第九話:白札の腕試し
イオナが組合へ向かったあと、俺とシューシュは組合の裏手にある訓練場へ向かった。
影針の変化をミラさんに報告することも気になっていたが、今はそれどころではない。何より考えるべきなのは、この後行うダリオとの腕試しだ。
組合の訓練場は、建物の裏手にあった。固く踏み固められた土の広場。木製の的。訓練用の棒や、刃を落とした練習用の武器が壁際に並んでいる。
ダリオはすでにそこにいた。いつものようにだるそうに立っている。だが、腰の短刃に手をかけている。
その隣には、なぜかグレン支部長までいた。
「見物人がいるんですが」
「面白そうだからな」
グレンが笑った。
「支部長、仕事は?」
「してるぞ。白札の腕試しを見るのも立派な仕事だ」
「本当ですか?」
「もちろんだ。ちゃんと骨は拾ってやる」
「帰りたくなってきた」
ダリオが気だるげに手を上げた。
「あー、来たな」
「できれば忘れていてほしかった」
「忘れるわけねえだろ」
「だろうな」
ダリオは首元に指を入れ、服の内側から青札を引っ張り出した。黒い革紐の先で、青い札が胸元に揺れる。
「勝ち負けは簡単にしようぜ。こいつを落としたら、あんたの勝ち」
「札を?」
「ああ。俺を倒せ、なんて言っても無理だろ」
「それは否定できない」
「だろ。だから、こいつを落とせたら、あんたの勝ちでいい」
青札は、革紐の先にぶら下がっている。札そのものは小さい。だが、札と紐をつなぐ金具なら、狙う余地がありそうだった。
「俺が負ける条件は?」
「立てなくなるか、降参って言ったら俺の勝ち」
「かなり現実的だな」
「白札相手に殴り倒すわけにもいかねえだろ」
「それでも十分怖い」
ダリオは腰の短刃を抜いた。刃は幅広で短い。だが、刃の縁がかすかに白く揺れている。
「それがアーティファクトか?」
「ああ。風切り。ちょっとだけ間合いが伸びる」
「ちょっとが怖い」
「安心しろよ。刃は当てねえ。峰と風圧だけだ」
「それでも怖いものは怖い」
ダリオはにやりと笑った。
「正直でいいな」
俺は少し考えた。
「少し準備してもいいか」
「あ?」
「このまま始めたら、一瞬で終わる」
「正直だな」
「正直に怖い」
「いいぜ。逃げなきゃな」
「逃げたい気持ちはある」
「あるのかよ」
「ああ、かなり」
ダリオは肩を揺らして笑った。
「いいぜ。待っててやる」
俺はシューシュを連れて、訓練場の隅へ移動した。
「シューシュ、今使えそうなものを確認したい」
「はい!作戦会議です!」
「小声で」
「はい!ひそひそ作戦会議です!」
「だから小声だって」
シューシュは俺の前に立ち、胸のコアに両手を当てた。
淡い光がこぼれ、いくつかの小さなものが俺の手のひらに落ちる。
金属片や小さなクリップ。広告マグネット。そして、見慣れた剣のキーホルダー。
俺はそれらを見下ろし、使えそうなものと、使えなさそうなものを分けた。
「ダリオに勝つのは無理だ」
「無理なのですか?」
「正面からはな」
「では、横から勝ちますか?」
「言い方は変だが、方向性は合ってる」
ダリオは俺を倒したいわけではない。反応を見たいのだ。なら、こちらも倒す必要はない。勝ち方を間違えなければいい。
さっき見えた青札の形を思い出す。手で札そのものを取るのは不可能だろう。狙うなら、革紐と札をつなぐ小さな金具だ。普通に狙えば、ダリオに避けられる。
だったら、その瞬間を作るしかない。
「シューシュ」
「はい」
「合図したら、言ったものをすぐ出せるか」
「できます!たぶん!」
「たぶんか」
「でも頑張ります!」
「頼む」
俺は思いつく限りの作戦を頭の中でシミュレーションして、深く息を吐いた。
(勝てるわけがない!!でも、何もできずに終わるのは嫌だ!!三十八歳、白札、元会社員!!せめて一つくらい、年下に嫌な顔をさせてやる!!)
