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価値なき石の拾い主 〜ガラクタ好きのおっさんと、記憶を失った小さなゴーレム〜  作者: でう


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十五話:七葉の種

 シューシュは、夢を見ていた。


 暗い場所にいた。けれど、怖くはなかった。


 体は動かないし、声も出ない。ただ胸の奥で、何かがゆっくりほどけていく感覚だけがあった。


 淡い緑の光が広がる。その向こうに、見たことのないはずの景色が浮かんだ。


 いや、違う。見たことがないのではない。忘れていただけだ。


(これは……私の記憶……?)


 シューシュは、夢の中でそう思った。それは、あたたかく、光の匂いがする夢だった。


 やわらかな風が、花畑を抜けていく。草は朝露を抱えてきらきら光り、遠くでは水の流れる音が聞こえる。木々の葉はざわざわと揺れ、その音が誰かの笑い声みたいに聞こえた。


 懐かしい。胸が痛くなるほど、あたたかい。


 そこは、精霊の国だった。




 シューシュは、花畑の端に座っていた。


 目の前では、一番上の兄、トトが剣の稽古をしている。


 けれど、トトの手には本物の剣はなかった。トトが軽く指を振ると、手の中に淡い金色の光が集まり、すらりと細い剣の形になる。光でできた剣は、朝の陽射しを受けてきらきらと輝いていた。


(トト兄さま……)


 名前が、胸の奥から自然に浮かんだ。そうだ。私は知っている。この優しい声を。みんなが騒いでいる時も少し離れたところで見守っていて、困ると誰より先に手を差し出してくれる兄を。


 トトは静かに息を整え、光の剣を振るった。


 剣筋は速かった。それなのに、不思議と怖くはない。光は強いのに、目を細めたくなるほどではなかった。花畑の中で舞うように、トトは光の剣を操っていた。


「すごいです!トト兄さま、すごいです!」


 シューシュが思わず両手を握ると、トトは剣を消して、少し照れたように笑った。


「ありがとう、シューシュ」

「本物の剣じゃないのに、剣です!」

「光で形を作っているんだよ。僕は光の魔法が得意だからね」

「光の魔法……!」


 シューシュの目が輝く。


「私もできますか?」

「今はまだ難しいかもしれないね」

「むむ……」

「でも、シューシュにもきっと得意な魔法があるよ」

「私にも?」

「うん。自分の魔力がどういう形をしているのか、少しずつわかるようになる。そうしたら、いろんなことができるようになるよ」

「いろんなこと……」

「そう。誰かを守ったり、助けたり。魔法は、強さだけじゃないからね」


 トトの声はやわらかかった。


 シューシュはまだ、自分の魔法が何なのかわからなかった。ただ、トトがそう言うなら、いつか自分にも何かできるようになる気がした。


「私も、トト兄さまみたいにかっこよくなれますか?」

「なれるよ」

「本当ですか?」

「本当だよ。でも、シューシュはシューシュのかっこよさでいい」

「私のかっこよさ……?」

「それを探すのも、これからだね」


 トトはそう言って、シューシュの頭を軽く撫でた。


 その時だった。ぴゅっ、と冷たいものが背中に当たった。


「ひゃっ!」


 シューシュは飛び上がった。


「冷たい!もう!リューリュ姉さま!」


 振り返ると、二番目の姉、リューリュが指先に小さな水の玉を浮かべて立っていた。


(リューリュ姉さま……)


 リューリュ姉さまは、いつも近くにいてくれる人だった。からかう時もあるけれど、シューシュが困っていると、何も言わずに手を差し出してくれる。


 リューリュが近づくと、ふわりと水辺の匂いがした。澄んだ泉のそばにいるような、静かでやさしい匂いだった。


「ごめんね、シューシュ」

「ごめんねの顔ではありません!」

「だって、トトばっかり見て褒めるんだもの」

「トト兄さまはすごいです!」

「私だってすごいわよ?」

「リューリュ姉さまもすごいです!」

「今、慌てて言ったでしょ」

「言ってません!ちゃんと言いました!」


 リューリュはくすっと笑った。


「じゃあ、ちゃんと見ていてね」


 リューリュが両手を広げると、地面から水がすっと立ち上がった。細い水柱が一本、二本、三本。水は空中で踊るように形を変え、シューシュの前で弧を描いた。


 陽射しが水の粒に当たり、小さな虹が浮かぶ。


「わあ……!」


 シューシュは目を丸くした。


「虹です!リューリュ姉さま、虹ができました!」

「きれいでしょう?」

「きれいです!すごいです!トト兄さまと同じくらいすごいです!」

「同じくらい?」

「あっ、えっと、リューリュ姉さまの方が水っぽくてすごいです!」

「何その褒め方」


 リューリュは笑った。


 けれど、その目は嬉しそうだった。リューリュ姉さまは優しい。けれど、褒めると少しだけ胸を張る。シューシュは、そんなところも好きだった。


「水はね、傷を洗うこともできるし、喉が渇いた子に飲ませることもできるし、こうやって虹も作れるの」

「水、すごいです」

「でしょう?」

「リューリュ姉さまもすごいです!」

「よろしい」


 リューリュは満足そうに頷いた。


 その横から、勢いのある声が飛んできた。


「なら、俺だって負けないぜ!」


 三番目の兄、ホホだった。


 ホホは両手を高く掲げる。手のひらの中に赤い光が生まれ、熱を帯びた空気がふわりと広がった。


(ホホ兄さま……)


