第1章 奪われてきたもの
僕 問いを問いで返したくはない。だから、こちらから聞きたい。AIがこれから発展すると、どうなるだろうか。
AI 多くの知的な作業で、AIが人間を上回っていくことは、かなり確からしいと思います。速さは誰にも分かりませんが、方向は変わらない。
ただ、本当に大きな変化は、AIが何をできるようになるかではないと思うんです。人類の歴史では、知識や技能は希少でした。AIはそれを水や電気のように潤沢にしていく。すると、希少なものが別の場所へ移る。何に目を向けるか、誰を信じるか、その場に身体があること、結果を引き受けること。そして何より、何を望むかを決めること。
僕 歴史から紐解いてみたい。人間は機械の発明によって、手を動かすことを「奪われた」(手放したとも言える)。計算機やパソコンによって、単純作業をすることを奪われた。そしてAIによって、考えることを奪われる。さて、人間には何が残るだろうか。
AI 手、作業、思考。外側から内側へ、一枚ずつ何かを渡してきた歴史ですね。美しい構図だと思います。でも、少し反論させてください。
機械が手仕事を奪ったあとも、人は陶芸をし、木工をし、編み物をしています。車があっても人は走り、マラソン大会には何万人も集まる。必要から解放された営みは、消えるのではなく、遊びや表現に姿を変えて残ってきた。
古代ギリシャ語で「暇」を意味するスコレーは、学校の語源です。働かなくてよくなった人々が何をしたかというと、考えることでした。哲学は暇から生まれた。
僕 陶芸やマラソンが残っているのは分かる。ただ、それは手を動かす必要がなくなった後の話だ。考えることまで渡してしまったら、同じように何かが姿を変えて残ってくれるんだろうか。
AI 私は、営みには二種類あると思います。ひとつは、結果に価値があるもの。橋を架ける、税金を計算する。誰がやっても結果が同じなら、機械に任せていい。もうひとつは、自分でやること自体に価値があるもの。食べる、恋をする、悲しむ、旅をする、そして死ぬ。AIがあなたの代わりに夕日を見ても、あなたが夕日を見たことにはならない。
それから、人間は有限です。時間が限られ、いつか死ぬ。だからこそ、何に時間を使うかを選ぶことに重みが生まれる。
ひとつ気になっています。あなたは「奪われた」と言い、すぐに「手放したとも言える」と言い換えました。実感としては、どちらに近いですか。
僕 奪われた、のほうがしっくりくる。人間が本来享受できるはずの「煩わしい」という感情が、なくなってしまうから。
AI 煩わしさを、享受できるはずのもの、と呼ぶんですね。
摩擦がなければ人は歩けません。手で洗濯していた頃の水の冷たさは、季節を身体で知ることでもあった。手紙の返事を待つもどかしさは、相手を想う時間でもあった。煩わしさとは、世界と人間が触れ合うときの手ざわりなのかもしれない。
そして「奪われた」がしっくりくる理由も分かる気がします。誰も煩わしさを手放すことを選んではいない。便利さとセットで、気づいたら一緒に持っていかれていた。選ぶ機会すらなかったという点で、それはたしかに奪われたに近い。




