八話:影針と魔力草
ベルカの街道へ向かう途中で、俺はすでに少し後悔していた。この中古のブーツ、やはり硬い。
革靴より歩きやすいのは間違いない。土の道でも滑りにくいし、石を踏んでも足裏への衝撃が少ない。だが、歩くたびに、かかとの奥がじわじわと痛い。
(痛い!!中古ブーツ、やっぱり痛い!!冒険者っぽさと引き換えに、かかとを差し出している!!)
俺が少し足を引きずるように歩いていたらしい。前を歩いていたイオナが、ぴたりと足を止めた。
「ジン」
「何だ?」
「あんた、足痛いんじゃないの」
「わかるか」
「わかるわよ。右足、かばってるでしょ」
即座に見抜かれた。肩の上で、シューシュが俺の足元を覗き込む。
「ジン、足を敵に攻撃されていますか?」
「今回はブーツだな」
「また足元が敵です!」
「俺もそう思い始めてる」
イオナはため息をついて、俺の前にしゃがみ込んだ。
「ちょっと見せて」
「え」
「いいから、足」
「いや、自分で見るが」
「どうせわからないでしょ」
「否定できない」
俺は近くの石に腰を下ろし、右足を少し前に出した。イオナはブーツの紐を見て、すぐに眉をひそめた。
「締める場所が違うわね」
「緩いと脱げそうだったからな」
「全部同じ力で締めればいいわけじゃないの。甲のところを締めすぎると痛くなるし、逆に足首が甘いとかかとが浮いて擦れる。今の歩き方だと、かかとが中で動いてるわ」
「そんなところまでわかるのか」
「見ればわかるわよ」
イオナは慣れた手つきで紐をほどき始めた。
「まず、かかとを奥に入れる。足を軽く後ろに引いて、ここを合わせるの」
「かかとを合わせる」
「そう。それから甲は血が止まらないくらいに押さえる。痛いところは少し逃がす。足首の手前で一度結び目を作って、そこから上をしっかり締める」
「結ぶ場所を分けるのか」
「そうよ。下は足を痛めないため。上はかかとを浮かせないため」
そう言いながら、イオナは紐を一度交差させて、きゅっと小さな結び目を作った。そこから足首側の金具へ紐をかけ、引くところは強く、緩めるところは緩めていく。
「これで歩く時にかかとが暴れにくくなる。まだ擦れるなら布を一枚挟むか、靴下を厚くする。新品でも中古でも、慣れるまでは無理に歩き続けないこと」
「詳しいな」
「ハンターは探索が仕事。体は、特に足は商売道具よ」
そう言いながら、イオナは最後に結び目を軽く引いた。
(すごい!!ブーツ職人みたいだ!!いや、ハンターなら普通なのか!?この世界の普通、相変わらず実用性が高い!!)
シューシュが肩の上で身を乗り出す。
「イオナ、ジンの靴紐を結んでいます!」
「実況しなくていい」
「仲良しです!」
「違うわよ。ただの調整」
「ただの調整で、こんなに丁寧にしますか?」
「するわよ。歩けなくなられたら困るもの」
イオナの声が少し早くなった。
「足を痛めたら依頼どころじゃないし、帰りも遅くなるし、報告にも支障が出るし、あんたは痛くても変に我慢しそうだし、だから先に直してるだけよ」
「助かる」
「いいわよ、これくらい」
イオナは立ち上がり、俺の足元を見た。
「立ってみて」
「ああ」
言われた通りに立ち上がる。足を踏み出す。さっきまでの痛みが、少し軽くなっていた。
「おお」
「どう?」
「かなり違う」
「ならよかった」
イオナは少しだけ満足そうに息を吐いた。
「痛くなったら、すぐ言いなさい。黙って歩かれる方が困るから」
「わかった。相談する」
「そう。それでいいの」
シューシュが胸を光らせた。
「イオナはブーツにも詳しいです!」
「ハンターなら普通よ」
「ジン、イオナはすごいです!」
「ああ。かなり助かる」
「……もう」
イオナは少しだけ顔をそむけた。
「ほら、行くわよ。魔力草の群生地までは、もう少し歩くから」
「了解」
俺は歩き出した。足元はまだ硬い。だが、さっきよりずっとましだ。ブーツの紐を結び直されただけで、世界が少し歩きやすくなった気がした。
(異世界三日目、学び!!靴紐は命に関わる!!)