「行くか」
「はい!腕試しです!」
「できれば試されずに帰りたい」
「でも行きます!」
「ああ。行く」
俺がダリオの前へ戻ろうとした時、訓練場の入口から足音が聞こえた。
「……間に合ったわね」
振り返ると、イオナが立っていた。報告を終えて急いで来たのだろう。少しだけ息が上がっている。
「報告は?」
「終わらせたわ。ミラさんにも影針のことは伝えた。詳しく見るのは後でいいって」
「早いな」
「あんたたちを放っておいたら、ろくなことにならないでしょ」
イオナは俺とダリオを見比べて、腕を組んだ。
「始める前でよかった」
「できれば、このまま中止になってほしい」
「なら自分で言いなさい。降参するなら止めないわ」
「それはそれで悔しい」
「でしょうね」
イオナは小さく息を吐き、それからダリオを睨んだ。
「ダリオ、本当に刃を向けないでよ」
「わかってるって」
「わかってない顔してるのよ」
「信用ねえな」
「ないわ」
俺はシューシュを肩に乗せ直し、ダリオの前へ戻った。
「待たせた」
「逃げなかったな」
「逃げたい気持ちはあると言っただろ」
「まだあるのか」
「ある」
「ぶれないな」
ダリオが短刃を軽く回す。
「じゃ、始めるか」
次の瞬間、ダリオが一歩踏み込んだ。距離が消えた。
(速い!!思ったより全然速い!!これ、アニメで見るやつじゃなくて、実際に向けられると普通に怖いやつ!!)
風切りが俺の肩先を払うように振られる。刃ではない。峰と風圧だとわかっていても、体が勝手にすくむ。
俺は反射的に後ろへ下がった。足がもつれかける。
「危なっ!」
「へえ。今ので倒れねえのか」
ダリオの声が近い。だが、俺は何とか踏みとどまった。
「シューシュ、マグネット!」
「はい!」
胸のコアが光り、俺の手に広告マグネットが現れる。狙うのは青札そのものではない。札と革紐をつなぐ、小さな金具。
金具が、ほんの少しだけこちらを向いた。だが、ダリオは軽く首を傾けただけで、その引きを外した。
「お、今のは札狙いか?」
「……ばれたか」
「面白いけど、その程度じゃ足りねえな」
金具は動くが、対象が小さすぎて、マグネットの引きが弱い。
ダリオがまた踏み込む。
俺は左へ逃げようとする。だが、風切りの白い揺れが半歩先まで伸びた。短刃の距離ではない。風が来る。
「うわっ」
風に押され、俺の体が傾く。
「ジン!」
「まだ大丈夫!」
まだ立っている。降参もしていない。俺は何とか体勢を戻した。
(足元は大事。今日、嫌というほど学んだばかりだ)
ダリオを倒す必要はない。足を止める必要もない。ほんの一瞬、踏み込みを乱せばいい。
「シューシュ、金属片!」
「はい!」
小さな金属片が、俺の足元に落ちた。俺は広告マグネットを握り込み、それをダリオに向けて走らせる。狙うのは、ダリオの足ではない。踏み込み先。
金属片が土を削りながら、ダリオの前へ走った。
「……っ」
ダリオの足が、ほんの少しだけ外へ逃げた。転んではいない。これくらいで、転ぶわけがない。さすがに、そんな簡単な相手ではない。
だが、踏み込みの勢いが一瞬だけ死んだ。
「足元が狙いか」
「今日、学んだばかりでな」
「悪くねえ」
ダリオは笑った。面白がっている。そして、少しだけ目の色が変わった。
「あー……なるほどな」
だるそうに肩を回す。
「ちょっと本気出すか」
「今まで本気じゃなかったのか」
「白札相手に最初から本気出すほど、大人げなくはねえよ」
「今から出すのは大人げあるのか?」
「面白くなってきたからな」
(やめろ!!面白くなるな!!俺は面白くなくていい!!平和に終わってほしい!!)