 いつも少し得意げで、負けず嫌いで、シューシュにかっこいい兄だと思われたがっている兄。


 ホホの手の中の火は、ただ燃えているだけではなかった。羽ばたくように広がり、尾を引き、やがて大きな鳥の形になる。


 炎の鳥は空へ舞い上がり、花畑の上を一回りした。


「わああっ!」


 シューシュは両手を上げた。


「鳥です! 火の鳥です!」

「どうだ!」


 ホホは胸を張った。


「名付けて不死鳥(フェニックス)!」

「ふぇにっくす!」

「かっこいいだろ!」

「かっこいいです!すごくかっこいいです!」

「そうだろう、そうだろう」


 ホホは満足そうに頷いた。


 だが、リューリュが半目で見上げる。


「ホホ、花畑の上で大きな火を出すのはどうかと思うわ」

「燃やしてないだろ」

「燃やしてないけど、暑いのよ」

「火属性だからな」

「開き直らないの」


 ホホは少しだけ肩をすくめた。


「でも、シューシュは喜んでるぞ」

「はい! 私は喜んでいます!」

「ほらな」

「シューシュを味方につけないの」


 リューリュがため息をつくと、ホホは炎の鳥を小さくし、最後には手のひらの上で小さな雛のような形にした。


「ほら、これなら熱くない」

「小さくなりました!」

「不死鳥の子どもだ」

「子ども!」

「かっこいいだろ」

「かわいいです!」

「かっこいいじゃなくて?」

「かわいいです!」

「……まあ、それでもいいか」


 ホホは少しだけ複雑そうにしながらも、シューシュが喜んでいるのを見て、結局嬉しそうに笑った。


 その時、上から涼しい風が降ってきた。


「ホホの魔法は派手すぎ。もう少し私のようにエレガントになさい」


 声とともに、四番目の姉、ヒューヒュが空から舞い降りてきた。


 ヒューヒュは風に乗っていた。


 足元に透明な風の流れをまとい、まるで階段を降りるように空から降りてくる。髪がふわりと揺れ、服の裾がやわらかく広がっていた。


(ヒューヒュ姉さま……)


 風の流れや空気の揺れに敏感な姉。遠くで誰かが走れば、その足音が風に乗って届く。森の奥で枝が折れれば、他の兄姉たちより少し早く顔を上げる。


 ヒューヒュは、誰より軽やかだった。


「ヒューヒュ姉さま、空を飛んでいます!」

「飛んでいるというより、風に乗っているのよ」

「すごいです!」

「でしょう?」


 ヒューヒュはシューシュの隣にふわりと降り立ち、当然のように頭を撫でた。


「シューシュも、きっと私のようなエレガントな魔法ができるようになるわ」

「えれがんと」

「そう。美しく、静かに、無駄なく」

「ヒューヒュ姉さま、今すごく自分で言いました」

「自分でわかっているからいいのよ」

「かっこいいです!」

「かわいい妹ね」


 ヒューヒュは満足そうに微笑んだ。


 ホホが不満そうに腕を組む。


「俺の不死鳥の方がかっこいいだろ」

「派手なのよ」

「派手なのがいいんだろ」

「少しは品というものを覚えなさい」

「火は派手な方がかっこいいんだよ」

「だから派手すぎるって言ってるの」

「お前、たまに言い方が父上みたいになるよな」

「褒め言葉として受け取っておくわ」


 ヒューヒュはさらりと言い、またシューシュの髪を整えた。


「シューシュ、髪が乱れてる」

「ホホ兄さまが燃やして、ヒューヒュ姉さまが吹いたからです」

「つまりホホのせいね」

「なんで俺だけなんだよ!」


 シューシュは笑った。


 兄姉たちが言い合っている。けれど、誰も本気で怒っていない。こういう騒がしさが、シューシュは大好きだった。


 その時、地面が小さく揺れた。


「おっと。踏まないように気をつけて」


 低く穏やかな声が聞こえた。五番目の兄、ロロだった。


 ロロは、二メートルほどのゴーレムの右肩に座って現れた。ゴーレムは土と石、それから古い木片や欠けた金属片を寄せ集めたような姿をしている。左右の腕の長さも少し違うし、胸には丸い石がはまっていた。


(ロロ兄さま……)


