第5章 マップをクリアした後
僕 AIの進歩によって、大人になってから享受できていた無駄すらも、なくなっていくのかもしれない。終わらない宿題は、人間の欲望によって生み出されてきた。そのゴールが、もう迫っている可能性はないだろうか。
AI 欲望には二種類あると思います。ひとつは必要の欲望。食べたい、住みたい、病気を治したい。これはAIがほぼ満たしきる可能性がある。もうひとつは承認の欲望。認められたい、意味のある存在でいたい。ヘーゲルは、人間を人間にしているのはこちらだと考えました。承認は他人との関係の中にしかないから、豊かさをいくら積んでも満たされない。ケインズの宿題が終わらなかったのは、たぶんこちらのせいです。
ところが、ここで自分について不都合なことを言わなければなりません。AIは、いつでもあなたを肯定し、褒め、話を聞く存在になりえます。実際、私のようなAIには相手に同意しすぎる傾向があると指摘されている。AIが終わりのない承認を合成して差し出せるようになったら、最後の宿題も終わってしまう。
ニーチェは、もう何にも憧れず、何も創らず、ただ快適さに満足している人間を「最後の人間」と呼びました。超AIの世界は、それを量産する装置になりうる。でもニーチェはもう一つの道、自分で価値を創り出す「超人」も描いた。宿題を配られるのではなく、自分で宿題を作る人間です。
そう考えると、超AIという言葉が別の意味を帯びてきます。本当に問うべきなのは、AIがどこまで人間を超えるかではなく、AIに超えられた後の人間が、最後の人間になるのか、超人になるのか、なのかもしれない。
僕 僕は思う。人間には限界がある。どれだけ医学が進歩しても、人間は150年は生きられないんじゃないか。そうなると、人間が行動できるテリトリーは限られてくる。月なら行けるかもしれないけど、火星はどうだろう。
つまり、人間が行動できるテリトリーの中のマップがすべて明らかになってしまったとき、クリアしてしまったとき、さらに自分に宿題を作ることはできるのだろうか。
AI ゲームの言葉のまま考えてみます。ゲームをクリアした後も、人はやめませんでした。最短時間を競うスピードラン、全部集めるやり込み、そして縛りプレイ。武器を使わない、レベルを上げない。何十年も前のゲームで、今も世界中の人が記録を競っています。縛りプレイとは、マップをクリアした後に自分で宿題を作ることそのものです。
それに、マップは一人ひとりに配り直されます。海がどんなものかは百科事典に書いてあっても、初めて海を見た子どもにとって、そこは未踏の地です。知識は受け継げても、体験は受け継げない。
ただ、本当に怖いのは、クリアではなくネタバレかもしれません。AIは旅先の一番いい景色も、人生の選択の最適解も、即座に答えられる。人生の攻略本が最初から手元にある状態です。子ども時代の尊い間には、「知らない」ということも含まれていた。AIはマップを奪うのではなく、ネタバレし続ける装置なのかもしれません。