次の瞬間、ダリオの姿がぶれた。速い。さっきまでより、明らかに速い。
風切りの刃先が、白く薄く揺れている。半歩どころではない。一歩分、遠いところから風が来る。俺は反射的に後ろへ下がる。だが、逃げきれない。
ダリオが踏み込む。速い。見えない。反応できない。だが、風切りの刃は俺に当たらない。当てないために、ダリオは刃を返す。
代わりに、峰と風圧が肩に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
痛い。普通に痛い。手加減されているのはわかる。だが、手加減されてなお、体が持っていかれる。
足が滑る。腰が落ちる。このままなら、立てなくなる。
負ける。
でも。
俺は、左手を握り込みマグネットに力を込めた。さっきとは違い、地面を滑らせて目立たないように引き寄せていた金属片を、青札の下をかすめるように一気に跳ね上げた。
ダリオは下から突き上げてくる金属片に気付き、とっさに上体を起こしてかわす。
その瞬間、首元の青札だけがふわりと遅れて浮いた。
「ここだ!シューシュ、ブレード!」
「はい!」
手の中に現れたのは、見慣れたおみやげブレードだった。安っぽい名前。頼りない見た目。普通のハンターなら、きっと笑う。
けれど、俺は違う。
(お土産屋でお前を見つけた時、俺は最高にかっこいいと思ったんだ!!)
銀色の小さな刃。無駄に派手な意匠。冒険譚に出てくる英雄の短剣みたいで、見た瞬間に心を掴まれた。
(安っぽいとか、飾りだとか、そんなの関係ない!!)
ちょっと光って縄が切れるくらいの小さな剣のキーホルダー。使い道なんて、その時は考えていなかった。
ただ、こういうものが好きだった。
(お前はただの土産物じゃない!!俺の棚の中で、ちゃんと主役だった!!)
今しかない。
(見せてくれ、おみやげブレード!!お前なら、もっとできるはずだ!!)
俺は腕を伸ばした。おみやげブレードの光が少し伸びる。だが、まだ足りない。
指先が震える。肩が軋む。それでも腕を伸ばす。
(届け、届け、届け――!!)
ぶわり、と手の中で熱が走った。
「……っ!?」
次の瞬間、おみやげブレードの姿が変わる。
小さな玩具のようだった刃が、すっと伸びた。銀色の刀身は澄んだ光を帯び、柄には深い赤の宝石が埋め込まれている。
鍔元から刀身にかけて、細く流れるようなドラゴンの紋様が浮かび上がった。
まるで最初からそういう武器だったみたいに。おみやげの剣は、一振りの短剣へと変わっていた。
「おいおい……」
ダリオの声が、初めてわずかに揺れた。刃は振り抜いた軌道の先で、さらにひと息ぶんだけ伸びた。届かないはずの金具へ、銀の切っ先が届く。
狙うのは青札と革紐をつなぐ、細い金具。切っ先が、浮いた青札の根元をかすめた。
小さな金属音が鳴り、金具の細い輪が切れた。青い札が、地面へ落ちる。その直後、俺は尻もちをついた。
腰に衝撃が走る。息が詰まった。一瞬の静寂の後。
「……立てるか?」
ダリオが見下ろしながら言った。俺は地面に落ちている青札を見て、それから自分の足を見た。
(届いた!?勝ったのか!?でも青札は落ちてる!!そして俺は、まだ立てる!!)