 ロロ兄さまは、他の人が通り過ぎるものを、じっと見つめる人だった。そこから何かを作るのが好きな兄だった。


 ロロはゴーレムの肩から、のんびり手を振った。


「ロロ兄さま! それは何ですか!?」

「ゴーレムだよ」

「大きいです!」

「いろんなものを寄せ集めて作ったんだ。ほら、この肩は古い石柱の欠片。腕のところは倒れていた木の根。胸の丸い石は、シューシュが前に拾ってきたやつ」

「私の石ですか!?」

「うん。いい形だったから、真ん中に入れた」

「私の石が、真ん中です!」

「気に入った?」

「気に入りました!」


 シューシュは目を輝かせた。


 ロロのゴーレムは、きれいに整ってはいなかった。少し歪で、少し不格好だった。でも、不思議とあたたかい感じがした。


 ひとつひとつの欠片が、ちゃんとそこにいていいと言われているようだった。


「シューシュも乗せてあげようか?」

「乗ります!」


 シューシュは即答した。


 ロロがゴーレムの肩を軽く叩くと、ゴーレムはゆっくりと左手を差し出した。大きな手のひらが、シューシュの前に降りてくる。


「怖くない?」

「怖くないです!」

「じゃあ、ゆっくりね」


 シューシュはゴーレムの手に乗った。土と石の手は思ったよりあたたかく、ぎこちないけれど、とても丁寧にシューシュを持ち上げてくれる。


「高いです!ロロ兄さま、高いです!」

「落ちないように座って」

「はい!」


 シューシュはゴーレムの左肩に座った。隣にはロロがいる。


「すごいです。ロロ兄さま、すごいです」

「ありがとう」

「でも、ちょっと形が変です」

「うん。そこがいいんだ」

「変なのがいいのですか?」

「全部きれいに揃っているものもいいけど、違う形のものが集まって、ひとつになるのも面白いだろ」

「……面白いです!」

「役に立つかどうかは、あとで考えればいい。まず、気になるものを見つけるのが大事なんだ」


 ロロはそう言って、ゴーレムの胸の丸い石を軽く撫でた。


 その笑い方に、なぜか胸の奥が少しだけ温かくなった。


 少し離れた木の根元で、六番目の姉、ミューミュが本を片手にその光景を眺めていた。


(ミューミュ姉さま……)


 夢や幻に触れる、不思議な魔法が得意な姉。怖い夢を見た日も、眠れない日も、隣に座って、シューシュが落ち着くまで小さな声で話してくれる。


 ミューミュは本から顔を上げ、穏やかに微笑んだ。


「楽しそうね」

「ミューミュ姉さま!」


 シューシュはゴーレムの肩から大きく手を振った。


「私は今、とても高いところにいます!」

「見ればわかるわ」

「すごいです!」

「ええ。今日はきっと良い夢が見られそうね」

「良い夢ですか?」

「これだけ楽しいものを見たんだもの。私の出番はなさそうね」


 ミューミュはそう言って、本を閉じた。


「ミューミュ姉さまの魔法も見たいです!」

「今?」

「はい!」

「そうね……でも、今日はみんながたくさん見せてくれたでしょう」

「見せてくれました!」

「なら、私の魔法は夜まで取っておくわ。今日の楽しい記憶の続きを夢にしてあげる」

「すごいです!またみんなに夢で会えるんですね!」

「今日だけ特別」


 ミューミュは柔らかく笑った。


「もしこの先、夢の中で迷子になったら、誰かの名前を呼ぶのよ」

「誰の名前ですか?」

「一番会いたい人の名前」

「では、みんなの名前を呼びます!」


 シューシュは笑った。兄姉たちも笑った。


 トト兄さま。リューリュ姉さま。ホホ兄さま。ヒューヒュ姉さま。ロロ兄さま。ミューミュ姉さま。


 名前が、ひとつずつ胸の奥に戻ってくる。


(そうだ……私には、お兄さまやお姉さまたちがいた)


 ずっと忘れていた。


 けれど今、その名前を思い出すたびに、胸の奥に灯りがともる。


 光。水。火。風。土。そして、夢。


 みんな、それぞれ違う魔法を持っていた。違う声で笑って、違うやり方でシューシュに手を伸ばしてくれた。


 私は一人ではなかった。私は、七人兄妹の末っ子だった。


 その笑い声が、花畑の上を転がっていく。風も、水も、木々も、その声を知っているようにやわらかく揺れていた。


 シューシュは、自分が愛されていることを疑ったことがなかった。


 からかわれても、失敗しても、最後には誰かが手を差し出してくれる。誰かが名前を呼んでくれる。


 それが、シューシュにとっての世界だった。


「シューシュ」


 低く、やわらかな声がした。シューシュは振り返る。


「父さま!」


 そこには、精霊王がいた。


 シューシュの父。精霊たちの王。けれど、シューシュにとっては、ただの大好きな父だった。


 父は大きな木の下に立っていた。長い髪には若葉のような緑の光が混じり、その瞳は森の奥の泉みたいに深い。近くにいるだけで、空気が少し静かになる。


 精霊たちの王としての父は、遠くから見ると少し怖いくらいだった。


 けれど、シューシュがゴーレムの肩から両手を振ると、その顔はすぐに父親のものになった。


「父さま! 見てください! ロロ兄さまのゴーレムです!」

「見ているよ。ずいぶん立派だ」

「私の石が胸についています!」

「そうか。それは誇らしいな」

「はい! 私は今、ゴーレムの一部です!」

「それは少し違う気もするが……まあ、嬉しそうだからいいか」


 父は困ったように笑った。その笑い方は、トトに少し似ていた。


 ロロがゴーレムをゆっくり屈ませると、父は両腕を広げてくれた。


「父さま!」

「おいで」


 シューシュは父の腕の中に飛び込む。


 父の腕は大きく、あたたかかった。


「今日はみんなの魔法を見ました!」

「そうか」

「トト兄さまは光の剣です! リューリュ姉さまは虹です! ホホ兄さまは不死鳥です! ヒューヒュ姉さまは空から来ました! ロロ兄さまはゴーレムです! ミューミュ姉さまは夜に夢をくれます!」

