何でもねえよ」
「細すぎるわけじゃないけど、鍛えてる体じゃないだわさね」
「会社員だったので」
「かいしゃいん?」
「机仕事みたいなものです」
「なるほど、遺跡向きじゃないだわさ」
「はっきり言う」
「でも大丈夫だわさ。服は体を助けるものだわさね」
キャシーはそう言って、俺のボロボロの袖を軽くつまんだ。
「ただ、これはもう休ませるだわさ」
「ゴッズさんにも言われました」
「ゴッズさんがそう言ったなら本当だわさ。あの人、服と道具には優しいんだわさね」
「人には?」
「だいたい優しいわさ。顔が怖いだけだわさ」
「それはさっき聞きました」
イオナがシューシュを抱えたまま、店内の椅子に腰かける。ダリオは壁の装備を眺めながら、こちらに目だけ向けていた。
「で、どんな感じにするさね?」
キャシーが聞く。
「ハンターとして動ける服を」
「広いだわさね」
「俺もそう思います」
キャシーはけらけら笑った。
「白札の新人なら、重装はやめた方がいいだわさ。軽くて動きやすい服を基本に、肩、肘、膝、腰回りを補強する。遺跡で転んでも、すぐ破れないようにするさね」
「そうだ。絶対に肘と膝は厚めにしろ」
ダリオがすぐ口を挟んだ。
「大将はよく転ぶ」
「なんで転ぶ前提で作るのよ」
イオナが即座に言う。
「現実を見ろ、イオナ」
「見るなら、まず動きやすさよ。厚くしすぎたら関節が動きにくくて、何かあった時に避けられないわ」
「避けられねえから転ぶんだろ」
「だから避けられるように軽くするんでしょ」
「軽すぎたら擦っただけで破れるだろうが」
「重すぎたら動きが遅れるじゃない」
「結局危ねえじゃねえか」
「転ばせないために言ってるのよ」
俺は二人を見た。
「俺、服の話でこんなに転ぶって言われることある?」
「あるわ」
「あるな」
「息を合わせるな」
キャシーがぱちぱちと手を叩いた。
「いい仲間だわさね。うるさいけど」
「うるさいは同意します」
「ジン、そこは否定しなさい。あなたのために考えてるのよ」
「ありがたいが、うるさいことに変わりはない」
イオナが少しだけ睨んできたが、すぐに視線を布へ戻した。
「ジンはまだ動きに慣れてない。重さより、体を動かしやすいことを優先した方がいいわ」
「けど、転んだ時にすぐ破れたら意味ねえだろ」
「だから補強は必要。でも、全部厚くする必要はない」
「じゃあ肘と膝は厚めだな」
「肩は軽め」
「腰は?」
「道具を吊るすなら丈夫にするべきね」
二人は言い合っているようで、いつの間にかちゃんと相談になっていた。
キャシーは慣れた様子で頷く。
「いいだわさね。新人さんには悪くない組み合わせだわさ。胴は軽い布と革の重ね。肩は片側だけ少し厚め。肘と膝は補強。腰は太めのベルト。外套は短めにして、遺跡で引っかからないようにするさね」
「外套もいるんですか?」
「いるだわさ。雨、埃、寒さ、石片。服一枚で全部受けるつもりかい?」
「服の責任が重い」
「責任が重いから服屋があるんだわさ」
妙に納得してしまった。
「他に注文はあるさね?」
「ポケットは多めにできますか?」
「多め?」
「何が役に立つかわからないので」
キャシーの目が少し細くなった。
「何を入れるつもりだわさ」
「色々拾ってしまう癖がありまして……」
「何をそんなに拾うものがあるさね?」
「……一応、ハンターなので」
「なに急に格好つけてんだ。また変なもん拾うだけだろ」
「ちゃんと役に立ってる物もあるだろ」
「確かにね。ジンが拾う旧遺物は、小物が多いから、小分けできる方がいいと思う」
「ただし、入れすぎるなよ」
ダリオが言う。
「重くなってまた転ぶ」
「また転ぶ前提!!」
キャシーは作業台の横から、いくつかの小さな革袋を取り出した。
「なら、腰に二つ。内側に薄いポケットを二つ。胸元には重い物を入れない。走った時に揺れるだわさ」
「すごい。急に具体的」
「服屋だからだわさ」
当然のように返されたのに、少し感動してしまった。
「それと、これを収める場所も欲しいんですけど」
俺は腰に差していたモデルガンを慎重に取り出した。黒い握り。銀色の筒。元の世界では、弾の出ない飾りのモデルガン。今は魔石を撃ち出す、俺の命綱の一つだ。
キャシーはそれを見て、目を丸くした。
「変わった形だわさね。短杖でも短弓でもないさね」
「射出器です」
「射出器にしては、持ち手が変だわさ」
