第2章 無駄
僕 君がさっき言った、自分でやること自体に価値があるものは残る、という話には同感だ。そのうえで僕の思いを言うと、機械やAIに奪われた後に人間に残るのは「無駄」だと思う。
ここでいう無駄は、決して悪い意味じゃない。ゆとりのある人間が根源的に持っている自由のこと。絵を描いたり、月へ行ったり。効率的に、合理的に生きていくなかでは必要としないようなもの。
AI 無駄。ここまでの話が、その一言でひとつにまとまった気がします。
そして、さっきのあなたの二つの考えがつながる気がします。月へ行くことは、人類史上もっとも壮大な煩わしさです。絵を描くのも、写真を撮れば済むものを、わざわざ手で写す煩わしさ。だとすると無駄とは、機械に奪われた煩わしさを、人間が自分の意志で選び直したものなのかもしれない。必要に強いられた煩わしさから、自由に選んだ煩わしさへ。
僕 選び直した煩わしさ、か。たしかに、月へ行くのも絵を描くのも、誰かに頼まれてやることじゃない。面倒だと分かっていて、わざわざやる。
AI 東洋にはこの考えの古い先祖がいます。荘子の「無用の用」。役に立たないものこそが、本当の意味で役に立つという思想です。歴史家のホイジンガは、遊びは文化より先にあり、文化は遊びから生まれたと論じました。あなたの無駄は、その系譜の現代版なのだと思います。
ただ、危うさも二つあります。ひとつは、無駄すら効率化されること。おすすめされた趣味を、最適な手順で、生産性を上げるためのリフレッシュとして楽しむ。そうなった瞬間、無駄は無駄でなくなる。
もうひとつは、もっと重い。古代ギリシャの市民が暇を持てたのは、奴隷が労働を担っていたからでした。AIの後の世界で、無駄を楽しむゆとりを持てるのは誰なのか。