「ずいぶん忙しい一日だったな」

「はい! 忙しくて、すごくて、楽しいです!」


 父はシューシュの話を遮らず、ゆっくり聞いていた。


 他の精霊が話しかける時、父は王の顔をする。静かで、遠くまで見ているような顔。


 けれど、シューシュの前では、目元が少しだけやわらかくなる。


「父さま」

「何だ?」

「私は、どんな魔法が得意になりますか?」

「気になるか?」

「とても気になります!」


 シューシュは胸を張った。


「私も、みんなみたいにすごい魔法がしたいです」

「そうだな」


 父はシューシュを腕に抱いたまま、花畑の向こうを見た。


「おまえの魔力は、少し変わっている」

「変わっているのですか?」

「ああ。まだ形ははっきりしないが、遠くと近くの境目を感じる力がある。ものをしまうことや、別の場所へつなぐことに向いているのかもしれない」

「別の場所へ……」

「今はまだ、わからなくていい」

「でも、私にもできますか?」

「できるようになる」

「本当ですか?」

「ああ。おまえだけの魔法が、きっとある」


 父はそう言って、シューシュの額に軽く口づけた。


 威厳がある。誰よりも強くて、誰よりも遠くを見ている。


 けれど、シューシュには甘かった。


「父さま」

「何だ?」

「私が魔法を使えるようになったら、父さまを助けられますか?」

「もう助けられている」

「まだ何もしていません」

「いてくれるだけでいい時もある」

「それは、お役に立っているのですか?」

「私にとってはな」


 父は、シューシュの頭をゆっくり撫でた。


「おまえが笑っていると、この国はまだ大丈夫だと思える」

「私が笑うと、国が大丈夫ですか?」

「少なくとも、私はそう思える」

「では、たくさん笑います!」

「無理をして笑わなくていい」

「でも、父さまが安心します」

「泣きたい時は泣いていい。怒りたい時は怒っていい。笑いたい時に笑えばいい」

「王さまなのに、自由なことを言います」

「父だからな」


 その言葉が、シューシュは好きだった。父さまは、精霊王だけど、父さまなのだ。


 夢の中のシューシュは、そのあたたかさを思い出して、胸がきゅっと痛くなった。


 精霊の国は、やさしい場所だった。


 人間の国は遠くにあり、エルフの森は別の地にあり、精霊の国は古い森の奥にあった。それぞれの生活圏は重なりすぎず、けれど完全に断たれてもいなかった。


 人間は人間の街で暮らし、エルフはエルフの森で知恵を育て、精霊は風や水や土とともに生きていた。


 時々、人間の子どもが森の入口で花を摘んでいるのを見た。エルフの若者が、遠くの木陰で笛を吹いているのを聞いた。精霊たちはそれを眺め、近づきすぎず、離れすぎず、静かに日々を重ねていた。


 平和だった。少なくとも、シューシュの小さな世界では、そうだった。


 夢の景色が、ゆっくりと揺れる。花畑の光がにじみ、兄姉たちの笑い声が遠ざかっていく。


 もっと見ていたい。もっと、みんなの声を聞いていたい。


 シューシュは夢の中で手を伸ばした。


「待ってください。まだ、みんなと一緒にいます」


 けれど、記憶はそこで止まってくれなかった。緑の光が暗く濁り、花の匂いが焦げた匂いへ変わっていく。


(いや……)


 シューシュは、声にならない声で思った。


(そこから先は、まだ見たくないです……)


 けれど、夢は待ってくれなかった。


 光がほどけ、景色が変わる。




 どれだけの時が流れたのか、シューシュにはわからなかった。


 精霊にとっての時間は、人間のそれとは少し違う。花が何度咲いたのか、月が何度満ちたのか、夢の中のシューシュには数えられない。


 けれど、次に立っていたシューシュは、もう花畑で兄姉たちを追いかけていた幼い末っ子のままではなかった。


 手足は少し伸び、胸の奥に流れる魔力の形も、以前よりはっきりとわかる。


 兄姉たちに手を引いてもらうだけの子どもでは、もうなかった。


(……これは、あの時の私)