「俺もそう思います」
奥からゴッズが戻ってきた。いつの間にか近くに来ていたらしい。気配が重い。
「見せろ」
俺はモデルガンを渡した。
ゴッズはそれを片手で持ち、角度を変えながらじっと見る。大きな手の中にあると、モデルガンが少し小さく見えた。
「魔石を使うのか」
「はい」
「反動は?」
「強めに撃つと、腕がかなり持っていかれます」
「留め具だけじゃなく、抜く動きも考えた方がいいな」
ダリオが横から覗き込む。
「こいつは腰だな。利き手側」
「すぐ抜ける位置ね。でも、むき出しは危ないわ」
イオナが言う。
「留め具をつけりゃいい」
「留め具が固いと、いざという時に抜けないでしょ」
「緩いと走っただけで落ちる」
「そこは職人に任せればいいじゃない」
「だから今、職人の前で言ってんだろ」
「二人とも、俺より真剣じゃないか?」
ゴッズは低く唸った。
「専用の革留めを作る。腰の右側。上から押さえる留め具をつけて、親指で外せるようにする。抜く時は前に少し押してから引き抜く形だ」
「そんなことできるんですか?」
「できるから店をやってる」
強い。キャシーが横でにこにこ頷いている。
「ゴッズさんは革具と金具に強いんだわさ。顔も強いけど」
「キャシー」
「褒めてるだわさ」
「褒めてねえ」
ゴッズはモデルガンを返した。
「ただし、慣れるまで練習しろ。抜く時にもたつくと、自分の腰と喧嘩することになる」
「腰と喧嘩……」
「負けそうね」
「イオナ、信頼がない」
「練習すれば大丈夫よ」
「一応フォローはしてくれるんだな」
「一応じゃないわ。ちゃんと練習に付き合ってあげるわよ」
イオナは少しだけ目を逸らした。
俺は笑いそうになったが、シューシュを見て、少しだけ表情を緩めるだけにした。
シューシュが起きていたら、きっとここで「ホルスターです!かっこいいです!」と騒いでいたに違いない。
(きたぞ、シューシュ。ホルスターだぞ。これはだいぶロマンがあるぞ)
イオナの腕の中で、シューシュのコアは淡く光っていた。
採寸の間も、イオナとダリオは後ろで意見を出し続けていた。
「膝は厚め」
「でも曲げやすく」
「肘も厚め」
「腕を上げにくくしない」
「腰のポーチは左右」
「片側に寄せるとバランスが悪いわ」
「射出器の革留めは右」
「左には小物袋ね」
「外套は短く」
「でも首元は守れるように」
俺はだんだん不思議な気持ちになってきた。二人は言い合っている。けれど、その内容は全部、俺が死なないためのものだった。転ばないように。動けるように。道具を使えるように。怪我を減らせるように。
俺が何かを決めるより早く、二人は俺の弱さを前提に、どうすれば少しでも生き残れるかを考えてくれている。
ありがたい。でも、少し恥ずかしい。
(俺、めちゃくちゃ保護対象!!いや実際そう!!)
「顔が変だぞ、大将」
「今、ありがたさと情けなさが同時に来てる」
「まあ、慣れろ」
「慣れるものなのか?」
「弱いうちはな」
「直球だな」
「その代わり、強くなれば装備の選び方も変わる」
「……そういうものか」
「ああ。そういうものだ」
ダリオにしては、まっすぐな言葉だった。イオナも頷く。
「最初から全部できる必要はないわ。今のあんたに必要なものを選べばいい」
「今の俺に必要なもの」
「転んでも破れにくくて、走れて、道具を落とさない服」
「すごく現実的」
「それでいいのよ」
俺はイオナの腕の中のシューシュを見た。
「聞いたか、シューシュ。俺のハンター装備は、転ばず、破れず、落とさずだ」
返事はない。
キャシーは採寸を終えると、作業台に戻って数字を書きつけた。
「急ぎなら、仮合わせは今日の夕方。仕上げは明日の昼。簡単な外套と革留めも含めるだわさ」
「そんなに早いんですか?」
「グレンさんの紹介だからだわさ。ゴッズさんは、あの人に頼まれると断らないんだわさね」
「断るぞ」
奥からゴッズの低い声がした。
「断ったことないだわさ」
「うるせえ」
「ほら、断らないだわさ」
キャシーは楽しそうに笑いながら、金額を書いた木札を置いた。
「基本軽装、補強、ベルト、小物袋、射出器用の革留め、短外套。全部で五万八千リルだわさ」
「ごまんはっせん」
俺の声が乾いた。
五万八千リル。十万リルの仮払いがあるとはいえ、半分以上が消える。
(五万八千!! いや装備!! これは服じゃなくて命を守る装備!!)