俺は地面に片手をつき、シューシュに袖を引っ張られながら、ゆっくり立ち上がった。
「なんとか立ってるぞ」
「見りゃわかる」
シューシュが叫んだ。
「ジンが勝ちました!」
「勝った気はしない」
「でも青札が落ちました!」
「それは見えてる」
「ジン、立っています!」
「ギリギリだけどな」
ダリオは少し黙った。それから、ゆっくり笑った。
「あー……やられた」
「勝ちでいいのか?」
「いいだろ。条件は条件だ」
ダリオは地面に落ちた青札を拾い上げた。
「俺が条件を出したのに、その条件だけをきっちり持っていかれたな」
「倒せるわけないだろ」
「だろうな」
「納得されると複雑だな」
「でも、勝ち筋を間違えなかった。そこは悪くねえ」
ダリオは手の中の青札を見下ろした。切れた留め具を指で弾き、口の端を上げる。
「修理代、勝者持ちにするか?」
「やめてくれ」
「冗談だよ。条件を出したのは俺だ」
ダリオは青札をポケットにしまい、俺に手を差し出した。
握手だと思って手を握ったら、ぐっと引き寄せられ、肩を組まれた。
「面白えな、大将」
「大将?」
「ああ。妙な手を使いやがって、勝ち筋だけ通しやがった」
「褒めてるのか?」
「褒めてる」
「なら受け取っておく」
「やっぱ大将は面白え」
「大将はやめてくれ」
「嫌だね」
シューシュが胸をぱっと光らせた。
「ジン、大将です!」
「違う」
「大将相棒です!」
「混ぜるな」
イオナが少し複雑そうな顔をして聞いた。
「……なんで大将なのよ」
「なんとなく」
「なんとなくで変な呼び方しないで」
「いいだろ。しっくり来たんだから」
「しっくり来るの?」
「来る」
ダリオは満足そうに答えた。
様子を見ていたグレン支部長が豪快に笑った。
「いいじゃねえか。白札が青札の札を落とした。面白い噂になるぞ」
「やめてください」
「無理だな」
「だろうな」
俺はため息をついた。どうやら勝ったらしい。実感はない。尻は痛いし、肩も少し痛い。勝ったというより、ぎりぎり何かが引っかかっただけだ。
それでも。年下の青札ハンターに、何もできずに終わったわけではない。
(三十八歳、意地だけは少し守れた!!たぶん!!)
シューシュが俺の肩で嬉しそうに跳ねる。
「ジン、大将です!」
「だから違う」
「でも勝ちました!」
「勝った気はしない」
「でも勝ちました!」
俺は手の中の短剣を見下ろした。銀色の刀身。赤い宝石。ドラゴンの紋様。
さっきまでのおみやげブレードとは、まるで違う。
「……これ、戻らないのか?」
そう言った直後だった。銀色の刀身は縮み、深い赤の宝石は安っぽい赤いプラスチックに戻る。ドラゴンの紋様も、ただの印刷のような装飾へ変わっていった。
後に残ったのは、見慣れた剣のキーホルダーだった。
「戻ったな」
「戻りました!」
「今のは何だったんだ」
「ジンの思いが通じました!」
「思いが通じた結果、一瞬だけああなったのか」
「たぶんです!」
「たぶんか」
イオナが小さく息を吐いた。
「また、ミラさんに見せるものが増えたわね」
「でも、今は戻ってるぞ」
「支部長が見てるのよ。見せないわけにはいかないでしょ」
「それは……確かに」
「ミラさんの前でも試すことになるわね。できるかは別として」
「できる気がしない」
「でしょうね。でも、試さないわけにはいかないでしょ」
イオナが小さく笑った。
「まあ、少しは頑張ったんじゃない?」
「少しなのか」
「調子に乗らないように、少しだけ」
「厳しいな」
「でも、無茶はしたわ」
「そこはよかったじゃないのか?」
「よくないわよ。攻撃を受ける前提の作戦なんて、普通は止めるから」
「正論だな」
「次からは先に言いなさい」
「言ったら止められそうだ」
「止めるわよ」
「だろうな」
イオナは少しだけ呆れたように、でもどこか安心したように俺を見た。
「でも、それでもちゃんと考えてたんでしょ」
「少しは」
「なら、今回は十分よ」
その言葉に、胸の奥が少し軽くなる。俺は落ちた土を払いながら、訓練場の青空を見上げた。
魔力草の採取。影針の新しい力。ダリオとの腕試し。一瞬だけ変わったおみやげブレード。そして、よくわからない大将呼び。
異世界三日目も、やはり静かには終わらなかった。
(明日は平和がいい!!本当に平和がいい!!でも、たぶん無理な気がする!!)
その横で、ダリオが気だるげに笑った。
「よろしくな、大将」
「だから、その呼び方はやめろ」
「嫌だね」
こうして俺は、また一つ変な呼び名を背負うことになった。