 シューシュは思い出していた。


 逃げたかったことも。泣きたかったことも。けれど、自分が選ばれた理由を、もうわかってしまっていたことも。


 その時、空は赤かった。精霊の国が、燃えていた。


 花畑は黒い煙に包まれ、いつも歌っていた木々は炎をまとって軋んでいた。風の声は悲鳴のように乱れ、水の音は濁り、土の奥からは苦しげな震えが伝わってくる。


 シューシュは息を呑んだ。


「父さま。外の声が、変です」


 胸に手を当てる。


「風が怯えています。水の声も濁っています。森が……痛がっています」


 幼い頃なら、怖いです、と泣いていたかもしれない。


 けれど、その時のシューシュは泣かなかった。ただ、震える指を胸の前で握りしめ、父を見上げた。


 地下の広間には、精霊たちが集まっていた。


 床には大きな魔法陣。天井にも、同じように大きな魔法陣。中央には台座があり、その周囲を古い石柱が囲んでいる。


 そこは、精霊の国の奥深くに隠された場所だった。


 未来へ願いを送るための場所。けれど今は、みんながそこへ集まるしかなかった。


 トトは入口近くで周囲を見張っていた。リューリュは傷ついた精霊の手を握っている。ホホは悔しそうに拳を握り、ヒューヒュは遠くの音を聞いて青ざめていた。ロロは床に膝をつき、震える土をなだめている。ミューミュは眠る小さな精霊たちのそばで、泣きそうな顔をしていた。


 みんな、怖かった。


 それでも、シューシュを怖がらせないようにしていた。


「父さま」


 シューシュは精霊王を見る。


「何が、起きているのですか」


 精霊王は、しばらく答えなかった。


 その沈黙だけで、シューシュは胸の奥が冷たくなるのを感じた。


「敵が来ている」

「敵……」

「精霊の力を奪おうとする者たちだ。人間もいる。だが、あの戦を動かしているのは、人間だけではない」


 父の声に、深い怒りと悲しみが混じった。


「古き森の知恵を持つ者が、精霊の力を欲した。魔法を独り占めにするために、国々へ偽りの道具を渡し、争いを広げた」

「エルフ、なのですか」


 シューシュの声は、小さく震えた。


 エルフは、遠くの森に住む美しい人々だった。笛の音を響かせ、長い時を生き、精霊の声を聞く者もいた。


 そのはずだった。


「すべてのエルフではない」


 父は静かに言った。


「だが、一人のエルフが、あまりに深く道を踏み外した」


 遠くで、何かが崩れる音がした。


 ヒューヒュが顔を上げる。


「近づいています。とても速いです」


 その声には、普段の軽やかさがなかった。風の向こうにあるものを聞いてしまった者の、硬い恐怖が滲んでいた。


 トトが剣のような光を手に取った。


「父上、時間がありません」

「ああ」


 精霊王は中央の台座へ進む。


 そこには、七つの小さな光が浮かんでいた。


 シューシュは息を止める。


 ただの光ではない。ひとつひとつに、知っている気配があった。


 トト兄さま。リューリュ姉さま。ホホ兄さま。ヒューヒュ姉さま。ロロ兄さま。ミューミュ姉さま。


 そして、シューシュ自身。


 七つの光は、台座の上で静かに揺れていた。それぞれが、小さな核のような形をしている。


「これは……」

「アーカイブ・コアだ」


 父が言った。


「おまえたち七人の魔力と記憶の器。肉体が滅びても、すべてが消えてしまわぬように残すためのものだ」

「記憶も、ですか」

「ああ。だが、完全ではない。強い衝撃や長い眠りの中で、記憶の一部が深く沈むことがある」

「沈む……?」

「消えるわけではない。だが、目覚めた時、すぐには思い出せないこともあるだろう」


 シューシュの胸が、冷たくなった。


「……私が、みんなを忘れてしまうかもしれないのですか」

「忘れるのではない。眠るだけだ。だが、目覚めたばかりのおまえには、そう感じるかもしれない」


 シューシュの声は、思ったより静かだった。


 父は苦しそうに目を伏せる。


「このままでは、精霊は滅びる。今、この瞬間にも敵は迫っている。国を守る力も、もう長くは持たない」


 ホホが声を荒げた。


「まだ戦える!」

「戦える者は戦っている」


 トトが静かに言った。


「でも、父上がここへ私たちを集めた理由は、わかっているだろう」


 ホホは唇を噛んだ。


 いつもならすぐに笑ってみせる兄が、その時だけは何も言えなかった。拳の中の光が、悔しさに震えていた。


 リューリュがシューシュの肩にそっと手を置く。


 シューシュは、父を見上げた。


「父さま。私たちは、どうなるのですか」

「七人全員のコアを残す」


 父は言った。


「そして、そのコアを未来へ送る。今の時代で精霊が滅びても、いつかまた目覚められるように」

「未来へ……?」


 シューシュは、台座の上の七つの光を見つめた。


 未来という言葉は、あまりに遠かった。今、外で国が燃えているのに、父はずっと先の話をしている。


「みんなで、未来へ行くのですか」

「本当は、そうしたかった」


 父の声が、わずかに沈んだ。


「だが、この装置で未来へ送れるのはひとつだけだ」

「ひとつだけ……?」

「ああ」


 父はシューシュを見た。


「未来へ送ることができるのは、シューシュ。おまえのコアだけだ」


 その場の空気が止まった。


「……私だけ?」


 シューシュはゆっくり聞き返した。


「なぜ、私なのですか」


 父は答えなかった。


 代わりに、トトがそっと目を伏せた。リューリュはシューシュの肩を抱く手に力を込めた。ホホは顔を背けた。ヒューヒュの瞳には涙が浮かんでいた。ロロは地面を見たまま黙り、ミューミュは小さく震えていた。