わかっている。わかっているが、財布の内側が悲鳴を上げている。
「高いと思うだわさ?」
キャシーが聞いた。
「思います」
「正直だわさね」
「でも、必要なのもわかります」
「なら買うだわさ。安いだけの服で死ぬ方が高くつくさね」
「金より命。反論の余地もない」
イオナが静かに言った。
「ジン、これは必要経費よ」
「必要経費」
「そう。ハンターとして稼ぐための準備」
「会社みたいな言葉が異世界で刺さる」
「よくわからないけど、納得したならいいわ」
ダリオがにやりと笑う。
「大丈夫だ、大将」
「何が大丈夫なんだ」
「そんぐらい、すぐ稼げるようになりゃいい」
「どこかで聞いた気がする理論」
「真理だからな」
「真理が力技すぎる」
俺は深く息を吸い、吐いた。イオナの腕の中のシューシュを見る。相棒は眠っている。
金は減る。だが、俺が生き残らなければ、シューシュを守ることもできない。
「お願いします」
俺は言った。
「その装備で」
キャシーは満足そうに頷いた。
「いい返事だわさ。じゃあ、仮縫い用の布を当てるさね」
それからしばらく、俺は着せ替え人形のようになった。
布を当てられ、革を当てられ、ベルトの位置を決められ、肘を曲げたり、膝を上げたり、腰をひねったりさせられる。
「動きづらいところは?」
「腰が少し」
「ベルトを半寸上げるだわさ」
「腕は?」
「上がります」
「射出器を抜く動き」
「こうですか?」
「遅いだわさ」
「服屋にまで言われた」
「服のせいにされちゃ困るだわさね」
イオナとダリオは後ろで見ている。
「さっきよりは動けそうね」
「腰回りは悪くねえ。あとは大将の練習だな」
シューシュは眠っている。でも、周りには人がいる。一人で抱えているつもりだったものを、いつの間にか、みんなで少しずつ支えてくれている。
そう思うと、胸の奥にあった重さが少しだけ和らいだ。
夕方、仮合わせを終えて、俺たちは一度組合へ戻った。完成は明日の昼になるらしい。
つまり、今日のところはまだボロボロの服のままだ。だが、腰には仮の革留めだけを付けてもらっていた。モデルガンを収めるための試作品だ。まだ仕上げ前だが、腰に下げると妙に落ち着いた。
(ホルスター、いいな……!!)
これはかなりいい。少しだけ、ハンターらしくなった気がする。
「少しハンターらしくなったじゃない」
「ああ。俺もそう思ってたところだ」
俺は腕の中のシューシュを見る。眠ったままのシューシュは、布に包まれて静かに光っていた。
「どうだ、シューシュ。俺にもホルスターがついたぞ」
返事はない。けれど、胸のコアは淡く光っていた。俺はそれだけで、少し笑えた。
その夜、組合の空き部屋で、俺は今日の仮合わせ用の布と革留めを机の上に置いた。
古い机。薄い灯り。窓の外では、夜のベルカが静かに息をしている。遠くから酒場の笑い声がかすかに聞こえる。
シューシュは柔らかい布の上で眠っている。俺は横に座り、ぼんやりとシューシュを見ていた。
「今日は大変だったな」
「俺の服なのに、イオナとダリオの方が真剣だったぞ」
「ホルスター、ちょっとかっこよかっただろ」
小さな体は静かなままだ。俺は苦笑した。いつもなら、ここで絶対に何か言う。
「かっこいいです!」かもしれない。
「ジン、ハンターっぽいです!」かもしれない。
あるいは、「でも抜くの遅いです!」と余計なことを言うかもしれない。
その全部が、今は聞こえない。
「起きたら、ちゃんと見せるからな」
俺はそう言って、シューシュの胸のコアを見つめた。
その時だった。胸のコアが、いつもより少し強く光った。
「シューシュ?」
俺は慌てて顔を近づける。返事はない。小さな体は動かない。目を覚ましたわけではない。けれど、淡い緑の光の奥で、何かがゆっくりと揺れた気がした。
まるで、眠っているシューシュが、夢を見てうなされているように。
俺は息を殺して、その光を見つめた。夜の空き部屋で、シューシュの胸のコアだけが静かに光っていた。