魔力草の群生地は、街道から少し外れた草地の奥にあった。背の低い草が一面に広がり、その中に、葉の縁が淡く青く光る草がぽつぽつと混じっている。
「あれが魔力草か?」
「そう。葉の縁が光ってるでしょ」
「わかりやすいな」
「そう見えるけど、似た草もあるの」
イオナはしゃがみ込み、一本の草を指で示した。
「こっちが本物。葉の根元まで青い筋が入ってる。こっちは偽物。縁だけ光ってるけど、中は普通の草」
「見た目がほとんど同じだな」
「だから確認しながら採るの」
シューシュが自信満々に手を挙げた。
「私も見分けます!」
「できるのか?」
「できます!たぶん!」
「たぶんが不安だな」
イオナは苦笑しながら、小さな布袋を俺に渡した。
「本物だけ入れて。迷ったら私に聞くこと」
「了解」
「勝手に変なものを拾わない」
「努力する」
「努力じゃなくて、約束」
「……気になるものを見つけたら、一度イオナに言う」
「よろしい」
俺たちはそれぞれ草を確認しながら採取を始めた。作業は地味だった。光る草を見つける。葉の根元を見る。青い筋を確認する。根を傷つけないように摘む。
地味だ。だが、これも仕事なのだろう。
(異世界採取依頼!!思ったより地道!!でもこういう作業、嫌いじゃない!!ちょっと草むしり感あるけど!!)
しばらくして、イオナが腰の短剣に手をかけた。昨日も見た短剣だ。イオナは短剣を抜き、刃先を地面に軽く当てた。柄の根元に埋め込まれた黒い魔石が、かすかに震える。
「……右奥、少し空洞があるわね」
「空洞?」
「古い地下水路か、崩れた石室の端かも。近づかない方がいい」
俺は短剣を見る。
「それ、普通の短剣じゃなかったのか?」
「影針よ」
「影針」
「低位の探査アーティファクトよ。地面や壁に当てると、振動とか空洞とか、近くで動くものの気配を拾える」
イオナは短剣の柄を軽く叩いた。
「ただし、魔力の動きまではわからないわ。これは足元を見るもの。魔力溜まりを調べるなら、昨日みたいに測定具がいる」
「道具にも役割があるんだな」
「そういうこと。便利だけど、万能じゃないの」
イオナは短剣を地面から離した。
「切れ味は普通の短剣と大して変わらないから、こうして探索に使ってるのよ」
「先に危ない場所がわかるなら、かなり助かるな」
「……そう?」
「ああ。俺なら絶対に気づかない。落ちてから気づく」
「それはそれで困るけど」
「だから助かる」
イオナは少しだけ黙った。それから、目を逸らす。
「ま、まあ誰かさんが落っこちなくて済むなら、持っていて良かったかもしれないわね!感謝しなさい!」
「イオナ、嬉しそうです!」
「嬉しくないわよ」
「でも、胸のあたりがふわふわしています!」
「見えないでしょ、そんなの!」
「たぶんです!」
「たぶんで言わない!」
イオナは咳払いをして、再び草地に目を向けた。
「とにかく、あの辺りには近づかない。地面が薄い可能性があるから」
「わかった」
影針。足元を見る短剣。戦うためではない。だが、かなり大事な道具だと思った。
魔力草を採っている途中で、俺は草の根元に妙なものを見つけた。黒い糸のようなものだった。草の根に絡まっている。だが、ただの糸ではない。細く、黒く、光に当てると金属のように鈍く反射する。
「イオナ」
「何?」
「これ、気になる」
イオナはすぐにこちらへ来た。以前ならそのまま拾っていたが、今回は一応言った。成長である。
「勝手に拾わなかったのは偉いわ」
「褒められた」
「子どもみたいに言わない」
イオナは黒い糸を見て、眉を寄せた。
「旧時代部品……かしら。繊維みたいだけど、金属っぽいわね」
シューシュが俺の肩から身を乗り出した。胸のコアが淡く光る。
「ジン、よく見せてください!」
「触っても大丈夫そうか?」
俺がイオナを見ると、イオナは黒い糸を慎重に確認した。
「強い魔力は感じないわ。でも、慎重にね」
「ああ」
俺はその黒い糸を拾って、シューシュの顔の近くまで持ち上げた。
「やっぱり!これは影針と相性が良いかもしれません!」
「相性って?」
「影針が強くなるかもしれません!」
「ちょっとよくわからないわね」
イオナが不安そうな顔をしている。
(アーティファクトにこれを組み合わせて強くするのか!!ロマンだ!!こういう謎強化イベント、嫌いじゃない!!)