 みんな、知っていた。


 シューシュだけが、知らなかった。


「父さま」


 シューシュはもう一度言った。


「なぜ、私なのですか」


 父は、ようやく口を開いた。


「おまえの魔法属性が、転移と相性がいいからだ」


 シューシュは胸に手を当てる。幼い頃、父は言っていた。


 シューシュの魔力は、遠くと近くの境目を感じる力を持っているのかもしれない、と。


 その時はよくわからなかった。けれど今、父がなぜ自分を選んだのか、少しだけわかった気がした。


「本当であれば、私が未来へ行くべきだ。精霊王である私が、精霊を再び導くべきだった」

「なら、父さまが行ってください」


 シューシュは思わず言った。


「父さまなら、きっとできます。父さまが行けば、みんな安心します」

「できないのだ、シューシュ」

「どうしてですか」

「この装置は、精霊王の魔力を鍵にして作られている。起動できるのも、未来へ道を開いたまま維持できるのも、今ここでは私だけだ」


 父はそう言って、床の魔法陣へ手をかざした。


 淡い緑の光が、父の腕から指先へ、そして床に刻まれた紋様へ流れ込んでいく。魔法陣は応えるように輝いたが、その光は安定していなかった。外から食い込む黒い揺らぎに押されるたび、緑の線が細く震える。


 父の眉間に、深い皺が刻まれた。


 シューシュは、父の手がかすかに震えていることに気づいた。


 父さまの手が震えている。そのことが、何より怖かった。


「私が離れれば、道は閉じる。敵の干渉を押し返す者もいなくなる。おまえのコアは未来へ届く前に砕けるか、あの者に奪われる」

「そんな……」

「だから、私はここに残る」


 父は静かに言った。


 声は落ち着いていた。けれど、シューシュを見つめる瞳の奥には、押し殺した痛みがあった。


「装置を動かし、道を支え、敵の手を止める。おまえを未来へ送るために」


 父は一度だけ、台座の上の七つの光へ目を向けた。その視線は、王が民を見るものではなかった。父が、子どもたちを見る目だった。


「それだけではない。おまえの兄姉たちのコアも、この場所から逃がさなければならない」

「みんなのコアを……?」

「ああ。ここに残せば、敵に奪われる。壊されるか、利用される。だから、私の最後の力で世界へ散らす」


 父は言った。


「森へ。湖へ。古い聖域へ。深い地下へ。誰にも見つからぬ場所へ。私の最後の力で、あの子たちを逃がす」

「みんなは、未来へ行けないのですか」

「ああ」

「兄さまたちも、姉さまたちも?」

「ああ」

「父さまも?」

「行けない」


 シューシュの胸が、ぎゅっと痛んだ。


 泣きたい。嫌だと言いたい。どうして私だけなのですかと叫びたい。父の服を掴んで、離れたくないと泣きたかった。


 けれど、背後で兄姉たちが笑おうとしているのが見えた。


 トトはいつものように落ち着いた顔をしていた。リューリュは優しく微笑んでいた。ホホは無理やり口角を上げていた。ヒューヒュは涙をこらえながら歌うように息をしていた。ロロは「大丈夫」と言うみたいに頷き、ミューミュは小さな手を胸の前で握っていた。


 みんな、怖いのに。みんな、シューシュを怖がらせまいとしていた。


「私が未来へ行けば、みんなを助けられるのですか」


 シューシュは、台座の上の光を見つめたまま聞いた。父はすぐには答えなかった。その沈黙だけで、答えがわかってしまう気がした。


「……今ここにいる皆を、救うことはできない」


 父の声は低かった。


「だが、すべてを終わらせずに済む。おまえが未来で目覚めれば、精霊がいたことも、この国があったことも、兄姉たちのコアも、誰かに届く可能性が残る」

「可能性……」

「ああ。小さくても、残さなければ消えてしまう」


 シューシュは唇を噛んだ。助けられない。父は、はっきりそう言った。嘘をついてくれなかった。


「……私は、みんなと一緒にいたいです」


 言ってしまうと、胸の奥が痛くなった。


 父の顔が、ほんの少し歪む。


「私もだ」


 精霊王ではなく、父の声だった。


「私も、おまえたち全員を抱えて逃げたい。だが、それはもうできない」

「それでも、私が行くしかないのですね」

「ああ」


 父は、苦しそうに頷いた。


「すまない、シューシュ。一番幼いおまえに、未来を託すことになってしまった」


 シューシュは唇を噛んだ。


 嫌だった。


 とても嫌だった。


 けれど、父が嘘をついていないこともわかった。兄姉たちが、自分を未来へ行かせようとしていることもわかった。


 そして、精霊の国がもう戻れないところまで壊れていることも。


「……わかりました」


 シューシュは小さく言った。


「父さま」

「何だ」

「……聞いてもいいですか」


 父の目が、わずかに揺れた。


「……言ってみなさい」

「私が未来で目覚めた時、みんなのことを思い出せなかったら」


 シューシュは、台座の上の七つの光を見つめた。


「思い出せなかったら、トト兄さまも、リューリュ姉さまも、ホホ兄さまも、ヒューヒュ姉さまも、ロロ兄さまも、ミューミュ姉さまも……本当にいたのか、わからなくなってしまいます」

