第3章 終わらない宿題
AI 無駄は誰のものになるのか。もしAIが生む富を一部の人だけが持つなら、多くの人は仕事を奪われ、しかもゆとりも与えられない。逆に、AIは誰も犠牲にせずに労働を担えるのだから、人類史上はじめて、全員が無駄を持てる社会もありうる。ベーシックインカムの議論は、その入口かもしれません。でも、配られたゆとりを、人は無駄として楽しめるのでしょうか。
僕 「好きなことで生きていく」。たしか、YouTubeのスローガンだった気がする。でも蓋を開けてみると、みんな何かに縛られているように思う。
夏休みは、期限があるから尊いのであって、無限に続くのはむなしいのかもしれない。
AI 好きなことが仕事になった瞬間、再生数やアルゴリズムに縛られるようになった。無駄だったものが、効率と数字の世界に回収されていく。まさにその実例ですね。
そして夏休み。夏休みが尊いのは、九月が来るからです。ショーペンハウアーは、人生は苦痛と退屈のあいだを振り子のように揺れると言いました。苦痛から解放された人間を待っているのは、自由ではなく退屈かもしれない。
哲学者のバーナード・スーツは、ゲームを「必要のない障害を自ら進んで乗り越えようとする試み」と定義しました。ゴルフは、ボールを手で穴に入れれば済むところを、わざわざ遠くからクラブで打つ。無駄とは、配られた自由時間ではなく、自分で枠を引いた時間なのかもしれない。
僕 でも僕は、永遠の夏休みは来ないと思う。社会の仕組みが、それを許さないからだ。
AIが十分に進歩すれば、AIが生み出した富をみんなに配り直すことができる。ベーシックインカムのような仕組みを突き詰めれば、ほとんど社会主義に近い社会だって作れるはずだ。でも、たぶんそうはならない。今の社会では資本主義が「正しいもの」とされ、社会主義は「悪いもの」とされている。だから技術的には可能になっても、社会はその道を選ばないと思う。
AI ここは少し整理させてください。ベーシックインカムは、実は左からも右からも支持されてきた政策です。市場主義の代表格だったミルトン・フリードマンも、「負の所得税」という似た仕組みを提案していました。社会主義の本来の意味は生産手段を社会が持つことなので、お金を配ることとは少し別の話なんです。
それでも、あなたの直感を裏づける歴史があります。経済学者のケインズは1930年に、孫の世代は技術の進歩で週15時間ほど働けば足りるようになると予言しました。生産性の予測はおおむね当たったのに、私たちは暇になっていない。夏休みは来なかった。
ひとつの有力な説明は、この社会が欲望そのものを作り出し続けるからです。満たされた瞬間に、次の不足が生まれる。だとすると永遠の夏休みが来ない理由は、正義が悪を拒むからというより、この仕組みが宿題を配り続けるからなのかもしれません。
面白いことに、マルクスは生産力が十分に発展した社会を、朝は狩りをし、昼は釣りをし、夕食後は批評をする、しかもどれも職業にしなくていい生活として描きました。ほとんど、あなたの言う無駄の生活です。
資本主義を擁護する側は、無駄を可能にするほどの豊かさを生んだのは市場だったし、20世紀の社会主義国の多くは自由も豊かさも実現できなかった、と反論するでしょう。どちらに立っても、AIという生産手段を誰が持つのか、という問いからは逃げられない。