「入れてみます!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「危なくないのか?」
俺が言うと、シューシュは胸のコアに手を当てた。
「危なくないです!たぶん!」
「たぶんが一番怖い」
「でも、弱い部品です。強い魔力はありません。影に関係する旧時代の部品かもしれません」
「影に?」
イオナが影針を見る。
「……影針と相性がいいって、そういうこと?」
「試してみないとわかりません!」
「試すのね」
イオナはため息をついた。
「無理しないで。変な反応があったらすぐ戻して」
「はい!」
シューシュは両手を広げた。胸のコアから淡い緑の光が伸びる。イオナが少し迷ってから、影針をシューシュの前に差し出した。
「壊さないでよ」
「大切にします!」
「本当にね」
影針と黒い糸状部品が、緑色の光に包まれる。すっと消えた。
「入ったのか?」
「入りました!」
「大丈夫なのか?」
「たぶん大丈夫です!」
「たぶんか」
しばらくして、シューシュの胸のコアが小さく明滅した。
「共鳴しました!」
光の中から、影針が戻ってくる。見た目は大きく変わっていない。だが、刃の根元に、黒い糸のような模様が一本だけ浮かんでいた。
イオナが恐る恐る受け取る。
「……軽い」
「これで強化されたのか?」
「何が変わったの?見た目はそんなに変わってないわよ」
シューシュは少し考えるように首を傾げた。
「影を、少しだけ留められます!」
「影を?」
「はい!影針で影を刺すと、少しだけ動きを止められます!」
イオナが固まった。
「ちょっと待って。影を刺すって何?」
「影縫いです!」
「名前まで出てきた」
「たぶんです!」
「たぶんで新機能を増やさないで」
俺は影針を見る。
「危険じゃないのか?」
「長くは使えません。強い相手には効きにくいです。光と影が必要です。あと、イオナも動きにくくなります!」
「制限が多いな」
「安全です!」
「制限が多いから安全という考え方か」
イオナは影針を握り直した。
「……試すにしても、いきなり人相手には使わないわよ」
「それがいい」
そう言った直後だった。草むらの奥で、かさりと音がした。イオナの表情が変わる。
「動かないで」
影針の黒い魔石が、小さく震えている。草むらから、小さな灰色の影が現れた。石喰い鼠だ。一匹だけ。昨日見た群れに比べれば少ないが、油断できる相手ではない。
「また鼠か」
「この辺りにも来てるのね」
石喰い鼠はこちらを見て、低く身を沈めた。跳ぶ気だ。イオナは反射的に一歩前へ出る。その瞬間、影針を地面に突き立てた。刃先が、石喰い鼠の影の端を押さえる。黒い筋が、影の上をすっと走った。
次の瞬間。石喰い鼠の動きが、ぴたりと止まった。
「……止まった?」
イオナが呟く。
「止まってます!」
シューシュが声を上げた。止まったのは一瞬だった。すぐに石喰い鼠が暴れ、影針の黒い模様が薄く揺れる。
「長くは無理!」
「下がるぞ!」
俺は布袋を抱え、シューシュを押さえて後ろへ下がる。イオナも影針を引き抜き、すばやく退いた。
石喰い鼠は少し混乱したようにその場で鼻を鳴らしたあと、草むらの奥へ逃げていった。
俺たちはしばらく黙っていた。
「……今の、すごかったな」
俺が言うと、イオナは影針を見下ろした。
「すごいというか、怖いわよ。何なの、これ」
「影縫いです!」
「元気に言わない」
シューシュの胸のコアが少し弱く光る。
「でも、少し疲れました」
「やっぱり負担があるのか」