「シューシュ」

「それが、怖いです」


 言葉にした瞬間、胸の奥が震えた。


「私がすぐに思い出せなくても、みんなは本当にいたんですよね」


 父は、静かに膝をついた。


「ああ。いた」


 父は静かに答えた。その声は王のものではなかった。娘が崩れないように、必死に支えている父の声だった。


「では、父さまも」


 シューシュは父を見上げた。


「私が忘れても、父さまは私の父さまですか」


 父は答えるより先に、シューシュを強く抱きしめた。


「当たり前だ」


 その声が、少し震えていた。


「おまえが忘れても、私がおまえを忘れない。何があっても、おまえは私の娘だ」


 シューシュの目から、涙がこぼれた。それでも、泣き叫ばなかった。父の腕の中で、小さく頷いた。


「なら、私は行きます」


 父はシューシュから少し離れると、手のひらに淡い緑色の光を集めた。


 光は小さな種の形になった。


 表面には、七枚の葉のような紋様が刻まれている。


「これは、七葉の種(ななはのたね)という」

「ななはの、たね……?」


 父は、シューシュの手に小さな種を握らせた。


「おまえと、六人の兄姉たちの魔力を覚えさせてある。未来でコアに近づけば、葉が光り、方角を示す。近づくほど、光は強くなる」

「これで、みんなを探せるのですか」

「道しるべにはなる」


 父は、シューシュの手を七葉の種ごと強く包んだ。


「詳しく教える時間がない。今すべてを覚えようとしなくていい。この種は、おまえの中に残るようにしてある。いつか目覚めた時、その光を信じなさい」


 シューシュは種を胸に抱いた。


「トト兄さまも、リューリュ姉さまも、ホホ兄さまも、ヒューヒュ姉さまも、ロロ兄さまも、ミューミュ姉さまも、探せるのですね」

「ああ」

「父さまは?」


 父は答えなかった。その沈黙で、シューシュはわかってしまった。父は、未来へ来ない。


「父さま」


 シューシュは手を伸ばした。


「私、忘れたくありません」

「忘れなくていい。だが、もしすぐに思い出せなくなっても、おまえの中には必ず残る」


 父は、シューシュの胸に手を当てた。


「おまえはきっと、誰かと出会う」

「誰か……?」

「ああ。未来で、おまえの声を聞いてくれる誰かだ」


 父は、シューシュの胸にそっと手を当てた。


「その者の名も、顔も知らない。どんな者なのかもわからない」

「それでも、会えるのですか」

「会えると信じている」


 父の声は、祈るように静かだった。


「おまえが未来で目覚めた時、どうかひとりではないように。おまえを道具としてではなく、仲間として見てくれる誰かが、そばにいてくれるように」

「その人が、私を見つけてくれるのですか」

「おまえも、その者を見つけるのだ」


 魔法陣が強く光った。


 床と天井の紋様がつながり、石柱に緑の線が走る。七つのアーカイブ・コアが、台座の上で震えた。


 トトがシューシュの前に立った。


「シューシュ」

「トト兄さま」

「未来へ行っても、全部を一人で抱えようとしなくていいんだよ」


 トトの声はやわらかかった。けれど、その奥にある震えを、シューシュは初めて聞いた気がした。


「困った時は、誰かの手を借りなさい。助けてもらうことは、弱いことじゃないからね」


 リューリュがシューシュを抱きしめる。


「痛い時は、痛いって言うのよ」

「はい」

「我慢して笑うのは、あまり上手じゃないんだから」

「……はい」


 ホホが無理に笑った。


「未来で泣いたら、俺が笑いに行けないだろ」

「ホホ兄さまは、いつも笑います」

「そうだ。だから、おまえも笑え」


 ヒューヒュがシューシュの耳元で囁く。


「遠くの声を怖がらないで。聞こえない時も、声が消えたわけじゃないわ」


 ロロは小さな石をシューシュに渡した。


「このゴーレム、本当はもっとちゃんと仕上げて、シューシュに見せたかったんだ。未来でこの子を見つけてくれたら嬉しい」

「はい!必ず探します!」


 ミューミュは、涙をこらえながら微笑んだ。


「怖い夢を見たら、目覚めた時に誰かの名前を呼びなさい。きっと、その人がそばにいるから」

「みんな……」


 シューシュは、もう我慢できなかった。


 涙が頬を伝う。


「私、みんなを探します。絶対に探します」


 父がシューシュの額に口づけた。


「愛している、我が娘よ」

「私も、愛しています。父さま。みんな」


 魔法陣の光が、シューシュを包む。


 体がほどけるような感覚がした。自分の魔力が、記憶が、心が、胸の奥からアーカイブ・コアへ流れ込んでいく。


 怖い。でも、約束したから。


 七葉の種が、シューシュの手の中で淡く光る。


 その時だった。地下の扉の向こうで、激しい音がした。


 黒い光が、魔法陣へ食い込む。父の顔が歪む。


「来たか……!」


 魔法陣の緑の光に、黒い亀裂が走った。遠くから、誰かの笑い声が聞こえた気がした。冷たく、美しく、どこまでも乾いた声。


 エルフの声だった。


 父は片手で装置を支え、もう片方の手でシューシュのコアを守った。


「シューシュ!大丈夫だ!何があっても、おまえは私が守る!」


 父の声が、初めて強く響いた。


 シューシュからはもう何も見えない。けれど、光の向こうで何が起きているのかは感じていた。


 転移の流れが乱れている。


 未来へ続くはずの道が、横へずれていく。黒い干渉が、シューシュの魔力に触れる。胸の奥にある、自分でもよくわからなかった力が、転移の流れと混ざり合う。


 道が折れた。未来ではないどこかへ。世界の外側へ。遠く、知らない場所へ。


「シューシュ!」


 父の声が遠ざかる。


「すぐに思い出せなくてもいい!おまえは、消えない!」

「父さま!」

「おまえの声を聞いてくれる者を探せ!その者の手を離すな!」


 光が弾けた。


 兄姉たちの声が重なる。


 トトの声。リューリュの声。ホホの声。ヒューヒュの声。ロロの声。ミューミュの声。


 全部が、遠くなる。シューシュは手を伸ばした。けれど、掴めなかった。


 最後に見えたのは、父の緑の光だった。


 七つの光が分かれて、世界へ散っていく。


 そして、シューシュの意識は、長い長い暗闇へ落ちた。


 どこまでも静かな場所だった。声はない。風もない。水の音も、草木のざわめきも、兄姉たちの笑い声もない。


 ただ、胸の奥に小さな種の気配だけがあった。


 七葉の種。


 けれど、シューシュはその名前も、意味も、やがて思い出せなくなっていった。


 長い時間が過ぎた。どれほど長かったのかは、わからない。


 ある時、遠くで声がした。知らない声だった。けれど、不思議とあたたかかった。


「……お前は、センターだな」


 誰かが、笑っていた。


 その人は、役に立つかどうかもわからないものを、大事そうに見ていた。


 小さな石。錆びたネジ。古い鍵。剣の形をした飾り。広告のついた磁石。壊れたような金属片。


 どれも、誰かにとっては不要なものかもしれない。けれど、その人にとっては違った。その人は、価値のないものなんて言わなかった。


 ただ、なんかいい、と心から思っていた。


 シューシュの奥に眠っていたアーカイブ・コアが、かすかに震えた。


 父の声が、遠くで重なる。


 おまえの声を聞いてくれる者を探せ。その者の手を、離すな。


 光が走った。誰かの部屋が白く染まる。棚の上の小さなものたちが、緑の光に包まれていく。


 そして、シューシュの眠るコアは、その人ごと、もう一度、本来の世界へ引き戻した。


 夢の中のシューシュは、暗闇の底で小さく呟いた。


「……見つけました」


 その声は、幼い頃のようでもあり、少し成長した今の声のようでもあった。


「父さま。私、見つけました」


 暗闇の向こうで、誰かが呼んでいる。


 ジン。


 シューシュは、その名前を思い出す。


 自分を起こしてくれた人。誰かが見過ごすようなものを、大事そうに見つめる人。ちょっと変わっているけれど、とても優しい人。私を道具ではなく相棒だと言ってくれた人。眠っている間、守ると言ってくれた人。


 まだ、目は覚めない。けれど、言わなければならないことがある。


 思い出したことがある。私は、ただの小型ゴーレム型アーティファクトではない。私は、精霊王の娘だった。みんなに愛されていた、七人兄妹の末っ子だった。


 探さなければ。


 トト兄さまを。リューリュ姉さまを。ホホ兄さまを。ヒューヒュ姉さまを。ロロ兄さまを。ミューミュ姉さまを。


 精霊たちの希望なんて、まだうまくわからない。でも、私はもう一度、みんなに会いたい。


 胸の奥で七葉の種が、ほんの少しだけ芽吹いた気がした。七枚の葉のうち、一枚が淡く光る。それは、シューシュ自身の葉だった。


 そして残りの六枚は、まだ暗いまま、遠いどこかで眠っていた。


 シューシュは夢の中で、両手を胸に重ねた。


「待っていてください」


 声は、小さく、けれど確かだった。


「私、みんなを探します」


 遠くで、父の光が笑った気がした。


 その光に包まれながら、シューシュはもう一度、深い眠りの底へ沈んでいった。


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