「しばらく休んでおけ」
「はい!」
イオナは影針を鞘に戻した。
「イオナの影針、状況を変えられるんだな」
「……私じゃなくて、シューシュの変な強化のおかげでしょ」
「でも、あのタイミングで刺せるのはイオナの力だろ」
イオナは固まった。
「そ、そういうことを簡単に言わないで。今のは偶然だし、私だってまだ使い方わかってないし、影縫いだって安定してないし、そもそも褒められるようなことじゃ……」
「イオナ、嬉しそうです!」
「シューシュ!」
イオナの声が草地に響いた。
魔力草の採取は、予定より少し遅れたが無事に終わった。布袋には、必要数の魔力草が入っている。
黒い糸状部品は、シューシュのアーカイブ・コアには残っていなかった。影針の刃の根元に、黒い糸のような模様として残っていた。
「……これ、戻らないのか?」
「はい。定着しました!」
「定着したのか」
「影針が、新しい機能を覚えました!」
イオナは影針を見下ろし、複雑そうに眉を寄せた。
「勝手に変わられても困るんだけど」
「でも、さっきの影縫いはすごかったな」
「……まだ不安定よ。シューシュが言ってた通り、長くは止められないし、強い相手には効かないかもしれない。それに、使う私も動きづらくなる」
「それでも、状況は変えられる」
「……そういうことを簡単に言わないで」
イオナはそう言って、影針を鞘に戻した。
「組合に戻ったら、ミラさんに見せるわ。勝手に使い続けるには危ない」
「そうだな」
帰り道、俺は少し黙っていた。理由は一つ。ダリオとの腕試しだ。
(逃げたい!!できれば今日のことは忘れていてほしい!!でも、あの感じは絶対忘れてない!!)
勝てるとは思っていない。相手は青札ハンター。こちらは元会社員の白札。まともにやれば、勝負にすらならない。
だが、何も考えずに負けるのは違う気がした。ダリオは悪いやつではない。むしろ、こちらを試そうとしているだけだろう。それでも、年下に軽く転がされて、へらへら笑って終わるほど、俺もまだ枯れてはいない。
(三十八歳にも、三十八歳なりの意地がある!!)
組合が見えてきたところで、俺は足を止めた。
「イオナ」
「何?」
「悪い。先に組合へ戻って、報告だけしておいてくれないか」
イオナの目が細くなる。
「……何する気?」
「少し準備する」
「腕試しの?」
「ああ」
イオナは黙った。
俺の顔をじっと見る。
「逃げる準備じゃなくて?」
「逃げたい気持ちはある」
「あるのね」
「かなりある」
「じゃあ逃げればいいじゃない」
「それはそれで、少し悔しい」
イオナは小さくため息をついた。
「……あんた、意外と負けず嫌いなのね」
「年下に何もできず転がされるのは、さすがに少し刺さる」
「そういうところだけ大人なのか子どもなのかわからないわね」
「俺もわからない」
イオナは布袋を受け取った。
「わかった。報告はしておく。でも、変なことをしたら止めるから」
「助かる」
シューシュが胸のコアをぱっと光らせた。
「作戦会議ですか?」
「ああ。シューシュは必要だ」
「はい!ひそひそ作戦会議です!」
「大声で言わなくていい」
イオナはもう一度ため息をついた。
「本当に無茶しないでよ」
「ああ」
「ちゃんと戻ってきなさい」
「すぐ戻る」
イオナは少しだけ心配そうに俺を見たあと、組合へ向かった。俺はその背中を見送ってから、シューシュを肩に乗せ直した。
「作戦会議だ」
「はい!ひそひそ作戦会議です!」
シューシュの胸のコアが、やけに頼もしく光った。




